72 噂と嘘8
後片付けも終わり、今は更衣室で帰る準備をしている。
俺の鞄の中に、買った猫グローブを入れようとした。
鞄に入れたときに、『にゃ~』と鳴き声が聞こえる。
「明人君。それやめて」
ついたての向こうで美咲が言うが、その声は笑っているように聞こえた。
着替えが終わり、レジの清算をしている店長のもとに向かう。
「お疲れ様でした」
「はい。お疲れ様~。帰り気をつけてね~」
店長に挨拶を済ませ、俺と美咲はいつものように従業員用の扉から出る。
自転車を押しながら、傍らには美咲。
もうこれも当たり前になった。
美咲はアリカと買い物に行くのは、どうやら土曜日に行くことにしたようだ。
アリカもみんなと遊びに行くのを、楽しみにしていると美咲が教えてくれた。
その美咲自身も遊びに行くのは楽しみだと言った。
高校時代は、どこへ行くにも幼馴染と一緒だったから、こういうことに憧れは持っていたらしい。
「明人君は、どこに行きたい?」
美咲はニコニコしながら聞いてくる。
こういうときの美咲はいつもより幼く見えて年上に見えない。
「俺ですか? 人数が多いとなるとなー。水族館は薦めたいけどね」
水族館の静かな雰囲気が好きだ。
水槽に浮かぶ多種多様な色の魚。
魚が回遊する姿は、見ていて飽きない。
固体だけで回遊する魚もいれば、魚群となって回遊する魚もいる。
魚群が群れの形を変えて泳ぐ様は、まるでパフォーマンスショーのようで楽しませてくれる。
個人的にはクラゲがいい。ふわふわと浮かぶ小さなクラゲから、巨大な越前クラゲ。
種類も豊富だが、小さな丸っこいクラゲは飼えるものなら飼ってみたい。
ネットで調べたこともあるが、飼育は難しいと分かり断念したのは近い記憶だ。
「水族館いいね。私、小さい時に行ったきりだ」
美咲は遠くを見つめて、その頃の記憶を呼び起こしているようだった。
「その時の思い出って何かある?」
「イルカショーが面白かったなー。イルカさんとキャッチボールしたかった」
ふふっと残念そうに笑う。俺も小さい時そう思った。
「係の人がさ、『イルカさんとボール遊びしたい子、手をあげてー』って、いうでしょ。私、その時いっしょうけんめい手を挙げたけど、当ててもらえなくて」
「俺も同じことした。当たった子が羨ましかったよ」
「私も羨ましかった。しょげてた私にお父さんがイルカのぬいぐるみ買ってくれたなー」
懐かしむように言う美咲。
「今回は、みんなで行くから水族館は厳しいかな」
「んー、そうだね。どちらかというとアクティブな方がいいのかな。どっかのイベント行ってみるとか」
太一にGWの予定を聞いたときのことを思い出した。
「そういえば、太一が綾乃ちゃんをアニメのイベントに連れて行くとか言ってたよ」
「総合会場でGW中色々なイベントやってるって、春ちゃんも言ってたよ。そこじゃないかな?」
総合会場――二年前くらいに出来た清和市唯一の大型複合施設。
駅から少し郊外に離れているが、全国展開している多種多様な店がテナント入りしている。
飲食店、電化製品、家具、ボーリング場、アウトレット店や小さなアミューズメントパーク等が入っている。
休日ともなると、イベントがなくても人でごった返す場所になっている。
周りには運動施設も豊富にあり、市がバックアップして清和市のシンボル的施設となりつつある。
大きなイベントも対応できそうな会場もあり、去年の年末に有名なアイドルグループがライブをしたはずだ。
イベント会場のスケジュールは、市が発行しているイベントガイドに載っている。
それを見れば候補にはなりそうだ。
「総合会場のイベントか。集まった時の資料で持っていこうかな」
「いいねー。私も大学で小さなイベント関係の拾ってくるよ」
美咲の家に着くまで、ずっとこの会話は続いた。
☆
美咲たちの部屋の明かりは点いている。
春那さんが既に帰宅しているようだ。
「あ、もう着いちゃった。話してるとあっという間だね」
「ほんと。俺もそう思う」
「明人君。あのさ…………」
「なに?」
「……やっぱいい!」
「美咲の悪い癖だ。ちゃんといいたいこと言ったほうがいいよ?」
「………………ね」
ぼしょぼしょと呟くが、聞こえない。
「え? なんて?」
「いつか一緒に水族館行こうねって、言ったの! おやすみ。また明日!」
美咲は口早に言うと、足早に家に向かっていった。
美咲が部屋に入り「ただいまー」と声が聞こえる。
俺は少しして、いつものように美咲の部屋を見上げた。
春那さんと美咲が俺を見ていて小さく手を振っている。
俺は手を振り返すと、帰路へと足を進めていく。
また一人の時間。
好きになれないこの時間。
自分自身を見つめてしまう時間。
誰かと一緒にいれるなら、こんなこと考えなくてもいいのに。
誰かの前でいる時の俺は嘘つきだ。
美咲に言ったあの言葉。
『美咲の悪い癖だ』
人の事なんて言えない。
俺は太一に言った。
『お前がいるから、俺は大丈夫だ』
太一は親友として接してくれてる。
ああいう奴は探したって滅多にいないだろう。
だけど、俺はどうなんだろう。
太一は俺がいなくても大丈夫だ。
そう思う時点で裏切ってるんじゃないか。
親友といいながら、あいつを欺いているんじゃないだろうか。
そう感じてしまう。
俺には誇れるものが何も無い。
何もないからいつも不安なのかもしれない。
…………一人の時間は嫌いだ。
嫌なことばかり考える。
☆
つまらないことばかり考えているうちに自宅に着いた。
まだ帰っていないのか、駐車場に母親の車が無い。
「ただいま」
誰に向けての言葉なのか。
陰鬱な空気は加速度を増して、俺にまとわりつく。
一段落がついた後、俺はベッドに転がりながら携帯をみていた。
太一、アリカ、愛、美咲、四人からのメールだ。
名前の無い知らないメールも一件入っていた。。
太一からのメール。相変わらずの件名だ。
FROM:千葉太一
件名:返信不要
本文:バイトお疲れ。俺に気を遣うのはマジで勘弁だぞ。俺は俺なりに愛ちゃん攻略するからよ。愛ちゃんが俺に向くようになったら、その時になって慌てるのはお前だからな(笑)今回のイベント楽しみだぜ。綾乃に明人のアド教えたから。メール来てると思うからよろしく。んじゃ、おやすみ
知らない人からのメールは綾乃だったのか。
FROM:08wagaougi_kuraugaii28@XXX.XX.XXX
件名:千葉綾乃です。返信不要です。
本文:バイトお疲れ様です。兄にアドレス聞いたので、私のも連絡しておきます。今回はお誘いありがとうございました。楽しみにしています。
綾乃もやはり兄妹か。綾乃のアドレスを登録しておいた。
アリカからのメール。
FROM:愛里香
件名:
『おつかれ。あんた、愛になんか余計なこと言った? 家で超テンション高いんだけど』
それは俺のせいなのか? 一応、返信しておくか。夜遅いけど大丈夫かな。
アリカへ返信。
TO:愛里香
件名:遅くに悪い
本文:今日誘ったからじゃないか? それだけ楽しみにしてるんだろ。お前も大変だな。んじゃ、おやすみ。返信いらないぞ。
愛からのメール。
FROM:愛里愛
件名:ktkr
「…………見るの止めようかな」
本文:明人すわぁ~ん。愛にお誘いありがとうございます。これでフラグビンビンですね。愛はとっても楽しみにしております。愛はこれから色々計画を立てないといけませんが、明人さんにご迷惑をかけないような手段を講じたいと思います。愛はもう、どうしていいか分かりません。明人さんの写真にhshsしていいですか? 明人さんもバイトで色々とお疲れでしょうから、無理はなさらないで下さいね。疲れたときは愛に一報くだされば癒しに向かいます。その時はぜひご指名を!~長いので途中省略~では、今日もお疲れ様でした。おやすみなさい。
写真にhshsって何?
それに迷惑かけない手段って何の計画立ててるんだ?
愛への返信。
TO:愛里愛
件名:Re:ktkr
本文:遅くにごめんね。楽しみにしてもらえて嬉しいよ。愛ちゃんも希望があれば考えといてね。おやすみ。
美咲からのメール。
FROM:藤原美咲
件名:おつかれさま
本文:もう家に着いたころかな? おかえりなさい。春ちゃんがね、オーナーの会社がGWに総合会場でのイベントに参加するんだって言ってたよ。詳しくはまた明日言うね。おやすみなさーい。
美咲への返信
TO:藤原美咲
件名:Re:おつかれさま
本文:ただいま。そうなんだ? ばったり会ったりしてな。おやすみなさい
携帯を充電器につけようとするとメールが着信した。
FROM:愛里香
件名:Re:遅くに悪い
本文:別に大変じゃないけど。まあ、おやすみ
返事いらないって書いたのに、あいつも律儀だな。
携帯を充電器につけた後、ネットで総合会場のイベントスケジュールを調べた。
GW期間中ぎっしりと予定が入っている。
IT関係の発表会が土曜日にスケジュールアップされているが、これがオーナーの会社かな。
美咲の話だと、オーナーの本業はIT会社グループの会長らしいから、これ以外ないようだ。
太一達が行くと言ってたアニメイベントは5日に予定されている。
子供の日にやるということは、子供向けなのだろうか?
スケジュールを印刷して鞄に入れておく。
これを明日美咲にも見せてみよう。
この後少しだけ、ワホワホ動画をみて、惹かれるものがあまりなく床についた。
陰鬱な空気は消えてくれなかった。
末期かな。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。