第3話 『胃袋の中へと』
ギイギイギイギイ嫌な音を響かせて、ラズリシア達はクレムレストという名の交易都市へと運び込まれた。
浅学な少年には今自分のいる場所のことがまるで分らなかった。そも、農民の子であるラズリシアは、村の外に出ること自体初めてだった。嫌になるほど高い石の城壁や、町中の、気がおかしくなるほどの騒がしさに、ただただ圧倒された。
都市を二つに割る煉瓦の大通りを見世物のようになって進んだ。侮蔑や、あるいは憐憫の視線が非常にうっとおしい。
「■■■・・・」
幾つか、敵意ある視線もあった。そしてそれらはすべて亜人の女の子に向けられていた。
自分の服の端をつかむ女の子の頭を、ラズリシアはそっと撫でた。
「大丈夫・・・」
根拠はないし、まず意味も通じないが、それでもラズリシアは言った。心なしか、女の子の緊張が和らいだように思えた。
ラズリシアが売られた日から5日が過ぎていた。
首にかかった鉄輪の重みにはいまだに慣れなかったが、亜人の子とはだいぶ打ち解けられたと、少年は思う。
四方を鉄格子に区切られた中で、どこを走っているのかどこに向かっているのか、まるで分らない道をひたすらに運ばれてきたのだ。そんな不安にあって、少しでも頼りとなるものを求めるのは自然のことであったろう。
意識的にしろ、そうでないにしろ、互い信頼し合おうと努めたのだ。
彼らの距離が縮まるのに、5日というのは十分すぎる時間だった。
「あ・・・」
ギイイイイイン、と、今までで一番に気持ちの悪い音を響かせて、檻がとまった。
そこは塗装もされていない木造の建物の裏口で、黒々とした木肌の模様が人の顔のように見えて、不気味だった。
「■・・・」
おびえた声を出して、隣で女の子が震えた。彼女の視線の先を見ると、格子の向こうに人買いの男たちがいた。彼らのうちの一人が檻の扉を開いた。
「降りろ」とだけ、男はいった。誰も動く気配はない。皆がおびえていた。すると、男は手にしていた無骨な短槍でもって格子をたたいた。ガアアンと、暴力的な振動が空気を伝ってラズリシア達の耳に届いた。
もう一度男は「降りろ」といった。今度は、扉に近かった人から順に、はじかれるようにして従った。
ぞろぞろと、列になって男の後に続く。周りには人買いたちがいて、威圧的に各々の武器を手にしている。
建物の中に入る。窓がなく、奥に進めば進むほど暗くなっていく。埃っぽく、かび臭い。縋りつくようにラズリシアにつかまっている女の子が、苦しそうな様子で少年の腕に顔を押し付けた。
やがて下に降りる階段が現れた。それはぽっかり暗い穴だった。「実はあの階段に見えるのは化け物の口であって、君たちはあれの餌として買われたのだよ」なんて言われたら信じてしまうくらい、現実的ではない腐臭くさい闇だった。
あんな所には絶対に入りたくない。ラズリシアはそう思ったが、男はためらいなく降りて行ってしまうし、商品たちの列も止まることはなかった。皆が嫌なものを感じてはいたが、周りの目に見える暴力のほうが怖かったのだ。
ラズリシアも結局、その穴に落ちてしまった。
彼の腕に縋りつく女の子と一緒に・・・。
穴の底は、やっぱりろくでもない場所だった。闇の中にぼんやりと浮かぶ真ん中の細長い通路。両脇に、隙間なく並べられた檻。その中には、見慣れた首輪をした人達が、周囲の暗闇と同化するような影となって丸まっている。
中には、少年たち新たな仲間をぼんやりと見ている者もいて、そのまなざしには気味の悪いねっとりとした質感がある。女の子がラズリシアにしがみつく力は、先ほどから強まるばかりであった。
人買いの一人が用心深く商品たちを観察しながら、これまた用心深く一番奥にあった檻の扉を開いた。「入れ」と、あの短槍の男がいい、幾人かがそれに従った。列がわずかに短くなると、扉を開けた男が今度は乱暴にそれを閉めて鍵をかけた。
そして一つ手前の檻へと移動して、また慎重に扉を開けた。それを繰り返して、どんどん列は短くなっていった。
本当に、端から少しずつ食われているみたい・・・そんなことをラズリシアは考えた。そうして、列の中ほどでついに少年と女の子が食われる番となった。
しかし、彼らは後回しにされた。「お前らはこっちだ」と、乱雑に引っ張られて列から引っこ抜かれた。少年の真後ろにいた中年の首輪をつけた男が、なぜか泣きそうな顔でそれを見ていた。
この地下室の化け物には、胃袋が複数あるようだった。こいつはそこに入れる食い物を、どんな基準で選別してるんだろう。ラズリシアは思う。なんにせよ、消化されるのは変わらないのだから、どうでもいいことだな。列は最後までかみ砕かれて、食べ残しは二人だけになった。
人買いの、ラズリシアを引っ張った男が、ある檻のカギを開けた。よく見ると、あの短槍の男だった。そいつは「入れ」と言いながら、ゆっくり扉を開いた。
何かを考える暇もなく、ラズリシアの足は動いていた。当然、彼にしがみついていた女の子もそうだった。
ガシャンと、やはり乱暴に扉は閉められ、鍵がかけられた。それを少年は背中で聞いた。
さて、最後に食べられた彼らが行き着いたのは、化け物が選定した、重要な餌だけがたどり着く特別な胃袋だった。
その場所は閑散としていた。他の檻には、1か所に最低でも20人はいたというのに、そこにはラズリシアと、亜人の少女、そして、先客が5人だけ・・・。
全員が子供で、全員が新たな同居人を見ていた。




