394 文化祭3
いつものように一緒に登校してきた様子の太一と長谷川。
俺には二人の様子がいつもと変わらないような気がしたが、川上と柳瀬は二人の様子を見てピクリと反応した。川上と柳瀬は有無を言わさず長谷川を捕まえると、どこかへと連れて行ってしまった。
拉致られる長谷川を見送り、太一がやれやれといった表情で溜息をついた。
「おはよう太一。なんだよその顔」
「おはようさん明人……昨日、明人がいなくなってからひどい目に遭ったんだよ」
「何だよ太一。藪から棒に」
いきなり闇落ちする美咲の相手よりはマシだと思うので軽い気持ちで聞いておく。
美咲は家に帰るまで何かの拍子ですぐに闇落ちを繰り返した。
慰めるしか回復方法がないのだけれど、短い間隔であれの相手は流石にきつかった。
「あのあと長谷川に本庄先輩のところに連れて行かれてな」
「ほう」
「本庄先輩に甘えているところを見せろと言われてよ。本庄先輩に甘えるのって自然の掛け合いの中で甘やかしてくれるから、こっちも甘えるだけで、甘えに行ってるわけじゃないんだぞ。知ってる奴の前でなんて特に無理」
「それ長谷川に言ったのか?」
「言ったよ。そしたら、あいつ……拳見せながら行けって脅してきやがってよ」
「その本庄先輩の所に行ったのか?」
「……行った。本庄先輩には正直に怖い奴に脅されて甘えに来ましたって言った。むっちゃ慰めてくれた。やっぱりあの人は俺のママになれる人だ」
「それで?」
「戻ってきたら何故か長谷川がいなくなっていて、そこには本庄先輩を崇拝する野郎どもが待ち構えていた。久しぶりに逃げ回ったぞ。最終的に捕まってボコられそうになったが、一応誤解は解けた」
思っていたよりもひどい目に遭っていた。
これは流石に太一が可哀想だ。
「んで、今日の朝、長谷川が部屋まで起こしにきて俺を赤ちゃん扱いだ」
「きっついな」
「朝からメンタルやられそうだった。なにが『太一ちゃ~ん、朝でちゅよ~。いい子だから起きましょうね~?』だよ。寝起きにあれはきついわ」
「んで、長谷川には何か言ったのか?」
「一応、仕返しはしたよ。まあ、そのあとはいつもみたいに殴られて普通に戻ったけどな」
しばらくして、長谷川と川上、柳瀬の姿が通路に見えた。
教室に入ってきたのは長谷川だけで、入り口で川上と柳瀬が俺たちを手招きしていた。
「太一、川上らが呼んでる。いや、俺だけみたいだ。ちょっと行ってくるわ」
「あいよ。俺も長谷川と今日の放課後の話でも詰めとくわ」
通路に出ると、川上と柳瀬がニタニタしている。
どうやら太一には聞かせたくない話のようだ。
「どうしたんだ?」
「いんちょが面白い状態になってる」
「あれは隠しきれなかったようだ」
「何の話だ?」
長谷川から何を聞いたのか、川上と柳瀬は少し興奮気味だ。
「昨日いんちょがやらかしたっぽいのは耳に入っている。だが、お仕置きだと言われれば納得せざるを得ない状況だわ」
「しかし、今朝の出来事はいんちょにも予想外だったようで、乙女が表に出てきておる」
「今までよくも我々を欺いてきたものだと敬意を表するわ」
「一度はわざと疑わせ、煙に巻く手法を選んでいたとは。中々の知恵者であった」
「済まんが何の話だ?」
「木崎君……ここまで言ってまだ分かんないの?」
「川上、やはりこの男は駄目だ。終わっている」
人のことを終わっているとは失礼なやつだ。
「太一から、長谷川が朝に部屋まで起こしに来て、太一のことを赤ちゃん扱いしたって聞いたけど」
「違う。そこじゃないの」
「そのあとの話だ」
「太一が仕返しをしたってしか聞いてないけど」
「そこ、その仕返し!」
「その仕返しの中でいんちょは『深雪』と名前を呼ばれたらしい」
「え、それだけ?」
あの長谷川が名前を呼ばれたくらいで動揺するものか?
それはにわかに信じられない。
「……川上駄目だ。この男と話をすると柳瀬が疲れる」
「木崎君よく聞きなさい。私ら苗字で呼び合うものは下の名前で呼ばれることに慣れてないの。これがどうでもいい相手からなら『お、喧嘩か?』ってなるけど、好意を持っている相手からだと話は変わる」
「『ええ~やだ~。気になってる人から名前で呼ばれちゃった』って、嬉しくなっちゃうものなのだ」
「極端だな、おい」
「その嬉しさを未だに隠しきれてないのが今のいんちょなわけよ」
「柳瀬たち以外にもクラスの女子の一部は気付いてるっぽいぞ」
「こういうのに敏感な女子もいるからね」
……
つまり、実は長谷川は太一のことが好きってことか?
ちょっと待て。それだと太一から聞いていた話と食い違う。
長谷川には好きな相手がいて、それは太一じゃないはず。
確か幼馴染が長谷川の恋の相手のはず。
夏に聞いた太一の言葉が急に蘇ってくる。
『あいつは嘘つきだからな。俺が知る中じゃ一番の嘘つきはあいつだ』
☆
考えれば考えるほど混乱してきたので、休憩時間に太一と腹を割って話すことにした。
どうせ俺の顔を見て後で聞いてくるに違いないのだから、話したほうが早い。
「――ないわ。その勘違いだけはないわ」
軽く一蹴された。
「百歩譲って、長谷川が今日の出来事に浮ついたとしてもだ。先輩のことを好きなのは事実で、一緒に修学旅行の土産を先輩に渡しに行った時も恋する乙女の顔してたんだぞ。つい、この間の話だぞ」
「そ、そうか。最近、確認しているんだったら一時的にそう見えただけかもしれないな」
「それに長谷川は先輩から深雪って呼ばれてるから、名前で呼ばれるのは慣れてるはずだぞ。綾乃だって深雪さんって呼んでるし、お袋だって深雪ちゃんって呼んでる。美咲さんもそうだろ?」
言われてみれば確かにそうだ。
俺も目の前で長谷川が名前で呼ばれているところを何度も目撃している。
太一の言ってることの方が正しい気がする。
「一応、確認しとくけど、太一がした仕返しって何やったんだ?」
「ああ、子供をあやすみたいに抱きかかえて、『ほ~ら深雪ちゃん、パパですよ~。抱っこ楽しいね~』ってやり返してやっただけだが」
「抱きかかえた?」
「いわゆるお姫様抱っこだな。あいつの体重くらいなら余裕だし」
「動揺した理由ってそれじゃねえか? 流石に恥ずかしかったんじゃないか?」
「でも、いつも通りのリアクションでふざけんなって殴られたぞ?」
「他に何かしたとかはないのか?」
「いや、マジで他に何もない」
「長谷川絡みで他に俺に言ってないことないか?」
「ああ、そういえば――一つだけ明人に言ってなかったことがあったわ」
☆
どうしよう。
聞くんじゃなかった。
楽しいはずの昼食時間に俺の心臓はドキドキしている。
だってまさか、長谷川の好きな相手の幼馴染が、花音と現在進行形で付き合ってるって聞いたら俺どうしたらいいんだよ。
夏休みの間に花音の片思いが成就したと愛から聞いて、花音本人からも話を何度か聞いてるんだぞ。
花音自身が純情だし、分別の付いた彼氏さんのおかげで清い交際であることは周知されている。
花音だと手を繋ぐのが限界というのが愛の分析である。
長谷川からしてみれば、花音は恋敵で邪魔者のはず……。
それをおくびにも出さないなんて、怖いぞ長谷川。
愛の作ってくれた弁当は美味しいはずなのに、今日は味が分からない。
そして、俺の動揺を見た長谷川は、俺に向かって微笑みながら言うのだった。
「木崎君……後でちょっと話そうか?」
「何事ですか!? 明人さん、これは一体何事ですか!?」
「長谷川さん、もし告白云々という話だったら私たちも加えてもらいたいんだけど?」
「冗談じゃないわ。木崎君にそういった話するわけないじゃない。変なこと考えてるからきっちりと教えておきたいだけ」
そうだよな。
長谷川は太一を上回るほどの観察眼の持ち主なのだから、俺の動揺などすぐばれる話だった。
太一に救いの目を向けたが、諦めろと目が訴えていた。
昼食後、みんなから離れた場所で長谷川との対話が始まった。
長谷川は周りの様子をチェックして、誰もついてきていないことを確認。
「えっと、とりあえず私と千葉ちゃんの誤解部分解いとくね。確かに今日の朝は動揺してたわ。千葉ちゃんに抱きかかえられて、名前を呼ばれたのは事実だけど。そんなくらいじゃ私は動じないし、浮ついたりもしない」
「えっと、それじゃあ何で動揺したんだ?」
聞いた途端、長谷川にしては珍しく顔を赤らめる。
「抱っこされた時に……千葉ちゃんの――がお尻に当たったの」
「え、今なんて言った?」
「だから、――した――が当たってたの」
「ごめん、聞こえないんだけど」
「だから、千葉ちゃんの朝立ちしたのが私のお尻に当たってたって言ってるの!」
「すみませんでした!」
「わ、分かればいいの。あんな感触初めてだったから驚いただけ。本当に硬くなるんだね、男の人のって」
よし、あとで太一を殴ろう。
「それと幼馴染の兄さんと飯島さんが付き合っていても、思うことなんて何もない。あの勘違いバカにもそう言ってもいいから」
「――ん? それどういう意味?」
「勝手に勘違いして、勝手に終わらせるなバカ野郎って言ってくれればいいわ。こっちはとっくに分かってるって」
「えっとごめん。それを言う相手って太一でいいのかな?」
「……他に誰がいるの?」
あれ? これってどういうことになるんだ?
朝の誤解は解けたとみなしていいのか?
いや、ちょっと待て。
そもそも長谷川の言う誤解とは何に対しての誤解だ?
長谷川は太一との誤解部分と言った。朝の誤解とは一言も言っていない。
えーと整理しよう。
太一は長谷川が好き。でも、長谷川は幼馴染のことが好きだから諦めようとしている。
長谷川が幼馴染のお兄さんのことを好きというのは太一の勘違い。
じゃあ、長谷川は誰のことが好きなんだ?
俺はすっと手を上げて長谷川に質問した。
「長谷川が好きなのは太一で合ってますか?」
「今、それを聞く?」
ええええええ、俺分かんない。
確かに二人は仲が良いし、傍目から見たらいちゃついてるようにも見える。
でも、現在恋人でもないし、友達であり相棒でもある関係だし、あれで好きというなら、誰もかれもが好き同士ってことになるわけだし、そんなこと言ったら俺や美咲、アリカの関係も好き同士ってことになる理屈になるんじゃないかと思うわけで。
「木崎君、落ち着いて? なんか変な方向に思考が行ってるよ?」
「す、すまん。俺はまだ少し分かってないみたいだ」
「じゃあ、分かりやすいことから言おうか。私の恋は今年で5年目。そもそもの勘違いはスタート地点が違うってことにあのバカは気付いてないだけ。私が好きなのはずっと一人だけだよ。大好きなサッカーを投げ捨てるバカなことしちゃう奴だけど、とってもいい奴で、私にとって特別な奴なの」
5年目ということは中1のころになるわけで、太一が長谷川と知り合ったのって中2の時のはず。
長谷川が抜け殻の太一に声をかけたことから始まったはずだ。
それに――長谷川からこぼれるこの感じは知ってる。
体験したことのある感覚。
会長や花音がときおり漏らすノロケ話のときのような。
その時の会長や花音は恥ずかしがりながらも幸せそうな顔で話す。
太一が言う乙女の顔がそうだと言うのなら、今の長谷川が浮かべているのが乙女の顔になる。
好きな人の前だと幸せそうな顔になる。それが恋する乙女の顔なのだろう。
俺が分かりやすい典型的な例でいうと愛になるだろう。
愛が分かりやすいのは、みんなでいるときと二人だけでいるときの差が大きいからだ。
ああ、そうか。
少し理解できた。
別に目の前にその人がいなくても乙女の顔になれるのだ。
好きな人の話をしているのだから。
そう考えると、太一から聞いた話も見方が変わってくる。
幼馴染に話す長谷川が乙女の顔になっていたのは事実なのだろう。
話題は好きな相手の話――太一の話題が多いのだから。
「……やっぱり、太一で合ってるんだよな」
「そうだよ。でも自分からは絶対に言わない。これだけは決めてるの。だって、あのバカは私に恩を感じちゃってるからね。恩に報いて私を好きになれっていうのはおかしいでしょ?」
「それ辛くないのか?」
「全然、彼氏彼女という関係と今の相棒の形と何が違うのか私には分からないし、どっちでもいいと思ってる。望む形に収まってるからね」
「俺が言っていいか分からないけど、あいつは一生お前の友達でいる気だ」
「知ってる」
「お前への気持ちをゆっくり時間をかけて消化するつもりだ」
「知ってる」
「だったら、お前から寄ってやってもいいんじゃないのか?」
「それは間違いだよ木崎君。あのバカはまだ逃げてるから、何かと言い訳を作って逃げてるだけ。逃げるのは許せない。それともう一つ、今の時点で私はかなり歩み寄ったつもりだよ?」
話を終えた長谷川が「じゃあ」と言って踵を返す。
長谷川と入れ替わるように太一が俺の元へやってきた。
「話は終わったのか?」
「ああ、勘違いだってことが分かった」
「だろ? だから言ったじゃねえか。ありえないって」
太一は、去っていく長谷川の背中に視線を向けながら言った。
見送る太一の心情はどういったものなのか、俺には分からない。
そんな太一に伝えるべきことは伝えておくべきだが、その前に確認したい。
「太一、聞いていいか?」
「なんだ?」
「先輩に土産持って行ったって話があっただろ。その時の話題ってどんなのだ?」
「普通に何したとか、どこ行ったとかだ。その時もあいつ俺のことボロカスに言ってんだぜ。嫌になるよな」
やっぱり、バカはお前だったよ、太一。
お前は俺と違って恋というものを分かっていながら目を背けているバカ野郎だ。
長谷川が言う、何かと理由を付けて逃げているバカ野郎だ。
「バカな太一に伝言だ。勝手に勘違いして、勝手に終わらせるなバカ野郎。こっちはとっくに分かってるってよ」
「……それ、あいつが言ったのか?」
「確かに伝えたぞ」
間の抜けたような顔で聞き返してきた太一は動揺しているようだった。
太一の中で答えが出たのだろうか、太一は何も言わず、長谷川の元へと走っていった。
自分の思いを伝えるのだろうか。
もし、そうだとするならば頑張れと応援したい。
今まで気付かなかったけど、周りに潜んでいるギャラリーの数が凄いな。
響と愛と花音も柱の陰から二人を覗いているし、体育館の通路から覗き込んでいるのは会長たちだな。
いつの間に潜んでいたのか、うちのクラスのやつまで混ざっている。
太一が長谷川を呼び止めて、身振り手ぶりで何かを伝えている。
あ、殴られた。しかも、今の確実にグーで殴ったよな。
どうやら俺の親友は大事なタイミングで余計なことを言ったらしい。
太一が殴られたのを見て、坂本先生が小躍りしているけれど見なかったことにしよう。
お読みいただきありがとうございました。