ミッションは8分
「それはバタフライナイフだな」
「なんでそんなこと知ってるんだよ」
シュウジの説明によると、犯人が持っていたナイフはバタフライナイフというようだ。片手でカチャカチャと操作して、グリップ内に収納された刃が飛び出すタイプの刃物だ。この時代に大流行してドラマでも使用されたが、それを模倣した傷害事件が起き、ちょっとした社会問題になったらしい。
ぼくはジーンズの上から、右の太ももをさすった。
しなかった怪我がうずくような、不思議な感覚だけが残っている。
「それで、爆発までは何分だった?」
「8分だ」
「短いな」
「俺も“昨日”は早めにホテルに帰って、日付が変わるまでニュースを見まくった。キッチンタイマーを起爆装置に使った簡単な仕掛けだ。8分もあればじゅうぶんだ」
「お、頼もしいな」
「問題ない」
「ミッションは8分、か」
ミズキは両目いっぱいに涙をためたまま、上唇をとがらせてぼくをにらんでいる。
「危ないことはしない、って言ったのに……」
「いや、うん。まぁ」
「それで、犯人の顔は見たの?」
「ああ、見た。はっきりと見たよ」
そう言うと、ぼくは犯人の顔を頭に思い浮かべながら、シュウジの顔をちらと見た。
まったく一緒の顔だ。
違いといえば、犯人のほうはすこし無精ひげが生えていたくらいか。
「ということは、犯人もノアの顔を見たのよね?」
「そういうことになるね」
「じゃあ、もし犯人が反復者だったら、どうするわけ? 顔がバレているのは危険じゃないの?」
「相手は反復者じゃないよ」
ミズキの指摘は的確だ。
だけど、犯人は反復者じゃない。
ぼくは確信を抱いている。
犯人はシュウジの潜在意識が生み出した虚像だ。自分自身が投影されているから、シュウジとまったく同じ顔をしていたにちがいない。だけど、その推論を伏せたまま、犯人が反復者ではないことを説明するには、ちょっとロジックが必要になる。
とにかくこのミッションは、実際の爆弾解除や犯人確保より、シュウジを納得させることが肝心なんだ。
「相手は反復者じゃないって、どうして言い切れるのよ?」
「考えてもみなよ。相手が反復者だったら、きょうの午前中いっぱいを使ってこの国際展示場付近のエリアで材料を調達して、爆弾を作って、それから起爆したことになるわけだろ?」
「そうね」
「この付近、あんまり買い物するような場所はないだろ?」
「うん」
「それこそ犯人は、何度も反復を繰り返して、いろいろな下調べをして、ようやく爆発にこぎつけたんだ」
「許せないわ」
「そうだね。これまで爆発は2回起きたけど、準備に費やした反復回数を考えたら、“まだ2回だけ”成功したに過ぎない、って感覚じゃないかな?」
「いやな性格ね、そいつ」
「そうさ、いやな性格だよ。だから、爆発を見届けたいと思うはずなんだ」
「そう……かしら」
「たとえば放火犯はかならず現場に戻る、って言うだろ? 自分がしでかしたことの成果を、絶対に見届けたいはずなんだ」
「それは……なんとなくわかるかも」
「でもあの犯人は違う。あいつ、ものすごい速足でまっすぐ駅に向かって行っただろ?」
「うん、かなり速足だったわ。わたし追いつけなかったもの」
「そう、そこなんだよ! アイツは爆発に見向きもしなかった」
「たしかに変ね」
「アイツが爆弾の準備のために何度も反復を繰り返しているなら、“電車に乗る”イコール“反復”であることくらい気づいているはずだ。つまり、まったく爆発を見届けもせずに反復しようとしていた、ということになる。それはおかしい。だから、犯人は反復者じゃない」
「じゃあ、犯人はなんなのよ?」
「それはわからないよ。この時代の人かもしれないし、何かまったく別の存在かもしれない。ただ、いずれにしても、反復者ではない」
ぼくとミズキの会話を黙ったまま聞いていたシュウジが、ウンと大きくうなづいた。
「なるほど一理ある。オタボマーは反復者ではないとしよう。で、どうやって捕まえるんだ?」
「それはぼくがやる」
ミズキがまた上唇をとがらせて、なにかを言いかけたのを、ぼくは制止して話を続けた。
「犯人の顔を知っているのはぼくだけだ。それに、少なくともぼくは、怪我をしても反復すれば大丈夫ということが実証されたわけだし」
「だから、怪我をしない前提で作戦を立てなさいよ」
「わかってるよ。万が一が起きても、の話だよ」
「それで、どうやって捕まえるのよ?」
さあ、それが問題だ。実際のところ、これだけ人が多い会場で、人目につかない場所で大立ち回りを演じるのは、「人知れずに解決する」という当初の目的には合わない。
「それだったら会議棟の8階で捕まえればいい」
シュウジがそう提案してきた。爆弾を設置した犯人はエレベーターで逃走するが、そのエレベーターに乗ってぼくが8階まで行き、エレベーターのドアが開くと同時に犯人にとびかかる。そこで時間を稼いでいるうちに、タイマーを解除したシュウジがやってきて一緒に取り押さえればいい、との作戦だった。
だがこの作戦は、シュウジがタイマーの解除に失敗した場合は、ぼくとシュウジ、さらに犯人が巻き添えになる危険性が高い。それはあまりにもリスキーだ。
それに、シュウジが犯人と出会うのが吉と出るか凶と出るか。
だけど、残念ながら僕に対案は出てこない。
「ノアにこれ以上、怪我をさせるわけにもいかないしな」
「そうよ」
「お前たちふたりを元の時代に無事に帰すことも、大事なことだからな」
シュウジの意識が“12月29日を終える”ことに向かっているのは、いい兆候だ。これなら犯人と対面しても、大丈夫かもしれない。ここはもうひと押ししておくべきか?
「それで、この反復から脱け出したら、シュウちゃんはどうするの?」
「このコミケが終わったら、俺はオタクを卒業しようと思う」
「なにその死亡フラグみたいな発言」
「フラグ?」
「いや、その……卒業って?」
「就職も考えなきゃいけないし、オタクはもう卒業だ」
ミズキがうなづいている。
「それさぁ、ミズキも言っていたけど、ぼくはわかんないんだよな」
「ん?」
「好きなものといつかは別れなきゃいけない世界なんて、おかしいでしょ」
「お前の時代はどうか知らないが、いまはオタクに対する世間の風当たりは強いんだ」
「自分の人生に無関係な人にどう思われたって、痛くもかゆくもないでしょ」
「そんな簡単には割り切れないさ」
「あー、そうやってオタ卒したヤツが、次の世代にも“いつか卒業しなきゃだめだ”って価値観を押し付けるんだよなぁ」
「俺はしないぞ」
「するよ。だって、その“世間”のひとりになるんだから。“飽きたからやめる”ならわかるけど、そういうわけじゃないんだろ?」
「う、うむ」
「まぁいいけど。ぼくの時代のコミケには、40代も50代もフツーにいるけどね」
「……」
「それより犯人の逮捕だ。タイマーの解除は任せるぞ。ヤバかったら、すぐ逃げろよ」
「お、おう」
10回目の1998年12月29日、ぼくたちは三度目の爆破を防ごうとしている。




