第3話 黒縄の使い
目の前でのありえない光景に俺は言葉を失う。
「なっ…………」
「貴方は初めて見ますか?呪の食事。」
倉橋はそんな光景を平然と見つめ、俺に問いかける。
「呪の食事!?」
「えぇ、知りませんでした?呪は生き物ですので食事をします。銃弾や爆発など、私が認識できる攻撃は呪に護ってもらえます。でも護ってもらう代わりにこうして食事が要るんです。」
「……なんで…そんな事を俺に…」
倉橋の方が出口に近い。だが5階建てのこの校舎から飛び降りる装備は無い。
かと言って倉橋を殺そうとしてこんな目にあっている男を見た直後に、倉橋を殺して逃げようなんて無理がある。
どうすればいい……?
「貴方、今回2回目ですよね?」
「なっ……」
あの時は完全に死角からで、顔なんて見れないはずだ。
「あぁ、気配で分かるんですよ。それに貴方がさっき使った呪具で分かります。呪使は呪に敏感なんです。」
穏やかに俺の持つ針を指さした。
「それ、見せてもらってもいいですか?他の呪具に触れる機会なんてそうそうないので。」
「えっ…あっ…あぁ…」
逆らってはいけない気がして俺は思わず呪具を渡してしまった。
「へぇ……これが……」
倉橋は興味深そうにマジマジと針を見つめる。
「なにか……分かるのか?」
沈黙が嫌で言葉を発すると、倉橋は俺を見た。
長い前髪から覗く漆黒の瞳見られては、拘束力があるのかと思うほど動けなくなる。
「そうですね…これの元となった呪の事がわかります。」
「元となった呪?」
「はい。呪具とは容易に作れるものではありません。長い間呪の傍にあり、呪の呪力を宿した物を指すんです。だからこれには長い間呪の傍にあったから、呪自身の想いが込められているんです。」
倉橋は慈しむような目で優しく針に触れる。
「それが……分かるのか?」
「はい。わかります。」
ハッキリと断言され、俺はそれがどんなものか気になった。
「それは一体…」
「ごっくん」
その時影が大きな嚥下音が聞こえた。
「あぁ、そう。もう時間なの。」
倉橋が何かを察したように悲しげに頷いた。
「これは返します。ありがとうございました。」
倉橋は俺に針を返すと影に近寄り、影もまた、首をの体に吸い込まれるように消えていく。
そして一瞬真っ黒の影が倉橋を包み込んだ。
「……なんなんだ……?」
「何って、お主、呪の憑依も見たことないのか?」
俺が思わず疑問を声に出すとさっきとは全く別人のような話し方で言葉が返ってきた。
「え?」
「知らぬのか?呪の力を使った後は生身の体への負担が大きいから体と魂を休める為、呪と意識を交代するのじゃ。それを一般的に”呪の憑依”と呼ぶ。」
先程の穏やかな口調の倉橋とは全く違う様子で、堂々していてどこかの姫のような口調だ。
「俺を………殺さないのか?」
色々な事がありすぎて殺し屋として真逆の事を口走ってしまう。
「殺されたいのか?生憎じゃが、今はお主を殺す気にはなれぬ。まぁ殺そうと思えば殺せるがのう。お主は紗津が話しておったからのう。殺したくはない。」
「…呪が出てこない時の記憶もあるのか?」
「そうさの。記憶は共有しているに等しいし、食事中の記憶は別になっているとはいえ、お主らが話しているのを見ておったからのう。」
この呪が生きていた頃はどこかの姫だったのだと断言できそうなほど優雅な立ち振る舞いと話し方をしている。
「……話していただけで殺さないのか?」
「そうではない。紗津が人と関わろうとする事など滅多にないのじゃ。それに楽しそうにしておった。妾はそんな紗津の笑顔をもっと見たいのじゃ。妾のせいでそれが出来なくなってしまったが、本当はもっと笑っていいはずの年頃…親しい友の1人や2人作って良いはずなのじゃ。」
呪は悲しそうに目を伏せる。
「そんな事できる訳ないでしょう」
その時2人を見下ろすように屋上に立つ人影が目に入った。
「なっ!一体いつから…」
俺はすぐさま針を構え、毒針を5本ほど投げつける。
だがそれは刀で容易に弾かれ、すぐさま俺に斬りかかってくる。
隠し刀で応戦し、もう片方の手にはナイフを構えるが、動きが圧倒的に早い。
よく見ると相手は俺より小柄でまだ中学生くらいの子ども。しかもとても愛らしく、万人に愛されそうな顔立ちをしている。
「くっそっ」
「仕事も出来ないポンコツには死あるのみですよ」
刺客の子どもは俺のナイフを弾き、にこやかに刀を振り上げる。
「“止まれ”」
その時倉橋の呪が呪力を込めて言葉を発した。
そしてその命令通り、俺も相手も動きを封じられた。
「あー…ったく…姫様のその圧倒的な呪力…何とかしてくださいよ」
この現象に慣れているのか、子どもは落ち着いている。
「これは……」
「楓。ここになんの用じゃ」
俺が聞こうとしたのを遮って怒りを孕んだ声で呪は聞いた。
「なんの用も何も、自分が送った刺客がちゃんと仕事してるか見に来たんじゃないですかー」
楓と呼ばれたその子どもはへらへらした様子で笑っているが、声や表情は全く笑っていない。
「どっちも使えない…片方は無事姫様の食事になったようですけどもう片方は食事にもならないみたいなので殺しちゃおうかと。」
楓はそんな事を言いながら俺を見る。
「まさかお前が…人魚姫!?」
人魚姫、という言葉に呪が動揺を見せる。
「何!?」
「あーあ。依頼主の名前を簡単に履いちゃうなんて、三葉孤児院も指導が甘い。」
楓は呆れるように笑い出す。
「俺達のことはリサーチ済みって訳か。」
三葉孤児院、というのは俺の育った孤児院で、殺し屋を育成している、というイカれた所だ。
「呪具使いだし、姫様の力になるようなら呪力を吸収でもしてもらおうかと思ったんだけど、紗津ならそれはしないよねぇ。」
「お前が人魚姫なのか?」
「僕なんかが人魚姫だなんて恐れ多いぞ、下衆が。」
楓は殺気を孕んだ声で俺に殺意を見せる。
「人魚姫は紗津の異母兄弟の秋という娘じゃ。」
俺の質問に楓の代わりに呪が答えてくれる。
「そこの童も秋の側近じゃ。」
「えっ、お前男か?めちゃくちゃ可愛いからてっきり女の子かと…」
「うるさい黙れ!!!!」
長い睫毛に大きな瞳、白い肌に小柄な体つき。
全然女の子に見えるわ…
性別を知って尚、やっぱり可愛いと思ってしまった。
「人の性別にケチつける暇あったらこの状況を何とかしようと思え。姫様が解呪したら即たたっ斬るからな。」
たしかに今は俺に刀を向けられた状態で、拘束が解かれればいつでも俺を殺せるだろう。
「安心するが良い。そんなことはさせぬ。」
呪はそう言うと、俺に触れた。
すると体が楽になり動けるようになった。
「あっ……動ける……」
「ほら、早く帰るが良い。お主にここは合わぬ。」
呪はそう言うと、屋上の扉を開ける。
「主と話せて、紗津も久々に楽しかったであろうからな。礼を言う。」
「…もう既に2回ほど殺してるから…礼を言われる立場ではない。」
俺が呪を見据えて真っすぐ言うと、呪は笑いだした。
「あれを”殺した”と?あれで殺したというのかお主は…あっはっはっはっ…はぁ…愉快じゃのぅ…あの程度では普通の人間しか殺せなんだ…紗津を、いや、妾を殺すには首を跳ね、心臓を潰し脳を貫くくらいせねばならぬぞ」
「えっ…」
あまりに当然のように言うものだから一瞬ぎょっとしてしまった。
めちゃくちゃ恨んでる相手だとしてもそこまでするのは珍しいだろ…
「あの程度なら日常茶飯。紗津は全く気にしておらぬ。またどこかで会った時には紗津と話してやってくれれば有難い。」
「あ…あぁ、俺でよければな。助けてくれてありがとう」
俺はそう言うと、すぐさま階段を降り、帰路に付いた。
ナオの気配が完全に無くなると、呪は楓に触れた。
「あーあ。酷いですねぇ。あんなに情報を与えて逃がすなんて。」
楓は首をコキコキと鳴らしながらわざとらしく言った。
「なんの事じゃ?」
「彼は間違いなく”知り過ぎた”。黒縄が取り締まる範囲まで。それを分かっていて教えましたね?」
「さぁな。妾は何百年も閉じ込められていた身。妾の情報なぞ古いじゃろう。」
「そういう問題じゃないんですよ。どの道彼は知り過ぎた。だから黒縄から狙われる。その事を紗津が知ればどうするか、それを分かっていての行動ですね?」
「なんの事かさっぱり分からぬな。」
「たかが呪具の存在程度しか知らなかった殺し屋が呪使に対抗できるとも思えませんし、すぐ死にますよ。」
楓は予言するかのような口調で呪を見る。
「そうはさせぬよ。奴等も死にたくはなかろう。死ぬ気で紗津に会いに来る。」
「はぁ。友達を作ってあげたい、なんて貴方は本当に変わった呪ですね。黒縄一族が代々崇める呪姫とは思えません。」
「そうか?ならばそれは紗津のお陰じゃな。今妾が恨みや憎しみに囚われず居られるのは紗津の呪力の賜物じゃからのう。妾は紗津が好きなのじゃ。」
呪は満面の笑みでそう答えた。