80 雨上がりのドタバタ4
鼻腔の残るカメムシの匂いに嫌な思いをしつつも、店長の所へ二人して戻る。
「お疲れ様。なかなかいいコンビネーションだったね~」
店長は事の始終を見ていたようで、いつもの薄ら笑いを浮かべて言った。
「いやー、外で匂い出されました」
「二人ともホントに仲がいいんだね~。いつもと呼び方違ったけど、いつから?」
「「ふえ?」」
二人して間の抜けたような声が出る。
美咲を見ると、『あ!』と大きく口を開けてすぐに手で押さえた。
美咲に『俺、もしかして『美咲』って呼んでた?』と目で訴えてみると、美咲はコクコクと頷いた。
相変わらずの察しのよさだ。
店長にばれたかな? まずは誤魔化すに限る。
「えと、呼び方なんか違ってました?」
「うん? ……ああ、気のせいならいいんだ。それよりもう終わりでしょ。準備しておいで」
店長は少し何かを考えたように見えたが、口には出さなかったようだ。
大人の対応って奴か? 今回はその対応に甘んじよう。
これ、気をつけないと他のやつの前でも出るな。
「では、お言葉に甘えまして。美咲さん。俺干してる雨着取ってきます」
「はいはい、先に更衣室行ってるねー」
雨着を干しているところに行くと、アリカの雨着は既になく、アリカの方が先に上がったようだ。
干してある自分の雨着を確認すると十分に乾いていた。
これなら十分、鞄に入れられる。
雨着を手にして表屋に戻ると、店長がレジの清算を終わっていた。
「明人君。俺このまま裏屋に戻るから、扉の鍵だけよろしくね~。お疲れ様」
「はい、わかりました。お疲れ様でした」
店長は集金袋を片手に裏屋へと去っていく。
更衣室に行くと、美咲は既に準備を終えていた。
俺の準備を待ってくれるようだ。
「店長はもう裏屋に戻ったから、鍵だけよろしくって」
ロッカーから鞄を出して、帰り支度をしながら言うと、
「はーい。ふふふ」
やけに返事が近い。
「え?」
振り向くとすぐ後ろに美咲がいた。
「なにしてんの? てか何笑ってんの?」
「待ってるだけだよ。明人君、自分が言ったくせに人前でも美咲って呼ぶんだもん」
どちらかというと嬉しそうなのは気のせいか。
確かに自分の落ち度だけれど。
美咲と呼びなれてきたせいか、意外と難しい事に気付かされた。
「返す言葉もありません」
「ふふ。いっそのことずっと美咲でもいいよ?」
いやー、それはちょっと説明が難しいような気がする。
人に聞かれたときどう答える?
今の美咲って、バイト先の仲のいい先輩なだけなんだよな。
帰る準備が整い、二人して横の従業員用扉から出る。
扉を開けた途端、カメムシの嫌な匂いが二人を襲う。
「明人君、すごい臭いよ!」
「まだ残ってやがる!」
二人して鼻をつまむ。
なんか最初より匂いが酷いような気がする。
さっさと鍵を閉めて、この場所から離れることにした。
いつもなら美咲は俺が自転車を取って来るまで扉脇で待っている。
今日は俺と一緒に自転車を置いている所までついてきた。
カメムシの匂いの中で待つのは、流石に嫌だったのだろう。
匂いの発生場所を迂回しながら帰路へと足を進めた。
まだ鼻腔に匂いが残ってるような気がする。
俺の傍らでは美咲が機嫌良さげにクスクス笑っていた。
「何笑ってんの?」
「ん? 店長の前で明人君慌ててたなって」
思い出すと面白かったのか、美咲はクスクス笑いながら言った。
それを言われると確かに慌ててた様な気はする。
明日の集合では気を付けておかないといけない。
しかも、明日は東条という行動が予測不能な奴もいる。
知らぬが故とはいえ、誘ったのは俺達だ。
相手の気分を壊さないようにはしてやりたい。
傍らを歩く美咲をふと見やる。
東条は学校一の美人だって太一の話だったけど、美咲もそうだっただろう。
高校のときとか美咲はどうしてたのかな。
美咲は小学生の時のトラウマで、いつもびくびくしていたと言っていた。
東条みたいにクラスで浮いた存在とかではなかったのかな。
「あのさ、美咲が高校のときの話聞いていい?」
「ど、どしたの? 急に」
「高校のとき成績どうだった?」
当たり障りの無いラインから攻めてみる。
「上の中くらいかな。学年二百人中三十番前後だったよ」
やっぱ頭いいんだ。
「いやー、晃ちゃんがね。おそろしく頭いい子でね。教えてもらってたの」
「晃ちゃん?」
誰だそいつ? 初めて聞く名前だぞ。
「小学校五年のときからの幼馴染で、今、T大行ってるの」
T大って、赤門じゃないか。マジで頭良すぎだろ。
晃って野郎は本当に幼馴染のつもりなんだろうな。
今でも連絡取り合ったりしてるのか?
「中学も高校も一緒で部活も一緒だったの。私のことずっと守ってくれてたんだよ」
晃って奴、絶対、美咲に惚れてるだろ。
美咲も好印象持ち続けてるじゃないか。
「もうすっごく格好よくてさ。他の子からもてまくりだったもん」
とどめにイケメンかよ。
駄目だ。勝てる気がしねえ……。
……あれ?
何で勝負事にしてるんだ、俺?
「ほら、この間言ったでしょ。唯一の友達で幼馴染の子の話」
「え? あれ女の人の話だったでしょ?」
「え? 晃ちゃん女の子だよ?」
……その落ちかい!
そうだ、そうだよ。思い出したよ。
この間の話も幼馴染って言ってたじゃないか。
名前に引っかかってたー。
なに勝手に男だと思い込んでんだ、俺。
なんか自分が恥ずかしい。
「晃ちゃんどうしてるかなー。お正月から全然連絡してないや」
「何で連絡しないの?」
「だって心配させるの嫌だし、勉強の邪魔したら悪いじゃない。それに……」
「それに?」
「春ちゃんが私のことを教えてると思う」
ん? なんで春那さんが晃って人に連絡するんだ?
春那さんと美咲が旧知の仲だと言っていたけど、晃って人もそうなのか?
「春那さんは晃さんともお付き合いあるんですか?」
「え? 晃ちゃんと春ちゃんは姉妹だもん」
「へ? あー、つながった。そっかそっか、そういう事ね」
美咲と晃って人が幼馴染で、その過程で春那さんとも付き合いが出来たってことか。
美咲が大学行く時に春那さんに相談したのも頷ける。
「春那さんが連絡していたとしても、美咲自身が連絡したほうがいいと思うよ」
「そ、そうなんだけど」
「相手だって、そのほうが嬉しいと思う」
美咲は『うーん』と考えていた。
「いやー、春ちゃんにも連絡取らないようにって言われてるんだよね」
「春那さんが?」
美咲は困ったような顔をして言ったけれど、春那さんに何か意図でもあるのだろうか?
ただ単純に妹の勉強の邪魔をしないようにだろうか?
「晃ちゃんね。私から連絡すると、春ちゃんが止めるまでずっとしてくるのよね」
「はい?」
「心配性というか、病的というか、何っていうんだろ?」
それ、もしかしてマジ百合じゃね?
晃って人マジで美咲のこと好き過ぎだろ。
「変な事言っちゃうと、こっちに来ちゃうから。去年些細なことで四回くらい来たよ」
「些細なことって例えば?」
「大学に入学したての頃に晃ちゃんにサークルとか入る? って聞いたら、次の日来たり。てんやわん屋でバイト決まったって朝に連絡したら、夕方に現れたりとか」
あー、これマジだわ。危ない人だ。
「心配しすぎなんだよねー。私が頼りないせいなんだけど」
いや、それ違うと思うよ。口実ができたから来てるだけだと思うよ?
春那さんが連絡するなっていう意味がわかってきたぞ。
俺が身内でも面倒だから連絡するなといいたくなるだろう。
「GW帰らないこと、春ちゃん言ってくれたかな? メールしてみようかな」
「止めた方がいい!」
「ええ? 春ちゃんみたいなこというね?」
今の話聞いてただけで、そう思ったよ。
「えと何の話だったっけ? 晃ちゃんの話ばっかしてたけど」
「いや、聞きたいこと聞けたから大丈夫です」
晃って人が美咲を外敵からずっと守っていたのは事実だろう。
美咲に近付く奴はすべて敵として。
美咲の場合、屈強な騎士に守られたお姫様って感じが近いか。
東条とは違った生き方だ。
明日の集合で神の気まぐれな悪戯が出ないことを祈っておこう。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。