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見上げてごらん昼の月を

 ノストラダムスとは予言者のことらしい。

 ぼくを起こしてくれた隣の男の説明によると、1999年7の月に恐怖の大王が来る、とハタ迷惑な予言をして世界中を混乱させたようだ。なんだよ、“恐怖の大王”って。子供みたいなネーミングだな。みんな本当に信じてたの?

 ぼくが中二の時には「マヤ暦が予言した人類滅亡」説が大流行した。中二病まっさかりのぼくたちは、しばらくはオカルトに夢中になったけど、それと同じようなものなんだろう。

 でも、初対面でいきなり地球滅亡の話なんて、普通の人間はしない。井戸端会議の世間話みたいなテンションで話す内容ではないと思うぞ、地球滅亡は。

 ああ、この男に声をかけるんじゃなかった。

 ぼくはうんざりしながら、彼の話を聞き流していた。


 それにしても、鮮明な夢だった。

 企業ブース内の配置、小銭の使えない自販機、広場の上空に浮かんでいた月。普通だったら、目を覚ました時に夢の内容なんて不確かになるものだ。それなのに細部まで鮮やかにおぼえている。

 だけど、ぼくはいま2016年にいる。

 夢を見ている瞬間はどれだけリアルだと感じても、覚めてしまえば荒唐無稽に思えるものだ。「1998年のコミケ」にタイムスリップ?

 まったく馬鹿げてる。

 ぼくはジーンズの後ろポケットから財布を取り出す。自販機や駅の券売機で使ったお金は元に戻っていた。ほら、やっぱり夢じゃないか。

 ぼくは財布をしまうと、今度はスマホを取り出して時間を確認した。


  9:59 12月29日木曜日

  バッテリー残量、52%。


「そ、それ。格好いいPDAだね?」


 ぼくの手元を覗き見ていた地球滅亡男が、突然声をかけてきた。

 PDA……?

 ぼくはスマホを携帯充電バッテリーに接続しようとして、その手を止めた。

 なにか、おかしい。

 ぼくは地球滅亡男をしげしげと見つめた。

 黒いダウンジャケットで、胸元に兎のマークがプリントされている。眼鏡をかけていて、前髪は眉にギリギリかからないくらいの長さ。もちろん色は黒だ。体型は小太りで、年齢は20代後半から30手前くらいだろうか。ぼくがしばらく見つめていると、彼は視線を落とした。照れるなよ。

 この地球滅亡男は、夢の中でもぼくの隣にいた。

 夢の中で「1998年のコミケ」にいた男が、どうして2016年のコミケで、ぼくの隣を歩いてるんだ?

 この男がさきほど言った「ら、来年? ノ、ノストラダムスだよね」の台詞が、頭の中でリフレインしていた。再びスマホを見る。画面には「圏外」の文字が表示されていた。

 

 不意に、待機列や会場内から拍手と歓声が起こった。

 どこかでドッと笑い声がしたかと思えば、また別の場所では喝采が起きた。


「押さないでくださーい」

「列を乱さないように、前の人とのあいだを詰めてくださーい」

「もし危険物を持っている方がいれば、いますぐ海に投げ捨ててくださーい」


 手に拡声器や無線機を携えた準備会スタッフが目立つ。時折数人が固まって声を潜め、何かを話していたり、待機列のほうに目を配ったりしていた。

 この光景は、どこかで見たおぼえがある。

 西館に入ってすぐの待ち合わせ広場で、ベストを着た小男がヨロヨロと小走りに駆けてきた。

 転ぶ。

 瞬間、ぼくはそう思った。


「走らないでくださーい!」


 準備会スタッフの声に驚いた小男は、紙袋の中身を通路にぶちまけた。通行人たちが荷物を拾い、小男はお礼を言いそびれている。

 どういうことなんだ?

 さきほど見た夢と、まったく同じ出来事が目の前で起き続けている。デジャヴなんてもんじゃない。ぼくは何が起きるのかを、あらかじめ知っていた。頭がくらくらしてきた。

 地球滅亡男は、立ち止まっているぼくを置いて、企業ブースの中に吸い込まれていく。

 そうだ。ラムちゃんのコスプレの少女がいたはずだ。


「お。ラムちゃんだ」

「かわいいなぁ」

「水着で寒くないのかな?」

「鍛え方が違うんだろうな」


 目が合うと、コスプレ少女は微笑む。笑ったときに、右頬にえくぼができるようだ。

 ビキニ姿だからどうしても胸に目がいく。B……、いやC?

 悪い予感がする。

 企業ブースを見て回ると、ぼくの予感は的中した。

 

 「1998年のコミケ」が再現されている。

 ぼくはとっさに撮影スタッフやカメラを探したが、やはり見つからない。

 夢と同じことが起こるのだったら、コンテナ型の巨大ゴミ箱のそばに移動しておけば、カタログが投げ捨てられるはずだ。急いでゴミ箱の横に移動すると、案の定、カタログが放り投げられた。ぼくはすぐさまカタログを拾う。カタログの表紙は、男の子と女の子が樹の枝に腰かけていて、鳥の巣から落ちそうな卵に男の子が手を添えているイラストだ。そして下段には「1998 55」と印刷されている。

 

 同じ夢を見ている。

 そんな回りくどい夢、あるのか?

 館内に井上陽水の歌が流れた。これは本当に、夢なのだろうか。


 ぼくは小銭を選り分け、自販機でペットボトルの緑茶を買った。

 待てよ。

 夢で見た出来事が“再生”されているけれど、だからといって、ぼくが夢と同じ行動をする必要はないはずだ。夢では、このあとぼくは西2ホールを経由して東館に向かい、そして国際展示場駅に向かった。電車に乗ったときには、すでに16時を回っていたと記憶している。そこで寝落ちして、目を覚ましたら広場に戻っていた。

 とりあえず、以前とは違う行動をしてみよう。

 コミケの中に居続けては、この世界の片鱗がつかめない気がする。


 そう思い立ったぼくは、まずは屋上展示場に出て、コスプレ広場を見学することにした。

 コスプレ広場にはコスプレイヤーが点在し、その周りをカメラマンが取り囲んでいた。セーラームーン、パステルカラーのメイドっぽい服装のウェイトレス、格闘ゲームのキャラ、ビジュアル系っぽいファッションが目立つ。

 なんだろう、この違和感は?

 ぼくはスマホを取り出し、両手をいっぱいに伸ばして、できるだけ高い位置から広場の様子を撮影した。そこで違和感の正体に気づく。みんな髪色が黒い。ウィッグを着用しているコスプレイヤーがいないのだ。髪を染めている人も、ほとんど見当たらない。だいたいコスプレイヤーって、男も女も細部までこだわる人がが多い印象だったけど、違うのだろうか?

 ぼくは広場にラムちゃんのコスプレ少女を探したけれど、残念ながら見つけることはできなかった。

 

 コスプレ広場を後にしたぼくは、館内に引き返すと、エスカレーターで西館4階からアトリウムまで下り、念のため1階の西2ホールの様子を覗いた。

 やはり同じ。

 「スラムダンク」「幽☆遊☆白書」のサークルで大盛況だ。ここまで見れば「1998年のコミケ」の再現度合いはおおよそ見当がつく。おそらく夢で見たように、全館が「1998年のコミケ」になっているにちがいない。


 となれば、やはり気になるのは外の世界だ。

 今回は東館に向かわず、直接駅に行こう。

 もし外の世界まで1998年になっているんだったら、それこそぼくは予言者だ。歴史の授業で習ったアメリカ同時多発テロも、小学校の卒業直前に起きた東日本大震災も、ぼくはノストラダムスとは比較にならないほど正確に予言できる。よくあるタイムスリップ物のSFだと「過去に干渉するのはよくない」とか言われるけど、ぼくにはそんなのはおかまいなしだ。だって、自分自身が生まれていないんだし。

 世界を救う?

 そんな大それたことは言えないけれど、防げる被害もあるんじゃないか。そう考えると、がぜん目が冴えてきた。神経が昂る。

 駅前から広場を振り返ると、南の空には薄く月が出ていた。


 そうだ! そうだ、そうだ。

 ぼくは急に、あることを思い出した。ぼくが使っているスマホの天気予報アプリには、月の満ち欠けが表示される機能がある。中学時代に月の観測をやった際にダウンロード購入した有料アプリだ。中学を卒業するまでぼくは、ストアでアプリを購入する際に必要なパスワードを親から教えてもらえなかった。「勉強で使うから」と母さんにお願いして、プリペイドカードを買ってもらった思い出がある。

 すぐさまバックパックからスマホを取り出し、アプリを立ち上げた。最新情報は取得できないものの、朝に更新した情報はローカルに残っている。

 やっぱりそうだ。

 2016年12月29日木曜日、月齢は新月。

 いまぼくが南の空に見上げている月は、六割ほど満ちている。


 やっぱりここは2016年じゃない!


 もし仮に、国際展示場の全館を使って、大規模な撮影をしていたとしよう。それ自体だってあり得ない話だけど、しかし可能性としてはゼロじゃない。お金と人を集めれば、不可能ではないはずだ。

 だけど月の満ち欠けは、誰にも操作できない。ということは、ぼくは1998年にいる……、いや、断言するのは早い。少なくとも、2016年ではない時間にいることは確かだ。

 ぼくがひとり興奮していると、電車はガタンと大きく揺れて、目の前が一瞬で真っ暗になった。

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「そろそろ動き出しますよ」


 起こしてくれたのは、隣に座っていた男だった。

 目を覚ましたぼくは、はじめ自分がどこにいるのかわからなかった。

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