87 ご機嫌と不機嫌2
……何か夢を見ていたような気がする。
……とても怖い夢だった様な。
視界が妙にぼんやりとしていた。
目の前にあるものがはっきりしてくると、そこには心配そうに俺の顔を覗き込んでいる美咲がいた。
「!」
何で美咲が? ここはどこだ? ここは、……てんやわん屋か。
「あ、明人君。起きた? 随分と疲れてたんだね?」
目覚めた俺に美咲はほっとした顔をすると、ニッコリ笑って言った。
あれ? 俺、いつの間にか寝たのか?
なんか記憶がはっきりしないぞ?
「美咲、俺いつから寝てた?」
「え? あははー。知らない間に寝ちゃってたよー」
俺が聞くと美咲は顔を引きつらせながら笑って答えた。
「さて、今日も暇だねー。あははははははー」
俺の横の椅子に座りなおし、俺の顔を見ようとしない。
――怪しい。
記憶を手繰り寄せていく。
確か……。
水族館の話をしてて、それから……。
やばい雰囲気になって危なくキスしかけて……。
思い出すと顔が熱い。
そうだ。晃って人の電話で助かったんだ。
それから急に美咲の機嫌が悪くなって……。
「あ!」
美咲の肩がびくっとなった。俺の方に背中を向けて震えている。
「俺、もしかして落ちた?」
俺がそう言うと、美咲は椅子から立ち上がり、俺の腕にしがみついてきた。
「うわああああん。明人君、ごめんなさい。ほんとに落ちると思ってなかったの!」
美咲は涙目になって、謝ってくる。
あー、マジで落ちたんだ?
しがみついたまま、何度も「ごめんね」と言い続けた。
「本当に反省しているようだからいいよ。もう大丈夫だから」
俺はそう言って美咲の頭をぽんぽんと撫でた。
「でも、よかったよー。目が覚めて。いきなりカクってなって、びっくりしちゃった。どうしようかと思ったもん」
そら、びっくりするだろう。一歩間違えれば犯罪だぞ。
「何かお詫びを……。あ、そうだ!」
俺の腕をクイクイっと引っ張って、俺の顔を見つめる美咲。
頬を赤く染めて目はまた潤いを帯びていた。
「……はい。さっきの続き、どうぞ」
そう言って目を閉じて、少し唇を突き出した。
「てーい! どこがお詫びじゃい!」
顔が瞬間的に熱くなる。とりあえず美咲のおでこにデコピンした。
「いたっ! ひどい! 勇気を出した乙女になんて仕打ちを⁉」
「そんなもんに勇気出すな!」
俺が言ったことにカチンときたのか、美咲の眉毛が跳ね上がる。
「何だとぉ⁉ お仕置きだああああああ!」
「ちょっとまてええええ! うきゅー」
☆
「……反省してます」
美咲は椅子に座ってしゅんとうな垂れている。
言ったそばから首を絞めてくるってどうなんだ。
これでしばらくはお仕置きだと称して襲ってくることはないだろう。多分。
反省タイムに入った美咲は、ずっと落ち込んだままだった。
「美咲、もう気にしてないから。いつまでも落ち込むなって」
「でも、……あうう」
俺をちらりと見るが、またガクッと頭を下げてうな垂れる。
さっきからこれの繰り返しである。結構引きずるんだな。
どうしたものかと悩んでいると、裏の扉から店長が現れた。
「お疲れ様~。あれ? 美咲ちゃん、どうしたんだい?」
店長は美咲を見るなり、気になったようだった。
まあ見た感じで暗くなってるからすぐ分かるよな。
「悪ふざけが過ぎて自己反省中らしいです」
「そうなんだ? 美咲ちゃんらしくないね~」
店長はレジカウンターに入ってくると、珍しく椅子に座った。
「困ったことが起きてね~。君たちにも関係する話だから言いにきたんだよ」
「困ったこと?」
俺が聞き返すと、うな垂れていた美咲も顔をあげて無言で店長を見ていた。
店長の話はてんやわん屋の営業形態についての話だった。
てんやわん屋は年中無休のスタイルでやっている店だ。
正社員は店長を始めとする大槻さん、前島さん、立花さんの四人だ。
その他は俺、美咲、アリカのバイト員で構成されている。
法律の関係上、店長以外の三人はローテーションで週に一度休んでいるらしい。
店長は月のうち自分の都合に合わせて遅く出てきたり、休みを貰っているので問題はないらしい。
「ここにはもう一つの顔があってね~。美咲ちゃんは知ってるだろうけど、ネットでの営業もしてるんだよ」
店長は話を続けた。
そのネット事業が思った以上に回転が速く、商品入れ替えの時間が足りなくなってきているらしい。
各種多様なものを入れ替えするのに、午前中だけでは足りなくなってきてるようなのだ。
入れ替えして送り出した後は、オーナーの別会社がすべて処理するそうなのだが、準備はこっちの仕事らしい。
いつも店長ら四人で開店前にその作業をしていたそうなのである。
「そうすると、営業時間中も準備をするってことですか?」
「いや、それも考えたんだけど、そうなると人手が足りなくなるんだよ~」
店長は困ったような顔で言った。
店の事を考えると、これ以上の人員を増やしても人件費がかかる。
表屋は比較的暇だから増やすのも躊躇する。かといって、商品の入れ替えには時間がいる。
だから店長も困っているようだった。
「オーナーと相談した結果なんだけど。土曜日だけ入れ替えの日にしようかってことになったんだ」
「そうなるとお店は開けないってことになるんですか?」
美咲が聞くと店長は頷いた。
「そのとおり。申し訳ないんだけど、土曜日を定休日にするね~」
「ってことは、土曜日のバイトが無くなるってことですか?」
それは困るぞ。
話だと量に応じて手伝ってもらいたいらしい。
量が少ない時は、バイトは無しのつもりのようだ。
「いつからするんですか?」
美咲が真剣な表情で聞いた。
何か考えているような気配がするが後で聞いてみよう。
「この土曜日からだよ。それで土曜日は、誰か一人だけ出てきて欲しいんだけど、明人君お願いしていい?」
「あ、俺ですか。それは全然いいですよ。元々ここでバイトの予定ですし」
「美咲ちゃんとアリカちゃんは、今度の土曜日一緒に買い物に行くとか言ってたから、ちょうどいいでしょ?」
美咲はこくっと頷いた。
「俺からの話はこれでお終い~。急な話ですまないね。土曜日のシフトは、なるべく週の半ばくらいには伝えるから」
そう言い終えると店長は椅子から立ち上がり、裏屋に戻っていく。
店長を見送る美咲の表情は少し不満げだった。
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