39 温もり3
九時を回ると車の通行が少なくなってきていた。
そんなことを考えながらてんやわん屋への道を進める。
今日は美咲とアリカで表屋をやっているはずだ。
美咲がアリカを襲っていないかが心配だ。
店長の事だから、おそらく何度か様子を見にきてくれてはいるだろう。
とはいえ、やはり心配になる。……あの美咲だし。
いつものように郵便局を通り過ぎ、てんやわん屋に辿り着く。
そろそろ店じまいする時間だ。予定通りの到着。
外から店内を見ると、カウンターでアリカのツインテールがピョコピョコと動いていた。どうやら予想通りアリカも表屋にいるようだ。
美咲の姿がレジ周りに見えないようだが、どうしたのだろうか?
俺は自転車をいつもの所へ止め、正面から店内に入っていった。
「いらっしゃいませー。――なんだ、あんたか」
アリカが猫被ったような可愛い声から一転して残念そうな声になる。
おい、そういうの止めろ。地味に傷付くから。
しかもお前今小さく舌打ちしただろ。
「美咲さんは?」
「店長の所に行ってる。ついさっき呼ばれたよ」
「あー、そっか」
「あんた、何してんの? 今日、他のバイトだったんでしょ?」
アリカは不審そうにじろっと睨みつけてきた。
「あー、終わった帰りなんだよ。ちょっと気になって見に来たんだ」
「何で?」
「いや、ほら、俺がいないと美咲さんとお前が表屋の店番になるだろ?」
「うん。今日はほとんどこっちだったけど」
「また美咲さんに襲われてやしないかと心配したんだけど、……お前の様子だと大丈夫だったみたいだな」
アリカの頬がふわっと赤みを帯びる。
「え? あんた、あたしの心配――いあ、そうじゃなくて、あんた暇なのね」
ゆらゆらしていたツインテールをギュッと握り締め、顔を赤らめたまま睨んでくる。
「ほっとけ。もうすぐ店じまいだろ。手伝うわ」
「あんた、本当に暇なのね」
「うるせえよ」
その時、奥の扉が開いて店長と美咲が現れた。
「おや、明人君どうしたんだい?」
店長は俺の姿を見て少し驚いた表情を見せる。
「ファミレスのバイト終わったら、こっちが気になっちゃって。帰りに寄ってみました」
「おやおや、疲れているだろうに。よっぽど心配な事でもあったのかな~?」
店長はいつものように薄ら笑いを浮かべると、アリカと美咲を交互に見た。
美咲は俺の姿を視認すると俯いた。何かを呟いたようだけど聞き取れない。
顔を上げた美咲は満面の笑みで両手を広げてこう言った。
「明人君! さあ、私の胸に飛び込んでいらっしゃい!」
「理由がわからねえよ?」
「え? いつもと違うの?」
「いつもって言うな! したことねえし!」
店長はいつものように薄ら笑いを浮かべているが、アリカは明らかに俺を蔑んだ目で見ていた。
「おい、勘違いするなよ? 言ってるような事してないからな?」
蔑んだ目で見ているアリカに向かって言う。
「何であたしに言い訳してんのよ。関係ないし!」
ぷいっと顔を背けられる。いや、誤解されたくないだけなんだけど。
「明人君たら~、照れちゃって~、飛び込んできてもいいのに~」
美咲は俺の横でクネクネと身体を動かして、訳の分からない事をのたまう。
「いや、しないから」
「ぬ~、正直じゃないんだから」
いやいや、正直もなにも本当に飛び込んでいったらおかしいだろ。
「時間も時間だし、片付けするでしょ。来たついでだから手伝いますよ」
「あ、明人君それだったら、アリカちゃんに教えてあげてくれるかい?」
「はい。わかりました。アリカ、表周りやるからこいよ。」
俺が外を指差して言うと、
「偉そうに言ったら承知しないからね」
素直について来れないのか、こいつは。
ちらっと美咲を見ると顔の下半分は笑顔なのに目が笑ってない。なんか怖い。
「んじゃあ、私レジ周りの掃除しよう~っと」
その顔のまま、箒を取りに行く。ドス黒い気を放っているのは気のせいか?
俺とアリカは表の掃除をやった後、周りに置いてある看板の類を店内に入れた。
「鍵閉めはこの下側のロックを廻す。んで、左右にある赤いストッパーレバーを下げればいいから」
「これでいい?」
下側のロックを廻すと『ガチャリ』と音が鳴った。
「そうそう。それで扉自体のロックな。んで、左右のストッパーレバー下げて」
「これ?」
アリカの小さな指が赤いレバーを下げると、『ガチャ』と音がした。
「そうそれ。それで扉が固定されたから、これで入り口は終わりだ。内扉も同じだから」
「なるほど。高い所じゃなくて良かったわー」
「それ、コメントしづらいわー」
「へ? あたし背が低い事はそれほど気にしてないよ?」
「え、マジで? なんで初対面の時に怒ったんだよ?」
「あれはあんたが小学生とか中学生とか言ったからじゃん。背が低い事は事実だからしょうがないけど、小学生とか言われたら流石にむかつくわよ」
「えー、そこなのかー。それ難しいな、おい」
「でも格好とかでわかるもんでしょ?」
いや、お前の着てる服装とか見ても小中学生に見えちゃうから。
「ごめん。俺、格好だけじゃ分からないと思うわ」
「それはあんたの見る目が無いからよ。バナナ食べなさい、バナナ」
アリカはそういうとふふっと笑って見せた。
バナナの意味がよくわからんが、普通に可愛い顔もできるじゃねえか。
「ふふふふふふふふふ……」
レジの方向から怨霊じみた声がする。
声に振り向くと美咲が目を細めてこっちを見ていた。
「あ~き~と~く~ん? そっち、終わったかな~?」
美咲がレジ近くを掃除していたが、口端は上がっているのに目が笑っていなくて怖かった。
美咲の周りに黒い炎が見えるのは気のせいだろうか。
最近これと似たようなものをどこかで見た気がする。
「お、表周りは終わりです。後、店内ですね」
少し恐怖に駆られてどもってしまう。
「あらそお~。それじゃあ、アリカちゃん。店内は私と回ろうか~?」
アリカも感じるものがあったのか、引き気味に答える。
「は、はい、お願いします。…………ありがとね、明人」
アリカは去り際に小さく呟くと足早に美咲のもとへ向かっていった。
あれ? 今、アリカ、俺の名前を初めて呼んだのではないだろうか。
一人とり残された俺は、入り口の電気を消して、レジで清算している店長の所に行った。
「あの様子だとアリカちゃんと上手くやっていけそうだね~」
作業をしながら、俺達のことを見ていたのか、店長は薄ら笑いを浮かべて言う。
「ええ、そうですね。なるべく喧嘩しないように気をつけます」
「今日は美咲ちゃんがちょっと様子おかしかったんだけど、心当たりある?」
「え? 様子ってさっきのですか?」
「いや~、あれなら俺も心配しないさ。さっきのはいつもの美咲ちゃんだよね。夕方くらいまでね、ちょっと様子がおかしかったんだよね~。ここで勤め始めた時の美咲ちゃんと同じ感じがしたんだよ。気のせいならいいけど」
店長は店の奥にいる二人に視線を移す。
つられて俺も視線を移すと、そこには二人が柔道の試合でもやってるかのように構えあっている姿があった。
お前ら……何やってんだ……。
「後でちょっと聞いてみますよ」
二人の姿にため息を漏らしつつ店長に言う。
「そうだね~。ちょっと聞いてみてくれるかな」
俺と店長が話をしている間に二人の戦いも終えたようで美咲とアリカが戻ってきた。
「お疲れ様、もう上がっていいからね~。帰り道気をつけるんだよ」
「「お疲れ様でした」」
アリカと美咲は揃って挨拶すると、アリカはそのまま裏屋に向かい、美咲は更衣室に向かっていった。
俺は先に表に出て、自転車を押して戻ってくると、ちょうど美咲が扉の鍵を閉めたところだった。
「行きましょうか」
「うん」
美咲はニコニコと返事した。
さっきまで怒っていたような気がしたのは気のせいか。
歩き始めると裏屋の方から一台のスクーターが俺達の前を走り抜けようとして、不意に止まった。
「お疲れ様。お先にー」
運転していたのはアリカだった。
手を振って挨拶を送ると、手を振り返しまた颯爽と走っていった。
「あいつ、バイクで来てたのか。いいな、俺も免許取ろうかな。でも取るんならビッグスクーターみたいなの乗りたいから、そっちの方だなー」
「明人君もバイクとかに興味あるんだね」
「そうですねー。乗り物ってなんだか憧れちゃうんですよ。それにビッグスクーターだったら、二人乗りできるから美咲も乗せられるよ?」
美咲の顔が耳たぶまで真っ赤になると同時に、自分の頬をぐにぐにとしながらうろたえる。
「うにゃー、やっぱだめだー! 明人君ごめん、顔がにやけちゃう!」
「なんで?」
「名前呼ばれると、なんかにやけちゃうの」
「自分が呼び捨てで呼べって言っといて、何言ってんですか……」
「だから謝ってるじゃない」
「元に戻します? 俺はいいですよ?」
ちょっと、からかいたくなって、意地悪く聞いてみる。
「それは絶対いや!」
案の定、顔をぶんぶんと振って拒否する。
「ところで、今日夕方頃まで様子がおかしかったって、店長から聞いたんですけど?」
「う……」
俺が聞くと美咲は振っていた顔がぴたりと止まって決まりの悪そうな表情になった。
「その事聞いて、それは俺からメールが来るまでの事だと推測したんですけど?」
「あう……」
更に続けて言うと、今度は表情が段々と暗くなっていく。
「俺が本当に来るか不安だったからってところですか?」
聞いてみると、美咲は俯きかろうじて聞き取れる小さな声で呟いた。
「だって……私、今までそういうの無いから、分からなかったんだもん。明人君の事だから、本当に来るって思ってたけど。なんか心配になっちゃって」
「美咲は心配しすぎです。もし無理になった時は、絶対連絡するし、今回は俺から言い出したことだから。…………顔、またにやけてますよ?」
「うにゃあああああ、やっぱだめだー!」
美咲はまた自分の頬を手でぐにぐにとしながら悶え始めた。
「やっぱり元に戻します?」
笑いながら意地悪く言うと、
「明人君、それはいじめだよ!」
目を潤ませて頬を膨らませながら睨む美咲。
「俺が美咲をいじめるわけないでしょ。あ、ほらまた顔」
「うにゃああああああああああ、なんでこうなるのー。明人君は意地悪だー!」
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