397 文化祭6
「ううっ!?」
美咲が急に苦しみだした。
だが、俺は決して慌てない。
美咲の苦しんでいる理由がわかっているからだ。
ここで心配して近寄るとろくでもないことになる。
これは罠だ。
美咲の手に乗ってはならない。
「……う゛うっ!?」
今、変な間を空けたよな。その行動こそが罠という証拠だ。
俺は近寄らんぞ。
「明人くんが冷たい」
ああ、そうだ。この件に関しては冷たくさせてもらう。
あえて美咲の話に乗らない。
美咲が恨みがましい目を向けてくるが、あえて見ないようにする。
こういうときはあれだ、目を合わせちゃ駄目だ。
美咲を避けるように店の入口に視線を向けると、ちょうど自動ドアが開いた。
「こんばんはー。試験終わったんで顔見せに来ましたー」
客かと思えば現れたのは、ヘルメットを片手にしたアリカだった。
これはまずい。
美咲が仕掛けていたのは、アリカ成分が足りないから代わりに相手しろという罠だ。
その張本人がこのタイミングで現れたら、当然——こうなる。
「ア゛アアアアアアア! アリカちゃあああああああああああああああああん!」
普段の動きとは桁違いの素早さでカウンターを抜け出し、アリカに襲いかかる美咲。
もう少しで美咲の手が届くというところで、アリカは咄嗟に手に持っていたフルフェイスのヘルメットを美咲の頭に被せた。すげえな、ドンピシャなタイミングで、スポってハマったぞ。
「あれ、世界が闇に落ちた!? アリカちゃん、どこぉ〜」
被せられたヘルメットが前後、逆になっていて、美咲は前が見えないようだ。
美咲はゾンビさながらアリカの体を求め彷徨う。
「びっくりしたぁ」
アリカは心臓に手を当てながら、呟く。
そりゃあ、店に入った途端襲われたらびっくりもするわな。
「これなに。どうやって取るの?」
美咲は頭にハマったヘルメットがうまく取れずジタバタしている。
しばらくもがいてもらっておこう。アリカを驚かした罰だ。
アリカが、もがく美咲を避けるようにそぉっと離れてカウンターに近づく。
そんなアリカに俺も声を掛ける。
「よぉ、顔見るのは土産渡したときぶりか。あの時より元気そうだな」
「そうね。そっちも元気そうじゃん」
「で、今回の試験、手応えはどうだ?」
「やれるだけやったってところかな。多分いける」
まあ、普段から寝る前にメッセージを送り合ってるので、久しぶりという感じはないんだけど。
「取れないよ〜」
美咲がしゃがみ込んでしくしく言い出した。
自業自得なのでしばらく放置しよう。
「美咲さん、放っておいていいの?」
「お前が行くと、ヘルメットとった瞬間に襲われるぞ?」
「あはははは……それはやだな〜」
もぞもぞとヘルメット取ろうとしてうまくいかない美咲の動きが急に止まった。
「あれ、美咲さん動かなくなったけど?」
「うん?」
よく見るとヘルメットが小刻みに上下している。
まるでなにかを探っているようなアクションだ。
「え、ちょっとまって。美咲さんもしかして、ヘルメットの匂いを嗅いでるの?」
「……くんかくんか、くんかくんか、100%アリカちゃんの匂い! しかもちょっと濃い!!」
「いやあああああああああああああ、やめてぇえええええええええええええ!!」
「うほぉー、パラダイス! 楽園はこんなところにあったんだ!」
美咲の行動に気づいたアリカが顔を真赤にしてヘルメットをもぎ取ろうとする。
美咲は変態みたいな発言をしながら、ヘルメットを取られまいと抱えこむ。
いつものことだが、美咲はただじゃ転ばないタイプだなと思う。
☆
「あはははははー。機嫌直してよアリカちゃん」
「知りません」
美咲から奪い取ったヘルメットを抱きながら涙ぐむアリカ。
そりゃあ嫌だよな。
さっきまで被っていたヘルメットの匂いを嗅がれたら誰だって嫌だと思う。
美咲も美咲で反省していないのか、少しずつアリカとの距離を詰めている。
まだ襲う気があるらしい。
「しかし、顔見せに来たら美咲に襲われるって思わなかったのか?」
「……普通、誰もそんな事考えないでしょ」
いや、美咲なら十分あり得るんだが。
油断したら駄目だぞ。美咲だぞ?
「頼んでた部品を取りにくるついでに顔だそうって思ったのよ」
「文化祭の準備か」
「うん。文化祭まであまり時間もないし、試験前に設計図渡していりそうな部品頼んでおいたのよ」
準備がいいことで。
アリカはよく計画的に物事を進めようとするよな。
買い物に行くと衝動買いすることも多いが。
「明人に聞きたかったんだけど、今日さ、太一君が写真あげてたじゃん」
「ああ、ケルベロスか」
「なにそれ?」
そうだよな。普通はそういう反応だよな。
美咲、オペしますみたいな感じで手刀を用意するのやめろ。それは響の専売特許だ。
お前はすでに出会い頭に鳩尾へ手刀を入れてお仕置きしただろ。
「美咲の命名。頭3つ並んでるからだそうだ」
「ああ、そういう意味ね。川上さんと柳瀬さんと何見てたの? なんか見てるように見えたんだけど」
「ああ、俺のスマホで修学旅行の時の写真を見てたんだ。二人に挟まれたやつはアリカも見ただろ」
「ああ、あれ?」
アリカはあれを見てもなにも言わなかったんだよな。
美咲も見習ってほしい。
美咲、俺の視線を感じて乙女のメモ帳に記入しなくていいから。
それ、ろくでもないことしか書いてないよね?
「明人、学校でいつもあんな感じなの?」
「あんな感じとは?」
「いや、流石にケルベロス? ちょっと近いな〜って思ったから」
「だよね、だよね! やっぱり、お仕置き対象だよね」
「美咲は黙ってなさい」
とは、言われても、あいつら普通にくっついてくるからな。
当然、俺からくっつくことはない。
それにあいつらなりに配慮してくれているようで、響や愛みたいに直接胸とかを押し付けてくるようなこともない。ケルベロスの時もそうだが、手や腕でカバーして、俺に直接胸が当たらないようにしてる感じはある。響や愛に見習ってほしいところだ。
「修学旅行の写真でも近いの多いし」
「仲が良い友達だとそんなもんじゃね? 太一と長谷川もそうだろ」
「あたし、学校だと男友達いないからわかんないのよね。女子も少ないから友達っていうより知り合いレベルだし」
コメントしづらいわ。
「アリカは学校での写真ないのかよ」
「ちょっとならあるよ。最近だとクラスの子がくれたのならある。笑わないでよ」
アリカがスマホを操作して画面に表示する。
そこには、アリカがつなぎを着たお姉さんに高い高いされている姿があった。
脱力したアリカの姿と好きにしてくれって感じの表情が面白い。
「この人3年の先輩なんだけど、あたしを見つけるたびに持ち上げるのよね。いいかげん諦めたわ」
「尊い!」
美咲は少し黙っていようか。
こらこら、写真をねだるな。
「アリカちゃん可愛いから抱っこしたくなるの分かる」
美咲の場合は、明らかに目的が違うような気もするんだが。
いつも色々なところ触ったり撫でたりしてるよな。胸とか腹とか尻とか。
まあ、俺も確かにアリカに父性を感じたことがあるので、ちょっとは理解できる。
前に眠っていたアリカを高い高いしたときは妙な達成感もあったしな。
ある程度話をしたところで、アリカは用事を済ませて引き上げた。
ちなみにだが、アリカは結局、美咲に襲われて抜け殻になりながら帰っていった。
帰る前だからもうなにもないと決めつけて油断するからだ。
美咲がチャンスを逃すはずないだろう。ずっとアリカを獣の目で見てたしな。
言えばよかったか。
☆
明日の出勤はアリカなので、俺と美咲はフリーである。
家に帰っても、文さんは飲み会に参加で不在、春那さんも実家に帰省していないので二人きりだ。
久々に何も無いのんびりとした時間が過ごせると思いきや、食事が終わったあと、俺はリビングで美咲に試験勉強させられている。
「アリカちゃんの試験が終わったってことは、次は明人くんだね。しっかりやらないとね」
まずは範囲の確認。
そこから推定できる対策がどんどんと与えられて、山積みとなった。
これ一日の量じゃないと思うんだけど。
勉強に対して美咲は厳しい。結構なスパルタだと思う。
以前、晃に聞いたところ、勉強については美咲を鍛えすぎたところがある、やりすぎたゴメンと謝られた。あいつ美咲に影響与えすぎだろ。
実際、美咲の学力は、晃に鍛えられただけあってかなりのものだ。
清和大学では、入学時の成績が抜群の人に与えられる特別待遇枠の立場にいるというから驚きだ。
ちなみに、現役時代に相当優秀と言われていた春那さんでもその立場を得られなかったそうである。
自己肯定感が低く、社会不適合者だと自分で言う美咲だが、実は相当レベルが高いのだ。
確かに、美咲の記憶力は高い。
短時間で見たものや聞いたものをよく覚えている。
バイトでも、あれだけゴチャゴチャしている店内で、どこに何がおいてあるのか把握している。
店の中の商品が大量に入れ替わっても、1時間もあれば美咲の中で更新されている。
俺には、逆立ちしてもできないことだ。
アメとムチの使い分けが上手いのもある。教わっていて、嫌な気持ちにはならない。
苦痛を感じるとすれば、とにかくスピードが求められる。
解いたらすぐに次の問題が与えられ、脳の処理が追いつかなくて、頭が痛くなってくる。
「なんか乗ってきた。ふふ、明人君、今夜は寝かさないぞ♡」
「いやそれ、こういうときに使うセリフじゃねえから!」
「はい、口より手を動かす。解くの遅くなってるよ!」
誰か助けて。