第三の男
「ちょっと、ノアが何をしたって言うの!」
「こいつは不審者だッ」
ぼくが不審者?
たしかにそうかもしれないけど、危険人物ではないぞ。
ミズキは狼狽している。
準備会スタッフの男は、ぼくを取り押さえながら、しゃべりはじめた。
「俺は屋上展示場からお前のことを見張っていた。お前は列のなかにいることもあれば、列から離れていくこともあった。それどころか、列にいないこともある。お前はただひとり、ほかの人とは違うルールで動いている。なんなんだ、お前は」
この男、ぼくが反復していることに気づいている。
ということは……
「ミ、ミズキ。こいつも反復者だ」
「えっ!?」
「ぼくの反復時の行動を記憶してる!」
ミズキはその言葉で冷静さを取り戻したのか、準備会スタッフの男を説得しはじめた。
「ねぇ、あなた。ひょっとして同じ一日を繰り返しているんじゃない?」
「どうしてそれを?」
「わたしたちも一緒よ。わたしとその子、ノアっていうんだけど、わたしたちも12月29日を何度も繰り返しているの」
「ふたりとも?」
「ねぇ、逃げたりしないから手を放して。わたしたちの話を聞いて」
ミズキの言葉には、知らず知らず気を許してしまうような穏やかさがある。男は警戒心を解くことはなかったが、徐々に力を弱めていった。ぼくは抵抗せずにゆっくりと立ち上がり、振り返って男と正対した。
身長は180センチくらいだろうか。猫背なので、いまいち実際のサイズ感がわからない。カーキ色のアーミージャケットを着て、右腕にはスタッフの腕章を着けている。短めの髪を整髪剤でぴっちりとなでつけていて、几帳面そうな印象だ。目の下のくまが、やつれた表情に影をつけている。
ミズキはポーチから運転免許証を取り出し、男に手渡しながら話を続けた。
「わたしは江古田瑞希。ほら、ノアも」
ぼくはミズキにうながされて、学生証を取り出して男に差し出した。
男はふたつの身分証明証を見比べながら、吐き捨てるようにボソリと言った。
「精巧な作り物だな」
「どうしてそう思うんだ?」
「昭和40年生まれに1999年生まれ? こんなものにだまされるヤツはいない」
「……だよなぁ」
ぼくはバックパックからスマホを取り出し、男に見せた。男はスマホをしげしげと見つめている。ぼくは指紋認証でロックを解除して、タッチパネルの操作をしてみせた。
「これが2016年の携帯電話。この時代にはないでしょ」
「一見するとPDAみたいだが……」
「PDAって何?」
「パーソナル・デジタル・アシスタント。モバイル端末だ。タッチパネルの携帯電話はパイオニアが作っていたはずだが、これは……すごいな。どれくらい普及しているんだ?」
「中学生でも持ってるよ」
「まるでPHSだな。たしかにいまの時代のテクノロジーではないようだ」
「さすが、この時代の人間は話が早い」
PHSがどういうものかわからなかったが、なんとなく文脈で推測できた。つまり、この時代の安い端末のことなんだろう。男はぼくとミズキの身分証明証を返してきたが、ぼくはそれを制した。
「いいよ。どうせ朝になれば手元に戻るから」
「そうか」
その言葉に何か感じるところがあったのか、男は懐から学生証を取り出し、ぼくたちに寄越してきた。
学籍番号○○○○○○
工学部金属工学科
入学年月日:1994年4月1日
生年月日:1974年7月1日
氏名:松原修司
「松原修司か。じゃあ、シュウちゃんだな。24歳なの?」
「ちょっとノア、あなた慣れ慣れしいわよ」
知ってる。でも年上と話すときは、年下から図々しいくらいに積極的に接していったほうが打ち解けるのが早い。体育会系の運動部とかだったら、ぶん殴られるかもしれないけど。
シュウジはミズキの服を指さして尋ねてきた。
「それは?」
「コスプレよ。らんま……って、知らない?」
「いや、興味ない」
ミズキは上唇をとがらせている。
「それで、どれくらい反復してるの?」
「反復?」
「この子ね、いつも同じ朝に戻っちゃうことを反復って名付けてるの。それで、わたしたちみたいに反復を自覚している人のことは反復者だって。笑っちゃうわよね」
「なんでだよ、固有名詞があったほうが話が早いだろ?」
シュウジはぼくとミズキを交互に見て、ゆっくりと答えた。
「まあ、コミケにループはつきものだしな」
ミズキは憮然とした表情をしている。それからぼくとミズキは、それぞれがどのような経緯で1998年に閉じ込められてしまったのかを説明した。だが、驚いたことに、シュウジには反復の知識がほとんどない。ぼくの行動を監視していたというのなら、少なくともぼくと同等か、それ以上の反復をこなしていそうなのに。
「シュウちゃんは、いつも“ここ”でどんな一日を送っているの?」
「ホテル浦島で朝5時に起きる」
「浦島か。竜宮城みたいだな」
「それから顔を洗って、ひげを剃って、髪を整えて、朝食を食べてからホテルの送迎バスに乗り、ビッグサイトに着くのは朝6時15分。そこからほかの準備会スタッフと一緒に簡単な作業をして、朝7時から朝礼だ。それから持ち場での列整理をして、コミケ会期中はスタッフとしての仕事を続ける。16時になるとコミケは閉会になるが、準備会スタッフはそこから片付けをする」
「けっこうガッツリ仕事があるんだね」
「いちおう19時に終礼があるが、見回りや翌日の準備をするから、解散になるのは21時。ホテルに戻る途中に夕飯を食べて、ホテルに帰って眠るのは23時だ」
シュウジは抑揚なく淡々と一日の行動を説明した。
「それって……つまり、毎日ってこと?」
「そうだ」
「その……、準備会スタッフをやっているってことは、1998年の人間なんだよな?」
「そうだ」
「12月28日は何を?」
「前日設営だ。備品の搬入や会場の設営をした」
「それで、ホテルに泊まって29日になり、コミケの初日が終わって次の朝を迎えたら、また29日が始まってた?」
「そういうことになる」
「それから反復しているのに、毎回同じ行動を?」
「そうだ」
心臓がいやな高鳴り方をする。几帳面そうな男だとは感じたけど、彼の行動には理解しがたいところがある。なぜこの反復を脱け出そうと、原因を探さないんだ?
「つまり……、まったく同じ行動を、毎回?」
「ああ」
「それを何回くらい繰り返しているの?」
「100回までは数えていた」
ぼくとミズキは瞬間的に顔を見合わせた。それまで黙ってぼくとシュウジの会話を聞いていたミズキが、業を煮やしたかのようにまくし立て始めた。
「ちょっと、アナタそれおかしいわよ」
「なぜ?」
「なんでそんなに毎日同じことができるの?」
「まったく同じわけではない。昼間は巡回ルートを変えて、異変がないか会場中を監視している」
「でも、外に出ようとしたり、そういうことは考えないの?」
「思わない」
「なんで?」
「なんで、とは?」
質問攻めにしているミズキのほうが、明らかにうろたえている。シュウジの言い分が、まるで理解できないといった様子だ。
「ちょっと待った。シュウちゃんさ、そのホテル浦島って、どこにあるの?」
「晴海にある」
「! ぼくとミズキは有明から出ると反復しちゃうんだ。ひょっとしてシュウちゃんなら、晴海よりさらに先まで行けるんじゃないか? この時代の人間だからかな?」
「だとしても、俺は興味がない」
「なぜこのコミケに、そんなにこだわるんだ?」
「お前たちの言い分が仮に正しいとして、1985年と2016年から来たとしよう。俺自身が反復を経験している以上、そういった超常現象が起きる可能性は否定できない。だが、お前たちは何をしても、元の時代に帰りさえすればいいのだろう?」
「それは、まぁ」
「それじゃあ俺は困る。俺が持ち場を離れているあいだに、自分の担当場所で何か問題が発生したとする。そこで反復が起きればいいが、そのまま12月30日を迎えたらどうする?」
「どうする、……って。そうか、責任問題になっちゃうな」
「そういうことだ。俺はこのコミケを守るために準備会スタッフに志願した。それなのに自分が持ち場を離れるようなことはできない」
理屈は、わかる。
しかし真面目と責任感が合致した結果、シュウジはだいぶ病的な感じになっている。ミズキは、完全にドン引きしている。
「でも、その、何かが起こるなんて、あなたの取り越し苦労かもしれないじゃない?」
「いや、問題は起きたんだ」
なんだって?