臆病者の、
生まれた時から17年間一緒にいた、隣に住んでいる私の大事な幼なじみ。喧嘩をすることもあったけど、なんだかんだで一緒にいる、何でも話すことができる一番近い存在。
でも、そんな彼に言えないことが1つだけあった。
それは、私と彼の根本的な違い。
下心があるかないか。
恋を、しているかどうか。
***
「雨、止まないな」
目の前に座っている優也が、コーヒーを飲みながらそう言った。彼の視線は窓の外へと向けられている。
天気予報では晴れると言っていたのに、外はどしゃ降りの雨。今はたまたま通りかかった喫茶店で雨宿りをしている。お互いずぶ濡れとまではいかないが、髪が肌にまとわりつき、服もまばらに濡れている。
ウェイトレスさんがタオルを持って来てくれなかったら、今座っているテーブル席のソファを濡らしてしまうところだった。
「だねー。でもちょうどいいトコに喫茶店があってよかった」
「だろ。俺が近道しようって言ったおかげだな」
彼は笑い、視線を店内の方へ戻した。私達が座っている1番奥の窓際の席からは店中を一望できる。と言っても、それは目の前に座っている彼限定で、私には壁と窓からの景色と優也しか見えない。
急な雨のせいで客が多いらしく、20人程度しか入れない、小さな店内は少し騒がしい。みんな私達と同じように雨宿りしに来たのだろう。表通りから少し外れた位置にあるこの喫茶店は、普段から人が多いようには感じられない。その証拠に、コックとウェイトレスさんのたった2人しか店員さんは見当たらないし。
「まぁ、目的は果たしたんだ。早く雨が止んでくれればいいんだけど」
彼は隣に置いていた紙袋を、嬉しそうに優しく撫でる。その紙袋から覗くのは、可愛らしくラッピングされたウサギのぬいぐるみ。そのプレゼントも、外装の紙袋も一切濡れていない。それもそのはず。彼がここに来るまで必死に紙袋を抱きかかえ、濡らさないようにしていたのだから。
大切な大切な物だから。
「だねー」
「今日は本当に有難う。助かった。女性向けの可愛らしい店に、1人で入るのはちょっと勇気なくてさ」
「いいのいいの、これくらい。だからさっさと告白しなさいよ、臆病者」
「うっ……。努力する」
私がからかうように言うと、優也の顔があからさまに赤くなり、斜め下を向く。きっと頭の中で思い浮かべているのは、私じゃない。それでも、今のこの照れた顔は私に向けられたもので、私だけのものだ。この照れた顔も、照れた後に誤魔化すように笑う表情も、今だけでなく、ずっと私だけに向けてくれたらいいのに。
「今から照れて、本番どうするのよ」
そう、彼の好きな人は私ではない。彼にとって私は幼なじみであって、ただの友人。それだけだ。
それを知っているからこそ、私は何も言わずに彼の恋を応援していた。今の関係を壊したくないし。
だから、普段の優也なら絶対に近付かないような、女性向けの雑貨屋さんへの買い物にも付き合った。彼の好きな子が欲しがっている物があると、私が事前に調べていたからだ。今日だけではない。彼女の好きなものを教えてあげたり、彼女と話す場を作ったりと毎日努力をした。
その努力のせいで、気付いてしまったんだ。優也の好きな子も、優也のことが好きになってしまったことに。
両片思いや幼なじみ同士が付き合う、というのは小説や漫画の中だけだと思っていた。でも実際、両片思いというものがあることは痛いくらい知ることになった。知らないだけで、幼なじみ同士が付き合うというのも現実にあるのかもしれない。
でも、その両方が同じ場所に存在することは無いらしく、世界の不平等さにため息しか出ない。
「大丈夫。俺、本番くらいは照れずにやってみせるって」
……もう私に勝ち目なんてない。
「そうだ、梨花には好きな人はいないのか。いるんだったら俺、応援するけど」
コーヒーを飲みながら雑談していると、他愛も無いことのように優也が言った。
名前を呼ばれただけでも胸が高鳴る。そして、彼の善意の悪意が胸をドキっと脈打たせる。
「……うん、いつかできたらね」
あなたが好きです。
なんて言えたらどんなに楽だろう。彼にそれらしくアドバイスしていても、私自身、彼に言ったことの多くを実行できていない。
――告白すべきは私なのに。
告白したら、何か行動を起こしたら彼は私を見てくれるかもしれない。でも、失敗したときのリスクを考えると足がすくむ。
そのくせ、まだ彼のことを諦めきれていない。彼の告白がもしかしたら失敗するかもしれない、してほしいと意地の悪い考えばかりが浮かぶ。
どうしようもない、ただの臆病者なんだ。彼も、私も。
でも、もうこんな期待も考えも無くさなくてはいけない。こんな感情を持ち続けたまま、彼と友達としてやっていける自信がない。そう、壊さなきゃいけない。今までの全てを。
私の沈んだ気持ちを嘲笑うかのように景色が明るくなった。
「雨、止んだね……」
これでは、ここに居座る理由が無くなる。もう少し、後少しだけ一緒にいたい。
「通り雨だったみたいだな。レジ混んでるみたいだし、もう少しゆっくりしようか」
彼が私の後の方を見ながらそう言った。私もつられて後ろの方を見てみると、先ほどまで座って談笑していたであろう人達がレジに並んでいた。どうやら、私達以外のお客さんは帰るみたいだ。ウェイトレスさんが大変そうだけど、今はレジが混んでいることが、とても嬉しい。
「雨が止んだからって、そんなすぐに帰らなくてもいいでしょうに」
私が呆れたように言って、視線を優也の方へ戻すと、彼も、確かにと私の方を見て笑った。ああ、こんな笑顔を見れただけでも幸せだ。
大丈夫。今ので気持ちが固まった。一歩踏み出さなくてはいけない。
――カツン。
私の思考を遮るかのように、彼のコーヒーカップを置いた音が響く。
ハッとして意識を戻すと、優也の覚悟を決めたような顔、いつもニコニコしている彼からは想像もつかないような真剣な眼差しが目に留まる。私はその瞳から目を逸らすことができず、時が止まったかのように動けなくなった。
「梨花、あのさ――」
数秒の静寂の後、彼は口を開いた。好きな子のことを相談されるのか、何にせよ私にとっては聞きたくもないことを言われるのだろう。聞きたくない。聞いてからだと、決意したことがまた揺らいでしまう。
「好きだよ、優也」
先手必勝。あなたの幸せを望んで一歩身を引いていたけど、もう無理みたい。これから先、ずっと意味も無く期待し続けるくらいなら、ここでバッサリ拒絶されたほうが良い。
逃げ続けることもできない、最低の臆病者でごめんなさい。
私は今、ちゃんと笑えているだろうか?
ここまで、梨花ちゃん目線の話が導入です。
これから優也も、名前の出てこなかった彼女も、これから絡む人たちの恋愛事情が出てくる、はずです。