64 変化は突然8
「あれ、木崎?」
コンビニから二人並んで帰りを進めようとした時、不意に声を掛けられた。
「え? あ、坂本先生」
車から降りてきた時に俺を見つけたようで、声をかけてきた。
いい年頃の女性がジャージ姿でコンビニってのは、もう諦めてるのか?
「こんな時間にどしたの? あ、バイトの帰りね。あまり遅いのは関心しな……」
坂本先生は俺の隣にいる美咲を見た途端、俺の肩をがしっと掴んだ。
「あの子、誰? 君、今日、一年の子とラブラブイベントあったよね?」
ヒソヒソと美咲に聞こえないように聞いてくる。
状況がわからない美咲は俺の後ろでキョトンとしていた。
「バイト先の先輩ですよ。帰る方向一緒なんで、ボディガードみたいなもんです。それに俺、学校の子とは付き合ってないですよ」
俺もヒソヒソと返す。
「君はもしかして、私の敵なのか? あっちこっちの女に手を出す最低野郎か?」
先生は目を血走らせて俺に言い寄る。
「ちょっ、先生、妄想はいってますよ」
「あの~」
美咲は状況が分からず、俺達に割りこもうとしてくる。
「あ、失礼。私は木崎の学校の教師をしている坂本といいます。去年、木崎の担任やっていたもので。以後、お見知りおきを」
坂本先生は、俺の肩をつかんだまま、顔だけ美咲にむけて自己紹介をする。
「あ、これは丁寧に。藤原美咲です。明人君の――愛人です」
「ちょいまたんかい! ――あいたたたた、先生、痛えってば」
美咲の言葉を聞いて突っ込もうとしたとき、坂本先生の指に力がこもり、俺の肩をぎりぎりと握り締めてきた。
その力は女性のものとは思えないほどだった。
「木崎、おまえはやっぱり私の敵だ!」
「わー、違う、違う、違う、違う!」
誤解を解くのに数分かかったが、誤解が解けた坂本先生は俺に謝ってくれた。
「――すまない木崎。なぜか興奮してしまった」
いや、単なるやっかみでしょう。
「すいません。つい冗談言っちゃって。明人君もごめんね。大丈夫? 目覚めてない?」
美咲、最後の言葉は余計だと思うぞ。
「んで、先生はこんな時間にコンビニなんて、どうしたんです?」
「あー、酒のつまみを……」
「明日も学校ですよね?……」
俺の脳裏に坂本先生が一升瓶を抱いて眠る姿がうつる。
「木崎、君にもその責任はある。学校であんなラブラブイベント聞いちゃったら、飲まずにいられるか! 私には、いい話なんて全然ないのに!」
俺を、飲む理由にしないで貰いたい。
それに先生に彼氏がいないのは、俺のせいじゃないだろう。
「それに、あのバーコード野郎。いつまでもネチネチグチグチとお説教してくれて」
坂本先生はふつふつと怒りがわいてきたのか、黒い炎が出ている。
あの後、相当絞られたらしく、酒を飲みたい本当の理由はそれだな。
「教師って大変ですよねー」
美咲が慰めようとしているのか、同情したのかわからないが、しみじみと言った。
「そうなのよー。教師って安月給の上に、時間取られること多いし、生徒の親はうるさいし、彼氏ができても全然遊べない。だから前の彼にも振られちゃって――って私、なに言ってんの?」
先生、一人突っ込みは止めてください。涙が出そうです。
「あ、ごめん、木崎。足止めさせちゃったね。もう遅いから気をつけて」
我に返った坂本先生は、俺達に帰るよう促した。
「はい、そうします。先生も飲み過ぎないように」
「ふふ、だいじょぶ、だいじょぶ。それじゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい」
俺と美咲は二人そろって頭を下げた。
コンビニに入っていく坂本先生の背中に哀愁が漂っていたのは気のせいか。
☆
俺たちは帰路へと足を進めていく。
「さっきの先生。面白そうな人だね。学校でも人気あるんじゃない?」
「生徒からの評判はいいかな。俺も嫌いじゃない」
美咲は高校のときに教師との交流がまったくと言っていいほど無かったそうだ。
教師と仲がいい生徒をみていて、羨ましくも思ったそうだ。
その時と同じように俺と坂本先生の絡みを見て、俺が羨ましいと言った。
普段の美咲を見ていると、高校や中学の時の美咲は明るかったんだろうなと思う。
でも、こうやって帰り道で話を聞くと、どうやら俺のイメージと妙にずれる。
聞いていいものか。美人は同性に嫌われ、友人が少ないとか言う話はよくある。
美咲も実はその口だったんじゃないだろうか。
「明人君」
「え、あ、なに?」
「もしかして、昔の私がどうだったか気になってる?」
なんで美咲は、いつも俺の考えてる事がわかるんだろう?
それとも、俺が表情に出しすぎているのか?
「明人君だけじゃないよ。みんな同じなの。奈津美さんも、店長も、明人君と同じ」
美咲は笑って言った。
「明人君と会った時は、もう今の私なんだけど。去年までの私は、いつもびくびくしてたの」
美咲は静かに遠くを見つめながら語る。
小学生の時に、男子女子関係なく遊んでいるころは、まだ良かったそうだ。
ませた子が周りに現れ始めてから、美咲の環境が変わったらしい。
意識せず名前で呼び合っていた男の子が、ある日美咲に告白しようとした。
放課後に呼ばれ、数人の男子女子が美咲を待ち構えていて、一人の男の子が顔を赤くして立っていたそうだ。
『み、美咲ちゃん。あ、あのね。み、美咲ちゃんに……」
その子は告白しようとするが、言葉が続かなかったらしい。
そのうち恥ずかしくなって、その男の子は逃げてしまったそうだ。
次の日クラスでは、告白を失敗したその男の子を、「み、みさきちゃん」と言って、からかう奴が現れた。
美咲はその時になって、男の子が告白しようとしたと理解したそうだ。
でも、恥ずかしくなって、それからの美咲はその男の子の事を無視してしまったらしい。
クラスでは長い間、「み、みさきちゃん」とからかうことが続いた。
自分の名前をからかうことに使われているのは、美咲にとってもショックだったようだ。
仲が良かった男の子から関わることを恐れた自分自身も嫌な人間だと思うようになった。
それからと言うもの、人と仲良くなるのがトラウマになっていると言った。
中学、高校もまた同じ事が起きるのを恐れた。
目立つような行動を取らず、ひっそりと唯一の友達でもある幼馴染とずっと過ごしていた。
それでも、やはり、嫉妬した女子に意地悪されたりすることもあったらしい。
幸い幼馴染でもあるその友達は気が強く、男勝りでもあったため、そういう障害から常に美咲を守ってくれていたという。
その友達のおかげでいじめられるようなことは無かったそうだ。
「私はね、ずっと怖かったの。他の人と接するのが怖かったの。今でも本当は怖いの」
美咲は俯きながら、小さな声で呟くように言う。
「でもね。店長と奈津美さんにこの話したら、一緒だねって言われたの。店長も人間不信になった時期があったって、奈津美さんも大阪からこっちに来た時、周りの人が怖かったって」
美咲はその時のことを思い出したのか、少し笑いながら俺を見つめた。
「怖いはずなのに、話すと嬉しいよねって、店長と奈津美さんに同じこと言われたの」
小さな事かもしれないけれど、美咲は昔の自分に別れを告げたのだと感じた。
美咲はそこから変わろうとしている。
今は、その模索の段階なのだろう。
「実は私、店長とまともに話できるまで、三週間くらいかかったの……」
「そりゃ、凄すぎだ。でも、なんで俺にこの話したの?」
俺が聞くと、美咲は少し考え込んで、
「明人君がいい子だからだよ」
美咲の顔は、いつの日か見た満面の笑顔だった。
俺はその笑顔に見惚れてしまっていた。
☆
美咲のハイツが見えてきた。
部屋の明かりは点いていて、春那さんが帰宅しているのだろう。
「明人君、お疲れ様。また明日ね。おやすみなさい」
「おやすみなさい。また明日」
部屋に行く美咲の背中を見送る。
美咲が部屋に入るときの「ただいまー」と言う声が届いた。
少ししてから、美咲の部屋を見上げると、春那さんと美咲が並んで手を振っていた。
俺はそれに答えて手を振ると、帰路へと足を進めて行く。
また一人の時間が訪れる。
いつまで経っても好きになれない。
美咲は今でも怖いといった。
でも、美咲は勇気を出して前を向いている。
俺はというと、現実から目を背けているだけだ。
それもわかってる。
だけど、どうすればいい?
美咲には、店長や奈津美さんのような共感者が現れた。
俺にも共感者が現れれば救われるのだろうか。
どうやって見つける?
こんな事ばかり考える。
やっぱり、この時間は嫌いだ。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。