60 変化は突然4
昼休みの終わりを知らせる予鈴が鳴る。
俺達はそれぞれの教室へと向かった。
教室に向かう通路で太一は何やら考えている様子。
「太一どした?」
「いや、愛ちゃん可愛かったなーと」
太一にしては珍しく、歯に物が挟まったような言い回しだ。
「なんだよ?」
「いや、マジでなんもないって」
なんだか、太一の様子がおかしい。
無理に聞いても嫌がるだろうと思い追求はしなかった。
俺達が教室に入ると、まだ席についてない女子グループが俺らに注目してくる。
注目したかと思うとニヤニヤして、何か話し合うと騒がしい奇声を上げた。
席に移動中の俺に対し男女問わず色々な感情の視線を感じるのは、気のせいだと思いたい。
午後の本鈴が鳴り響き、クラスのみんながそれぞれ席に着き始める。
午後一は数学授業。
数学担当の坂本先生が教室に入ってきた。
うちのクラスの数学担当、坂本亜紀。
二十九歳、独身。
二年E組の担任であり、放送部の顧問である。
陽気で明るく、生徒からも男女問わず慕われている。
昨年、文化祭では教師代表で歌を披露していたのだが、人気投票一位を獲得したという逸話をもつ人物でもある。
ちなみに俺が一年の時の担任でもある。
「起立、礼」
教師と生徒の授業開始のご挨拶。
日直の号令に従いお互い頭を軽く下げる。
「やあ、みんな、ご飯も食べて眠たいだろうけど。私の授業で寝たら、もったいないから、次の授業で寝てね。はい、座って」
「先生、そんなこと言ったら他の先生にまた怒られますよ?」
目の前にいる女子が座りながら親切心で言う。
「だいじょぶ、だいじょぶ。他の先生なんか怖くない。それよりも、GW開けのテストで赤点取らないでね?」
おどけて返した後、鋭い目で教室を見回す坂本先生。
「お願いだから赤点大量発生だけはやめて。私、教頭先生にすっごい怒られちゃうから」
情けない顔で、みんなにペコペコと懇願する。
教頭先生は怖いのか、坂本先生。
「あ、そういえば、木崎」
坂本先生はひょいと頭を上げると、俺に顔を向ける。
「はい?」
「君が朝、衆人環視の中でラブラブイベントしたっていうのは、ホント?」
「ぶっ!」
思わず吹き出す俺。
いや、あなた教師なんだから、そういうこと、みんなの前で普通聞かないだろ。
「いや~、教員室にも話が入ってきてね。他のクラスに行ったときにも聞いたから、これはぜひ本人に聞かねばと思ってね。君が一年の時の担任としては気になるのよ」
教室内の視線が俺に集まる。
「と、とりあえずノーコメントで」
教室内の空気が不満の色に変わるのを感じた。
坂本先生もどうやら同じように不満顔だ。
「木崎、私は残念よ。去年から一年間一緒に過ごしてきた事を思い出して! 私と君の信頼関係はそんなものだったの? 白状して、私のゴシップ好きの欲望を満たしなさい!」
おい、元担任。
今、その信頼関係を裏切ってるのは貴様の方だぞ?
しかも、自分の欲望を満たせといったな?
自分が知りたいだけだろ!
周りの空気が、段々と期待に変わっていくのが感じられる。
ちらりと太一を見ると、あきらめろとばかりに首を横に振っていた。
つかつかと坂本先生が俺の席に寄ってくる。
「さあ、木崎。平凡な独身生活を送る私に何が起きたか、教えてもらいましょうか?」
いや、ちょっと、それ、やっかみ入っていませんか?
坂本先生の目の奥に鈍い光が放っているのは、気のせいと思いたい。
「さあ、木崎。心を開くのよ。先生に言ってごらんなさい。すーっとするわよ?」
もはや、教師としての自覚がないようだ。
この人がなぜ独身なのかわかったような気がする。
「――あ」
誰かの小さな声がした。
「さあ、木崎。ラブラブイベントって何が起きたの?」
坂本先生は気にもせず、俺の机に手をバンと置き、ずずいと顔を寄せ聞いてくる。
「あ~、坂本先生、ちょっといいかね?」
「今、尋問中よ。後にして!」
坂本先生は鋭い眼光で、声がした方向をキッと睨みつけながら叫ぶ。
睨みつけた相手の顔を見るや否や、顔が青ざめ開いた口が開いたままだった。
そこに立っていたのは、我が清和台高校の教頭、向井教頭だった。
「げ? バーコー……教頭先生、何故ここに?」
今、バーコードって言いかけなかったか?
確かに教頭の頭はそんな感じだけど。
「坂本先生ちょっと、よろしいかな? ちょっと通路に」
「は、はい……」
教頭に促され青ざめた表情のまま通路に出る坂本先生。
シーンとした教室に、通路から聞こえてくる教頭の説教と謝る坂本先生の声。
『坂本先生、君は授業中に何をしているのかね?』
『――はい、すいません』
『一体、君は教師になって何年経つと思っているんですか?』
『――はい、すいません』
『いくら前の担任とはいえ、生徒にもプライバシーがあるんですよ。わかってます?』
『――はい、わかってます。すいません』
『すいませんと言えばいいと思っていませんか?』
『――はい、すいません』
いや、今のは『はい、すいません』って言ったら、駄目だろ?
『……後でじっくりお話させてもらいます。授業に戻ってください』
『……はい、すいません』
教室に戻って来た坂本先生は目に涙をためて、見るからに落ち込んでいた。
「……ぐすっ。では、授業を始めます。教科書の、ぐすっ、十八ページ」
二十九歳。華の独身。鼻をすすりながら授業をする可哀想な教師である。
自業自得な部分はあるが、この後のことを考えると可哀想だと思える。
坂本先生は精神的ダメージを受けたのか授業の終わりまで落ち込んでいた。
五時限目の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
「では、今日はここまで。……教員室戻りたくないな~、はあ」
「起立!」
日直の女子が号令をかける。
「あ~、いいよ。そのままで……はあ」
ため息をついて、頭をがっくりと下げ、ふらふらと教室から出て行く。
入り口の付近で立ち止まり、俺の方を見るとちょいちょいと手招きした。
嫌な予感しかしないが、一応坂本先生の所に行ってみる。
「マジで何があったの? 気になって眠れなくなるから端的にでも教えて」
「……手作り弁当を一年の女子からもらったんです」
「木崎、君もリア充か……。また私の同士が減ったよ。……じゃあ、ありがと」
坂本先生はフラフラしながら教員室へと帰っていった。
その背中は、敗残兵のような意気消沈とした背中だった。
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