89 ご機嫌と不機嫌4
アリカと店番すること、約一時間が経過した。
美咲が戻ってこないのは、さすがに心配になってくる。
「美咲さん。遅いね」
どうやらアリカも同じことを考えていたようだ。
様子を見に行った方がいいのだろうか。
そんなことを考えていると、裏屋の扉が開いた。
「――でねでね。その響ちゃんって子、すっごい美人さんなんだよ」
誰かと話しながら、ご機嫌な様子で美咲が帰って来た。
「へえ、美咲がそれほど言うのなら見てみたいものだね」
美咲の後ろにはパンツスーツ姿の春那さんがいた。
春那さんは美咲と会話しながら、俺らに手を上げて挨拶を送る。
俺とアリカはぺこりと頭を下げて挨拶を返した。
「ごめんね。遅くなっちゃった。店長と話してたらオーナーと春ちゃんが来て、つい長話を」
うふふと笑う美咲。
さっきまでの不機嫌な感じなど微塵も残っていなかった。
なんだそりゃ。こっちは不機嫌で突っ込んでいったから心配してたのに。
「なんでも、今度遊びにいくのに人数増えたそうじゃないか」
春那さんが俺の顔を見て、興味深げに聞いてくる。
「高校の同級生なんですよ。アリカの中学の時の友達でもあるんです」
「へえ。奇遇なこともあるもんだね。それなら問題無さそうだね」
春那さんに大体の経緯と遊びにいく内容を話した。
すると、俺達の話した内容に何か引っかかったようで聞き返してきた。
「ん? ごめん。もう一回その子の名前教えてくれるかい?」
「え? 響ですか? 東条響って言うんですよ」
アリカが答えると、春那さんは思い出したかのように新たな質問をしてきた。
「東条……もしかして、東条コーポレーションの娘さん?」
その言い方が妙に迫力があって、アリカは一瞬気迫に飲まれたように頷くだけだった。
「そうか、彼女か。……これまた、面白くなってきたな」
春那さんはなんだか愉快そうに、にやにやし始める。
それに、春那さんは「彼女か」と言った。
つまり、響を知っているのだ。
「春ちゃん、響ちゃん知ってるの?」
美咲も気になったようだった。
「ああ、うちの会社がGWでイベントするのは言ったよね」
美咲は「うん」と頷く。
「それの関係で契約をかわしたのが、東条コーポレーションなんだよね」
イベント会場の設置や機材の設定を東条の会社が受け持つ内容らしい。
春那さんは、東条コーポレーションに接待された時に響と会ったそうなのだ。
まるで着飾られた人形のようで、無表情だったことが印象に残っているらしい。
「ああいう子を見ると、お節介したくなる」
春那さんは笑って言った。
俺達は、それがどういう意味なのかわからずに首を傾げていた。
「あの子の本質は面白いよ」
春那さんは気にもせずに話を続けた。
それはもしかして、響がたまにおかしくなるときのことだろうか。
「まあ、みんなで楽しんできなさい。美咲も一番年長なんだから、明人君に甘えてばっかりじゃ駄目だぞ」
春那さんは微笑みながら言った。
「またそうやって子ども扱いする!」
むすっと頬を膨らませて美咲は言い返しているが、その態度が子供だと思う。
「ところで明人君」
カウンター外にいる春那さんが、ちょいちょいと手招きする。
何故だろう。
こういうときの春那さんには嫌な予感しかしない。
「なんですか?」
カウンターから出て春那さんの元へ行くと、美咲とアリカから少し離れた所へ連れて行かれる。
「聞かれたらまずいことですか?」
「いや、そうでもないけど」
春那さんが手に何かを握っていて俺に差し出した。
俺の手の上に置かれた物は、小さな四角のパッケージ。
パッケージには極うすと書かれていた。
あの、これ、アレに使うゴムってやつですよね?
「万が一に備えて持って行っておきなさい」
春那さんは真顔で言った。
俺は俺で顔が熱くなるのを感じていた。
「いりません! 団体行動ですし、ありえないですから!」
「使い方分かるかい? なんだったら私と一度試す?」
話聞けよ、おい。てか、試すって……。
「はい?」
「本番の時、破けたら困るだろう? その前に練習でだな、私としておけばいいかなと」
なに真剣に心配してるような顔してんだよ。
言ってる内容凄すぎだろ。
思わず春那さんの顔や胸辺りに視線がいってしまう。
Fクラスの双丘は今日もその存在感をアピールしていた。
「おや、明人君。君もその気になってきたかい?」
俺の視線に気付いた春那さんが、嫌なそぶりを見せずに微笑む。
「うふふふふ。あ~き~と~く~ん。なにやってるのかな~?」
美咲がどうやら感づいたようで、笑ってない笑顔で近付いてくる。
その後ろではアリカがもの凄い形相で美咲についてきていた。
右腕を美咲ががっちり掴み、左腕をアリカががっちり掴む。
「「ちょっと、こっちへ」」
ずるずるとレジカウンター内に引きずりこまれる。
椅子に座らされ、美咲とアリカが笑顔で言った。
「「さて、お仕置きが必要ね」」
『殺される?』
不意に心に浮かんだのは、この言葉だった。
☆
しばらく美咲とアリカにお説教をくらう。
俺、何も悪いことしてないよね?
理不尽だと思ってもおかしくないよな?
横で春那さんがうんうんと頷いている。
なに満足そうな顔してんだよ。あんたのせいだろう。
『パパッパ、パパッパ、パ♪ ビヨビヨビヨ♪』
美咲からマリオの音がした。
いや、美咲の携帯が鳴った。
美咲はポケットから携帯を取り出すと、ばつが悪そうな顔をした。
とりあえず俺的には説教が中断されたから助かった。
もしかして、また晃って人か? もう三回目だぞ。
春那さんも美咲の表情をみて、相手に勘付いたようだった。
「もしもし。うん。今ちょっとまずいんだけど……」
美咲はちらりと春那さんに視線を向けた。
それで確信を得たのか、春那さんは美咲に自分へ携帯を渡すよう身振りで促した。
美咲は渋々、携帯を春那さんに渡す。
相手の声を確認した春那さんは静かに言葉を発した。
「随分と、いい身分になったようだな。私に隠れて美咲に電話とはいい度胸だ。後で私から連絡する。もし携帯が通じなかったら、分かってるな?」
実の妹にかける言葉とは思えないほどの冷たい言葉を放って通話を切った。
春那さんは携帯を見て、ため息をつくと、美咲をじろっと見つめた。
見つめられた美咲はびくっとなって顔が引きつっていた。
「美咲、晃から電話がかかってきても、応対したら駄目だと言っただろ?」
「ご、ごめんなさい。急にかかってきたものだから、つい」
アリカは横で二人のやり取りに首を傾げている。
「ねえ、明人。今のなんだったの?」
俺に耳打ちしてくるアリカ。
とりあえず具体的なことを言うのもなんだから、誤魔化しておこう。
「うーん。俺にも分からんが、とりあえず二人の間の約束事だったんじゃないか?」
「電話の人とどういう関係なんだろ?」
アリカは首を傾げたまま呟く。
『聞いたら、引くから聞かない方がいいぞ』と心の中で呟いておいた。
「美咲さん、店長との話はどうなったの?」
聞きたかったことを美咲に聞いてみると、少し考えたような顔をしていた。
俺達に言っていいのか悩んでいる感じに見える
「その件に関しては、私から言おうか」
春那さんが美咲の表情を見て代わりに説明をし始めた。
店長が俺達に説明したことは事実であること。
店長もどちらかというと、今までの営業形態がいいと思っていること。
これは他の正社員、バイト員も同じだったようだ。
今回のことはオーナーの決断でしたことと春那さんは言った。
「オーナーの言葉を借りると、君たちは働き者で信頼できるが、もっと自分のことにも時間を使えと言っていたよ。それは社員だけでなくバイト員の君たちも含めての話だ」
「自分の時間?」
アリカがそう言うと、春那さんは頷いて微笑んだ。
「オーナーはね、君たちが遊びに行くって話を聞いて、とても喜んでいるんだ。そういう機会をオーナーはどんどん作って欲しいと願ってるんだよ。君たちは正直、人との関わりが少なすぎる。これは美咲にしても、アリカにしても同じだよ。不器用すぎるよ。」
春那さんは微笑んだまま、俺達の顔を見回して言った。
美咲とアリカの顔を見ると、図星を突かれたような顔をしている。
おそらく俺も似たような顔をしているだろう。
「それでオーナーが仕事のことも踏まえて、土曜日休みの提案を出したというか、強権発動したわけだ。働くことや目的を否定しているんじゃないから勘違いしないようにね」
春那さんが微笑んだまま言うと、美咲とアリカは小さく頷いていた。
春那さんの話は続く。
「せっかく君たちの中で付き合いが出来てきているんだから、休みを利用すればいい。オーナーは働くことも大事だけど、家族や友人との交流の方を優先させて欲しいと願っている」
前に店長に似たようなこと言われた気がする。
「あとは自分のための時間だね。私も大学の頃にこれは言われた。君たちもやりたいことで思い浮かぶことが色々あるんじゃないか?」
春那さんの言葉に俺はバイクの免許のことが浮かんだ。
美咲やアリカも身に覚えがあったように見えた。
「もし可能なことならそれをやるのもいいと思うよ」
春那さんはウィンクして言った。
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