猫の法律
雪がしとしと降る夜のこと。城の裏側にある川のほとりで3人の兵が話し込んでいた。
「罪ならこの猫に押しつければいいさ。人間相手なら裁判になろうが、猫の仕業にしてしまえば訴えられることもあるまい」1人の兵士がおけに入った茶トラ猫を見て言った。
「気の毒な王女様。私の心にもまだ迷いはある」
別の兵が城の1番高い部屋をチラッと見ると、人影がスッと下がって部屋の明かりが消えた。
「この猫を逃がせば私たちが仕事を失う」
「さぁ、とっとと流してしまおう」
兵たちはおけを川に放し、流れていったのを確認してからいつものように世間話でもしながら城の中へ戻っていった。彼らの中に王女様をあわれむ者はいても、この猫をあわれむ者は1人もいなかった。わびしい冬の暗闇。猫の鳴き声は徐々に遠ざかっていき、やがて無音に包まれた。
あれから10年が過ぎたある夜のこと。城で大きな事件が起こった。王女様が生んだばかりの娘が一晩で姿を消したのだ。リンゴのように美しいくちびるをした女の子、という意味をこめて紅姫様と呼ばれていた。
王女様は城中の兵たちが騒ぎまわる様子を、城の1番高い部屋の窓から見下ろしていた。上着をはおい、真っ白い毛並みの飼い猫サリを抱き寄せて顔をうずめる。
「サリ、あなただけが私のなぐさみ。王様は娘が生まれてすぐに気が触れて部屋に引きこもったまま、娘は姿を消してしまう。こんなことが立て続けに起こるなんて」
王女様は何度もサリをなでて気を取り直し、王様がいる部屋のドアをたたいた。返事はない。恐る恐るドアを開けると、暗闇から響く不気味なうなり声がした。中は真っ暗でわずかに差し込む光だけが頼りだった。
「なんてみにくい声でしょう。まるでおぞましい獣のよう!」
心臓を凍りつかせながら盛り上がったベッドに近寄ると、バッと勢いよく毛布が吹き飛んで窓が開き、雪と冷気が部屋の中を満たした。王女様に飛びかかってきたのは、狂気に目を血走らせた王様だった。
「お前たちがしたことを決して忘れはしない」
王女様は震えながら聞いた。「あなたは誰?」
「氷の谷に来たらすべて教えてやろう」
王女様はサッと顔を青ざめさせ、同時にいくつもの絶望と混乱を浮かべた。氷の谷は誰も寄りつかない寒く危険な場所だと知っていたからだ。
「氷の谷に来なければ娘の命はない。1人で日が昇る前に来なければ、娘の死は現実のものとなるだろう」
「なぜ、このようなことを!」
「お前にチャンスを与えるためだ」
部屋の窓がバタンと強く閉まり、王様が目を回して倒れた。王女様は素早く王様の胸に耳を当て、心臓がちゃんと動いているか確認した。トクン、トクン。ちゃんと呼吸をしている。寒い風が入ってくると思い振り返ると、部屋の奥にある窓だけが開いていた。
「これは悪い夢だわ」王女様は部屋の中を行ったり来たりして自分に言い聞かせた。「でも、私の娘がいないのは現実」
そこで、王女様は一生に1、2度あるかないかの決心をした。こっそり城の廊下を歩き、使われていない用具室に忍びこんだ。兵の三角帽をかぶり、立派なベルトにマチ針のような剣を携え、顔が分からないように帽子とマスクを身に着けた。
日が昇るまで時間がある。氷の谷は馬を走らせて片道1時間ほどの場所にある。王女様は娘の顔を頭に浮かべ、城の外を目指して歩いた。兵たちも、すれ違う兵がまさかあの王女様だとは夢にも思わず話に夢中だった。王女様は馬小屋から1頭の馬を選ぶと手綱を引いて城を駆け出した。町を抜けると、やがて風が厳しい野ざらしの平野に出た。
氷の谷に近づくほど雪はひどくなった。馬もこれ以上は雪が深くて進めない。王女様はほらあなを見つけ馬から降りた。吐く息が一瞬で白くなる寒さ。覚悟してほらあなを出ようとすると、ニャー、ニャーと猫の鳴き声が聞こえた。
驚いて振り返ると、あのサリが馬の荷からするりと飛び出してきた。
「サリ!」
王女様は急いでサリを抱きかかえ、このままでは寒くて死んでしまうと胸元に入れた。どうしてついてきたのかは分からないが、これが1人で来いという約束を破るものではないと心の中で思っていた。持ってきたランタンの明かりを頼りに谷を進むと、切り裂くような風の音が耳を襲った。行く手は深く積もった雪で遮られている。
「どうか、出てきてください。娘は無事なのですか?」
王女様は寒さで指先の感覚がないことに気付いた。それでも必死に叫んで谷に呼び掛け続ける。ビュービュー恐ろしい風の音が遮るばかりで状況は悪くなるばかり。あまりにも悲しくて、絶望的で、無気力になった王女様は雪の中でうずくまり、サリのぬくもりに寄り添った。雪が顔中にまとわりつき、体温を容赦なく奪っていく。もはや自分の体が木の枝でできているような気さえした。
心を支えたのは日々の幸せだった。温かい暖炉の前でごちそうを食べたり、読み書きをしたり、ベッドの中で安心して眠る――当たり前のように過ごしていた日々がどれだけ幸せだったことか。
王女様はここが柔らかいベッドの上なのだと錯覚するようになった。背中には雪の毛布、新雪の枕、胸元にはサリ。目をつぶると、温かい暖炉がそばにある気がした。
ギュッ、ギュッと雪を踏みつける音が聞こえた。偶然通りかかった狩人だろうか? それとも犬引きの番人? 正体を確かめようとしても体は言うことを聞かず、重いまぶたを持ち上げるだけで精一杯だった。あぁ、人影がぼんやりと見える。
どのくらい時間が過ぎただろう。本物の暖炉の熱を肌に感じた。チカチカ燃えるまきに、手織りのじゅうたん、柔らかい若草色のソファが見えた。雪の毛布も新雪の枕もなく、あるのは暖炉の火に照らされた家具一式。足や手先には血の気が戻り、体を自由に動かすこともできた。身にまとっていた兵の服はなく、柔らかく肌触りのいい部屋着姿になっていた。誰かが通りすがりに助けてくれたのだと思い、王女様は家の主を探そうと立ち上がった。そこで、違和感に気が付いた。部屋の中が全体的に小さく、ティーカップ1つとっても手のひらに収まるサイズなのだ。
突然ドアが開いて、真っ白な長い髪をした小さな女の子が部屋に入ってきた。隣には同じく白い短髪の美しい男の子が立っていて、どちらもフサフサした白い毛並みのしっぽに耳をはやしていた。男の子は腰に短刀を携え、女の子は弓を肩にかけている。
「あぁ、どうやら私もついに頭がおかしくなってしまったんだわ!」
「どうかお静かに!」
男の子は両手で制するように言って王女様をなだめた。
「まるで、猫にも人間にも見えるのですが」
「私のことをお忘れですか? 王女様。私はあなたと一緒にここまで来たんですよ。この顔に見覚えはありませんか? サリです」
王女様は女の子を食い入るように見つめた。「あなたがサリですって?」
「信じられないかもしれませんが、そうなんです」サリは言った。
「僕は氷の谷で暮らしているロクです。入り口で倒れているあなたを見つけました。現状を話しますと、危険な状況にあります。ビビ様がついにあなたを罰しようというのです」
「私を罰する?」
ロクは戸棚から木の皮で作られた分厚い本を取り出した。
「いいですか? 王女様、ここは猫の国です。ビビ様は猫の国の女王様でいらっしゃる」
「そのようですね。たった今、私の目の前で猫がおしゃべりしていますもの」
王女様は自分に言い聞かせるように言った。
「この国にある法律に基づけば、あなたは刑法第04章、第002条に当てはまります」
「罪?」
「モシ、人間カラ被害ヲ被ッタ場合、ソノ人間ニ同等ノ復讐ヲシテモ構ワナイ――と書かれています。ビビ様は、王女のあなたを罰して文字通り人間に復讐するつもりです。10年前、あなたはこの谷の近くで偶然見つけた子猫を城に連れて帰った。でも、トラブルがあって猫を川に流した。その母猫がビビ様なんです」
王女様はソファにバッと顔を伏せた。「あぁ、やっとすべての意味が分かりました。私、あの時のことを考えない日はありませんでしたから。ベリは1度も私の部屋から出ていないのに、知らない人の家に入って大事な家宝を壊したと、罪を押し付けられました。怒った家主はベリを殺せば訴えを取り下げると言いました。私の父は、ベリを川に流せと命令したんです。ですが、ベリを連れ去ったのは私自身。母親を怒らせたのは私なのです」
「王女様のせいにするつもりはありません」サリはゆっくり言った。「ずっと見てきました。あなたは優しい人です。それに、私たち猫は古くから人間のお世話になってきましたし、人の家で暮らすことを子の幸せと思う母猫もいるくらいです」
「あなたも、娘さんも、お城に帰してあげます」ロクは言った。
「なぜ、私に優しく?」
「僕は人間が大好きです。正しいものは正しい、そうじゃないものは違うと思いたい」
「私は優しくありませんよ、むしろビビ様にあなたを監視するよう言われた身ですから」
「でも、こうして私を今救ってくれています」王女様は急にハッとした。「娘を取り戻すにはどうしたら? 日が昇る前に谷へ行く約束をしたんです」
「任せてください。僕とサリがそばにいますから。急ぎましょう」
一行は外に出ると冬の厳しい谷を歩き、大きな岩の前にやってきた。
「静かすぎます。どうやら既に向こうは気付いているようですね」
ロクは目の前の岩をノックしてこう歌った。
雪がコンコン降る夜に
私もコンコン入れとくれ
ニャーニャーニャーが合言葉
温かいミルクで乾杯
岩が開くと黒猫がいきなりやりを突き出した。
「例の人間めを連れてきたな? さぁ入れ」
「不敬であるぞ」ロクは言った。「この方は隣の国の王女様だ」
薄暗い洞窟の中を進んで行くと、急に開けた場所に来た。大きな通りにはレストラン、スーパー、日用品店、服屋、靴屋、とにかくたくさんのお店が軒をつらねている。それも、見たことのない不思議な建築様式だ。道行くのは柄も体格も異なる多種多様な猫たち。みんな人間と同じようにしゃべり、仕事をしている。人間らしい猫というのはサリとロクくらいのもので、あとは二足歩行すること以外ごく普通の猫たちだった。
一行は曲がりくねった坂道を上り続けた。てっぺんの小高い丘の上には、立派なお屋敷が立っている。赤毛の猫がすたすたやってくると、ニコリと笑ってドアを開けてくれた。大きなホールに出ると、奥に立派なイスがあり、後ろには黄金の額縁に美しい茶トラ猫の肖像画が飾られていた。
王女様は床に落ちている布切れを見て駆け寄った。娘が包まっていた布に違いないと、心の中で確信していた。
「そんな!」
泣き崩れる王女様の前に現れたのは1匹のふてぶてしい太った茶トラ猫だ。猫は一瞬で人間らしい姿に変身すると、イスに乱暴な座り方をした。
「ビビ様、王女様を迎え入れました」とロクは落ち着いて言った。
王女様はハッと顔を上げて鋭い目をしたビビを見た。ビビは長い頰ヒゲを爪先で整えながら言った。「お前は今、私にこう言ってほしいはずだ。”娘は無事だ”とね」
すぐに青色の首輪を着けた召使いがやってきて、彼女に温かいお茶を1杯差し出した。 ピンク色の舌で器用にお茶を一口すくって飲むと、ビビは王女様を見下ろした。
「10年も待った。同じ苦しみを味合わせるためにだ!」
王女様はあまりの恐怖にブルブルくちびるを震わせることしかできなかった。ビビは指をパチンと鳴らして召使いを呼び、大きな金の天秤を目の前に持ってこさせた。ビビは召使いの1匹から白いビロード製の布に包まれた赤ん坊を受け取ると、丁寧に天秤の上皿に寝かせた。「お前の娘だよ」
「よかった! 無事だったのですね!」
「約束を守った者に対しては、同じく約束を守らねばなるまい。この10年間、私は娘を失った悲しみで生きた心地がしなかった。まるで毎日を死んだように生きる日々。お前たち人間を憎まなかった日など1日もない。私の娘をさらい、川に投げ捨てたお前たちへの憎しみは忘れようがない。そう、ベリのことさ!」
「私はベリを愛していました」
涙ながらに王女様が訴えるとビビは鼻を鳴らした。
「なら、なぜお前は止めなかった。私はお前の国の猫たちからすべてを聞いている。自分には責任がないとお思いかな。さぁ、なぜなのだ?」
「ビビ様、この方を責めることが、あなたの望んだ復讐なのですか?」
「サリ! お前は黙っていろ」ビビはものすごい剣幕を見せる。
「私はあなたに送られて、王女様のそばで何年も一緒に過ごしました。あの事件は彼女1人の力ではどうすることもできなかったんです。そう思いましたよ」
「信じてください」今度はロクが言った。
「これがお前の子どもだったら同じことが言えるのか? 救おうとすれば、救えた命を、自分かわいさに人間どもは殺した。責任はこの女に取らせる。父親がなんだ。自分で一緒に暮らしたいと思って連れ帰った猫の始末は親任せか」
「許してと言っても許されることではありません。この10年感、ずっと罪の意識を持って生きてきたのです。私にできることをさせてください」
「謝って済むなら法律などいらん」ビビはピシャリと言った。「さて、これは女王同士のお話だ。猫の法律、刑法第04章、第002条に従うと、お前は私に復讐される定めにある。だが、私は最初の約束を守ったお前にチャンスをやろう」
「どのようなチャンスを?」
王女様はすがるように尋ねた。
「自分の娘で証明するんだ」
ビビは4つの大きな石を手に取って天秤の前に立った。
「ここに4つの重石がある。私の心が晴れる約束を誓い、私が納得すれば重石を1つ天秤に載せてやろう。4回のうち3つ重石を載せることができればお前たちを自由の身にしてやる」
「お約束します」
「では、言ってみるがいい」
王女様は貴重な4回のチャンスを無駄にしないよう、頭の中で深く考えを巡らせた。当然、自分の家族だけでなく、一国の王女としてゆだねられた判断は重い。けれど、ここで諦めれば娘は助からないし、過去の自分からも逃げることになる。ついに頭の中で言いたいことの整理がつき「城の前にベリの銅像を建てましょう」と最初の提案を打ち出した。かたずをのんで見守ると、ビビは「理由はなんだ」と聞く。
「事実の認知、1つの戒め、教訓として」
「では2つ目は?」ビビは目を細めて質問した。
「代々王国の王女が受け継いできた指輪をあなたに差し上げます」
ビビはじっと指輪を見つめた。
「3つ目は」
「猫の記念日をつくりましょう」
「最後は」
「私の国の、法律を変えましょう」
ビビは顔色1つ変えずに言った。「それが答えか」
結局石が天秤に置かれることは1度もなかった。王女様は自分の無力さにどうすることもできず、ビビが次に言う言葉を罪の宣告のようにじっと待った。
「どれもありきたりだ」
「そんな」
失望の声がもれ、王女様はあまりの絶望感に膝から崩れ落ちるとわんわん子どものように泣いた。いたたまれなくなったサリとロクはビビに対して抗議を始めた。
「紅姫」王女様が黄金の天秤に手を伸ばした時、奥のドアが粉々になって砕け散った。穴から茶トラ猫4匹が突入してくると、王女様をかばうように立った。
そのうちの、りりしい茶トラ猫は言った。
「お母さま、すべて聞いていましたよ。この方は約束を守り、きちんと誠意を見せてくれたではありませんか。それとも、誠意というより強要、と言うべきでしょうか? なぜ、チャンスを与えておきながら意地悪をするのです? 法律まで変えると提案してくれたのです。チャンスを生かせないのは、あなたの方ではありませんか」
「すべてはベリのためなんだ」
ビビが言うと今度は穏やかな茶トラ猫が首を横に振った。
「そう言っておきながら、お母さまは自分のことに夢中。ベリのことでずっと心労をかかえていたことは僕たちも知っています。だって、家族ですから。でも、もういいではありませんか。意地悪をしてまで、復讐することをきょうだいの僕らは望んでいません」
最初のりりしい茶トラ猫は母親の前でひざまずき頭を下げた。
「お願いです。この2人を城に帰してあげてください」
残りの3匹も深々と頭を下げた。
ビビはなにも言わずに部屋を出ていき、戻ってきたのは30分もたってからだった。すっかり肩を下げたビビはもう1度立派なイスに座ると今度は深いため息をもらした。
「分かった。お前の言った提案をのもう。約束が果たされた時、お前の元に青い花が届くだろう。それをもって和解成立とする」
ビビはクルリと力なく背を向けて自分の肖像画を見つめた。
「ここを去れ。ロク、サリ、王女様をお見送りするんだ」
サリとロクはパァッと顔を輝かせて返事をした。
「あぁ、猫の女王様、ありがとうございます! そのご子息方も、なんてお礼を言ったらよいのか。どうぞこの指輪を受け取ってください」
「指輪はいらぬ。さっさと娘を抱いてここから立ち去るがよい」
「本当にありがとうございます。私は一生あなた方のことを忘れないでしょう」
王女様は娘を抱いてサリとロクの後を追い掛けた。猫の国をついに抜けると、最初に来た氷の谷に戻ってきた。雪はピタリと止み、足取りは解き放たれたように軽かった。馬が待つほらあなまで行き、サリとロクは2人が乗馬するのを手伝ってくれた。
「王女様、私は帰れないんです」
王女様が悲しいまなざしを向けると、サリは隣にいるロクの手を握った。
「まぁ」と王女様はうれしくなって頰を赤らめた。
「見張り役を終えたら、もう城には戻れないとビビ様に約束したからです。これからは、彼とつつましくこの世界で元気にやっていきます。ほんのちょっと、お城での生活は恋しくなりそうですが」
サリはロクを見つめ、ロクはサリを見つめた。
「だから心配しないでください。私はあなたの優しさにたくさん触れてきました。残念ながら、猫にも人間にも冷たい心を持つ者、判断を間違える者はいます。歩み寄りが大切でしょう、これからも」
王女様は一筋の涙を流した。
「また会いましょう」
「信じていれば、必ずまた会えます」ロクは笑顔で答えた。
王女様は2匹を引き寄せておでこにキスすると、しばらく自分の胸に抱いていた。そっと離し、もう1度あいらしい2匹の目をしっかりと見つめた。
「王女様、いつまでもお元気で。あなたの国の、猫たちによろしくお願いします」
サリは名残惜しそうに王女様の手をそっと離して言った。
王女様は手綱を握り締めパシリと合図した。馬は元気よく風を切って走り出し、あっという間に見えなくなった。城にたどり着くまで、王女様は1度も後ろを振り返らなかった。
紅姫様が11歳のお誕生日を迎えられるまでの間、王女様はビビと交わした3つの約束を守った。城の前にはベリの銅像が建てられ、猫の記念日が制定され、動物に関する法律を変えることができた。でも、悲しいことに、氷の谷から王女様に会いに来てくれる住人はまだ1人もいなかった。あのサリとロクがどうなったのかも、今では確かめるすべがない。そう、猫の国へ続くドアを再び見つけることはできなかったのである。
紅姫様の盛大な誕生会が行われた日のこと。大広場では、多くの国民たちから寄せられたプレゼントが山と積みあがっていた。
「ママ。1つだけ、きれいな青い花束があるわ」
紅姫様はきれいに包まれた青色の花束を手に取って、時が止まったようにぼうぜんとする王女様に差し向けた。「とってもいい香り。まるで雪のように奥が真っ白で、なんてきれいな花なんでしょう。でも、差出人がどこにも書かれていないのは、どうしてかしら」
すると、王女様はほほ笑みながら娘の髪を優しくなでた。
「それはね、お母さんからのプレゼントなの」