車輪と儀式とチョコの話
テーマ:チョコレート、空き箱
「……36.9」
解熱剤の効果が切れている頃合いだが、体温は上昇していないようだ。心なしか身体も楽だ。
2月18日の昼下がり、俺はほっとため息をついた。
「インフルエンザがこんなに大変なことだとは……」
ひとり暮らしとは難儀なもので、実家からすこし離れた高校に通うべくアパートに住むと決まったときは嬉しかったのだがこうして寝込むと天国から地獄だ。病院に行くのも、学校に連絡するのも看病するのも自分でやらなくてはならない。
「木曜日に発熱して、今日が月曜日だから……」
発症から5日、解熱から2日。出席停止期間をきちんと守るのであれば、いちおう昨日には解熱していたと考えると今日と明日は学校を休まなくてはならない。
「期末試験近いけど大丈夫かな……」
高校生ひとり暮らしともなると学校を休める、というよりは休まなくてはならないという気持ちになっていることに気がつく。
自分で自分の面倒をすべてみなければならないのが、自由の代償というわけだ。
「でもま、家にいる間は何しててもいいよな」
いそいそと布団を出て、テレビの前の座椅子に腰を下ろす。つい最近新しいゲームを買ったのを積んでいたのだ。この期に消化するのは悪くないと思う。
俺はコントローラを手にとって電源をつけた。
「だぁ~強すぎだろマジで」
何度目かわからない『YOU DIED』の文字列。ボスになす術なく叩き潰され、またチェックポイントからやり直しだ。
「分身はズルいんだよなぁどう考えても……」
ぶつくさと言いつつも、手はコントローラを握ったまま主人公をボスへと向かわせている。難易度が高いことで知られるこのゲームの魅力に、俺はすっかり捕らわれていた。
ピンポーン。
そんな俺を現実に引き戻す音が鳴った。誰か来たらしい。
荷物を頼んだ覚えはないが、いったい誰だろう。
このアパートには玄関ホールのオートロックなんてものはない。最近自転車を壊してしまったが、もしやそれに付け入ろうとするヤバい宗教の勧誘か。
いつでも『帰ってください』と言えるように覚悟して、俺はそっとドアを開けた。
そこには黒ずくめの布を身にまとうナニカが立っていた。
具体的には、某白人至上主義者たちのアレの黒バージョン。そして巨大な車輪を担いでいる。
「帰ってください!」
「待って」
あわててドアを閉めようとしたが、すばやく車輪を挟まれてしまった。
くそっ、チェーンをかけてから開ければよかった。
「すみません宗教に興味はありませんひとり暮らしなのでお金もないし新聞もいりませんテレビありませんだから許してっ」
「待ってと言っているの、中林くん。わたしよ。狩俣真、あなたの先輩の」
しつこく車輪を挟み込んでくる謎の黒ずくめは、しかし聞きなれた声で喋った。具体的には、おなじ部活のメンバーである狩俣真という女子の、鋭利だが落ち着いた声にそっくりだ。
俺が手を離すと、ドアは遠慮なく開放された。そこには依然として黒ずくめの車輪を担いだ自称狩俣真が立っている。
「中林くん、突然来たから驚いたのはわかるけれど、門前払いはあんまりじゃないかしら」
「……とりあえずその被り物をとってから喋ってください」
「わかったわ」
黒ずくめは車輪をわきに置いて被っていた円錐形の目だし帽を脱ぎ去った。すると本当に黒髪ロングな狩俣さんが出てきたのだった。
「これでどう?」
「どうって……」
「上がってもいいかしら」
「えっ、いや俺インフルエンザだったんでまだ出席停止だし、まだ感染の危険はあるわけですから届け物かなにかならここで受けとるので 」
「おじゃまするわ」
「ハイ……」
俺は掲げられた巨大な車輪に脅されるようにして、狩俣さんを家に入れた。
「……で、何の用事ですか狩俣さん」
「狩俣さん、狩俣さん……なんだかすこし他人行儀ね。真ちゃんでいいわ」
「自分の方が先輩だと主張していたのはどなたでしたっけ?」
「真ちゃん、すなわちわたしよ。なぜならあなたよりひとつ歳上なんだもの、当然でしょう?」
「4月2日生まれなだけなのに偉そうに……」
狩俣真は4月2日生まれ、俺は3月30日だ。ややこしいが、ほぼ一年歳が離れているものの狩俣さんと俺は同級生である。
彼女がいつも自分が先輩だと主張するうえ、その謎のオーラめいた雰囲気に気圧されて、俺は敬語アンドさん付けで呼んでいる。
「中林くん、今日わたしがここに来た理由、あなたなら分かるはずよ」
「わかるはずって……」
「この格好。分からないかしら」
言われて、狩俣さんの装束を眺めてみる。ほとんどまっ黒だが所々カラスの羽のように光り、何か模様がついている部分もある。
激ヤバ儀式めいた服、そうとしか形容できないが……ん?
「狩俣さん、まさかとは思いますけどこの格好のまま歩いてきたんですか?」
「いいえ、学校から自転車で来たわ」
「そういうことが言いたいんじゃなくて!それを、着たまま、外出してたんですかっ」
「そうよ?」
「いやなんでそんなことを聞くのか、みたいな目で見ないでくださいよ!」
三角コーン的目出し黒ずくめが巨大な車輪を背負って自転車を漕いでいるなど、どう考えても不審者案件だ。ましてそれが俺の関係者だと知れるのはなんだかマズイ気がしてきた。
「日本の警察なにやってんだっ」
「警察?おまわりさんならさっき少し話したわ」
「やっぱ職質受けてるじゃねーか!」
「溢れる知性で返り討ちにしてやったわ」
「えっ誤魔化せたの?その服で?」
「使ったのは服じゃないわ……この中身に決まっているでしょう」
意味深に呟く狩俣さんに、思わず生唾を飲み込んだ。
いまの狩俣さんの格好は黒ずくめ。だがどことなくその生地が薄いのだ。透けこそしないものの、姿勢によってはありとあらゆるラインが丸出しも同然である。
というか胸の、その、先のとこに謎の突起が出てましてですね、ハイ。すごく気になるけど触れたら負け……いや触りたいかどうかで言えば……いやしかし……。
「中身が気になる?」
「あっ、いえ別にそんなことは」
「特にこの胸の突起が気になるのでしょう?」
「自覚してんのかよ!最近の若い子は大胆だね、オジサンびっくりだ!」
「見せてあげるわ」
「えっ」
「中林くんだけに特別に、ね……」
怒濤の展開についていけない俺に顔を近づけ、狩俣さんはささやいた。
そしてその距離のまま、身体をすっぽりと覆っていた布を取り去っていく。
倫理的にはアレだし急すぎてナニがなにやらわからないが目が離せない……これは呪いだっ。男として性を受けた者の、決して避けられないっ!
「はい、見ての通りブラの先に小さなチョコをつけておいたの」
「ふざけるなてめぇーーーー!!!」
嘆きの慟哭を封じるように下着姿の狩俣さんはチョコを投げつけた。円錐形の銀紙に包まれた二つが頬に当たり、俺は正気に戻った。
「わたしが着替えている間にそれでも食べておきなさい」
「えっ、結局着替えるんですか?」
実は背中にリュックを背負っていたらしい狩俣さんはいそいそと黒ずくめの装束を鞄にしまいつつ、きれいに畳まれた学校の制服を取り出しはじめたた。
「当たり前に着替えるわ。このための格好だったのだから」
「いまの一発ネタのためにそれ着てたのかよ!」
「ちなみに着てきたというのは嘘よ。さっきドアの前で急いで着替えたわ」
「人が来たらどうするつもりだったんだ……」
「というか冷静に考えてほしいのだけれど、同級生の男子に下着姿を見せているだけでも十分特別だと思わない?わたし、これでもすごく恥ずかしかったんだから」
「それ女子の側から言うのは反則じゃないっすかね」
狩俣さんは制服を広げると、こちらをじっと見つめてきた。
「中林くん、これからあなたはわたしの着替えを見ることもできるし見ないこともできるわ」
「な、なんですかその問い方」
「ただ確認しただけよ。それともうひとつ。これは豆知識なのだけれど、車輪には『処刑』の意味合いがあるそうね」
狩俣さんは傍らに置いた車輪に手を添えつつそう言った。
「……この車輪、できればまだ使いたくないのだけれど」
「はい、後ろを向かせていただきますスミマセンデシタ」
車輪による処刑がいかなるものかは分からないが、並々ならぬ殺気を感じた俺は素直に壁を見ておくことにした。背後からもぞもぞと衣擦れの音がするので気にならないかと言えば嘘になる。
しかしながら、これは別に変な意味ではないのだが、下着姿を見せるのはオーケーで服を着るという過程はダメというのはいかなる心境からなのであろうか。いや別に、べっつにそこまで見せてくれたのなら着るとこと見てみたいとか、そういうのではない。純粋な学術探求的好奇心だ。これは哲学なのだから。
「……で、何の話だったかしら」
「狩俣さんがどうしてうちに来たのかって話です」
すっかり着替えた狩俣さんと再び向かい合う。つけっぱなしになっているゲームのBGMのせいで、なんだかおどろおどろしい雰囲気だ。
「格好をみたら分かるって言ってましたけど、なんだったんですかアレ。部活でやる儀式かなにかですか」
「……そこまで分かっているのにまだピンと来ないのは流石に我がオカ研ナンバーワンの不真面目部員なだけあるわね」
「ナンバーワンと言ったって俺ら二人だけしか居ないじゃないですか。TRPG的なことができると聞いて入ったらあやしげな儀式を繰り返す部活だったなんて普通辞めてますよ」
入学式直後、狩俣さんをマジで先輩だと思い込んでいた俺はまんまと罠にかかり、現在オカルト研究会の部員を勤めている。
「一度はそのてぃーあーるぴーじーだってお相手したでしょう?新歓の時期になったらまたやりましょうか」
「また罪無き新入生が罠にかかるのか……」
「それよりも、思い出せないのなら言ってあげましょう。先週の木曜日、あなたは学校を休んだわ」
「そうですね、その日から熱が出て……あっ」
思い出した。
先週の木曜日とはすなわち2月14日。
「そう、バレンタインデー、にチョコをもらえなかった歴代男子生徒たちの生き霊なら召喚できるのではないだろうか、という実験的儀式をする予定だったでしょう?」
そうだった。
しかしなんというか、儀式という悪趣味のなかでもさらに悪趣味な部類だよな、改めて考えると。
「で、でもインフルエンザは仕方がないじゃないですか」
「そうね、仕方がないわ。だから治った頃合いを見計らって儀式道具の処理をしに来たのよ」
「……処理?」
「触媒を用意していたのよ。バレンタインデーの生き霊を召喚するのに、いちばん手っ取り早い触媒を」
狩俣さんは再びリュックに手を突っ込むと、小綺麗に包装された薄い箱を取り出した。
「はい」
「はい?」
「バレンタインデーの生き霊を召喚するのに適切な触媒、それはどう考えてもチョコそのもので間違いない。しかも手作りで、思いを込めたものであればあるほど生き霊を召喚しやすいと考えたわ。だからそれは、わ、わたしの手作りで作った、いやそのただ溶かして固めただけなのだけれど温度管理とかそれなりにしたつもりではあるからきっと美味しくできているのだけれど溶かして固める過程でできる創意工夫などたかが知れているのだから市販のチョコとどっちがと聞かれると自信がないのだけれどでもバレンタインデーは過ぎてしまったし過ぎてしまうことなど想像もしていなかったからそろそろ食べないと悪くなってしまう気がするので今日くらいで食べてほしいというか食べないといけないのだけれどわたしはあまり太るのはイヤだからバレンタインデーに学校にも来れずに生き霊よりも生き霊と化してそうな死にかけのあなたが食べればいいと思ったのよ」
圧を感じた。
ここで余計な茶々を入れようものならそれこそ側に置いた車輪で叩き潰されかねない。
「あ、ありがとうございます。助かります」
「うむ」
うむ……?
「じゃあわたしの用事はこれだけ。お邪魔しました」
狩俣さんはそそくさと立ち上がり、目にも止まらぬ早さで帰っていった。
部屋に車輪を残して。
水曜日。
ようやく登校できるようになった俺は自転車にまたがり学校へ向かった。
狩俣真が置いていった車輪は、なんと俺の壊れていた自転車の車輪と同じものだった。意外と簡単に交換できて、おかげでひしゃげていた前輪も元通り。ご機嫌にアスファルトの上を転がっている。
「ん?」
自転車を漕いでいると、学校の手前で見慣れた後ろ姿を見つけた。自転車から降りて立ち止まっているようだが、どうしたのだろうか。
「真さん!」
「うひゃあいっ!?」
突然声をかけたことで驚かせてしまった。
「そんな表情できたんですね」
「う、うるさいわ。いきなり声をかけられたら誰だって驚くと思うのだけれど」
「すみません。でもちょっと言いたいことがあって」
「なにかしら……」
「チョコ、おいしかったですよ 」
「……そう?まあ某M社のチョコが美味しいのよ、きっと」
自転車を降り、真さんと並んで歩くことにした。真さんも別に何かあって立ち止まっていたわけではないらしく、自然に歩き出した。
「3月14日の儀式、やっぱりやるんですか?」
「当たり前よ。2月には失敗したけれど、同様の日ならおなじ理屈が通用するわ」
「じゃあ俺も頑張って用意しないといけませんね、思いのこもった贈り物」
「……」
「どうしたんですか、真さん?」
「なんでもないわ。生意気なのよね、わたしの方が先輩なのに。それならいっそ呼び捨てにしてくれた方がいいわ」
真さんは少しそっぽを向いてしまった。
(なんだか要求がエスカレートしてきたな……)
それはそれでいいのだが。根は純粋なくせに、なんとも回りくどい人である。
『
中林くんへ
このチョコレートの空き箱は3月14日に予定しているホワイトデーの生き霊を召喚するための実験的儀式にも用いることができます。もし中林くんがよければ3月14日にこの箱に思いを込めた贈り物を何か入れて儀式に持ってきてください。儀式が終わったらわたしが処分します。贈る相手はできれば架空の何かにしておくといいかもしれません。ですが、仮に、まったくそういう想像がつかないというのであれば、わたし宛ということにしてもいいです。処分するのはわたしなので。よろしくおねがいします。
追伸 これからはできれば名前の方で呼んでほしいです。
』