386 修学旅行16
この旅行中、文さんと遭遇するのはホテルでの食事の時だけだったが、日が経つにつれ元気がなくなっているのが分かる。あれは愛猫欠乏症だな。ルーとクロが恋しくてしょうがないのだろう。しょっちゅうスマホに視線を落としているけれど、保存したルーとクロの写真を見ているに違いない。そろそろ末期に近い感じがしたが、今日の夕方には会えるから最後まで頑張って耐えて欲しい。
先生方も夜には小宴会とかして酒でも飲んでいるだろう思っていたが、修学旅行期間は先生方も宴会・飲酒禁止だそうで、酒好きの文さんにとってはダブルパンチの状況だったようだ。
行く前に京都の酒が飲めるぞって息巻いていたのに、相当ショックを受けただろうな。
帰ったらいつもより多めに酒を出してあげるよう春那さんに頼もう。
文さんがスマホをぎゅっと抱きしめてる。限界が近いっぽい。
あの人、愛猫欠乏症が発症すると酔ってなくてもマジ泣きするからな。
一応、先に春那さんにメールを送っておこう。
すぐに返信が来た。
いつものソファーでルーとクロがくっついて横になっている。
おお、可愛いじゃないか。いや、俺にルーとクロの写真を送るんじゃなくて、文さんに送ってあげて。
とりあえず見せに行こう。
一応、学校行事中なので呼び方には気を付けてと。
「本居先生これ」
ルーとクロの写真を見せたら、スマホをひったくられた。
「……気のせいか、ルーたんとクロたんがふくやかになってる気がする」
「がっつり食ってるんじゃないですか?」
「ママ今日には帰るからね。待っててね」
一応、スマホは返してもらって、写真は文さんに転送しておいた。
多分、帰ったらルーとクロが捕まって匂いを嗅がれることになるだろう。
☆
お世話になったホテルを後にし、伝統産業の体験学習を受けにバスで移動。
この行事が終わったら、昼食後に土産物を買う時間が少し与えられ、学校までの帰路につく。
4泊5日はあっという間だった。
あまり触れていなかったが、クラスメイトともそれなりに夜の時間で交流できた。
女子には女子の世界があるように男子には男子の世界がある。
男子にも恋バナはあるのだ。
恋愛感情を勉強したい俺にとっては、ぜひ聞いてみたいことだった。
目的地へと向かうバスの中で、男子が集まったときに聞いた話を思い出していた。
この修学旅行中にカップルになったものや、逆にこの旅行がきっかけでやばくなっているのもいるらしい。俺も間近で篠原と牧瀬、竹中と宇田のカップル成立を見ている。
元々カップルで影響が少なかったのは、昨日の女子の騒ぎに巻き込まれた二組。
因幡と杜里さんのカップルは平穏そのもので格付けによる影響は全くないようだ。
因幡は反省していたし、杜里さんはうちはうち、よそはよそと意にも介していないらしい。
兵藤のところは、横恋慕が来ないかと彼女が心配しているそうだが、兵藤はこんなのは一過性のものだから彼女に心配させないようにフォローしとくと言っている。
この二組は現状維持で済みそうだ。
次は喜ばしいニュース。
新たなカップルがうちのクラスで二組成立した。
一組目が横須賀と島田さん。元々仲良しであり、この旅行をきっかけに付き合うことになったそうだ。
横須賀とはホテルで同部屋だったし、いい奴だと思ったので心から祝福しよう。
あともう一組が5班の近藤と佐倉さん。
この二人の名を聞いて少し驚いた。この二人、犬猿の仲と言われるほどの仲が悪い印象があったからだ。それがどうしてと聞いてみると、実は佐倉がツンデレで近藤が鈍感だったらしい。クラス内では有名な話でいつくっつくのかとヤキモキされていたようだ。俺が気付いていなかっただけらしい。
前々から佐倉は近藤のことが好きだったようで、本人を前にすると素直になれず悪態をついてしまい、近藤はそのことに気付かずに喧嘩を売られたと思い買って勝負していたと。
二人は色々な種類の勝負(という名のデートだったらしい)を繰り返していて、同じ班になって京都で決着だと息巻いていたのは覚えている。くっつけるのに同じ班だった江口さん、三木さんと男子の竹岡が苦労したそうで、お疲れさまと言ってやりたい。
それから悪いニュース。
破局がちらついているカップルの話。
やばくなっているカップルというのが隣のクラスの男子と付き合っていた渡部さん。
どうやら彼氏がこの旅行中に浮ついた行動をしたらしい。
渡部さん的に一気に冷めたようで、彼氏のことはもうどうでもいいらしい。
彼氏は平謝りらしいが、受理されていないようだ。
仲直りしてくれればいいが、相手の説得次第だし、渡部さんが納得できないなら無理だろう。
この話題はクラスで避けることにしよう。
川上と柳瀬は恋愛関係はここからが本番と言っていた。
この旅行で種がまかれ、実を結ぶまでの間、地中で人知れず静かに育つとか大袈裟に言っていたけれど。恋愛を学ぼうと思っている俺にはどうもピンとこない。
種がまかれるまでは分かる。きっかけができたということだろう。
人知れず静かに育つってのがよく分からん。
川上らは苦しむがいいとか言ってたけど、あいつらの言うことは抽象過ぎてよく分からん。
あとは気になっている子ができたとか言う話も大いに盛り上がった。
彼氏いるのを知らなかったとか。
相手に好きな人がいるとか。
早くも失恋モードに入ってる奴とか、色々いた。
俺はこういう話題の時、沈黙を貫く。
響と愛に言い寄られているが、付き合っていないことは周りも知っている。
他に気になる子と言われても、その気が分からんから返事ができないんだ。
気になる子って時点で恋の始まりなのだろうか。
そんなことを考えていたら、体験学習をする施設に到着していた。
☆
てっきり全員が同じ体験学習を受けるのかと思いきや、クラスごと違うらしい。
うちのバスしか止まっていなかったのでそこで初めて気づいた。
人数制限の関係上らしいが、そんな話あったっけ?
「木崎君が上の空で話を聞いていなかったときにクラスで決まった」
「どうせ明人のことだから内容も見ずに〇付けたんだろう」
「昨日の話で気付いてると思ってた」
ふむ。どうやらみんなの記憶にはあったらしい。
おかしいな。班行動で何処に行くか考えていた時かな。
まあ、決まっているのならそれに従おう。
「ここって、何を体験学習するんだ?」
「京扇子作り。自分で作ったのはあとで送ってきてくれるんだって」
扇子か。
一から十まで作るのか、それともある程度形のあるもの仕上げるのか。
少しでもまともなものが作れたらいいなあ。
扇子専門店らしく、京都では結構有名なお店らしい。
一階が販売店で二階が体験学習のできる工房になっていた。
そこまで大きさを感じないが、二階は全員が入る広さは十分にあった。
二階に上がり、教えてくれる指導員の職人さんを待つ。
職人さんが数人来て、軽い挨拶をしたあと一連の流れを教えてくれた。
今日の課題としては扇子に張り付ける和紙に水彩絵の具で描くこと。
絵は店が用意したものを使ってもいいし、写してもいい、絵や文字といったオリジナルでもいいそうだ。出来上がった和紙を職人さんの手で完成品の扇子に仕立て上げて、後日発送してくれると。さっき長谷川が送ってくれるとか言ってたな。
絵描きの時間は制限ありで40分。
達筆でもないし、文字は避けることにする。
絵も上手とは言えないし、無からの創造は俺にできないだろう。
ここは写し一択だな。多少見栄えが悪くても少しはましなはず。
それぞれ班に分かれて作業を開始。
長い座卓をあてがわれる。
ちょうど真ん中あたりの手の届く場所に絵の具や筆といった道具がたくさん置いてあり、どれを使ってもいいらしい。
俺と太一は写しを選択。女子三人はオリジナルに挑戦するようだ。
写しのモデルで少し悩んだが、川の流れのような模様を選択した。
川は一筆書きで描けそうだし、間違っても多少線の太さを間違うくらいで済みそうだ。難しそうなのは脇にある石だな。俺が描いたらジャガイモに見えるかもしれない。
太一は金魚の絵をモデルにするようだ。それ難しくないか?
始まってみると、意外と夢中になるもので、モデルを見ながら四苦八苦。
このグラデーションみたいなのどうやるんだ? あ、少しずつ色を薄く変えればいいのか。
あ、ちょっとはみ出た。くそう、ここまでうまくいってたのに。
石、お前嫌い。なんか俺の石、石に見えない。
気が付いたら残り5分と言われ慌てて仕上げる。
他のみんなを見る余裕が全然なかったが、どうだっただろう。
横にいる太一の絵を見てびっくりした。モデルそのまんまな金魚の絵。
と、思いきや、三匹いるうちの一匹だけで終わっている。一匹描くので精一杯だったらしい。
それでも上手く描けてるし、一番目立つ奴が描けているから扇子にしてもいい出来になると思うぞ。
長谷川は……うん、冒険したんだな。それは何かな?
多分、動物だと思うけど。これあれだ。綾乃と同じレベルだ。
お前、綾乃レベルなのによくオリジナル描く気になったな。
長谷川が描き終えた絵を太一に見せる。
「これなーんだ?」
俺には分かりません。
茶色に島縞模様が入っていて、眼の周りが黒い。
猫のような髭もあるから動物なのは分かるが、人間の指みたいな五本指の動物は怖いよね。
「……だぬき?」
「おお、さすが千葉ちゃん正解だよ」
狸じゃないんだ。だぬきなんだ。
次に川上と柳瀬の作品を見てみる。
畜生。この二人絵がうまい。
川上は垂れ草に止まる蝶の絵を描いていて、京扇子の雰囲気にばっちり合ってる気がする。
柳瀬は何故か竹林にいるリアルパンダを描いているが、絵が上手すぎだろ。
どうやら俺の仲間は長谷川だけらしい。
お互いに黒歴史にならないように祈っておこう。
体験学習が終わって、次の場所へ移動。
駅前のバスターミナルに到着。どうやらここから昼食をとる場所へ移動するようだ。
人員点呼の後に軽い説明が入り、行儀よくすることと口酸っぱく言われた。
どうやら京都タワーの生えているビルの中のレストランで昼食になるようだ。
流石に引率を含め200人以上の移動となると、それなりに時間もかかる。
食事はビュッフェ形式で並んでいる料理の中から好きな料理を自分で取るセルフサービスだ。
初日と違って昼食時間が長く取られているのはこの形式だからだろうか。
一斉に行っても補充待ちや順番待ちで結構時間かかるもんな。
一応、取る順番みたいなものがあり、前菜、メイン、デザートと数回に分けて、自分が食べられる量で好きなものを取るのがマナーに沿ったやり方らしい。俺も細かくは知らないけれど、一度使った皿は使わず常に新しいものを使い、両手を塞がないように片手を開けて料理を運ぶこともマナーの一つらしい。
だがしかし、目の前に並ぶ美味そうな料理を見せられて、育ち盛りの高校生がおとなしくマナーを守れると思うなよ。両手に皿なんて当たり前、複数の食材をてんこ盛り、中にはソーセージ担当とか唐揚げ担当とか分担して運んでいる奴もいる。テーブル上に所狭しと食材が並べてる班が多い。
うちの班は他の班に比べるとましな部類だ。
「中々激しい争いだったが、ステーキゲット」
「ご飯コーナー混みすぎだろ。お櫃をもっと用意してほしい」
「いんちょのそれ美味そう。ちょっとちょうだい」
「見たことないから取ってみたけど、酸っぱいよ?」
「柳瀬の目当てのデザートがあっという間になくなった。早く補充して欲しい」
食事中の風景は比較的平和だったと思う。
料理を取りに行く姿は、高校生というより獣たちと言った方がいい気もするが。
先生たちの顔が引きつっていたが、気のせいだと思うことにしよう。
お読みいただきありがとうございました。