68 噂と嘘4
愛という嵐が去った後、台風一過のように静かな時間が流れる。
俺は愛の作戦にさっくり嵌められ、がっくりと肩を落としていた。
これも噂で流れてしまうのだろうか。
そんな不安が心をよぎる。
愛自身で噂を流すことはないだろうが、愛の友達が目撃してしまっている。
他に目撃者がいたかもしれない。
不覚だ。あんな単純な手に引っかかるなんて……。
太一は太一でその時の俺の顔が相当面白かったらしく、俺の顔を見るたびに吹き出しそうになっていた。
落ち込んでいる俺を見て笑うとは、むかつくのでデコピンしておく。
「いて! ~~~~~ぷ?」
「余計むかつく!」
「だって、しょうがないじゃん。今時あんなのに引っかかるお前が……ぷぷ!」
俺の顔を見ては思い浮かぶのだろう。
口を押さえて、小刻みに身体を揺らしている。
「うるせーよ」
「あー、明人。やっぱ言っとくわ」
太一はこみ上げた笑いが一段落したのか、いつになく真面目な顔で言った。
「なんだよ?」
「俺、愛ちゃんに惚れてるわ」
「はあ?」
素っ頓狂な声が出る俺。
なに言ってるんだ、こいつ?
「これマジだぞ。てんやわん屋で会ってから、頭から離れないんだ。一目惚れ、いや二目ぼれってやつかな」
太一はすっきりしたような顔で俺に笑って言った。
きっと、ずっと俺に言いたかったのだろう。
「お前、目の前で俺の事好きって言ってて嫌じゃないのか?」
「確かに悔しい部分もあるんだけどな。それはそれっていうかさ。俺が知ってる愛ちゃんって、明人の事が好きな愛ちゃんなんでな。その愛ちゃんを、最終的に俺がいただくつもりだ」
「……お前、馬鹿だろ?」
「うるせーよ。お前に遠慮させるつもりで言ってないぞ。好きなのに好きって言えないのが嫌だし、こそこそするのはもっと嫌いだ」
頭をぽりぽりと掻いて、少し照れたような感じで言う。
「俺が身を引いたらどうする?」
「ぶん殴る。まあ、その前に俺の知ってる明人ならそれはしない。どうせ愛ちゃんに振り回されるからな」
拳をぐっと握って俺に向け、俺の肩を軽く押して笑った。
「なんだよ。……青春ドラマみてえじゃねえかよ」
「ライバルって奴だな。そういうの憧れるぜ」
「ばーか。お前、すでにハンデありすぎだぞ?」
「ばーか。そういうのを覆したほうが、ドラマ的に盛り上がるんじゃねえか」
こうして、ライバル(?)となった俺と太一は、校舎に向かって歩き出した。
隣を歩く太一は、ライバル宣言をして、心晴れ晴れとした表情だ。
☆
教室に入ったとき、複数の鋭く尖った視線が俺に突き刺さる。
昼休み中に噂の拡大があったのだろう。
おそらく事実でないことまで。
午後冷たい視線を浴びつつもやっと一日の授業が終わった。
後はHRを過ごせば終わる。
今日は妙に学校が長く感じた一日だった。
早くHRを終わらせてくれ。
教室の入り口が開き先生が入ってきた。
遅い。何をやってるんだ。
しかし、教室に現れたのは、うちの担任の菅原先生ではなく坂本先生だった。
「はーい。席ついて。今日は管ちゃんの代わりにHRやるよー」
管ちゃんって、先生同士のあだ名で言うな。
「菅原先生どうしたんですか?」
教壇の前の女子が聞く。
「管ちゃん? 病院よ。お昼におなか痛いって言い出して、あははー」
おい、それ大丈夫なのか?
「先生、自分のクラスは?」
「うちの子たちは、もう終わらせてきたよ。ごめんね、後回しにして。んじゃ、やろうか」
連絡事項をすらすらと流す。
このやり方は一年の時と変わっていない。
「――以上で連絡事項はおしまい。質問ないね? はい。それでは今日はお疲れ様~」
あっさりHRが終わる。
菅原先生もこれくらい早くしてくれるといいんだが。
坂本先生と菅原先生の最も違うところは、HRが終わってもすぐには教室から出ないところだ。
坂本先生は生徒と雑談していく事が多い。
俺は自分の帰る準備を終え席を離れようとすると、坂本先生が呼び止めた。
「あ、木崎、ちょっとおいで」
「なんですか?」
「昨日の夜、私とコンビニで会ったよね?」
「はい。会いました」
「あの子が本命か?」
「え? 意味がわからないんですけど」
「噂によると、君は女たらしになってるようだけど?」
おい、教師としての心を失っているだろ。
「君の元担任としては、非常に気になるのよ。真相はどうなの?」
「あ、教頭先生!」
俺は咄嗟に教室の後ろを指して言うと、坂本先生はびくびくっとして、その方向を向いた。
その隙に、さっさとおさらばしよう。
「なんもないっすよ。んじゃ、先生さよなら!」
様子を見ていた太一に目配せして、足早に教室を抜け出る。
太一は親指を立てて、ニヤニヤして俺を見送っていた。
「あ、こら。木崎、気になって眠れなくなるじゃない!」
教室から恨めしそうな坂本先生の声がしたが、そんなの知るか。
足早に通路を抜けて、階段を下り下駄箱を目指す。
クラブ活動にいくのだろうか、お揃いのジャージを着て体育館に向かう女子。
中庭でたむろして楽しそうに雑談している男子。
それぞれの青春を謳歌しているようだった。
俺も環境が違えば、皆と同じように部活をしたり、雑談したりとしていたかもしれない。
今は、もうそれはできない。
俺は自分で選んでしまった。
家から出るための資金と経験を積むことを選んでしまった。
でも、その選択自体が正解なのか、俺にもわからない。
てんやわん屋のバイトを始めてから、俺の周りは変わってきている。
俺自身は変わっていない気がしてるのに。
愛は俺を「好きだ」と言う。
気持ちは嬉しい。
でも、俺には好きって気持ちがよく分からない。
アリカは「目的が無い」と「自分を持っていない」と言った。
当たってる。
俺は逃げ出したいだけなんだ。
他にどうすればいいか分からない。
美咲は「偉いね」だと「いい子」だと言った。
全然偉くなんかない。
いい子なんかじゃない。
俺は家族とのことをばれないように皆の前でいる。
俺は嘘つきだ。
その反動だろうか。
その罪なんだろうか。
俺が太一を慰めようとして言った、あの言葉。
『俺の日頃の行いが悪いんだ』
普通に口から出た言葉は、真実なんだ。
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