69 噂と嘘5
学校から出るとき、臆病になっているのか人の目が気になった。
学校は嫌いじゃないけど、過ごしやすい場所ではなくなったのかもしれない。
こんなときは誰かと一緒にいたほうが気が楽だ。
人生はうまくいかないようにできているのか。
家に帰るときならともかく、バイト先に向かうときにこんな気持ちになるなんて。
ここのところトントン拍子に事がうまく行き過ぎたのか。
念願の長期のバイトが決まった。
バイト先の人たちはいい人に恵まれた。
俺を好きだといってくれる女の子まで現れた。
一人でいる時間も少なくなっていた。
そろそろ、俺の人生はまた谷に向かって降り出したようだ。
今の家族との関係が悪くなってから、俺は自分の判断が正しいのか分からない。
それが他人との関係を希薄させている原因なのではないだろうか。
バイトをして金を貯めて将来家を出る。
他人が聞いてもいい風に見られるよう偽装した、ただの言い訳。
別にバイトなどしなくても数年経てば、社会人になって家を出ればいい。
本当はわかってる。
家にいるのが嫌なんだ。
両親と顔を合わせたくないだけだ。
正面から向きあえない臆病者だ。
親の期待に応えられなかった。
結果としては、それはその時だけの話だ。
編入試験を受けて高校を変えることだって、猛勉強していい大学に入ることだって、可能だ。
親の期待を取り戻すことだって選択できるんだ。
でも、俺はその選択をしていない。
――何故だ?
自問自答して出た答えは、親への報復だ。
俺に冷たくした親への恨みだ。
そんな親の理想通りにはなりたくない。
単なるガキの反発だ。
もう、家族に戻る気がないのは俺自身だ。
コミュニティの原点でもある家族が壊れているのに、他のコミュニティに受け入れられるのか。
血のつながりですら、うまくいかないのに、うまくいくはずなんて無い。
どうすればいい?
簡単な答えが一つあった。
最初から求めなければいい。
そう考えると、俺は全てを嘘で塗り固めていくことにした。
太一にすら、親との仲が悪いとしか言っていない。
俺の本音を語っていない。
言ったほうがいいのか?
『言う必要が無い』という俺がいる。
美咲やアリカにも、いや、誰にも本当のことは言わない。
『言ってなんになる?』と問う俺がいる。
そんな少しの本音も晒さない俺は、すでに皆を裏切っているんだ。
誤魔化して、嘘ついて、平気と見せかけて、そのくせ、寂しいから求めてる。
ああ、またよくわからなくなってきた。
俺は、一体何をどうしたいんだ?
俺は、誰にどうして欲しいんだ?
俺は…………。
いつの間にか、郵便局が見えていた。
もう少しで、てんやわん屋に着く。
ここまでの行程をあまり覚えていない。
つまらない事ばかり考える癖は、もう治らないかもしれない。
てんやわん屋の駐車所を通り抜けて、いつもの所に自転車を置いた。
横の入り口の鍵を鞄から出そうとしたとき、鍵を滑らせて落としてしまった。
三日月のキーホルダーがついた鍵を拾い、顔を上げるとガラス越しに美咲が見えた。
美咲は、俺がいる扉の方をチラチラと見ていた。
今の俺、どんな顔してるんだろうか。
美咲にばれないかな。
そんな心配が先に出る。
「こんちわー。今、着きました。着替えて入ります」
中に入り、平静を装って更衣室に向かう。
「明人君、やほほ。ん?」
美咲が俺の顔を見るなり、何かを気にしたような顔をした。
俺はそのまま更衣室に入り着替えをすませ、レジカウンターに向かう。
「明人君。なんか、今日おかしいね?」
美咲は俺の顔を見るなりそう言った。
「あ、ばれちゃいました?」
咄嗟に自分から学校で起きた、女子にハブられそうな事を美咲に話した。
また無意識にバリアーが働いた気がした。
「え、昨日の見られてたの? うわ~」
美咲は身体をクネクネさせて恥ずかしがる。
「まあ、色々、誤解もあって、愛ちゃん以外の女子からハブられそうです」
俺は乾いた笑いを含ませて言った。
「んん? 今日の明人君、やっぱり変だ!」
俺の表情を見て、美咲が俺を指差して言った。
「え?」
「私に隠し事してる?」
じーっと俺の顔を見つめる。
その目は俺を疑っているような目ではなく、心配しているような目に見えた。
仕方ない。愛とデートの件も言っておくか。
「な、なんも隠し事なんて。あ、あの、実は成り行きで愛ちゃんとデートする約束を……」
一瞬、美咲の眉毛がピクッと反応したが、その瞳は俺を離さない。
「明人君。その件は後で詳しく、しっかり、確実に。それよりも、別のことあるでしょ?」
後で聞くのかよ?
美咲は察知が早いから気をつけたつもりが、裏目に出たか。
「いや、他には何にもないですってば。今日は学校で色々あったから、少し気落ちしてるだけですよ」
「ほんとに~?」
「本当ですってば!」
俺の言葉に納得いかない様子の美咲だったが、これ以上聞いても得られないと思ったのだろう。
少し拗ねたように口を尖らせて、くるりと背中を向けた。
またひとつ、嘘を重ねた。
俺はもう戻れないのかもしれない。
「……あ」
美咲が小さく呟いた。
何故か空気が張り詰めた気がする。
『…………ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ』
美咲の背中からユラユラと黒い炎が見え始める。
気のせいか?
目をこすってみるが、より大きくなっているようだ。
俺の方に振り向いた美咲の満面の笑みが怖かった。
「さて、それじゃあ、愛ちゃんの件、詳しく聞かせてもらおうかしら?」
ゆらりと立ち上がり、俺の肩にポンと手を置く。
美咲の背後に大ガマをもった死神が見えるのは、気のせいだと信じたい。
この後、数分間、俺の記憶がないのは、きっと怖い思いをしたからだろうと思う。
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