62 変化は突然6
バイトが始まって、早くも二時間。
今日の美咲はいつもより激しかった。
例えば……。
「明人君、明人君。これ見て。可愛いと思わない?」
出されたのは通販雑誌で、開かれたページは下着コーナーだった。
「てーい! やめんかい!」
すぐさま顔をそっぽ向けて叫ぶ俺。
「ちゃんと見なきゃ、可愛いかどうかわからないじゃない!」
チラッと見えたページ。
黒のレースのいわゆるセクシー系の下着が載っていた。
「そんなの俺に言ったって、しょうがないでしょ。自分で決めてください!」
「明人君のけちー」
そんなことがあったり、また……。
「明人君、明人君。ツンデレとヤンデレ、どっちがいいと思う? 今度ヤンデレでいこうかと思うんだけど?」
いや、それはどっちともいえないと思うんですけど。
「はあ、いいんじゃないですか?」
「べ、別に、明人君のために演じようだなんて思ってないんだからね!」
「あー、はいはい。わかりました。わかりました」
俺が適当にあしらうと、レジの横にあるボールペンを手に取り小さなメモ帳に何かを書き始めた。
ニヤニヤしながら書いていたので気になって横から覗いてみた。
『○月△日□□時、明人君に冷たくされた。生きてる意味がない。道連れにして死のう』
「ちょい待てええええええええええええい!」
「ぬ! 乙女のメモ帳みたわね?」
「いや、乙女って歳じゃないだろ!」
「あら、前にも言ったでしょ? 私ヤラハタだって」
「だああああああああああああああああ!」
こんな感じで、三十分おきくらいに美咲が暴走していた。
レジカウンターでぐったりとしているところに、裏の扉からアリカが現れた。
今日はハーフパンツに上は淡い黄色のパーカー。
その上にひよこのエプロンを着用。
今日の格好もどう見ても、お子さまにしか見えない。
お前、実はわざとやってるだろ?
「おつかれさまでーす。表に行くように言われてきましたー」
アリカはなんだか上機嫌で、ニコニコしている。
「明人、今日はあたしと入れ替えだって。裏屋来てだって」
俺の顔を見るや、そう告げるアリカ。
「そういえば明人。愛のお弁当美味しかったでしょ?」
「ああ、美味かった」
ぴくっと視界の隅で美咲が反応する。
まだ気にしてるのか?
「あの子料理だけは本当に上手なのよ。今日のから揚げはいつもより美味しかった」
アリカの弁当も愛が作ったのだから、同じものを食べていることになる。
「あのから揚げはマジで美味かった。お前よかったな。愛ちゃんが妹で」
「なんか含みのある言い方ね。あたしだって少しくらい料理できるんだから!」
ムッとした顔で腰に手を当てて、偉そうに胸を張るアリカ。
「例えば?」
「えと、卵かけご飯とか」
横で美咲が「おお?」と感心したような顔をしている。
いや、美咲。今のは感心するような内容じゃないぞ。
「それは料理なのか?」
アリカのお母さん、あなたの判断は正しかった。
この子に料理は向いてない。
「何よ! そんだけ言うんだったら、あんた料理できるんでしょうね?」
「レパートリーは少ないが、焼き物や炒め物とか揚げ物ならだいたいできる。煮物とかで大げさなのは作ったことないけど、肉じゃがくらいなら作れる。愛ちゃんには負けるけど、自分で食って味も悪くはない。レシピを見れば、だいたいは作れる」
「マジで? すごい」
アリカと美咲は驚愕した顔で俺を見つめる。
「なんで明人料理できるの?」
疑問に思ったのか、アリカが聞いてくる。
「俺の家も共働きで母親が遅い時あるからさ。それでできるようになったんだよ」
本当は、この一年で自分で勉強して覚えたことだが、美咲たちには言えなかった。
最初は試行錯誤で食えたものでは無かったが、次第にできるようになっていった。
「ふーん。男でもできるようになるんだ」
「料理に男も女も関係ねえよ。回数の問題だ」
「かー、あんた、料理まで生真面目そう」
「うるせえよ。あ、裏屋行ってくる」
危なく忘れかけるところだった。
「あ、そうだったわね」
「いってらっしゃ~い。早く帰ってきてね~」
美咲は手をひらひらとさせて見送ってくれた。
なんとなくアリカの身に危険が迫っているような気がしたが、無事を祈っておこう。
扉から裏屋へと進み、高槻さんのいる工房に向かう。
工房に入ると、高槻さんと前島さんが待っていた。
「おう、明人きたな。これサイズ合わせてみろ」
高槻さんはそう言って出した物。
――青い作業服で上と下が一体になっている「つなぎ」と呼ばれる作業服だった。
「その棚の裏が着替えるところになってるからよ。合わせてこい」
棚を指差すと、表から裏板で見えないように処置が施された小さな空間。
俺達が使っているロッカーと同じものが一つ置いてある。
『アリカ』と名札と写真が貼ってある。どうやらアリカ専用のようだ。
写真のアリカは俺には滅多に見せない満面な笑顔で写っていた。
こうみると可愛いんだけどな。
「あー、明人。そのロッカーはアリカのだから。わりいけど、適当に服は置いといてくれ」
棚の向こう側から前島さんの声がした。
「はい、わかりました」
ロッカーの脇に小さな棚があったので、そこに脱いだ服を置いておく。
用意してもらったつなぎは、LサイズとLLサイズの二種類だった。
Lサイズを着てみるとぴったりな感じだ。
洗濯したら縮むような気がしてLLサイズを選んだ。
「あの、着替え終わりました。LLの方だと大きすぎですか?」
「いや、洗ったら縮むからちょうどよくなるぞ。これくらいならLLのほうがいいな。お前意外と体つきいいんだな」
俺の腕を軽く触って、肉付きを確かめると高槻さんはニヤリとする。
「おし、それじゃあ、作業するか」
高槻さんは、俺と前島さんで空気清浄機の分解清掃をするように指示。
高槻さんは別の作業をそのままするようで別の作業台へと向かう。
「おし、明人。まずは工具の使い方からだ。工具ってのはな、基本の使いかたってもんがある。それを知ってるのと知らないじゃあ、作業の効率が全然違うからな」
そう言って、テーブルの上に数種類のドライバーを並べた。
「まずフィッティングだ。ねじの頭にあったドライバーを使わないと頭なめるからな」
電化製品のねじ頭のプラスにあうと思えるドライバーを選んだ。
俺が選んだものでよかったようで、見せると前島さんは頷いた。
「次に回し方だ。ドライバーってのは回す力は三割で十分だ。それよか、押す力のほうが大事だ。これ覚えとけよ。意外と押せてないからな。カバーを外してみろ」
言われたとおり、作業を開始した。
ねじ頭にドライバーを合わせて回そうとする。
「明人、それは押し切れてない。これは軽いやつだからそれでも取れるが、重いやつだと頭なめるぞ。軽いのでも癖つけるようにしろ」
「はい、わかりました」
それから、分解が終了するまで指導されながらの作業は続いた。
意外と細かい事が多くて、正直、覚えきった自信がない。
バラバラになった空気清浄機を、今度は洗浄、清掃作業に移行。
ここでも材質によって違う洗浄のことや、洗ってはいけない電気部分の事を教わったが、もう頭がついて行かなかった。
「明人、わからないのや一回で覚えられないのは当たり前だ。今はいい。わからなかったら、ちゃんと俺達に聞いてからだ。いいな?」
俺の理解度を踏まえているのか、前島さんは優しい感じでそう言ってくれた。
それから洗浄、清掃を終えて組立作業。
前島さんの指示で一つ一つ組み上げていく。
自分が覚えていたつもりになっていたことが、曖昧な事が多いことに気付かされた。
その度に前島さんに確認していく。
ようやく空気清浄機は組みあがったが、始めてからすでに二時間近く経っていた。
あっというまの二時間だったけど、作業自体は面白かった。
「よし、今日はここまでだ」
高槻さんがいつの間にか俺達の後ろにいて、俺の作業を見ていたようだった。
作業に夢中で全く気付かなかった。
「また、こういうのやってもらうからな。すぐには無理だから慣れていけ。着替えて戻っていいぞ」
高槻さんに言われて、俺はつなぎから着替え表屋に戻る準備をする。
アリカは普段からこんなことやってると思うとすごいなと感心した。
工業高校って、こういうこともするんだろうか?
「あー、明人は向こうにロッカーあるんだったな。そしたらつなぎ持っていっとけ」
「はい、わかりました。色々教えてもらってありがとうございました」
「おう、また呼ぶからよ。アリカに戻ってくるよう言ってくれ」
二人はニカッと笑って、俺を見送ってくれた。
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