40 温もり4
よっぽど恥ずかしいのか、表情を見せないようにしゃがみこんで顔を隠してしまった。
次にからかったら地面にでも転がるのではないだろうか。
「俺は何もやってないでしょ?」
しゃがんだ姿勢のまま、美咲は俺を指差すと、
「顔の事、指摘するの禁止!」
恥ずかしそうな顔をしながら言う美咲。
俺はため息をこぼしつつ「はいはい」と答えた。
俺が答えると美咲はゆっくり立ち上がり俯いたまま、とぼとぼと足を進め始めた。
その歩調に合わせて俺も歩き出す。
「そういや、バイクの話してたよね」
美咲は顔を上げて振り向きながら言う。その頬はまだ赤く染まっている。
「ああ、そうでしたね。バイトやってるから、お金は大丈夫なんでマジで取ろうかな」
「大学でもいっぱいいるよ。車での通学は駄目だけど、バイクで通学していいから。私は免許持ってないから、バスで通ってるけど」
「あ、バスで通ってたんですか。美咲のところからなら、自転車でも通えるんじゃないですか?」
俺が聞くと、美咲は俯いた。
ちなみに気付いてないかもしれないが、口元がにやけてるぞ?
「……私、自転車乗ったこと無い」
少し恥ずかしげに言う美咲。
「え、自転車乗った事ないの?」
自転車に乗れる事が当たり前だと思っていた俺は驚いた。
「小、中、高と全部歩いていける距離だったし……遠い所に行くときは、バスと電車だったし。家族で出かけるときも車だったし。自転車なんて考えたことなかった」
交通の便が良かったにしても自転車くらい乗りそうなものだけど。
「それじゃあ、店までバスで来てるの?」
素朴な疑問を聞いてみる。
「うん、大学でお昼から受講してるのは一つだけだから、それ終わったら、バスで郵便局の所まで来てるの」
「前から不思議に思ってたけど、大学って授業そんなに少ないの?」
美咲は大学生なのに、なぜ俺より早いのだろうと思っていた。
小学校から中学校、高校になるにつれて、授業のコマ数は増えてきていたから、大学だともっと多いと思っていたからだ。
「学科にもよると思うけど、私のところは午前中二つ、午後一つだけだよ。私は部活とかサークルに入ってないから、二時半位には大学を出るよ。講義だって一時間丸々使うって事滅多に無いし、講義が終わったらすぐ先生帰っちゃうし」
「全然、勉強してないように聞こえるんだけど」
「ふふん、明人君。そこは勘違いしているよ。一般的に高校生までは、既存の情報や学習方法を万遍に教わるの。正確に言うと、それしか教わっていないの。後は覚えるか、覚えられないかだけ。大学生からは、今までの学習方法を活かして、既存の情報を基に自分の専門分野を研究するのよ。何故今はそうなっているのか、根拠はこうだからとか、理論的な説明が求められるの。それが私達の宿題でもある課題レポートってわけ」
「うわ、なんか、美咲が凄く頭がいい人のように見えてきた」
「む! それちょっと聞き捨てならないわね?」
少しだけ口元がにやついているが、美咲はじろりと睨んでくる。
「い、いや、馬鹿にはしてないよ。それに、それだと、もっと授業受けないと分からないんじゃないの?」
腕を組み、考え込みながら美咲は答える。
「あ、まだわかってないなー。既存の情報は講義から得れるでしょ。それを基に私達は自分なりの理論を出していく。つまり考えを深めるってことよ。考えを深めるためには時間が必要なのよ。講義の後に調査、研究してまとめる時間が与えられると言えばいいかな?」
「えーと、それって結局、講義の後は自習ってこと?」
「正確に言うと違うんだけど。感じで言うとそんな感じかな。まあ、ぶっちゃけちゃうと、講義が終わったら、学生はその後好き勝手にしてる人が多いかな。高校の延長みたいなものね。高校生だと先生から自習って言われても、ほとんどの人がしないでしょ。それと一緒」
今時の高校生に自習なんていった日には飢えた獣を野放しにするようなものだ。
教室内でそれぞれ好き勝手な事をやる率のほうが非常に高い。
自習時に配られるプリントも消化してしまえばやる事も無く、雑談したり、携帯をいじりだしたり、時には携帯ゲームでグループ狩りに出かける奴らもいたりと様々だ。
時に騒ぎすぎて、隣で授業をしている先生が怒鳴り込んでくるのは、よくある光景だ。
「目的がある人や生真面目な人はちゃんとやるけど、大学ってのは、そんな感じね」
「うーん。分かったような分からんような」
「明人君も大学に行ったら分かるよ。特に進級がかかった課題なんてね……最悪だから」
その課題が相当にきつかったのか、どんよりとした表情でいう美咲。
「あれ、また話それちゃってたね」
「いやいや、俺が聞いたんだし。免許は教習所とか調べてみる」
話をしながら進んでいるうちに、美咲のハイツが見えるところまで来ていた。
今日は部屋の明かりが点いているから、春那さんは部屋にいるようだ。
「あれ、もう着いちゃった。なんか今日は早かったね」
「うん。いつもより早く感じた」
「それじゃあ、また明日ね。明人君、今日はきてくれてありがとね」
「気にしない。俺が行くって言ったんですから」
「うん、それじゃ、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
美咲が部屋に入るのを確認した後、少しして窓を見上げる。
美咲とはるなさんが窓辺に近付いてきて、俺を見て小さく手を振っている。
俺が手を振り返すと、春那さんが美咲に何か言ったようで美咲が悶えていた。
……何やってんだか。
俺は帰路へと足を向けて進んでいく。
今日一日のことを思い返す。
太一の家で本来の家族はああいう感じなんだと気付かされた。
俺が失ったものは、あれだけ温かい物だったんだと思い知らされる。
ファミレスのバイトのように、頑張っていれば認めてもらえることだってあるだろう。
俺は親にどうして欲しいんだろう。認めて欲しい? 何を? 今の俺? 存在自体?
逆に親は俺に何を求めてるんだろう。地位か名誉か? それは誰に対して?
答えが出ない。いや、わからない。
取り戻せる方法ってあるのだろうか……。いや、無理か。
それならば忘れよう。
誰かと一緒にいれば家のことなど忘れられる。
俺が一人でいても、忘却できるようになればいいだけだ。
一人思考の迷路をさまよっているうちに自分の自分の家にたどり着く。
自転車のかごの鞄からメールの着信音がした。
鞄から携帯を取り出して見ると美咲からだった。
『もう家に着いちゃったかな? 今日は嬉しかったよ。本当にありがとうね。』
礼はいらないって言ってるのに、律儀な人だ。
家のすぐ近くだったので、その事も合わせて返信し、携帯をポケットに入れた。
家の前に着いた時、母親が使っている車が無いことに気付く。家の中も暗い。どうやら出かけているようだ。自転車を置き、家の鍵を開けて玄関に入る。
「……ただいま」
返事が返ってくるはずも無いのに呟く。
その時、ポケットの携帯が鳴った。
ポケットから取り出して見ると美咲から着信。メールじゃない。電話の方だった。
「はい、もしもし」
「あ、明人君。美咲です」
「どうしたんですか? 電話なんて」
「えと、家に着いただろうなと思って」
「今ちょうど玄関ですよ。家に誰もいなかったけど」
「え? 誰もいないの?」
「無人でした。母親どっかにいってるみたいです」
「……おかえりなさい」
「え?」
「おかえりなさいって言ったの!」
「た、ただいま」
「えと、えーと、それじゃあ、おやすみ!」
美咲は少し慌てたようにプツンと電話を切った。何だったんだろう?
それにしても『おかえりなさい』か……久しぶりに言われたな……。
部屋に戻り、荷物を置いてシャワーを浴びに風呂場に向かう。
洗面所の前で鏡を見たとき、そこにはにやけている自分がいた。
まるで美咲が帰り道に見せたような、にやけている顔だった。
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