400 文化祭9
「あ、これ愛には無理かもです」
「愛さん大丈夫よ。ちょっとした応用だから」
「脳が拒否してます」
「大丈夫だ。愛ならできる」
「無理です。このぷれいは愛には無理です!」
プレイとか言うな。
周りが誤解するだろう。
「なんですかこれ、愛には理解できません」
「大丈夫、これはグラフにできる問題なの」
「どこに点を打っていいかもわからないんですけど!」
まずい。数学が非常にまずい。
基礎の部分は大丈夫なのに、応用になった途端理解できないらしい。
数学の応用は基礎の形に持っていければ比較的点が取りやすい科目だ。
1年の2学期中間テストの数学は応用問題が主だ。
愛向けの赤点対策としては、部分点の獲得数を増やして赤点クリアを目指す計画だ。
俺だけでなく、響も懇切丁寧に一つ一つ愛の理解を確認しながら進めてくれているが、ここでビタ止まりするとは。俺等も陥ってしまっている——愛が何を分からないのかが分からない。
確率とかは大丈夫だ。問題はグラフを使った方程式。
何度説明しても愛には理解ができないらしい。
近年の傾向を分析してもグラフ関連の出題範囲は中間テストの半分くらいを占める。
「明人くん駄目だわ。愛さんの中でなんでこうなるのかが結びついてないみたいなの」
「どの参考書見てもこれ以上の説明ないぞ」
「困ったわね。愛さんは直感型だからイメージさえできれば解けるんだけど」
「そのイメージが食い違ってんだよな?」
「ええ、そういうものだって理屈が通用しないの」
「すみません、馬鹿ですみません」
愛は自分が不甲斐ないのか涙目だ。
愛が基礎的な公式を頑張って覚えていたことでを楽観視して、後回しにしてしまった俺等のミスだ。
「今日はこれ以上やめましょう。私たちも袋小路に入っているわ。愛さんも休ませないと」
「ああ、そうだな。俺もバイトがあるからな」
今までが調子が良かっただけに、愛もショックを隠せていない。
ここで自信を失うのはまずい。
☆
「へ〜、それで困っているんだね」
バイトに着いてから美咲に相談してみた。
「俺の時間を奪ってしまってるって負い目があるから、かなりへこんじゃってさ。それは気にしなくてもいいって言ってるんだけど」
「負のスパイラルに入っちゃってるね、それ。私もはまり込んだことあるから何となく分かる」
「負のスパイラル?」
「根底にあるのは、私が絶対間違ってるっていう自信のなさかな」
それは腑に落ちる答えだった。
「私の場合は、直線だとまだ理解できたんだけど、曲線が出るとなんで曲がるのってなったの。晃ちゃんは点を繋げたらこうなるっていうんだけど、最初は私には理解できなかった。私が出した数字が全部間違ってるように思えたね」
「解決法は?」
「私のときはね、自分の出した数字を信じるところからだったかな。晃ちゃんが引くほどお馬鹿で自分を信じられなかったから。時間はかかったけど、何回も同じ問題を解いて数字を出す。出した数字は間違いないって、やり方も間違ってないって、晃ちゃんに太鼓判をもらって自信をつけていったよ」
「自信か……」
愛に自信をつけさせるにはどうすればいいんだろうか。
なんだかんだ言って、愛は努力すること自体、苦手じゃない。
料理の腕だって一朝一夕で培ってきたわけじゃない。
長い時間をかけて腕を磨いてきた結果なのだから。
「時間が欲しいな。愛に自信をつけさせるには放課後だけじゃ足りない」
「前と同じことすればいいんじゃない? 愛ちゃんを家に呼んだでしょ。私もお手伝いできるし。それに夏休みの宿題みたいにお泊まりもありだよ。いわゆる強化合宿というやつだね。あはっ、なんだか懐かしい。晃ちゃんも家に泊まり込みで私を鍛えあげてくれたな」
「それだ!」
そうだよ。時間がないなら作ればいい。場所なら俺の家があるじゃないか。
平日は無理でも、週末だけでも都合がつけられたらできる。
「ちょっと裏行ってアリカに相談してくる」
「いってらっしゃーい」
裏屋へ移動して作業場を覗き込む。
前島さんと一緒に机に向かって何やら一生懸命に部品を組み立てているアリカを発見。
見た感じ作っているのは文化祭で使う部品だろう。
「アリカ、相談がある!」
「へ、なになに、急にどうしたの?」
アリカに経緯を伝えた。
「ああ、そういうことね。分かった、パパとママにはあたしからも伝えとく」
「頼むな」
「いつお泊りにするの?」
「この週末か来週末がいいと思ってる。あ、アリカのところの文化祭があるから今週は駄目だな」
「大丈夫よ。うちの文化祭、愛は興味ないからこないよ。パパとママも軽く顔出す程度だし。言ったら何だけど、柄が悪いのも多いからね。家族とかよりも企業とかの招待客のほうが多いし、文化祭と言うより就職のための技術アピールみたいなもんだから、普通の文化祭みたいなのはあくまでおまけよ」
そういえば前にそんな事を言っていたな。
ならば愛のお泊り合宿は実行できそうだ。
可能性を上げるならば、響にも協力してもらおうか。
「あの、えと、明人」
「どした?」
「あたしも後から合流しに行っていいかな〜なんて」
「大歓迎だぞ! 愛の扱いを一番わかってるからな。お前さえ良ければきてくれ」
横で俺達の話を聞いていた前島さんが何か言いたげだ。
「前島さんなにか気になることでも?」
「大きなお世話かもしれねえが、妹ちゃんの言葉は無視するなよ。馬鹿には馬鹿の理屈があるからよ。できねえってことは自分が一番よくわかってんだよ。余計なこと考えちまう。あと——」
「あと、なんです?」
「同じようなのどっかにいねえか。勉強できないやつがいい。正直、聞いてる限り妹ちゃんはやべえだろ。自信をつけさせるのも良い手だと思うが、俺は追い詰めちまうなとも思った。美咲ちゃんも明人もアリカもはっきり言って優秀な部類だ。妹ちゃんから見ればできて当たり前の人達なんだから。ま、言うたら試験前に圧で潰れるだろうなって思っちまった。せめて同類がいれば安心できるってもんだ」
確かに盲点だった。
愛に教えているのはみんな勉強ができるやつばかりだ。
「アリカ計画練り直す。夏休みの再来だ!」
「あー、あの面子集めるわけね。あれなら前島さんのアドバイスが活きるわね」
その後、休憩時間を駆使して連絡。
『えっ、愛のためにそんな設定してくれるんですか。明人さんのお邪魔になりませんか? え、香ちゃんからもパパとママに……いえ、嬉しいです。明人さん大好きです』
よし、愛は若干遠慮気味だったが、ご両親ともに了承は得られた。
後はあの時の面子にダメ元で声をかけてみる。
『全然オッケー、逆に助かる〜。柳瀬はいけるか分かんないよ』
『柳瀬は了承だ。勉強もするが、編集機材も持ってく』
『土曜日ね、分かったわ。新しく買ったルームウェア見せるわね。ふわもこよ』
『マジか〜、愛ちゃんのためならしょうがねえな〜』
『え、いいの。千葉ちゃんも行くって、マジでそう言ったの?』
川上、柳瀬、響、太一、長谷川と、みんな揃って快諾してくれた。
後で文さんからも親御さんに連絡は入れてもらおう。
☆
美咲との帰り道。
二人でそれぞれの自転車を手で押して帰路を進む。
美咲が自転車で移動するようになってから帰宅時間はかなり早くなった。
ただ、その分、二人の会話が減っていたのも事実で、なんだか物足りなさを感じていた。
俺からの提案で途中にあるコンビニまで歩いて帰ることにした。
最初、美咲は目を丸くしたが、にっこり笑って、自分もいつ言い出そうか迷ってたと言ってくれた。
俺はこの時間が好きになっていた。何故かは分からない。
美咲とはバイトでも二人だし、家でも二人のことが多いのに、この時間は俺にとってなんだか特別な時間のような気もしていた。
美咲から出る話の内容は他愛もないことが多い。
今日はお月様が丸いね。ウサギはどれだ?
なんとなくだけど、あの黒い部分じゃないか。
見て明人君。あの雲だけすっごく速くない?
おー、マジで速いな。あの雲だけ逆向きに進んでね?
あ、やばい。怖い話思い出した。明るいところ通って帰ろう。
どんな話。いや、やっぱいい。聞くのやめる。
今日はプリンが食べたい日だね。駄目かな?
たまにはいいんじゃないの。少し痩せたって自慢してたしな。
次世代の羊羹にはどんな味が求められてるかな?
まだ諦めてねえのか。まず普通のから始めなよ。
ねえ明人君、勝負下着って何と勝負するの?
己自身だろ。ところでそんな言葉どこから拾ってくるの?
思い出してもくだらないことばかりだ。
俺自身も真面目なんだか不真面目なんだかよく分からない返しをしてる。
他にもバイト先に来たお客の話だったり、大学で起きた話だったり、俺がいない間に起きた店での騒動だったり、大体が美咲の話を聞くことが多い。
あえて言うなら美咲の思い出話を聞く機会とも言える。
この帰り道では、春那さんや晃のことだけでなく、美咲自身の思い出を語ってくれる。
たまに見せる俺の知らない美咲がいて、新鮮な感じもする。
笑ったり、怒ったり、落ち込んだり、泣いたり、驚いたり、感心したり、自慢げだったり、甘えたりと、少しばかり手間がかかることもあるけれど、面倒くさいなと思うこともあるけれど、嫌じゃない。
もうちょっとしたら、コンビニにたどり着く。
今日の話題は勉強の話が主体だったけれど、作戦会議みたいで楽しかった。
「ねぇ明人君、愛ちゃんの件うまくいくといいね」
ああ、そうだな。俺もそう願うよ。