379 修学旅行9
辛い――この場にいるのがとても辛い。
「ちゃんと手を繋いどけって。人多いんだから迷子になんぞ」
「もう、タケちゃんたら~子供じゃないんだから~」
「うわ、これも美味しい。シノも一口食べてみ」
「どれ? うまっ! 俺の胡麻餡団子もうまいぞ。ほれ、口を開けなされ」
「あ~ん」
「お前全部食べる気だろ、どんだけでかい口開けてんだ」
「いいから早く寄こしなさい」
清水寺を出てからの道中で、篠原と竹中が牧瀬らに何を言ったのか分からないが、さっきから雰囲気がごろりと変わって妙なラブラブっぷりに目を向けていられない。明らかに清水寺での緊張感と今の感じは違う。
「…………甘ったるくて胸やけがする」
「……滅びればいい。滅びればよいのだ。川上よ、奴らを滅ぼしてもよいのではないか?」
牧瀬たちの行動の変化に川上と柳瀬が少し壊れているようだ。
「これ、私は確実にお邪魔虫よね。これからどうすればいいの?」
普段はそんな言葉を口にしないはずの響までそんなこと言いだす始末。
だけど響、お前の場合あんまり真剣に考えていないよな。
俺の腕をしっかり抱きかかえて、しな垂れかかってきてるし、真後ろにいる川上と柳瀬が俺らも含めて「奴ら」って言ってるの気がついてる?
妬みの視線に軽く殺意を加えてきてるから怖いんだが。
川上らは響のこと大好きっ子だから、お前は大丈夫だろうけど、俺はさっきから悪寒がひどい。
そんな中、平々凡々というか、一緒にいるけれど甘い空気を全く出していないのが太一と長谷川。
くっつきすぎず、離れすぎず、二人の距離感はいつもと同じで、ときおり太一が余計なことを言って、長谷川から鉄拳を食らうぐらいだ。
この二人は見てないようで全体を見ているというか、俺たち一人一人の行動をまるで俯瞰しているかのようだ。
どうやって手に入れ、鍛えたのかは知らないけれど、人の悪意や嘘を見抜く観察眼を持つ二人。
太一が言うには長谷川の方が敏感で正確らしい。
二人ともお互いのことを「嘘つき」と言い合っている。
その嘘はどんな嘘なのか、誰に対する嘘なのか――俺には分からない。
見ていて感じたことだが、太一は誤魔化し方が上手なのだと思う。
俺たちの班だけの時も変わらない。
長谷川と一緒にいたとしても、川上や柳瀬が混じっても何一つ変わらない。
ちょっとふざけて、だるそうにして、気を遣う。
誰に対しても同じ対応。よく一緒にいるというだけで長谷川にも実のところ同じだ。
だから太一は未だに長谷川のことが好きだということを感じさせないのだと思う。
長谷川は太一以上に誤魔化すのが、いや、自分を見せないのがうまいのだろう。
クラス委員長でありながら、クラスの誰からもはっきりとした印象を受けていない。
てっきり、クラスに馴染みのなかった俺だけかと思っていたら、クラスのほとんどが長谷川がどんな奴か分かっておらず、真面目な委員長という認識だけだった。
クラスのみんなの印象に残り始めたのは、長谷川が俺たちと一緒に行動してからだ。
川上や柳瀬も長谷川が太一のことを好きだと疑っていた。
しかし、一緒に行動しているうちに二人はシロだと判定した。
気配がないと、あれはただ単に仲が良いだけの二人で、監視していても面白くない、恋愛感情が微塵もない家族みたいなものだと判断したのだ。
事実は少し違う。
あの時に太一から聞いた言葉が事実なら、太一は長谷川のことがまだ好きなんだろう。
しかし、太一は自分の気持ちを打ち明ける前に、長谷川に好きな人がいることを知った。
その相手を太一も知っていて、今の関係を壊さないように諦めようと決めた。
ずっと友達でいられるように、ずっと相方でいられるように。
太一は自分に辛い生き方を選んでいる。
嫌なことから逃げる癖がついた俺なんかと比べてずっと強いと思う。
今も長谷川にヘッドロックされて、巨乳好きな太一が長谷川の胸に押しつぶされている。
しかし、太一は必死に長谷川の腕をタップし、大好きな巨乳に密着しているのに顔にいやらしさの欠片もないのが不思議なものだ。マジで必死な顔してる。
「マジで! マジで割れるから!」
「だいじょぶ、だいじょぶ。人間の頭蓋骨はそう簡単に割れないから」
「顎もかなりやばいから!」
「だいじょぶ、だいじょぶ。千葉ちゃんが壊れる一歩手前で放すから」
「明人助けて!」
太一が長谷川に何を言ったか知らんが、相当怒っているようなので見なかったことにしよう。
しかし、長谷川って太一にだけは本当に容赦しないよな。
以前、家に遊びに行ったとき太一は長谷川が綾乃に悪影響を与えたと愚痴っていたが、多分こういうのを見てきたんだろう。
☆
それから俺たちは人ごみに揉まれながら八坂の塔を経由して八坂神社を見学して回った。
二年坂と三年坂をもう一度巡りながら、ときおり気になる店に立ち寄ったりした。
歩き疲れを取るために途中にあるお茶屋によって、軽く休憩がてらこの後の予定を確認。
まもなく午後4時になろうかという時間帯。
ホテルに戻らなければいけない時間は6時半。移動時間を除いて2時間ほどの余裕がある。
当初の予定通り、鴨川辺りを見物がてら回っていくことに決まった。
京都駅から見て東側の方向にある鴨川。
鴨川の周りには祇園があり、運が良ければ舞妓さんが移動する姿なんかも見られるらしい。
四条大橋近くには歌舞伎の南座というものがあり、出雲の阿国が四条河原町で歌舞伎踊りをしたことから歌舞伎発祥の地とされているそうだ。
俺たちが実物を見てみたいと思っていたのは納涼床。
納涼床は川沿いに作られる高床式のものと川の上に床が作られるものがあって、鴨川にあるのは高床式で、貴船にあるのが川の上の床式で貴船の川床と呼ばれている。
基本的なシーズンとして4月から9月までで、あとは店ごとで違うようだ。
雰囲気くらいは味わえるだろうと近くを散策することにした。
電車を乗り継いで京都河原町に到着。
なんというか、都会の真ん中って感じで、これまた行き交う人が多い。
古都京都という言葉は嘘だろってくらい近代的な建物群。
こんなところで響をリリースしたらとんでもないことになりそうだ。
「響、絶対俺の腕を離すなよ」
「……」
「おい響、聞いてんのか?」
「ごめんなさい。ちょっと感動してたの。ちゃんと離さずにいるわね」
そういうと響はもう一つ力を込めて俺の腕をしがみつくように抱いた。
うん、とても柔らかいものがむっちゃ当たってます。
これは役得というものだろう。
よく知っている感覚の殺気が背後で増えたことは気にしないでおこう。
鴨川まで歩いて進み、橋の上から高床式の納涼床を見物。
その後、鴨川沿いの散歩道をみんなで歩いていく。
「千葉ちゃん、面白いね。本当に等間隔でカップルが座ってる」
「ほんとだな。不思議なもんだな」
「ウタ、俺らも座ってみる?」
「えっ!?」
宇田は驚きはしたもののすぐに小さく頷いて、竹中について行く。
それを見た篠原と牧瀬も二人から少し離れた場所に無言のまま移動していった。
「……明人君、私たちも行きましょう」
響はグイグイと俺の腕を引っ張りながら、牧瀬たちから少し離れた場所に連れて行こうとする。
まあ旅の恥は掻き捨てともいうし、これも思い出作りと思って付き合うか。
「滅びればいい」
「川に落ちて流されればいい」
病んだ発言が背後からしたが関わると危険な気がするので聞こえないふりをしておこう。
響と二人で座って鴨川の流れを見つめる。
「明人君まだ二日目だけど、この旅行がとても楽しい。今まで感じたことがないくらい時間が早く過ぎていくわ」
珍しく響が表情豊かに笑った。
本当に楽しかったのだろう。
楽しんでもらえたならそれは上々だ。
俺も色んな建築物を見れて楽しかった。
お互いに今日見たものや感じたことは口に出していく。
話していると、響が俺の肩に頭を持たれかけてくる。
ふんわりと響からいい匂いが鼻をくすぐる。
俺らの背後を通行人がいるの分かってるだろうに、恥ずかしくないのかこいつ。
「ドキドキするわ」
「そ、そうか。俺は恥ずかしいぞ」
「それに今日は明人君とくっついている時間が長いから、ちょっとムラムラしているの」
ん?
「このまま、どこかにしけこみたいと考えている私がいるわ」
響さん?
「さっきから明人君タイムに入りっぱなしなのよ」
なんか息遣いも荒くなってきているし、響がおかしくなってる!?
「この場で押し倒したいくらいなんだけど、構わないかしら。構わないわよね?」
「太一、川上、柳瀬、長谷川。緊急事態だ! 助けろ!」
俺は思わず大声で助けを呼んだ。
危なかった。響の野郎マジで押し倒そうとしてきやがった。
太一たちがぎりぎり間に合ってマジで助かった。
変なスイッチが入るのは春那さんだけにしてほしい。
川上と柳瀬に響を預けサンドウィッチ状態にしておく。
響は少し拗ねたが、とりあえずは大人しくしている。
冷静になるまでの冷却時間は必要だろう、しばらく我慢しとけ。
「いやー響がこうなるとは予想できなかったなー」
「旅の気分がそうさせたのかもねー」
おい太一に長谷川、他人事みたいに笑ってんじゃねえよ。
助けてもらったから強くは言えないが、面白がるんじゃねえ。
「明人、これ見てみ。お前らの写真撮っといたぞ。他の奴らもだけどな」
太一が長谷川のカメラを指差す。
いつの間に撮っていたのだろう。
その写真は鴨川の川沿いを竹中・宇田、篠原・牧瀬、俺と響が等間隔で座っている姿だった。
会話している間も複数枚撮られていて、そこに写っている牧瀬も宇田も響もなんだかすごくいい表情で、とても幸せそうに見えた。
「滅多に見せない響の笑顔だ。よく撮れたな」
「そこはほらシャッターチャンスは逃さずってね。我ながらうまく撮れたわ」
「長谷川ナイス。これファンクラブに高く売れるぞ」
「……千葉ちゃん。悪だくみするとぶっ殺すよ?」
しばらく散策して、響も落ち着いたので、俺の腕に帰ってくる。
少しばかり拗ねていたが、こういう響も珍しいと思う。
☆
ホテルに戻って夕食と入浴を済ませ、また集まったあと翌日の打ち合わせを軽くする。
懸念していた響へのアプローチは最初だけで済んだのは幸いだった。
おそらく最初の足止めが功を奏したのかもしれない。
今後も引き続き、気にせず固めていくことで話は決まった。
話し合いも終わり各自の部屋へ戻る。
就寝時間までスマホで俺へのメッセージをチェック。
通知がアリカと愛が各1件、美咲からは2件の合計4件だった。
内容を見てみると――
アリカからは『あんた調子乗ってんじゃない?』とメッセージ。
愛からは『響さんを京都に捨ててから帰ってきてください』と怖いメッセージ。
美咲からは『お仕置き追加(累計3回)』、『さらに追加!(累計5回)』とメッセージが入っていた。
何故にみんな攻撃的なんだよ!?
俺はふと気になって、てんやわん屋のアルバムを覗いてみる。
そこには俺と響が腕を組んで歩く姿や、鴨川で二人でくっついて座る姿が載っていた。
今日の日付でアップされている。
おそらく3人ともこれを見たのだろう。
美咲が累計まで書き込んでメッセージを送ってきているが、これはかなりやばい気がする。
美咲はため込むとお仕置きの残酷度が増す。
俺、家に帰ったらその日が命日になるような気がしてしょうがないんだけど。
10時になり消灯時間。
俺はそっとベッドから抜け出し、スマホを持ってトイレに移動。
色々気になることもあるので、美咲に電話を掛けてみた。
『……もしもし』
「あ、美咲。もうバイト終わった?」
『今ちょうど出て、カギ閉めたとこ……その前になんか言うことない?』
「昨日のおろろ、おろろってなんだよ?」
『そっち!? お仕置き更に追加だね。累計7回』
「なんで2回も増えてんだよ。おかしいだろ」
『明人君がへらへらと鼻の下伸ばしてるからですー』
「だからあれは響の迷子対策だって、行く前にも言っておいただろ」
俺だってバカではない。写真に撮られてアップされるのは想定済み。
だから前もって響と腕組む写真くらいは上がると思うと美咲に伝えてある。
『……じゃあ2回分残しで』
「ゼロにならねえのかよ。俺もあんまり長話できないから切るけど、帰り気を付けろよ。家に着いたらメッセージ入れて」
『お、心配してくれてるの?』
「当たり前だろ。いつもと違って美咲一人なんだから。マジで気を付けてくれよ」
『……うん、全力ダッシュで帰るね』
それ、逆に危ない気がするんだけど。
『じゃあ、今からガブちゃんで帰ります』
「ああ、それじゃあ」
美咲との電話を切ったあと、ベッドに戻り布団をかぶり、今度はアリカといつものやり取り。
アリカはあんなメッセージを送ってきた割には全然怒っている気配がなく普通だった。
今日は美咲に2回ほど襲われたそうで、大変だったらしい。
美咲が暴れてすいませんとしか言えない。
アリカと京都の感想をやり取りしている間に、美咲が家に無事到着しメッセージが届く。
ほっと一安心して、アリカと美咲の両方に『明日に備えて寝る。おやすみ』とメッセージを送って眠りについた。
あ、何で美咲が『おろろ、おろろ』って送ってきたのか、結局聞けてない。
なんだったんだろう……謎だな。
お読みいただきましてありがとうございます。