388 修学旅行18
修学旅行ではなりを潜めていた狩人が目覚め、我が身を襲う。
手刀で受けた痛みを理不尽だと思いつつも、数日振りの再会に喜び合う響と愛を眺める。
手四つで掴みあい、ギリギリと力を込め、相手を押し倒そうとしている。
殺気が全開だけど、これ喜びあってるで合っているのか?
「響さん、今ぐらいは譲ってくれてもいいんじゃないでしょうか?」
「行く前に約束したでしょ。まだ私の独占期間だわ。自宅に帰るまでが修学旅行よ」
本当に帰ってきたんだなと実感する。
「そろそろ二人とも落ち着きなよ」
俺が言うと、二人は同時に手を離し、俺の左右に移動し、それぞれ腰を落とす。
その変わり身の良さも相変わらずで何よりだ。
「言い遅れましたが、響さんもお帰りなさい」
「私も言い遅れたけれど。ただいま、愛さん。元気で何よりだわ」
やっぱり仲が良い二人だった。
二人とも修学旅行期間中も連絡は取り合っていたようだが、やはり顔を合わせると違うのか、愛は響にちょっと太りましたよねと言い、響は愛に目が悪くなったのかしらと言い返していた。
この響は愛と一緒の時じゃないと見れないんだよな。
お互いに全くの遠慮はないが、大事にしあっているのは分かる。
愛への土産話に修学旅行中に起きた出来事を話す。
愛は来年、京都に行くことになるだろうから、ぜひ参考にしてもらいたい。
愛が興味を引きそうな話題として、宿泊ホテルで食べた京料理の話題を中心にする。
修学旅行中にホテルが用意してくれた食事なのだが、京料理の味付けはかなり薄く感じた。
出汁とか素材の味とかはしっかりとしていたので十分に美味しいのだけれど、京料理と名の付くものは何かが物足りない感じがあった。
これは俺だけでなく多くの生徒が言っていたので、俺の勘違いではないだろう。
食文化の違いは思ったよりも大きかったようだ。
「今日の朝食に出た塩おにぎりはすげえ美味かった」
「私の周りでもあのおにぎりは美味しいって言ってる人が多かったわ」
「塩分不足の身体にちょうど良かったんでしょうね。この地方は周りに比べると味付けが濃いところですから。多分ですけど、修学旅行中、体の塩分を消費していて、向こうで食べていた料理じゃ不足を補えなかったんじゃないですか。不足した状態で長くいるといらいらしたり、体調不良を起こす場合もありますからね」
思わず驚いた。
愛がこんな話をできるなんて。
「私の耳がおかしいのかしら。愛さんがものすごく賢そうなこと言ってる気がする」
「響さん失礼ですよ! 愛だって食事が体に影響することぐらいは分かっているんです。おうちのご飯だってちゃんとばらんすを考えて作ってるんですよ」
「ちょっと興味がある。愛はどんな感じで考えてやってるんだ?」
愛は鞄の中から小さな分厚い手帳を取り出して、ぱっと開いて見せてくれた。
「こんな感じです」
差し出されたメモ帳には、朝・昼・夕のメニューが書いてあった。
メニューの下には、主食・主菜・副菜・汁物ごとに使用食材も書いてある。
これ毎日やってるの?
「パパが鉄分が足りないとか、食物繊維が不足してるとかうるさくて。あ、あとちょっと待ってくださいね。これも活用していること多いです。えーと」
愛は、また鞄の中をゴソゴソと手探りして、カラーで印刷された1枚の紙を出した。
愛が見せてくれたものは五大栄養素に分かれた栄養素表。
五大栄養素とは、炭水化物・脂質・タンパク質・ビタミン・ミネラルのことだ。
タンパク質の枠の中に肉とか魚の絵が描いてあったり、炭水化物の中に米やパン、麺類が描かれていたりして、それぞれがどういった役割をしているか簡単に記されたものだ。
炭水化物と脂質が体を動かすエネルギー源、タンパク質は体を作り、ビタミンやミネラルが体の調子を整えるものという風にカテゴライズされている。
これに似たものを俺も見たことがある。小学生のころに生活だか家庭科の授業で習った。
俺が見た表は愛が差し出した物よりもっとざっくりとしたものだったような気がする。
この知識を得たせいで、うどん定食に付くご飯やおにぎりを見るたびに炭水化物同士だけど栄養的にいいのかって疑問を持つようになったんだよな。実際エネルギー源として摂取するエネルギー量が増えるだけなので問題ないのだから、栄養素でうどん定食を語ってはいけないのだろう。
「愛が台所に立って慣れたころに、パパの言ってる意味が分からなくて献立で悩んでた時期があったんです。そしたら香ちゃんがこれをくれまして、それから活用してます。覚えられないので持ってます」
「ちゃんと理にかなった栄養管理してるなんて、これは愛さんの日々の積み重ねだからすごいわ」
「ん~、でも香ちゃんはあんたちゃんと理解してるのって、よく文句言いますよ?」
それはアリカの発育に対する八つ当たりじゃないか?
ちっこいし、ぺたんこだし。
食事のせいにしたかったんだと思うが、同じものを食べている愛がちゃんと発育しているのだから料理のせいにするのは間違いだと思う。
少なくとも愛の食事量は響より少し多いくらい。
響は元々食事量が少なめだと思うから、女子の基準にするなら愛の方がいいのだろう。
普段、愛の三倍は食べるというアリカ。アリカ自身隠すこともしていない。
愛の話だとアリカの体重は若干の増減はあれど、ほとんど変わっていないそうだ。
あいつ確かに軽いんだよな。俺でも高い高いができるほど簡単に持ち上げれる。
逆に愛は食べ過ぎるとすぐに太ってしまうのでアリカが羨ましいという。
あの小さい体でどこに入っているのか、愛も不思議らしい。
蓄積よりも消化が早いのだろう。
基礎代謝が高すぎるのかもしれない。
アリカ本人が体の小さいことは事実だから気にしていないと前に言っていた。
そもそも周りが言うだけで、意識すらしていないそうだ。
ただ、不便なことがないとは言えないらしい。
愛曰く、アリカにはアリカの生活範囲があって、手の届かない場所は基本意識の外らしい。
例えば台所の吊り戸棚はアリカが踏み台に乗っても届かないので、アリカからすれば探す対象にすらならないとのこと。愛はその辺を利用して、買い置きの物とかをアリカに食べられないように吊り戸棚に隠したりするそうだ。
アリカが探せる場所に置いておくと、すぐに見つけて食い漁るらしい。
飢えたアリカだと勘も鋭くなるので、巧妙に隠しても無駄なのだと。
修学旅行の話から大分脱線したが、アリカの話だとみんな止まらない。
「香ちゃんがばいく好きの理由の一つで、ばすとか電車にあまり乗りたくないというのもあるんです。混雑すると空間が狭くなって呼吸しづらいそうです。まあ確かに香ちゃんだと鼻の位置が愛の胸辺りですから分かりますね」
「アリカからしたら壁に塞がれてる状態ね」
「だよなあ。前に一緒に飯に行った時もエレベータの中で潰されそうな気がしたから俺が壁になっ潰れないように防いでたんだよ。あの時のアリカは妙におとなしくてさ、いつもと全然違ってたな」
「「……」」
ん? 今の間は何かな?
「そういえば……前にアリカが言っていたことなんだけど、私の一歩とアリカの一歩は身長差や足の長さの違いで、当然歩幅が違うじゃない? 私が2歩進むのにアリカは3歩いるから、同じ距離を進むなら自分の方が疲れるって言ってきたの。聞かされた私はどう答えていいか分からなくなったわ」
「ああ、それ分かります。たまに自分の小ささを武器にしてくるときありますよね」
「あるある。慰安旅行の時も俺と泳ぎの勝負したじゃん。俺が負けた時に身長差があるのに負けて悔しいかみたいなこと言ってた。その直前に俺がアリカに好きかどうか聞かれたときの態度はどこへ行ったと思ったくらいで――」
「「……ほほう?」」
急に寒気がしてきたのだが。
俺は何の地雷を踏みぬいているのだろう。
この話は触れるとやばそうなでチェンジ。
「あいつ、人に頼るとか考えてないから、どう見ても背が足りないような届かないところでも自分でしようとするだろ。それが夏休み辺りから俺にすぐ振るようになってきたんだよな。すぐに俺を呼ぶんだよ」
「……愛さん。ちょっと後ろへ」
「はい」
俺がそんな話をすると、響と愛が一旦離脱し、ぼそぼそと話し合いを始め、すぐに元の位置へ戻ってきた。今の話し合いは何だろう。表情を探ってみても分からない。なんだか怖いんだが。
アリカの話を続けると危ない気がしてきたので話題を変えよう。
「あ、あの、愛たちに土産を買ってきてるんだけど、明日持って行っていいかな?」
「へ、お土産買ってきてくれたんですか」
「うん。個人用じゃなくて申し訳ないけど」
「いえいえ、全然お気になさらずに。ありがとうございます。わざわざ持ってきていただけるなんて」
「明人君、私も愛さんにお土産を買ってきてるから、出来れば時間を合わせて一緒にどうかしら?」
「愛が良ければだけど、どうかな?」
「全然、だいじょぶです。家族一同で歓迎します」
それから少しして響のお迎えが到着し、響は帰宅した。
そのあとすぐに文さんが姿を見せたので、俺も愛と別れて帰路へとついた。
文さんは家に着くなり、荷物も放置して家にダッシュ。
俺が荷物を運んで玄関に入ると、文さんが通路に寝ころんでルーの腹に顔を埋めすーはーしていた。
「ルーたん、クロたん。ま゛ま゛ざみじがったよ~。うぅっ、うっ。すぅ~はぁ~」
ルーはいつものこととされるがままに対し、クロが文さんの腕にすりすりと頬ずりして甘えていた。
とりあえず、今のうちに残りの荷物を運んでしまおう。
リビングに荷物を移動して、文さんは愛猫を満喫するまで役に立たないだろうから放置。
春那さんは仕事で、美咲はバイト中。
春那さんからは食事は下準備していると連絡は受けている。
どれどれと冷蔵庫を覗いてみると、春那さんが下準備したと思われる食材があった。
「今日は生姜焼きだったな。ああ、これか。春那さんは食事して帰ってくるから、俺と文さんと美咲の分だけ……ん、この下のパックは何だ?」
開けてみると、パックには見た目が豆腐よりも白く艶々したものが入っていた。
匂いを嗅いでみると、ほんのり甘さを感じる。
「これ杏仁豆腐か?」
柔らかそうなのだが、弾力的にどちらかというと羊羹……
「!?」
美咲の新作か!?
しまった。これは油断した。
春那さんが仕事に行っていて、俺も文さんも不在となれば美咲が家に一人でいた時間が多い。
そうなると、美咲が羊羹作りをしていた可能性が跳ね上がる。
料理は駄目と言っているからしないが、羊羹作りだけは駄目と言っても隠れてでもするのが美咲だ。
修学旅行中は絶好の機会だったに違いない。
これは見なかったことにして封印したほうがいい気がする。
いや待てよ。これ美咲が帰ってきたら出してきて味見させられるんじゃないか?
いっそのこと処分しておくか……
うーん。味見もせずに処分してしまっていたら、美咲もショック受けるだろう。
それはそれで面倒なことになりそうだ。
少なくとも何をベースにしたとか、どんな材料を使ったとか聞いた方がいいだろうか。
文さんに試食させるのも手だが、過去の実績からゼリーとか寒天とか出しても美咲の新作じゃないかと警戒して俺か春那さんが口にするまで手を着けないしな。
うわあ、見るんじゃなかった。
うん。忘れよう。
あとで俺の身に何が起きるか予測はできるが、今だけは忘れよう。
そうしないと膝がガクガクするからな。
現実逃避も兼ねて荷物の片づけや土産物の整理。途中、文さんと俺の分の夕食準備。
冷蔵庫を開けるたびに例のパックが視界に入り、その度に膝が震える。
ようやく文さんが愛猫を満喫して、リビングに入ってきた。
次はお腹が減ったのか、早くご飯が食べたい、お酒が欲しいと駄々っ子になった。
5日間の断酒を頑張った文さんにご褒美だ。熱燗が希望のようなので準備してあげよう。
自分で買ってきた京都の地酒の小瓶も飲むようだが、そっちは地で飲むようだ。
お疲れさまでした。あまり飲み過ぎないように注意してくださいね。
食事を終え満足した文さんは酒を抱えルーとクロを連れて自室に引き上げていった。
飯も食ったし、美咲が帰ってくるまでまだ時間はある。
土産物を持っていくついでに美咲を迎えに行こうかと思っていたのだが、美咲本人から疲れているだろうから絶対に駄目だと念押しされている。
美咲の言葉に甘えさせてもらって、ゆっくりと寛ぐことにさせてもらう。
食事の後片付けと旅行の後片付けをしたあと、洗濯と入浴を済ませる。
少し体が空いたので、リビングでくつろぎながら、みんなからもらった写真データを一枚ずつ見ていく。途中で美咲から『バイト終わり。今から帰ります』とメールが入る。
美咲が帰ってくる時間が近づいたので、美咲の分の料理を開始する。
バイトが終わったあとの食事は、食べる量を美咲が自主的に制限しているので、量は少なめに。
夜遅くに食べ過ぎると太るから嫌なのだそうだ。
出来上がったタイミングで玄関の扉が開く音がした。
玄関に行って美咲を出迎え。
「「おかえり」」
お互い出た言葉がハモったのもあれだけど、お互いにちょっとおかしな感じがして笑ってしまった。
まあ確かに美咲からすれば俺も帰ってきたのだから、合っているのだけれど。
お読みいただきありがとうございました。