紅叶
紅い葉を見つめながら、≪天≫が仰った。
『国を安定させる為に、≪人≫はどうすべきか?』
近くにいた者達が、答えた。
孔子 曰く
「【爲政以德
譬如北辰居其所 而衆星共之】
(政は、『徳』を以て為されるべきである。
例えば北極星を中心に巡る星々のように、人々も『徳』のある為政者に
付いて行く)
【其身正 不令而行
其身不正 雖令不從】
(為政者が正しい行いをしていれば、≪人≫は命令されずとも正しい行いをする。
為政者が正しい行いをしていなければ、≪人≫は命令されても従わない)
≪人≫は有徳者に魅かれ、心服致します。
还有
【君子博學於文 約之以禮 亦可以弗畔矣夫】
(君子が広く学び、得た知識を実践する際に『礼』則ち『社会規範』に基づいて
其れを行えば、道に外れる事は無い)
【不知命 無以爲君子也
不知禮 無以立也】
(『天命』を知らなければ、君子になる事など出来ない。
『礼』を知らなければ、世に立つ事など出来はしない)
則ち『徳』と『礼』を以て国を治めれば、国は安定するでしょう」
孟子 曰く
「也是。
【以德服人者 中心悦而誠服也】
(『徳』によって人を服従させる者に対して、≪人≫は心から服従する)
【君仁莫不仁 君義莫不義】
(為政者が『仁』則ち『仁愛』を以て国を治めれば、≪人≫も『仁の徳』に
引き寄せられ愛情深くなる。
為政者が『義』則ち『正義』を以て国を治めれば、≪人≫も『義の徳』に
引き寄せられ正しい道に進もうとする)
有徳者に対して、≪人≫は敬服致します。
そして≪人≫は『仁』や『義』を兼ね備える有徳者に自然と引き寄せられ、自分もそのように生きていきたいと考えるようになります。
因爲
【仁人心也 義人路也】
(『仁』とは、≪人≫が生まれながらにして持っている心である。
『義』とは、≪人≫が≪人≫として行うべき正しい道である)
【人性之善也 猶水之就下也
人無有不善 水無有不下
人之可使爲不善 其性亦猶是也】
(人の本性は、『善』である。
其れは、水が上から下に流れ落ちる事と同じである。
≪人≫の本性が『善』ではないと言う事が無いのと同様に、
水が下に流れ落ちない事は無い。
もし≪人≫が『善』ではないとするのであれば、其れは水が外部の影響によって
流れを変えられるように、≪人≫も何かの力によって変えられているからだ)
≪人≫は皆、『四端』を持って生まれてきます。
『四端』とは、『惻隠(人を思う心)』『羞悪(悪を憎む心)』『辞譲(譲り合う心)』『是非(善悪を判断する心)』の事です。
やがて『四端』は、『四徳』(『仁』『義』『礼』『智』)へと発展します。
そして『四徳』を持つ人は、『善人』となります。
つまり『四端』を生まれながらにして持っている≪人≫は皆、『善』なのです。
此の生まれながらにして持っている『善』を更に高めた≪人≫が為政者として国を治めれば、国は安定するでしょう」
荀子 曰く
「正是。
【仁人用國 則國安于磐石】
(仁者が国を治めれば、国は盤石以上に安定する)
確かに仁者、則ち有徳者が国を治めれば国は善く治まるでしょう。
可是
【人之性惡
其善者僞也】
(≪人≫の本性は、『悪』である。
≪人≫の『善』は、人為によるものである)
≪人≫は、生まれながらにして『悪』です。
≪人≫は、欲深く残酷な生き物です。
そうでなければ、血を分けた親兄弟を殺そう等と言う浅ましい蛮行をするはずがありません。
そうでなければ、信じた≪人≫を裏切る等と言う悪逆無道な行いが出来るはずがありません。
そうでなければ、冎(人の肉を骨まで削ぎ落とす事)や炮烙(大量の油を塗った銅製の丸太を火の上に渡し、其の丸太の上を裸足で人に渡らせる刑罰の事)、臠食(生きたまま人を切り刻んで食べる事)、宰殺務(食用人間を飼育する任務の事)等と言う禽獣にも劣る所業を思い付くはずがありません。
【然則從人之性 順人之情 必出於爭奪 合於犯分亂理 而歸於暴
故必將有師法之化 禮義之道 然後出於辞讓 合於文理 而歸於治
用此觀之 然則人之性惡明矣 】
(≪人≫が本性である『悪』に従い其の『悪』の心のままに行動すると
他人と争い奪い合う事となり、秩序は乱れ世の中は混乱する。
故に、師による教化や『礼』『義』に導かれれば譲り合う心が生まれ、
世の秩序は保たれ世の中は治まる)
【禮義之謂治 非禮義之謂亂也
故君子治禮義者也 非治非禮義者也】
(『礼』『義』を『治』と言い、『礼』『義』でない事を『乱』と言う。
故に、君子は『礼』『義』を治める者である。
君子は、『礼』『義』では無いものを治める者ではない)
≪人≫の本性である『悪』を正すには、『礼』と『義』を以て≪人≫を教化しなければなりません。
為政者は、『礼』と『義』を以て国を治めるべきです。
そうすれば、国は安定するでしょう」
墨子 曰く
「是。
【爭一言以相殺
是貴義於其身也
故曰 萬事莫貴於義
(≪人≫は、『義』と言う一字の為に命を棄てる事が出来る。
『義』とは、自分の命よりも貴いものだからだ。
『義』よりも、尊いものなど無い)
【義天下之良寶也】
(『義』は、天下の宝である)
国は、『義』を以て治めるべきなのです。
しかし儒家が説く『義』そして『仁』『礼』には、身分や血縁による『差』がございます。
≪人≫に其の様な『差』を設けるから、争いが起こるのです。
国を治める為に必要なものは、偏りの有る『仁』『義』『礼』等の『徳』ではないのです。
平等なる『愛』が、国を善く治める事が出来るのです。
就是
【兼相愛 交相利】
(互いに愛し合い、互いの利益を与え合う)
【天下兼相愛則治
交相惡則亂】
(≪人≫がお互いに愛し合えば、国は治まる。
≪人≫がお互いを憎み合えば、天下は乱れる)
儒家は、自分に近しいものを愛せよと説いております。
其の『愛』は、『偏愛』です。
身分性別血縁関係なく、全てを平等に愛すべきなのです。
全てが全てを、公平に『愛』すべきなのです。
≪人≫が自分と同じように自分以外のものを公平無私に『愛』するようになれば、国は安定するでしょう」
老子 曰く
「是。
【慈 故能勇】
(慈しみの心は、人に勇気を与える)
≪人≫を『愛』する事は、国を善く治める事の一つとなるでしょう。
还有
【以正治國
以奇用兵
以無事取天下】
(国は、正しく治める。
戦は、奇策を用いる。
そして天下は、『無事』『無為』によって取る)
【其政悶悶 其民醇醇
其政察察 其民缺缺】
(政が大まかであれば、≪人≫は『ありのまま』純朴でいられる。
政が細かく決められていると、≪人≫は窮屈に感じる)
【爲無爲 則無不治】
(『無為』つまり人為を用いない政をすれば、国は治まる)
『自然』のまま、『あるがまま』に正しく政を行えば、国は治まり安定するでしょう」
荘子 曰く
「正是。
【在宥天下】
(天下をあるがまま、自然のままにしておく)
【虚静恬淡 寂漠無為 天地之平 而道德之質也】
(静かに安らかに何もしない事により、天地は安定する。
此れこそが、道徳の極致である)
作為なく、全てを『自然』の通りにすれば良いのです。
而且
【從容無爲而萬物炊累】
(心を落ち着かせて何もしないでいると、全てのものは塵が浮遊するように
自由でいる事が出来る)
【茫然彷徨塵乎垢之外 逍遥乎無爲業】
(何も考えず汚れた世を彷徨い歩いていると、『無為』の境地に至る事が出来る)
≪人≫が『あるがまま』であれば、『無為』であれば争いは無く、国も安定するでしょう」
韓非 曰く
「不是。
【信人則制於人】
(≪人≫を信じれば、必ず≪人≫に支配される)
≪人≫を信用してはなりません。
≪人≫が、『無為』の境地に至る事など出来る訳がありません。
【鱣似蛇 蠶似蠋
人見蛇則驚駭 見蠋則毛起
漁者握鱣 婦人拾蠶
利之所在 則忘其所惡 皆爲賁諸】
(鰻は蛇に似ており、蚕は芋虫に似ている。
≪人≫が蛇を見れば驚愕し、≪人≫が芋虫を見れば身の毛がよだつ。
しかし漁師は鰻を素手で掴み、女性は蚕を摘まみ上げる。
鰻にも蚕にもそれぞれ『利』があるから、たとえ其れが嫌悪するものでも
其れを忘れ、皆が孟賁や専諸のような勇者となれるのだ)
≪人≫は、欲深い生き物です。
≪人≫は、『利』の為に生きます。
『利』は、≪人≫によって様々です。
自分にとって『有益なもの』全てが、『利』なのです。
≪人≫は、『利』によって変わります。
今を生きる多くの≪人≫にとっての『利』は、『金』や『権力欲』なのです。
此の様な≪人≫が皆、『あるがまま』に生きる事など果たして出来るのでしょうか?
不是。
其れは、不可能な事なのです。
では、どうすれば良いのでしょうか?
【國無常强 無常弱
奉法者强則國强 奉法者弱則國弱】
(永遠に強い国も、永遠に弱い国も存在しない。
『法』を厳守する国は強く、『法』を軽視する国は弱い)
強国であった燕や魏が亡びたのは、何故か?
其れは国が乱れ衰退していたにも拘わらず、皆が国法を蔑ろにしたからです。
群臣や官吏が国を治めず、私利私欲のまま生きたからです。
『法』により人々を規制しなかったから、国は亡びたのです。
就是
【虎之所以能服狗者 爪牙也】
(虎が犬を服従させる事が出来るのは、虎に鋭い爪や牙が
あるからである)
『徳』を以ても、『礼』を以ても、『愛』を以ても、『無為』を以ても、国を治める事など出来ません。
たとえ聖人であっても権力が無ければ其の声は届かず、能力を生かす事も出来ません。
愚人でも権力さえ有れば、国も人も動かす事が出来ます。
其の為には、絶対的な『法』が必要なのです。
絶対的な『法』を以て≪人≫を規制しなければ、国を安定させる事など出来ません」
老子 曰く
「不是。
【天下多忌諱 而民彌貧】
(多過ぎる禁令は、民を益々貧しくさせる)
【治大國 若烹小鮮】
(大国を治めると言う事は、小魚を料理するようなものである。
小魚は無闇に手を加えると、崩れてしまう。
其れと同様に、大国を治める際も『法』を用いて≪人≫を規制すると
国が瓦解し兼ねない)
『法』により≪人≫を規制する事は、却って世を乱す事になります。
所以
【以道莅天下 其鬼不神
非其鬼不神 其神不傷人
非其神不傷人 聖人亦不傷人
夫両不相傷 故德交帰焉】
(『道』に従って天下を治めれば、鬼神が祟る事は無い。
鬼神の祟りが無くなるだけでなく、其の祟りが≪人≫を傷つける事も無い。
鬼神の祟りが≪人≫を傷つける事が無くなるだけでなく、
聖人も≪人≫を傷つける事が無い。
鬼神も聖人も傷つける事が無いのだから、恩恵は≪人≫に巡り戻って来る)
為政者が『無為』の政を行えば、天災も人災も無いのです。
わざわざ『法』を設ける必要など無いのです」
墨子 曰く
「不是。
【察天下之亂物何自起 皆起不相愛】
(天下が乱れるのは、お互いが愛し合わないからである)
お互いが自分の事のように『愛』し合えば、≪人≫は≪人≫と争おうなどと思わない。
争いが無ければ、『法』など必要ない。
『法』を以ても、また『無為』を以ても、国を治める事など出来ない。
国を治める為には、『愛』が必要なのだ」
荘子 曰く
「不是。
【愛民害民之始也】
(≪人≫を『愛』する事は、却って≪人≫を害する事のはじまりである)
≪人≫は≪人≫を『愛』するが為に、過度の『法』を設けるものです。
其の『愛』は、却って≪人≫を苦しめる事になります。
『法』を以ても、『愛』を以ても、国を治める事など出来ません。
因而
【爲人使易以僞
爲天使難以僞】
(≪人≫は『欲』に囚われると、嘘偽りを言う。
しかし『自然』のままに生きれば、偽る事は無くなる)
≪人≫が『あるがまま』に生き、偽る事が無ければ、罪など犯さないのです。
罪を犯さないのであれば、≪人≫を『法』で縛り付ける必要は無いのです」
孔子 曰く
「不是。
【導之以政 斉之以刑
民免而無恥
導之以徳 斉之以禮
有恥且格】
(規制により民を導き、『刑』を以て治めれば、民は逃れさえすれば良いと
考える。
『徳』を以て民を導き、『礼』を以て治めれば、民はその身を正す)
『法』を以ても、『愛』を以ても、『無為』を以ても、国を治める事は出来ません。
『徳』によって、国は治まるのです」
孟子 曰く
「正是。
【以力假仁者霸】
(力によって民を押さえつけておきながら仁者を装う者は、覇者である)
【以力服人者 非心服也
力不贍也】
(力によって服従させられた者は、心から服従しているのでは無い。
自分の力が足りないから、表面上服従しているだけである)
『法』で≪人≫を規制すると言う事は、力で以て≪人≫を制する事と同じ事だ。
また『愛』を以ても、『無為』を以ても、国を治める事など出来はしない。
『徳』を以てすれば、国を治める事が出来るのだ」
荀子 曰く
「是。
【有治人無治法】
(世の中とは≪人≫の力によって治まるものであって、
『法』によって治まるものではない)
可是
【生而有疾悪焉
順是 故残賊生 而忠信亡焉
生而有耳目之欲 有好声色焉
順是 故淫乱生 而礼義文理亡焉】
(≪人≫は、『憎悪』の心を持って生まれて来る。
≪人≫が此の『憎悪』の心に従うと≪人≫を傷付け、
『忠義』も『信義』も失われてしまう。
≪人≫には美しいものを聞きたい、見たいと言う『欲』が有り、
美しい音楽や女性を好む。
≪人≫が此の『欲』に従うと淫乱となり、『礼』も失われ、
世の秩序は乱れる)
≪人≫の『悪』の心や『欲』を統制する為には、『礼』や『義』による教化と『法』による規制が必要なのだ」
韓非 曰く
「正是。
【民樸 而禁之以名 則治
世知 維之以刑 則從】
(民が純朴である世では、『仁』や『義』と言う『名』を以てすれば
国を治める事が出来る。
人知の発達した今の世では、民を『刑』によって縛り付ける事によって
民を従わせる事が出来る)
乱れた今の世を秩序ある世にする為には、『法』による規制や『刑』による抑制が必要なのだ。
还有
【聖人之治民也
法與時移 而禁與能變】
(聖人が民を治める時、時世の変化と共に『法』を変化し、
禁令も政に応じて変化する)
然后
【法者王之本也 刑者愛之自也】
(『法』とは、王者の政の根本である。
『刑』とは、王者の民への『愛』の始まりである)
時代に応じて変えた『法』を、為政者は守るべきである。
時代に応じて変えた『刑』を、為政者は守るべきである。
此れ等の『法』や『刑』に則って国を治める者が、≪天≫によって選ばれた為政者、則ち『天子』なのだ」
孟子 曰く
「是。
【天視自我民視
天聽自我民聽】
(≪天≫は、民が視るものを視る。
≪天≫は、民が聴くものを聴く)
≪人≫の心は≪天≫の心であり、≪人≫の声は≪天≫の声だ。
≪人≫が選んだ為政者が、≪天≫が選んだ為政者だ。
【天将降大任於是人也 必先苦其心志
勞其筋骨 餓其體膚 空乏其身
行佛亂其所爲
所以動心忍性 曾益其所不能】
(≪天≫が≪人≫に大任を任せようとする時、先ず其の≪人≫の精神を苦しめる。
次に疲労させ、飢え苦しめ、其の行動を虚しくさせ、何をしても
うまくいかないようにする。
此れは其の≪人≫の心を奮い立たせ、辛抱強くさせ、出来ない事を
出来るようにさせる為である)
≪天≫は≪人≫を『天子』として選ぶ際、其の≪人≫が『天子』に値するかどうかを試される。
其の試練に耐え抜いた者こそが、『天子』となるべき≪人≫なのだ。
【民爲貴 社稷次之 君爲輕
是故得乎丘民而爲天子 得乎天子爲諸侯
得乎諸侯爲大夫】
(民が、一番貴い。
其の次に、土地の神々が貴い。
君主が、一番軽い。
故に『天子』とは、民に推挙されて就くものである。
諸侯は、『天子』に推挙されて就くものである。
諸侯の大夫は、諸侯に推挙されて就くものである)
还有
【諸侯危社稷 則變置
犠牲既成 粢盛既絜 祭祀以時
然而旱乾水溢 則變置社稷】
(もし諸侯が土地の神々を危うくするようであるならば、
其の諸侯を変えるべきである。
また祭祀の際、生贄や供物の準備をし、祭儀の時期も正しいにも拘らず
干ばつが起こり、川から水が溢れ出るような事があれば、
其の土地の神々を変えるべきである)
【賊仁者謂之賊
賊義者謂之殘
殘賊之人謂之一夫
聞誅一夫紂矣
未聞弑君也】
(『仁』を害う者を『賊』と言う。
『義』を害う者を『残』と言う。
『賊』『残』の人を『一夫(一人の人間)』と言う。
私は、殷の紂王と言う『一夫』が誅罰されたと言う話を
聞いた事はある。
しかし、君主が殺されたとは聞いた事が無い)
『天子』が≪天≫に選ばれ、『天子』としての役割を果たしているのであれば、其の『天子』は存続すべき『天子』なのだ。
もし≪人≫が其の『天子』を『天子』ではないと判断した場合、其れは≪天≫の意思であり、其の『天子』は『天子』ではないのだ。
所以
【順天者在 逆天者亡】
(≪天≫の意思に従う者は、存続する。
≪天≫の意思に背く者は、亡びる)
≪天≫が『天子』を選び、『天命』を下す。
全て、≪天≫の意思に従うべきなのだ」
荘子 曰く
「不是。
【天之小人人之君子 人之君子天之小人也】
(≪天≫から見た『小人物』は、≪人≫から見れば『君子』である。
≪人≫から見た『君子』は、≪天≫から見れば『小人物』である)
【君子不得已而臨莅天下 莫若無爲
無爲也而後 安其性命之情】
(やむを得ず君子が天下に君臨しなければならないのであれば、其の君子は
『無為』の政をすべきである。
『無為』の政を行えば、民も自ずと『あるがまま』に生きる事が出来る)
而且
【聖人工乎天 而拙乎人】
(聖人は≪天≫に通じており≪天≫に従う事は出来るが、
人為的な事に関しては不得手である)
為政者に、『私』など必要ないのです。
ただ、≪天≫則ち『自然』に従ってさえいれば良いのです
人為など用いず、『自然』の通りに為政者は政を行えば良いのです」
墨子 曰く
「不是。
【順天之意者 義之法也】
(≪天≫の意思に従う事こそが、『義』の道である)
≪天≫とは、『自然』ではない。
≪天≫とは、『神』である。
≪人≫は、≪天≫の意思に従うべきである」
孔子 曰く
「不是。
可是。
也是。
【君子有三畏
畏天命 畏大人 畏聖人之言
小人不知天命而不畏也
狎大人 侮聖人之言】
(『君子』には、三つの『畏れ』がある。
一つは、『天命』。
一つは、『有徳者』。
一つは、『聖人の訓え』。
小人物は『天命』を知らないから畏れず、『有徳者』に狎れ、
『聖人の訓え』を侮る)
【畏天而敬人】
(≪天≫を畏れ、≪人≫を敬え)
【予所否者 天厭之】
(私の行いに間違いがあれば、≪天≫は私を見放すであろう)
≪天≫の意思に従い、≪人≫を敬愛しなければなりません。
もし≪人≫の行いに過ちがあれば、≪人≫は≪天≫に見捨てられてしまいます。
又是
【天何言哉
四時行焉 百物生焉】
(≪天≫は、何も言われない。
それでも四季は巡り、生き物は生まれ出ず)
≪天≫は『自然』であり、『神』でもあります。
≪人≫は、≪天≫を≪人≫を敬わなければなりません。
≪人≫は、≪天≫に従って生きていかなければならないのです」
荀子 曰く
「是。
【爲善者 天報之以福
爲不善者 天報之以禍】
(『善』を為す者に対して、≪天≫は幸福を与える。
『不善』を為す者に対して、≪天≫は禍を与える)
【道者非天之道 非地之道
人之所以道也】
(『道』とは、『天の道』でも『地の道』でもない。
『人の道』である)
【天行有常
不爲堯存 不爲桀亡
應之以治則吉
應之以亂則凶】
(『天の道』とは、常に正しい道を通っている。
変わる事は無い。
仁君である堯王の為に『天の道』が存在するのではない。
暴君である桀王の為に『天の道』が亡びるのでもない。
有徳者が『善政』によって国を治めれば、『吉』となる
徳の無い者が『悪政』によって国を治めれば、『凶』となる)
然后
【知命者 不怨天】
(『天命』を知っている者は、≪天≫を怨む事は無い)
≪天≫は『自然』であり、『神』でもある。
『天命』に従えば、≪天≫は≪人≫に幸運をもたらす。
もし『天命』に背けば、≪天≫は≪人≫を裁く。
≪人≫は、≪天≫に従わなければならない」
老子 曰く
「是。
【天道無親 常與善人】
(『天の道』に、不公平は無い。
≪天≫は、常に『善人』の味方をする)
【人法地 地法天 天法道 道法自然】
(≪人≫は、大地を模範とする。
大地は、≪天≫を模範とする。
≪天≫は、『道』を模範とする。
『道』は、『自然』を模範とする)
【道常無爲 而無不爲】
(『天の道』とは、『無為自然』である。
そして『無為自然』が、全てを行っている)
≪天≫とは『自然』であり、『自然』が世を動かしている。
『自然』は、≪人≫を常に見守っている。
并且
【貴以身爲天下者 若可寄天下
愛以身爲天下者 若可托天下】
(自分の身を貴び天下を治める者に、天下を委ねるべきである。
自分の身を愛し天下を治める者に、天下を託すべきである)
≪人≫は≪天≫、則ち『自然』に従い生きるべきです」
韓非 曰く
「是。
【天有大命 人有大命】
(≪天≫には、『大命』がある。
≪人≫にも、『大命』がある)
≪天≫に『定め』があるように、≪人≫にも『定め』がある。
≪人≫は、其の『定め』に従わなければならない。
其の『定め』に従えば、≪人≫は平穏でいられる。
『定め』に、例外など在ってはならない。
而且
【法不阿貴 繩不撓曲】
(『法』に、貴賤は関係ない。
『法』を曲げてはならない)
≪人≫を『定め』に従わせる為には、絶対的な『法』がなければならない。
≪人≫を規制する為には、完全なる『法』がなければならない。
例外を作ってはならない。
例外を作れば、『法』は瓦解する。
『法』を、必ず≪人≫に遵守させなければならない。
其の為にも、為政者は『法』に則って政を行わなければならない。
『法』の下では、≪人≫は平等である。
そして其の『法』を完全に履行する為には≪人≫を操作する『術』、≪人≫を強制する『勢』が必要である」
孔子 曰く
「不是。
【人之生也直
罔之生也幸而免】
(生まれながらにして『善』である≪人≫は、正直に生きているから
今の世を生きる事が出来る。
正直に生きていないにも拘らず生きているのであれば、
其れは偶々天罰を免れているだけである)
【人而無信 不知其可也】
(『信義』が無ければ、人間関係は成り立たない)
『法』により≪人≫を規制すると≪人≫は反発し、『法』の抜け道を探そうと卑しい行動をします。
『術』により≪人≫を試すような事をすれば、何れ≪人≫から信用されなくなります。
『勢』により≪人≫を抑えつけるような事をすれば、≪人≫は画一的になってしまいます。
≪人≫を規制する事も、≪人≫を操作する事も、≪人≫を強制する事もすべきではありません。
≪人≫には、『法』も『術』も『勢』も必要ないのです。
还有
【不能正其身 如正人何】
(為政者が正しい行いをしていないのに、どうして≪人≫が
正しい行いをするであろうか?)
【有君子之道四焉
其行己也恭
其事上也敬
其養民也惠
其使民也義】
(君子の道には、四つある。
一つ、振る舞いが慎ましい事。
一つ、目上の者を敬う事。
一つ、民を慈愛を以て養う事。
一つ、民を公平に扱う事)
為政者は『法』を以て、≪人≫を縛り付けるべきではありません。
正しい為政者が上に立てば、自然と≪人≫も正しくなります。
孟子 曰く
「是。
【不以所以養人者害人】
(君子は≪人≫を養う為に存在し、≪人≫を害する為に存在するのではない)
【國君好仁 天下無敵】
(国君が『仁』を以て政を行えば、天下に敵無し)
【愛人者人恒愛之
敬人者人恒敬之】
(人を愛する人は、人に愛される。
人を敬う人は、人に敬われる)
為政者が『徳』のある人物であれば、国は治まる。
但是
【上下交征利 而國危矣】
(上の人間も下の人間も自分の利益のみを求めるのならば、
国は存亡の危機となるであろう)
【一薛居州 獨如宋王何】
(薛居州(宋王の側近)一人が正しくとも、宋王を正しく教育する事など
出来ない)
【入則無法家拂士 出則無敵國外患者 國恒亡】
(国内に『法』を守る払士(君主を補佐する賢士)がおらず、
国外に競争相手もおらず敵に攻められる心配の無い国は緊張感を欠く。
虚を衝かれる事になれば、何れ国は亡びるであろう)
≪人≫が私利私欲に走り、其れを諫める賢人がいなければ、国は亡びるであろう。
其の為には『法』も必要であるし、『法』を守る≪人≫も必要である。
『法』を守らねば、国を守る事も出来ない」
老子 曰く
「不是。
【民不畏死 奈何以死懼之】
(死を恐れない≪人≫に、死を以て脅す事など出来はしない)
【治人事天 莫若嗇】
(≪人≫を治める事も、≪天≫に仕える事も、慎み深くするべきである)
【人之生也柔弱
其死也堅强】
(≪人≫は生まれた時、柔らかく弱い。
≪人≫は死ぬ時、硬く強張る。
柔弱は『生の道』であり、堅強は『死の道』である)
『法』で規制しても、『術』で操作しても、『勢』で強制しても、≪人≫を完全に制御する事など出来ません。
圧政を強いれば、≪人≫は死んでしまいます。
為政者は、≪人≫を生かさなければなりません。
就是
【善者 吾善之
不善者 吾亦善之
德善矣】
(善人も悪人も、善人とすべきである。
≪人≫は元々、善人なのだから)
【受國之垢 是謂社稷主】
(為政者は、国の汚点を全て受け容れる位の度量がなければならない)
【善用人者爲之下】
(多くの≪人≫を用いようとするのであれば、自らが謙譲の心を
持たなければならない)
【容乃公 公乃王】
(平等に≪人≫を受け容れる者こそが、王である)
為政者は≪人≫の『善』なるものを信じ、≪人≫を受け容れ、≪人≫を敬い、平等に接しなければなりません。
≪人≫を統制するなど、あってはならないのです」
荀子 曰く
「不是。
【木受繩則直 金就礪則利】
(木は墨の付いた縄を用いる事によって、真っ直ぐ伐る事が出来る。
金は砥石を用いる事によって、鋭利にする事が出来る)
≪人≫は統制されなければ、正しい行いは出来ない。
『法』も『術』も『勢』も、時と場合によっては必要である。
可是
【法者 治之端也
君子者 法之原也
故有君子 則法雖省 足以遍矣
無君子 則法雖具 失先後之施 不能應事之變
足以亂矣
不知法之義而正法之數者 雖博 臨事必亂】
(『法』とは、統治の始まりである。
君子とは、『法』の源である。
故に君子がいれば、簡略な『法』であっても統治は可能である。
もし君子がいなければ、『法』が備わっていても順序よく施策を行う事が出来ず
臨機応変に対応出来ない。
其の為、国は乱れるであろう。
また『法』の意義を理解せずに『法』の条文のみを行おうとする者は、
博学であっても臨時の際には我を失い何の役にも立たないだろう)
≪人≫は『法』により規制されるべきではあるが、其れよりも先ず為政者は『礼』を身に付けるべきである。
そうすれば、たとえ『法』が不十分でも国は治まる」
荘子 曰く
「不是。
【以指喻指之非指 不若以非指喻指之非指也
以馬喻馬之非馬 不若以非馬喻馬之非馬也
天地一指也 萬物一馬也】
(指は指ではないと証明するには、指ではないものを用いて
指が指ではないと証明する事に及ばない。
馬は馬ではないと証明するには、馬ではないものを用いて
馬が馬ではないと証明する事に及ばない。
天地は、一本の指である。
万物は、一頭の馬である)
『指が指である』『馬は馬である』と言う現実に囚われていてはならないのです。
全てのものは同じであり、何の『差』もありません。
【物固有所然 物固有所可
無物不然 無物不可】
(『物』には本来、優れたものも素晴らしいものも備わっている。
『物』として認められないものは無く、『物』として評価されないものはない)
全てに『差』は無く、『差』が無ければ争いもありません。
争いが無いのに、何故≪人≫を統制する為政者が必要でしょうか?
争いが無いのに、何故≪人≫を規制する『法』が必要でしょうか?
争いが無いのに、何故≪人≫を操作する『術』が必要でしょうか?
争いが無いのに、何故≪人≫を強制する『勢』が必要でしょうか?」
墨子 曰く
「是。
【若使天下兼相愛 愛人若愛其身 猶有不孝者乎
視父兄與君若其身 惡施不孝
猶有不慈者乎
視子弟與臣若其身 惡施不慈
故不孝不慈亡有】
(天下の人々がお互い愛し合い、自分を愛するように他者を愛して、
不幸な者がいるであろうか?
父兄や君主を視る際、自分の身を視るようにして
不幸な行いをするであろうか?
それでも、慈愛の心を持たないでいられようか?
子弟や臣下を視る際、自分の身を視るようにして
無慈悲な行いをするであろうか?
故に自分の事のように他者を愛せば、不幸や無慈悲など
存在しないのである)
自分に対する『愛』と他者に対する『愛』に『差』が無くなれば上の者は『慈愛』の心を持ち、下の者は『孝行』の心を持つようになる。
皆が自分と同様に他者を愛していれば、博愛・平等に繋がる。
慈愛に満ち、平等な世であれば、≪人≫を統制も規制も操作も強制もする必要はない。
但是
【一人則一義 二人則二義】
(一人には、必ず一つの主張がある。
二人には、必ず二つの主張がある。
人には、それぞれの主張がある)
たとえ自分と同じように他者を愛しても、それぞれには主張がある。
それぞれに主張があるからこそ、争いは生まれる。
争いなど、あってはならない。
自分から戦を仕掛ける事など、あってはならない。
しかし、もし他者が我らを、弱者を攻めて来るのであれば、私は立ち向かうつもりだ」
韓非 曰く
「是。
【惠盜賊者 傷良民】
(盗賊を助ける事は、良民を傷付ける事に繋がる)
悪人を懲らしめ良民を救う為にも、『法』は必要である。
而且
【賞罰不信 故士民不死也】
(褒賞も処罰も、正しく行われるべきである。
もし其れが履行されなければ、≪人≫は君主の為に命を
棄てようとは思わない)
君主は『法』や『賞罰』を正しく行う事によって、≪人≫から信頼を得なければならない。
就是
【夫厳刑重罰者 民之所惡也
而國之所以治也】
(厳しい刑や重い罰は、≪人≫が嫌うものである。
しかし、其れにより国は治まる)
『法』を明文化し、其の『法』に基づき罪を犯した者に『刑』を処し『罰』を下すべきである。
そして、功績に応じて褒賞も必ずを与えるべきである。
争いを回避する為にも、犯罪を未然に防ぐ為にも、≪人≫を傷付けない為にも、『刑罰』は絶対に必要なものなのだ」
荀子 曰く
「是。
【夫德不稱位 能不稱官 賞不當功 罰不當罪
不祥莫大焉
殺人者死 傷人者刑 是百王之所同也】
(『徳』が其の位に応じず、能力が其の官職に応じず、褒賞が其の功績に応じず、
『刑罰』が其の罪に応じていないなど、あってはならない事である。
殺人者は死刑、傷害者は受刑、此れこそが歴代の王が守って来たものである)
【爵列 官職 賞慶 刑罰 皆報也
以類相從者也
一物失稱 亂之端也】
(爵位や官職、褒賞や刑罰は全て、功績や罪過に応じて作られた。
其の軽重は、比例するものである。
其れが正しく行わなければ、乱が起こり兼ねない)
并且
【罪至重而刑至輕 庸人不知惡矣 亂莫大焉
凡刑人之本 禁暴惡惡 且徵其未也
殺人者不死 而傷人者不刑 是謂惠暴而寬賊也】
(罪が重いにも拘わらず刑が軽ければ≪人≫は悪が悪である事を知らず、
其れは何れ大きな乱が起こるきっかけとなるであろう。
≪人≫に『刑罰』を処すと言う事は暴力を禁じ、罪を犯した≪人≫を
懲罰する為である。
殺人者や傷害者に適切な処罰を下さなければ、暴力者や賊に対して
寛大であると言う事になってしまう)
『法』と『刑罰』が正しく行われていなければ、世が乱れる。
≪人≫が生まれながらにして持っている『悪』を抑える為にも、絶対的な『法』と『刑罰』はなければならない。
『刑罰』が重ければ悪事を止める者が、『刑罰』が軽ければ悪事を止めるとは限らない。
『刑罰』が軽くても悪事を止める者は、『刑罰』が重い時は必ず悪事を止める。
『刑罰』は、其の罪の重さに応じて処されるべきである」
老子 曰く
「不是。
【若使民常畏死 而爲奇者 吾得執而殺之 孰敢
常有司殺者殺
夫代司殺者殺 是謂代大匠斲
夫代大匠斲者 希有不傷其手矣】
(民に死刑と言う恐怖を与えているにも拘らず其れでも尚、抵抗する者に対して
たとえ私に彼らを捕え殺す権限があったとしても、私は彼らを誅する事は
しない。
何故なら、私が殺さずとも≪天≫が彼らに罰を下すからである。
≪人≫が≪天≫の代わりに≪人≫に罰を下すと言う事は、
優れた大工の代わりに素人が木を伐る事と同じである。
素人が優れた大工の様に木を伐ろうとすれば、必ず怪我をする)
『刑罰』とは≪天≫に代わって≪人≫が下すものであるけれど、もし≪人≫が軽率に其れを行えば何れ自分の身に返って来る事になるでしょう。
『刑罰』を下すと言う事は、諸刃の刃であると言う事を念頭に置くべきでしょう」
又是
【天之道 其猶張弓乎
天之道 損有餘 而補不足
人之道則不然 損不足以奉有餘】
(『天の道』とは、弓を張るようなものである。
『天の道』は余ったものを減らし、足りないものを補うものである。
しかし『人の道』は其れとは逆で、足りないところから更に減らそうとする)
弓の弦を張る時は、上を押さえつけ下を持ち上げるものです。
其れと同じように、多いところから減らし、少ないところは補うべきです。
しかし≪人≫は、其れとは真逆の行為をします。
其の様な政が行われていては、犯罪が起きるのは当然です。
そして其の乱れは、何れ騒乱となるでしょう。
总之
【天下無道 戎馬生於郊】
(天下に道が無ければ、軍馬が国境に多数現われるであろう)
其の騒乱は、何れ戦となりましょう。
然后
【師之所處 荊棘生焉
大軍之後 必有凶年】
(戦が長引けば、田畑は荒廃する。
そして大戦の後には、必ず飢饉が起こる)
正しい政が行われない事により民は苦しみ、犯罪が増え、戦となり飢饉に陥れば、更に≪人≫は苦しむ事となるでしょう。
『法』や『刑罰』によって人を統制する事は、却って世を乱す事になるでしょう」
孟子 曰く
「是。
【春秋無義戰 彼善於此則有之矣】
(『春秋』に書かれている戦の中に、天命による義戦など無い。
あの戦の方が、此の戦よりも多少『義』があると言う程度である)
戦に、『義』など無い。
戦は、戦である。
可是
【天子
春省耕而補不足
秋省斂而助不給
入其疆 土地辟 田野治 養老尊賢
俊傑在位 則有慶 慶以地
入其疆 土地荒蕪 遺老失賢
掊克在位 則有讓
一不朝 則貶其爵
再不朝 則削其地
三不朝 則六師移之
是故天子討而不伐 諸侯伐而不討】
(『天子』は春、農具が不足すれば其れを補う。
秋、収穫するのに人が足らなければ其れを補う。
そして『天子』は諸侯の土地に入った際、其の土地が良く開墾され、
田畑の手入れが行き届いており、老人を養い、賢者を尊び、
優れた人物が其の能力に見合う地位に就いているのであれば、
諸侯に恩賞として土地を与える。
しかし土地が荒廃し、老人は省みられず、賢者は蔑ろにされ、
過酷な税金を取り立てるような者が官職に就いているならば、
『天子』は諸侯に罰を下す。
一度『天子』への報告を怠れば、爵位を下げる。
二度報告を怠れば、領地を削る。
三度報告を怠れば、軍を差し向け追放する。
『天子』は諸侯を罰する為に討伐する事はあるが、利益の為に
征伐する事は無い。
しかし諸侯は利益の為に征伐する事はあるが、罰する為に討伐する事は無い)
戦には、必ず理由がある。
諸侯が自分の利益の為に民を蹂躙し、土地を荒廃させ、功績には賞を与えず、罪過に『刑罰』を処さなけれ、国は乱れ戦が起こる。
しかし『天子』が其れを看過せず世を乱す者を征伐すれば、其れを抑える事が出来る。
『天子』が善く世を治めれば、戦など起こらない。
而且
【不嗜殺人者 能一之】
(人を殺す事を好まない人こそが、天下を統一出来る)
『法』も『刑罰』も、必要である。
しかし無闇に『刑罰』など行えば、≪人≫は為政者に従う事は無いであろう」
孔子 曰く
「正是。
【爲政 焉用殺】
(政の為に、殺傷を用いてはならない)
『刑罰』を以て、民を支配してはなりません。
就是
【擧直錯諸枉 則民服
擧善而敎不能 則勸】
(真っ直ぐな板を曲がった板の上に置けば、曲がった板は真っ直ぐになる。
同様に正しい為政者が上にいれば、民も此れに服す)
【忠告而善導之】
(真心を以て人に接すれば、良い方向へと導く事が出来る)
【子帥以正 孰敢不正】
(為政者が正道を以て≪人≫の上に立つのであれば、全てが正しく行われる)
為政者が、正道を行えば良いのです。
『仁』の道へ為政者が≪人≫を導けば、絶対的な『法』や『刑罰』など必要ないのです」
荘子 曰く
「是。
可是。
【陰陽錯行 則天地大絃】
(『陰』と『陽』が乱れれば、世も大いに乱れる)
【此劍一用 匡諸侯 天下服矣
此 天子之劍也】
(此の剣を一度揮えば諸侯を正し、天下を服従させる事が出来る。
此れが、『天子の剣』である)
今の世は『陰』と『陽』が乱れ、『天子の剣』が正しく揮われておりません。
【力不足則僞 知不足則欺 財不足則盜
盜窃之行 于誰責而可乎】
(力が足らなければ、偽る。
知恵が足らなければ、欺く。
財産が足らなければ、盗む。
窃盗と言う行為を、一体誰が責める事が出来ようか?)
人が罪を犯すのは、満たされていないと考えるからです。
所以
【以死生爲一絛 以可不可爲一貫】
(『生』と『死』は一本の綱であり、『可』と『不可』も同じものである。
『善』と『悪』もまた、同じである)
束縛するものさえなければ、≪人≫は何も求めません。
何も求めなければ、争いも起こりません。
争いが起こらなければ、『天子の剣』つまり『刑』も『罰』も必要ないのです」
墨子 曰く
「不是。
【今有一人 入人園圃竊其桃李
衆聞則非之 上爲政者得則罰之
此何也
以虧人自利也
至攘人犬豕雞豚者 其不義又甚入人園圃竊桃李
是何故也
以虧人愈多
苟虧人愈多 其不仁茲甚 罪益厚
至入人欄厩取人馬牛者 其不仁義又甚攘人犬豕雞豚
此何故也
以其虧人愈多
苟虧人愈多 其不仁茲甚 罪益厚
至殺不辜人也 扡其衣裘 取戈劍者
其不義又甚入人欄厩 取人馬牛
此何故也
以其虧人愈多
苟虧人愈多 其不仁茲甚矣 罪益厚
當此天下之君子 皆知而非之
謂之不義
今至大爲攻國 則弗之非 從而譽之
謂之義
此可謂知義與不義之別乎】
(今、一人の者がいる。
其の者は、他人の畑に入って桃や李を盗んだ。
人々は其れを聞き、其の者を非難した。
政を行う者によって、桃李を盗んだ者は罰せられるであろう。
其れは、何故か?
其れは、他人に損害を与えた其の者が自分の利益を得ようとしたからだ。
他人の犬や猪の子や鶏や豚を盗む者に至っては、畑に入って
桃李を盗む者より其の『不義』は甚だしい。
其れは、何故か?
其れは、他人に与えた損害が桃李を盗むよりも大きいからだ。
他人に与えた損害が大きければ其の『不仁』は甚だしく、罪は更に重い。
他人の畜舎に入って馬や牛を盗む者に至っては、犬や猪の子や鶏や豚を
盗む者より其の『不義』は甚だしい。
其れは、何故か?
其れは、他人に与えた損害が犬や猪の子や鶏や豚を盗むよりも大きいからだ。
他人に与えた損害が大きければ其の『不仁』は甚だしく、罪は更に重い。
無実の者を殺し、其の衣服を奪い、矛や剣を奪う者に至っては
他人の畜舎に入って馬や牛を盗む者より其の『不義』は甚だしい。
其れは、何故か?
其れは、他人に与えた損害が馬や牛を盗むよりも大きいからだ。
他人に与えた損害が大きければ其の『不仁』は甚だしく、罪は更に重い。
此のような事は君子は皆知っていて、此れを非難し、『不義』としている。
しかし今、『不義』を働いて国を攻める者に至っては、非難する事を知らず、
此れを誉め、此れを『義』としている。
此れで、『義』と『不義』の区別がついていると言えるのであろうか?)
『刑罰』は、必要である!!
罪の重さに応じて、『刑罰』は重くすべきである!!
多くの人を殺せば、其の分罪は重くなる!!
此の国は、侵略戦争を繰り返す!!
侵略は、大量殺人だ!!
何故、他国を侵略するのか!?
大国が小国を倒して、領土を広げる為だ!!
大国が領土を広げ、より多くの『利』を得る為だ!!
私利私欲により苦しむのは、無辜の民達だ!!
侵略されようとする国を、一体誰が助ける!?
大国に抗おうとする国が、どれほどいるか!?
誰が、侵略しようとする大国を罰するのだ!?
私には、侵略されようとする小国を放っておく事など出来ない!!
私は侵略されようとする小国を守り、救い、此の世から争いを無くしたい!!」
韓非 曰く
「也是。
【簡法禁而務謀慮
荒封内而恃交援者
可亡也】
(君主が『法』を軽視し、謀略を巡らす。
国に混乱を招き、外国の助力を得ようとする。
此のような国は、亡びるであろう)
【喜淫刑而不周於法
好弁説而不求其用
濫於文麗而不顧其功者
可亡也】
(『法』に従わず、徒に『刑罰』を与える。
弁舌を好み、其れが役に立つかどうかを考えない。
見た目に重きを置いて、実用を無視する。
此のような国は、亡びるであろう)
【辭辯而不法
心智而無術
主多能而不以法度從事者
可亡也】
(弁は立つが、『法』を知らず。
聡明ではあるが、『術』を知らず。
能力はあるが、『法』を無視する。
此のような国は、亡びるであろう)
【好以智矯法 時以私襍公
法禁變易 號令數下者
可亡也】
(君主が勝手に『法』を曲げ、公私混同し、禁令を簡単に変え、
異なる命令を数多く下す。
此のような国は、亡びるであろう)
而且
【擅国者可亡也】
(国を自分の思う通りにする者は、亡びるであろう)
絶対的な『法』や『刑罰』を無視するような国は、亡びる!!」
すると、ずっと黙されていた≪天≫が彼らの方を向き仰った。
『では、どうすれば良いのか?』
孔子 曰く
「≪天≫。
我説。
【天下有道 丘不輿易也】
(善政が敷かれていれば、時代の流れを変える必要などない)
【天下有道 則庶人不議】
(善政が敷かれていれば、≪人≫は政について議論しない。
善政が敷かれていないから、≪人≫は政について議論する)
【民無信不立】
(民が、為政者を信用していない。
此れが、世が乱れる原因である)
就是
【先之勞之】
(為政者は何事も率先して行い、人を労らなくてはならない)
【公則説】
(公平であれば、≪人≫は喜ぶ)
【近身説 遠者來】
(身近な≪人≫が喜べば自然と遠くにいる≪人≫も喜ぶようになり、
為政者に心服するようになる)
【君子篤於親 則民輿於仁】
(為政者が身内を大切にすれば、≪人≫は自然と『仁』の心を持つようになる)
『徳』のある為政者が世を治め、≪人≫が慈しみの心を持って生きれば、国は安定するでしょう」
孟子 曰く
「≪天≫。
我説。
【不仁而得國者有之矣
不仁而得天下 未之有也】
(『仁』を持たない≪人≫でも、一国の諸侯になる事は出来る。
しかし『仁』を持たない≪人≫は、天下を取る事は出来ない)
就是
【愛人不親反其仁
治人不治反其智
禮人不答反其敬】
(≪人≫を愛しても自分を愛してくれないのであれば、
其れは自分の『仁』が足らないと考えよ。
≪人≫を治めても治める事が出来ないのであれば、
其れは自分の『智』が足らないと考えよ。
≪人≫に『礼』を尽くしても其の『礼』が報われないのであれば、
其れは自分の『敬』が足らないと考えよ)
【好善優於天下】
(君主が『善』を好めば、天下を治める事など容易い事である)
【無敵於天下者天吏也】
(天下に敵のいない≪人≫とは、≪天≫から命を受けた≪天≫の官吏である)
≪天≫の命を受けた『徳』のある≪人≫が慈しみの心を以て世を治めれば、国は安定するでしょう」
荀子 曰く
「≪天≫。
我説。
【原淸則流淸 原濁則流濁】
(根本が清ければ、流れも清い。
根本が濁っていれば、流れも濁る)
就是
【天地者生之本也 先祖者類之本也 君師者治之本也
是禮之三本也】
(天地は、『生』の根本である。
先祖は、『種』の根本である。
君主と師は、『治』の根本である。
天地・先祖・君師を敬う事は、『礼』の根本である)
≪人≫が『礼』を以て世を治めれば、国は安定するでしょう」
墨子 曰く
「≪天≫。
我説。
【原濁者 流不淸】
(根本が濁っていれば、其の流れは清くはならない)
就是
【上之爲政
得下之情則治
不得下之情則亂】
(為政者が民心を理解すれば、世は治まる。
為政者が民心を理解しなければ、世は乱れる。
【莫若法天】
(≪天≫は公平であるから、≪天≫に則って政を行うべきである)
≪天≫の命に従って≪人≫が『愛』を以て政を行えば、国は安定するでしょう」
老子 曰く
「≪天≫。
我説。
【大道廢 有仁義
智慧出 有大僞
六親不和 有孝慈
國家昏亂 有忠臣】
(『仁義』が重んじられると言う事は、『正道』が廃れている証拠である。
余計な知恵があるから、≪人≫は嘘をつく。
家族の仲が悪いから、『孝行』や『慈愛』が重んじられる。
国が乱れているから、忠臣が取り沙汰される)
就是
【天地不仁
以萬物爲芻狗
聖人不仁
以百姓爲芻狗爲】
(天地に『仁』は無い。
天地に有る万物は、藁で作った犬のようなものである。
聖人に『仁』は無い。
聖人にとって≪人≫は、藁で作った犬のようなものである。
祭儀で飾られる犬の人形も、用が済めば草原に捨てられてしまう。
其れと同じように、≪人≫も時の流れのまま生きていくしかない)
【絕聖棄智 民利百倍
絕仁棄義 民復孝慈
絕巧棄利 盜賊無有
此三者 以爲文不足
故令有所屬
見素抱樸 少私寡欲】
(『徳』を絶ち『智』を棄てれば、民は百倍の『利』を得る事が出来るだろう。
『仁』を絶ち『義』を棄てれば、民は『慈愛の心』を再び取り戻すだろう。
『技』を絶ち『利』を棄てれば、盗賊などいなくなるだろう。
此の三つを言葉にするのは、難しい。
故に、例を挙げよう。
元の自分を表に出し、『あるがまま』、私心と欲望を少なくするのだ)
≪人≫が『自然』の通り生きていれば、国は安定するでしょう」
荘子 曰く
「≪天≫。
我説。
【其耆欲深者 其天機淺】
(欲深いと、自分の才能を開花させる事が出来ない)
就是
【通於天地者德也
行於萬物者道也】
(天と地に通じるものとは、『徳』である。
全てのものに通じるものとは、『道』である)
【至人先存諸己而後存諸人】
(『道』を極めた人は人に求める前に、先ず自分が行う)
≪人≫が『道』を極めれば、国は安定するでしょう」
韓非 曰く
「≪天≫。
我説。
【治也者 治常者也
道也者 道常者也】
(政とは、平常を治める事である。
『道』とは、平常に導く事である)
【世有三亡
以亂攻治者亡
以邪攻正者亡
以逆攻順者亡】
(世に、滅亡へ繋がる道が三つある。
一つ、乱れている国が善く治まっている国を攻めれば、攻めた国は亡ぶ。
一つ、邪な国が正しい国を攻めれば、攻めた国は亡ぶ。
一つ、道理に反する国が道理に順ずる国を攻めれば、攻めた国は亡ぶ)
就是
【法之所加 智者弗能辭 勇者弗敢爭
刑過不避大臣 賞善不遺匹夫
故矯上之失 詰下之邪 治亂決繆
絀羨齊非 一民之軌 莫如法
屬官威民 退淫殆 止詐僞 莫如刑
刑重則不敢以貴易賤
法審則上尊而不侵
上尊而不侵 則主强而守要
故先王貴之而傳之
人主釋法用私 則上下不別矣】
(『法』が行われる時、たとえ智者でも弁明する事が出来ず、
勇者も敢えて争おうとはしない。
たとえ大臣の様な重臣であっても過失を罰し、一介の民であっても
善を行えば必ず賞を与える。
故に上の過失を正し、下の邪道を咎め、乱れを治め、
絡まりを解き、出過ぎたものを退け、誤りを正し、
民の守るべき道を一つにするのに『法』に及ぶものはない。
官吏を畏怖させ、民を威圧し、怠惰を退け、詐欺をさせないようにするのに
『刑罰』に及ぶものは無い。
『刑罰』が重ければ、貴人は敢えて賤人を侮らない。
『法』が明確であれば上に立つ者の権勢は保たれ、
其の地位が侵される事は無い。
上に立つ者の権勢は保たれ其の地位が侵される事が無ければ、
君主の権勢は強くなり、其れは即ち『法』と『刑罰』を
守る事になる。
故に先王は『法』と『刑罰』を貴び、後の世に伝えたのである。
君主が『法』を捨て、私情を以て国を治めようとすれば、
上下の区別がつかない世となるであろう)
絶対的な『法』を以て世を治めれば、国は安定するでしょう」
七人が言い終わると、≪天≫は低い声で皆に仰った。
『もう良い・・・。
分かった・・・。
此れ以上、此処で話していても無駄だ・・・。
知識は、使わなければ意味が無い・・・。
其方達は此の先も其の知識を伝え続け、≪人≫の為に生かせ。
そして声なき声にも耳を傾け、自分達の知識を更に高めよ。
其れが、其方達の【役割】だ』
「是」
そう言って、全員≪天≫の許を去って行った。
七人が去った後、≪天≫は散りゆく紅葉を再び見つめた。
秋風に吹かれ、紅葉は空を舞っていた。
≪天≫は足元に舞い降りた一葉の紅葉を拾い上げて掌に載せ、其の手の中に在る紅葉を眺めながら呟いた。
『時代によって、時代と共に、【答え】が変わる。
時代によって【正しい】とされていた事が【誤っている】とされ、【誤っている】とされていた事が【正しい】とされる。
『国を安定させる為に、≪人≫はどうすべきか?』
其の答えは恐らく、【無い】のであろう。
【答えが無い】と言う事が、【正しい答え】なのであろう・・・。
≪人≫は、永遠に【答え】を見つける事など出来ないのであろう・・・。
≪人≫は此の先もずっと、【答えの無い答え】を探し続けるのであろう・・・。
其れは、≪人≫の『宿命』なのであろう・・・」
そう言って、≪天≫は手の中に在った真っ赤な紅葉に自分の息を吹き掛けた。
紅葉は、ひらひらと空を舞った。
≪天≫は空を舞う其の紅葉を、ずっと見つめ続けた。