第2話 『影絵』
「・・・だいじょうぶ、か?」
ぴく、と、人のそれより長い耳が動いた。子供の側近くまで寄っていたから、ラズリシアはそのかすかな動きに気づけた。
といっても、十分な距離は取っていた。間にもう一人二人は座れるぐらいで、子供の寄りかかる格子に自分も背をつけて、顔を横に向けてその様子をうかがった。
やがて亜人の子は、ゆっくりと膝から顔を上げた。キラキラ光る緑石の髪がさらさらと落ちた。
初めて見たその顔は、息をのむほど美しかった。
赤い光と格子の陰で染められていてもわかるほどきめ細かい白肌で、どこか浮世ばなれした感じをラズリシアに与えた。目元とほおが涙のせいでぷっくらとはれていなければ、あるいは近寄りがたく感じたかもしれない。ゆらゆらと揺れる髪と同じ色の瞳も、どこか現実離れしていて、少年をほんの少し夢の中にいる感覚にさせた。だがそれゆえに、彼女の首にかかった重苦しい鉄の輪が、より閉塞感をもって目立った。
怪物だなんてとんでもなかった。物語に出てくる妖精や、お姫様といったようなかわいらしい女の子で、少年はおもわず目を見張った。
「あ・・・」
ラズリシアと、女の子との目が合った。華奢な手を体の前に寄せ、肩をすくめた様子は、明らかにおびえていた。少年はわずかに気後れしながらも、彼女を安心させるために言葉を継ごうとした。
「こわくないよ。その・・・」
「■、■■?■・・・」
だが、ラズリシアの口は途中で止まる。女の子の口から、意味不明の音が漏れたためであった。
そうだ・・・言葉が違うんだ。
農家生まれの凡庸な頭は、ここでようやく気が付いた。
ラズリシアは人間で、亜人とは話す言語が違う。無論少年に亜人語など話せるはずはなく、女の子のほうも人間の言葉を解する様子はない。
どうしよう・・・。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
初手からつまずいて、何も言えずに黙り込むラズリシア。いきなり現れただ黙しているだけの少年に、女の子はなお一層おびえた。
そんな二人を、下火になるたびに薪をたされる篝火と、いい加減に傾いてきた月という二つの光源が照らしていた。
「・・・ん」
相変わらずの、しま柄の光。それを見てふと、ラズリシアは妹とよくやった影絵遊びを思い出した。
アルーサは、空気の澄んで明るい夜なんかに、夢遊病患者のように徘徊することがあった。そんなとき、ラズリシアが指をまげて狐や犬などを作ると、妹はハッとして立ち止まり、動物たちを指さしてきゃっきゃと笑って喜んだ。だから、冬の日なんかはその遊びをするのが習慣になっていた。
そういえば、今日も月がきれいだ。今頃妹は、森の中をうろついているのだろうか。これからの季節、どんどん寒くなって、代わりに夜空がまばゆくなっていく。アルーサは、そんな夜のたびに何かに誘われるようにあたりを歩き回るのだろう。
だが、そのことに関して、ラズリシアはまるで心配をしていなかった。
なぜなら、今、アルーサは森の中にいる。そしてそうである限り、妹の安全は保障されていた。
「そうだな・・・」
ラズリシアはとりあえず狐を作ってみた。
このままなにもせずに引き下がるのはなさけないと思った。妹と同じ年頃の子供を前に見栄を張る感情もあった。
それに、これならこの子が喜ぶだろうという考えもあった。あんまりにもすんなりと浮かんだ思考だったから、その理由に関して、少年は無自覚だった。
「こ・・・こーん・・・・・・」
自分の稚拙な影絵では、何をしているのか伝わらないのではないかと思ったから、鳴き声をまねてみたりもした。頭の中での想像とあまりにかけ離れた珍妙な声が出て、ラズリシアの頬は少し赤くなった。
うろうろと、狐の陰を動かしてみる。女の子の周りを跳ねるように・・・とはいかず、這いずるようにしか見えなかったが、それでもラズリシアはやめなかった。
少年の試行錯誤は不慣れで不器用なものだったが、いつの間にか、彼の身にまとわりつていた厭世的で暗い雰囲気は消えていた。
「・・・■、■■■?」
そのためであろうか、亜人の子供は、やっとラズリシアに恐怖と困惑以外の明るい目をむけてくれた。
「・・・■、■■?■■、■■■・・・■、■?」
「えと・・・こ、こーん・・・?」
ちらりちらりと、そこかしこを動く狐とラズリシアとの間に視線を漂わせながら、女の子は何かをつっかえつっかえ話す。まるで意味が分からないので、とりあえず少年は、相変わらずへたな狐の声真似を、最後のほうを半音上がりにしてだしてみた。
「・・・■■」
女の子はやがて、じっと黙り込んで・・・今度はラズリシアの手を見て、次に自分の手を見た。それで、少年の指の形をまねして、自分で影絵を作ってみせた。
「おっ」
意図が、気持ちが通じた?いや、そんなことはない。女の子は何となく・・・ありていに言えば空気を読んだのだ。それでも、ラズリシアはなんだか嬉しくなった。救われる気がした。
女の子が、かすかに笑った。うっすらえくぼができて、それが本当にかわいらしくて、ラズリシアも笑った。それがだいぶ久方ぶりに浮かべた笑顔だということに、笑ってから気づいた。
「■■―――■」
「うまっ・・・」
・・・女の子の発した狐の声真似は、驚くほどに本物そっくりだった。




