390 修学旅行20
土曜日。
うーん。目覚ましなしで起きることができた。念のためオフにしておいてと。
久しぶりに自分のベッドで寝たけれど、修学旅行の時のベッドが良かったからなのか、少し寝づらかった。ホテルのベッドと比べるとクッション性が全然違う気がする。
もっといいベッドに変えたくなるなあ。
とりあえず気分を切り替えて、旅行前と同じ日課を励もう。
運動用ジャージに着替えてリビングへ、既に春那さんがスタンバイして待っていた。
二人で準備体操をしっかりしたのちに朝のランニング開始、軽く息が弾む程度の速度で走る。
今のところ往復20分で3キロメートルは余裕で越えている。
走り始めたころに比べると汗もかかなくなったし、距離も随分と伸びた。
真冬になると流石に早朝は気温が低すぎたり、道が凍ってたりと走るにはよろしくないようなので、春那さんはヨガやストレッチといった体型維持程度の運動で過ごすそうだ。
冬ごもりで鈍った身体を春から秋にかけて鍛え上げていくのが春那さんのやり方らしい。
空手をやっていたころは真冬でもやっていたそうだが、実はものすごく嫌だったらしい。
一緒に通っていた晃にだらしない姿を見せられなくて、弱音を吐けなかったっていうのが真実なのだそうだ。
ランニングが終わったあと、ストレッチをしながらそんな話をしてた。
体の手入れも終わったところで、春那さんは朝食準備。
俺は俺でいつもの日課をこなしていこう。
美咲起こしだ。
春那さん曰く、あそこまで酷いと思わなかったらしいので、俺がいなくなった二日目以降は春那さんが走りに行く前に美咲の部屋へ突入し、卵を成型する前に布団を剝いでおいたらしい。美咲がふてくされて大変だったと言っていた。
一応ノックして美咲が起きていないことを確認。
それから部屋に入ると、既にベッドの上には卵が成形されていた。
何だろうこの安心感というか、やっぱり朝はこれだよという感覚は。
面倒なことこの上ないのだけれど、修学旅行中の物足りなさが分かった気がする。
俺は美咲を起こすことが習慣化していたんだな。
「さてと、まずはひっくり返すか」
いつものように卵をまずベッドの端にずらして転がす。
底面を見ると相変わらず布団を引き込んでいる口は堅く閉ざされている。
その口から強引に手を突っ込み、布団を解いて行くのが近道だ。
しかし、寝ているはずの美咲が中から抵抗するので、これが厄介なところ。
以前はくすぐって美咲の力が抜けたところを引き抜いていたのだが、晃のせいで美咲はくすぐり耐性を得てしまった。美咲は嫌な方向に進化するのだ。
多少時間はかかったものの何とか卵の殻にあたる布団の剥ぎ取りに成功。
枕を抱きかかえ、身を縮こませながら美咲はもぞもぞしている。
油断すると剥がした布団を捕まえて新たな卵を作るので、布団と美咲の間に身体を置いておくことが大事だ。
今日の美咲は寝言なし、反応ありなので、比較的この状態から起こすのは楽なはず。
軽く体を揺すると、うっすら目を開けて寝ぼけ眼を俺に向けてくる。
「ほら起きろ。もうすぐ朝ご飯だぞ」
「ふえええ、まだねむい~あと300分」
「寝すぎだろ。昼まで寝る気か」
「んんん~、んっ!」
美咲は軽く唸ったあと、両手を天井に向けて上げる。
抱き起せというアピールだ。抱き起したらそのままハグするつもりなのだろう。
甘える美咲を抱き起して、ベッドから降りたあとにいつものハグタイム。
ん? なんだかいつもより俺に体重を預けていないか?
「美咲?」
「すぅ~」
これ初めてのパターンだ。ハグのタイミングで寝やがった。
やべえ、身動きが取れん。支えていないと美咲が倒れるかもしれない。
まさかハグ中に二度寝するなんて。
相変わらず意表をついてくる美咲に危機感を覚える。
結局、春那さんに助けてもらうまで、膠着状態が続いた。
☆
修学旅行の土産を持って、愛里家に到着。
久々のバイクは運転が楽しかった。
扉の横のインターフォンを押して到着を告げると、いつものように中からドタドタと音がする。
「はいはーい。すぐ開けますからねー」
やっぱり愛だった。
「ようこそいらっしゃいました。お待ちしておりました明人さん」
玄関を開けるや否や俺の腕にへばりつく愛。
「響さんはもう来てます。というか、愛が迎えに行って連れてきたんですけどね」
お互いの家は近いけど、響はここに辿り着けないから送迎される。主に愛にだが。
それから居間へと通されて、雅春さん、恵さん、アリカと響が揃っていた。
テーブルの上には響が買ったと思われる京都土産の餡餅の箱。それ結構有名なやつだよな。
「お邪魔します。俺も京都土産持ってきました」
「わざわざ持ってきてくれてありがとうな」
挨拶を交わした後、袋から土産物を差し出し、テーブルの上に置く。
「清高は相変わらず京都か。そろそろ変えたらいいのに」
「私たちが行った時よりも随分と変わっているから、昔の記憶で行ったら分からないかもね」
雅春さんと恵さんは二人とも清和市の地元民で、俺らの先輩にあたる清和高校のOB、OGでもある。雅春さんたちの高校時代も修学旅行は京都。その時には班単位の自由行動などなかったそうだ。
「香ちゃんは修学旅行東京だったよね。12月だっけ?」
「うん。12月頭に二泊三日。明人たちより短い」
「昔はこの辺りの高校全部が京都だったけどな」
それから雅春さんらの思い出話と俺と響から修学旅行の話で盛り上がる。
途中、食事の準備に移るため、愛と恵さんが席を立つ。
「あっと、そういや明人君よ。今日はまだゆっくりしていくんだろ」
「えっと、予定はないので皆さんが良ければ」
「香も愛も明人君がいない間、寂しい思いをしてたからな。ゆっくりしてってくれよ」
「ちょっ、パパ! 違うからね。寂しくなんか感じてないんだからね」
アリカが顔を赤くして慌てているが、顔は合わせてないものの連絡は取り合ってたし、アリカの言う通りのような気がする。
「愛はとっても寂しかったです~」
「あら、あら」
台所から愛の声が聞こえてくるけれど、よく聞こえたな。
恵さんは常に平常心を保っている感じでいつもと変わらない。
愛とアリカのお母さんの割には凪みたいな人なんだよな。
「飯食ったら、明人君のバイクちょっと貸してくれないか? ビックスクーターって乗ったことないからさ。軽く走ってみたいんだよな」
「パパずるい! あたしも乗りたい!」
「だめ~、香は試験勉強あるし、明人君の相手もしなくちゃいけないだろ?」
「勉強はあとでするし、明人も一緒にくればいいじゃん」
「でもだめ~」
「お父様お任せください。どうぞ連れて行ってあげてください。明人君の相手は私がしっかり面倒をみておきます。なんなら愛さんも連れて行ってもらって結構ですよ」
響のやつ、ここぞとばかりに愛まで売る気だよ。
雅春さんってアリカを相手するときにちびっこを相手にするような感じが多いな。
いつもこうなんだろうか。
愛は口うるさいって言ってたけど、アリカは全然そんなこと言わない。
「バイクを貸すのは構いませんよ。一度、乗ってもらって、気を付けた方がいいこととか、アドバイスもらえると助かります」
「おっ、明人君はいいやつだな~。んじゃあ、しっかり見ておかないとな」
「ずるい」
「わはははっはは、子供に言い聞かせるのは大人の特権じゃあ」
アリカが雅春さんをポカポカと叩く。
たまにドスって音してるから加減ミスってるぞ。
「あらあら、香も乗りたいわよね。でも今日はパパが前から楽しみにしてたから譲ってあげなさい。明人君を放置するわけにもいかないでしょ。あなたも香をいじらないの」
「「は~い」」
「返事は伸ばさない」
「「はいっ」」
雅春さんとアリカ、行動といい発音といいそっくりだわ。
叱られるところも一緒って親子だな~。
昼食をいただいたあと、雅春さんは俺のバイクを軽く流してくるといって出かけていった。
「私はちょっと家の用事を済ませるから、香か愛の部屋に行っててね」
「アリカの部屋でいいか?」
「うん」
「あら明人君。アリカが香のあだ名なのは知ってるけど、うちに来た時くらいは、ね?」
ん?
ああ、そうか。
愛里香だからアリカって呼んでるけど、本当は香だもんな。
親御さんの前であだ名呼びは本人がいいと言っていてもあまりよろしくないか。
では、言い直そう。
「香の部屋でいいか?」
ありゃ、アリカが顔どころか、肌が見えるとこ全部、真っ赤っかになって慌ててる。
両手で自分の髪を鷲掴みしてるってことは相当慌ててるな。
いくら俺は慣れたといっても、根本的に男馴れしていないから、名前で呼ばれたら恥ずかしいんだろうな。美咲が喜びそうなシチュエーションだ。
「あらあら、香ったらものすごく照れちゃって可愛い~」
「ママ!」
「はいはい、もう言わないわよ」
「え、えっと、こっち」
アリカは顔を真っ赤にしたまま、案内を始める。
ところで、俺の脇腹に刺さってるこの手刀は何かな?
響のだけど。
「アリカにだけたまに見せる表情が許せない」
「ずるいです。ずるいです」
愛が何をずるいと言っているのかわからないが、とりあえず響は手刀を抜いてくれ。
痛みで動けん。
☆
痛む脇腹をさすりつつ、アリカの部屋へ案内された。
何気にアリカの部屋に初めて入る。
アリカだからというわけではなく、女の子の部屋に入るのは緊張する。
入ってびっくり、緊張さんがどこかへ旅立っていった。
これは女の子の部屋というより、前島さんの部屋と言ってもいいかもしれない。
ミニテーブルの上には工具と半田ごて。あちこちに模型だの基盤だのが置いてある。
かろうじて女の子してるのはベッド近くに置いてあるクマのぬいぐるみ一体だけ。
彼がスーさんなのだろう。スーさんの横にベーゴマが置いてあるが気にしないでおこう。
勝手なイメージだったけど、机にランドセルぶら下げてるとか、机でお絵かきしてるとか、そういうの可愛らしい幼女イメージを期待していたのに。アリカさんこれは駄目だ。裏切りだ。
「相変わらず男部屋みたいね」
「うっさい。文句あるんだったら愛の部屋にしよ」
「えっ、香ちゃん急に振るの駄目だよ。香ちゃんの部屋でって言ったじゃん」
「散らかってるの? 俺、気にしないけど」
「いえ、そういうわけじゃないですけど。えっと、大丈夫かな?」
「はい、部屋替え部屋替え~」
アリカはスタスタと隣の部屋へ向かい、扉を開ける。
「こっちが愛の部屋よ。ん、何あれ?」
「え、香ちゃん何?」
「なんでハマちゃんが――」
ハマちゃんはキリンのぬいぐるみのはず。つい気になったので、足早に移動して、アリカの視線の先を追う。キリンのぬいぐるみ――ハマちゃんが逆さづりで細い索にがんじがらめに縛られていた。
何だこの亀の甲羅みたいな緊縛プレイは。
「「……愛 (さん)?」」
「違う、違うんです~ちょっと真似してたんです。御仕事人で組紐使う人いるじゃないですか。組紐がないから、細い索使って真似してたらうまくいかなくて解こうとしたら絡まってこうなったんです」
「うまくいかなくても、この縛り方は駄目だろ」
「ご両親には見せられない状況ね」
「これの何が見せられないの?」
うん、アリカは知らなくていいんだよ。
これは一部の人が大好きな縛り方で、知らなくても人生に損はないから。
ちなみに愛の部屋はものすごく可愛らしい年頃の女の子の部屋でした。
お読みいただきありがとうございました。