あんまりそわそわしないで
ぼくはいまコミケに来たばかりの新参者ではない。
もうずいぶんと長い時間をここで過ごしている。なにしろコミケの初日を迎えるのは、これで5回目だ。そのうち1回は、ふて寝して過ごしてしまったけど。
ともあれ、ぼくはこの反復現象を、はじめて自分のために使おうとしている。それを考えると、胸がドキドキと高鳴ってきた。
起こしてくれてありがとう。ぼくは駒沢ノア。きみは牛山健二っていうのか。よろしく。
ぼくは牛山健二への自己紹介を、これまででもっともスムーズにこなし、彼と会話しながら西館4館へと向かう。相手は初対面なのに、こちらは彼の情報を持っている。それだけで、こんなにも会話の主導権を握れるなんて思ってもみなかった。まるで相手をコントロールしているみたいだ。あらためて、この「チート・デイ」の効果のほどを、まざまざと感じていた。
「押さないでくださーい」
「列を乱さないように、前の人とのあいだを詰めてくださーい」
「危険物を持っている方がいれば、いますぐ海に投げ捨ててくださーい」
ウケを狙った準備会スタッフの掛け声に、周囲からクスクスと笑い声が漏れる。心なしか、準備会スタッフの声に怒気を感じるが、気のせいだろうか?
西館に入ると、釣り人のようなベストを着た小男が、待ち合わせ広場を小走りに横切っていく。
「走らないでくださーい!」
スタッフの声に驚いた小男は、荷物をぶちまけてしまう。起きることがわかっているのに、そわそわしてしまう。通行人がいっせいに小男の“戦利品”をかき集めていた。小男は顔を真っ赤にして、お礼を言いそびれている。
さあ、ここで彼女が出てくるぞ。
……と、ぼくは周囲をキョロキョロと見まわすが、コスプレ少女が見つからない。
あれ? おかしいな。
よそ見をしていると、少し遅れて少女は姿を現した。
だが、彼女は『うる星やつら』のラムちゃんの衣装を着ていなかった。
セーラー服をベースに、半袖の袖口を肩までロールアップし、胸前には大きな赤いリボンが躍る。ウエストはボディラインが出るくらいにシェイプし、青いミニスカートにはプリーツが幾重にも折り重なっている。ラムちゃんじゃない。あれは……
「お。セーラームーンだ」
「かわいいなぁ」
「ハイヒール高いね」
「よく転ばないよな」
周囲の会話が漏れ聞こえてきた。『美少女戦士セーラームーン』のコスプレだ。もう20年以上も前の作品なのに、平成11年生まれのぼくでさえ知っている。たしか何周年かのアニバーサリー企画で、最近になってアニメがリメイクされたはずだ。
やはり黒髪のボブのままだけど、よく似合っている。
……そうじゃない。なんでラムちゃんじゃないの?
彼女がセーラームーンの衣装を着ているなんてことは、あってはならないはずだ。いままですべての出来事が、これまでと寸分たがわず、同じように起きている。それなのに、なぜ彼女だけが違うコスプレ衣装を着ていられるんだ?
考えられる理由はひとつ。
彼女が特異点だ。
つまり、彼女もこの「1998年のコミケ」を繰り返している反復者の可能性が高い。
砂漠で針を探すようなものだと思っていたけど、まさか目の前にいるなんて! 砂漠で針を落としたとしても、磁石を持っていれば探し出せるわけで、それと同様に反復者同士は引かれあうのだろうか?
コスプレ少女は、屋上展示場に向かって歩いていく。
こうしてはいられない。
ぼくはすぐさま走って彼女を追いかけた。急げ。見失ったらコトだ。
「あ、あの! すぃません!」
呼び止める声が裏返ってしまった。振り返ったコスプレ少女は、屈託のない笑顔をぼくに向けた。
「そ……その、服」
「あ、これ? セーラームーン。可愛いでしょ?」
「う、うん。や、そうじゃなくて」
「うん?」
「ラムちゃんだったでしょ、『うる星やつら』の。なんで?」
「ああ! これね、ほかの子にお願いして、衣装を交換してもらったの! ほら、女の子同士って、服の貸し借りとかするじゃない? そういう感じでお願いしたら、『いいよ』って言ってくれたの」
「そ、そう。いや、ぼくが言ってること、わかる? つまり、その……キミが前にラムちゃんを着ていたのを、ぼくは知っている、ってことなんだけど」
「……えっ」
そこまで言うと、彼女はハッとした表情を見せた。
何かを悟ったようだ。
彼女はぼくとのあいだの数歩の間合いを一気に詰め、ぼくの手を取って真剣な表情で話し始める。顔が近い。
「あ、あのね! こんなこと言ったら頭のおかしな女だって思われちゃうかもしれないけど、あなたにだったらわかってもらえそうだから言うわ。その、間違っててもやり直せるから言うけど……。わたし、なんだか同じ一日を繰り返しているみたいなの。それがどういうことか、あなたわかる?」
彼女は意を決したような表情をしている。
やはり。ビンゴだ。
「わ、わかる、わかるよ! ぼくもそうなんだ」
「ああ、うそみたい! 誰にもわかってもらえないと思ってたの。いつも気がつくと、コスプレ更衣室に戻っちゃって……。家に帰ろうとすると、いつも同じ日の朝に戻ってるの!」
「そ、そうか。ぼくは外の待機列で目を覚ますんだ」
「ええっ、寒そう! あなた大変ね!」
彼女は両手でぼくの右手を握りしめて話を続ける。大きな瞳がうるんで、まっすぐにぼくを見つめてくる。
「それでね、わたし、何度も更衣室で目を覚ますから、そこにいる子たちと仲良くなったの。ううん、仲良くなったと言っても、一日が経つと、また見知らぬ他人同士に戻っちゃうんだけど……。でも、何度か話をしているうちに、隣の子、彩ちゃんていうんだけど、彩ちゃんはラムちゃんのコスプレに興味があったんだ、ってことがわかったの。わたしは彩ちゃんのセーラームーンの衣装がかわいいなぁ、着てみたいなぁ、って思ってたから、もしよかったら交換してみない? って持ちかけてみたの! そうしたらこれが大成功! どう、似合う?」
「う、うん。似合う。似合うよ」
「よかったぁ。この衣装、すごく可愛いのねっ」
驚いた。
ぼくが考えた「チート・デイ」のアイデアを、すでに彼女は実践していたのだ。
「でも、あんまりほかの子と話したり、服の交換とか、しちゃいけないのかな?」
「どうしてそう思うの?」
「わたしね、同じ一日を繰り返しているだけじゃないの。……ねぇ、これからわたしが言うこと、笑わない?」
「うん、笑わない」
「本当に?」
「笑わないよ。ぼくだって同じ日を反復してるんだ。いまさら何が起きても、変だなんて思わないよ」
「そう、そうよね! ああ、同じ境遇の人がいるって、心強いのね! じゃあ言うけど……、わたしね」
「うん」
「わたし……、本当はこの時代の人間じゃないの」
「ぼ、ぼくもそうだ!」
「あなたも? 信じられない!」
「まったくだ!」
「あなたも、この時代の人間じゃないのねっ?」
「そう、そうなんだよ!」
「じゃあ、じゃあ……」
「うん」
「あなたも、1985年から来たのねっ!?」
……はい?
ええっと、つまり、これってどういうこと?