63 変化は突然7
表屋に戻った俺が見たのは、ぐったりとしたアリカの姿だった。
精神的にも、肉体的にも疲労した様子で俺を見る。
俺を見るその瞳は虚ろな影がかかっていた。
「明人、おかえり……。今日の美咲さん一体なに?」
そうか、お前もやられたか。
今日の美咲は一味どころか二味も違う。
その美咲の姿が見当たらないが、どこに行っているのだろうか?
「ふふふふふふ。明人君ここよ」
美咲が更衣室の扉から顔半分出していた。
俺と目が合うと、ひょいと顔を引っ込める。
その顔は何かに満足したようで、妙にツヤツヤした感じに見えた。
「今日だけで二回襲われた……」
アリカがげんなりして言う。
「ご愁傷様。んで、美咲――さんは、なにしてんの?」
危ない。今、呼び捨てでいいかけた。
「……さっき、店長が来て、更衣室の仕切り板持ってきたから置いてるのよ」
疲れているせいか気付かなかったアリカは、疲れた表情のまま、面倒臭そうに言う。
「ああ、美咲さんが置いてもらうって頼んでたやつだな。アリカお疲れさん。もう戻っていいぞ」
「はーい。わかった~。んじゃ、あたし戻るわ~」
アリカはフラフラと立ち上がり、裏屋に向かう。
相当、疲れているようで肩がだらんと下がっていた。
俺は更衣室がどんな状態になっているか気になって更衣室を覗いてみた。
俺と美咲のロッカーを囲むように仕切り板が置かれている。
何故囲む?
中では、その仕切り板の配置を見て、満足気に頷いている美咲の姿があった。
「……なにしてるんですか?」
「明人君、見て。二人の愛の巣ができたわよ!」
「…………」
俺は無言で中に入り、美咲が配置した仕切り板の位置を置きなおした。
当然、美咲のロッカーを囲むようにだ。
「ああっ、二人の愛の巣が⁉」
「なに、言ってんですか⁉」
「うぅ……。せっかくセッティングしたのに……」
「はいはい、いいから。そろそろ後片付けする時間ですよ」
更衣室を後にして、レジに戻る。
俺の後ろをトボトボと美咲がついてきている。
『せっかく、愛の巣作ったのに……素直じゃない』
後ろで何やらぶつぶつ言っているが、聞こえない振りしておこう。
☆
まだ少し片付けをするには早かったが、二人でレジ周りの掃除をする。
美咲は横で箒を掃きながら、何か考え中だ。
また暴走しなければいいけど。
今日の美咲は本当に落ち着きがなかった。
「明人君。帰りにちょっとコンビニ寄っていい?」
「いいですよ。何か買うんですか?」
「春ちゃんにおみやげでスイーツ買いたいの」
「ああ、いいですね。春那さんスイーツ好きなんですか?」
「春ちゃんは、プリンに目がないの。プリンだったら何でも好きね」
春那さんはプリンが好きなのか……だからあんなにプリンプリンしてるのか。
「明人君。今、すっごくつまらない事考えてたでしょ?」
何故わかる?
「生クリームのいっぱい乗ったの、残ってるといいな」
美咲はもうお目当てのプリンが決まっているようだ。
レジ周りの掃除を終えたとき、裏の扉から店長が現れた。
「美咲ちゃん、明人君おつかれさま~。店じまいの準備してね~」
レジ周りの掃除が終わっているので、今日は美咲と二人で入り口周りを片付ける。
入り口の施錠を終わると、美咲は店内の最終チェックをしにいった。
「今日は美咲ちゃんやけに元気だね~。何かあったの?」
「店長もそう思います?」
「そうだね~。まあ、何となくわかるような気がするけど」
店長はいつもの薄ら笑いを浮かべていった。
――視線を感じる。
この視線は以前に浴びた事がある。
視線の感じる方向を見てみると、棚の影から美咲が俺たちをじーっと見ていた。
「あ~、また例のアレだね」
店長は毎度の事のようにいう。
俺はちょいちょいと、美咲に手招きするが、首を横に振って嫌々とする。
俺は少し考え、いつも美咲にされるように両手を広げてみせた。
それを見た美咲は、一瞬驚いた顔を見せたが、ニヘラと笑い近寄ってくる。
「もう、もう、明人君たら。そんな風にされたら来ないわけにはいかないじゃない」
そう言いながら美咲が俺の手の届く範囲に来た時、俺は両手を降ろして店長に振り向く。
「案の定引っかかりました」
「あー、明人君ノリがいいのはいいけど~。後ろで美咲ちゃん凄い顔になってるよ?」
後ろを振り返ると、美咲は般若のような顔になっていた。
「……二人とも、もう上がっていいよ~。準備しておいで~」
店長もこの空気を何とかしようとしたのか、帰る準備を促した。
「美咲さん、い、行きましょう」
「明人君……この恨み、三十二倍にして返すから……」
なんで三十二倍なのか、そこは教えて欲しいところだ。
ぶつぶつと文句を言いながらついてくる美咲。
『……このうらみ、はらさでおくものかあ~』
後ろでそうやって呟くの止めてください。怖いです。
更衣室に入り荷物を取り出す。
俺と美咲のロッカーの間にできた仕切り板の向こう側で、美咲はまだなにやらぶつぶつと言っていた。
準備の整った俺達は、更衣室を出て店長に挨拶して店を出た。
自転車を押して美咲の所に向かうと、美咲の表情はぶすっとしたままだった。
「いつまで怒ってるんです?」
「ふーんだ」
そう言って美咲はとことこと歩き出す。
「やれやれ、年上だとは思えないな」
俺は自転車を押しながら、美咲の後を着いていった。
五分ほど沈黙が続き、美咲はくるりと振り返り、無言で俺に近寄ってきた。
「やっぱり、ここがいい」
そう言って俺の横に並ぶ。その顔は少し照れくさそうだった。
「だったら最初から怒らなきゃいいのに」
俺がそう言うと、癪に障ったのか美咲の眉毛がピクッと動く。
「む! 人がせっかく妥協したのに、そんな言い方するの?」
「え、何でまた怒るの? てか、妥協ってなに?」
「許してあげようと思って横にきたんじゃない。立派な妥協と思うけど?」
「いや、許してもらうも何も。俺、なにもやってないでしょ?」
「え? 人に期待させといて裏切ったじゃない!」
「え、期待したの? なんで?」
「それは――」
何かを言おうとして、はっと気付いた美咲は口をつぐむ。
不意に美咲は俺の袖をぎゅっと掴んだ。その手は小さく震えていた。
「――ごめん。やめよ? せっかくの帰り道で喧嘩したら駄目だよね」
「あ、ああ、俺も、その、……ごめん」
美咲は今、「せっかくの帰り道」と言った。
その言葉はなんだか深い意味を持っているような気がした。
美咲の笑顔が見たい。どうすれば見れる?
俺は押していた自転車のスタンドを立てて両手を自由にした。
「どしたの? ――ひゃっ⁉」
俺は袖を掴んでいた美咲を抱き寄せた。
抱きしめた美咲の体は細く、柔らかく、いい香がした。
抱きしめた時間は、ほんの一、二秒だっただろう。
「はい、罰は受けましたからね」
俺はそう言って美咲から体を離した。
うわー、顔が熱い。絶対顔が真っ赤だ。
美咲はなにが起きたかわからないといった顔で、口をパクパクさせていた。
「美咲?」
俺が名前を呼ぶと、
「もっかい! ちゃんともう一回! 不意打ちなんて卑怯だよ」
指を立てて、今のは無効だと訴えてくる
「絶対しない。ちゃんと罰は受けましたから!」
俺はそう言って、自転車のスタンドを外して、また歩き出す。
横では、美咲が「我々はやり直しを要求する」とわけがわからないことを言いながら着いてきていた。
その美咲の表情は柔らかいものになっていた。
そうこうしているうちに、コンビニにたどり着き、美咲はお目当てのプリンを三つ買ってきた。
「まだ残ってたよ。いつも入荷数が少ないからないかもって思ってた」
「春那さんそんなに食べるんですか?」
「ううん、一つは私のだよ。一緒に食べようと思って」
「もう一つは?」
「これは明人君のだよ。家に帰ったら食べて。はい」
美咲はそう言ってレジで分けて貰っていたのか、プリン一つの入った袋を差し出した。
「え、俺のなの?」
「そうだよ。明人君、甘いの駄目?」
「いや、嫌いじゃないけど。プリンなんて久しぶりだ」
「明人君それは人生を損してるよ?」
美咲はふふっと笑っていった。
その笑顔になぜかドキッとした。
美咲と歩く帰路は、もう俺の日課になっている。
このバイトを続ける限り、美咲がバイトを辞めない限り続くと信じたい。
そんな気分にいつの間にか、なっていた。
わずかな時間ではあるけれど、俺にとっても大事な時間になってきていた。
さっき、美咲がいったように「せっかくの帰り道」俺もそう思う。
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