373 修学旅行3
家に帰ってくると、ソファーで美咲に晃が膝枕されていた。
晃にしては珍しく、顔をくしゃくしゃに泣きはらした顔で美咲に甘えている。
刻一刻と美咲と離れる時間が近づき、耐えきれなくなって泣いてしまったらしい。
美咲は晃の頭をよしよしと撫でて慰めていた。
「いつもと逆だな」
「うっさい」
晃は俺に顔を向けず言い返す。
二人で過ごせる大切な時間だ。
野暮なことは止めて、これ以上はそっとしておこう。
帰ってきてから気にはなっていたのだが、文さんが床に突っ伏してる。
文さんの背中にルーとクロが乗ってるけれど、ピクリともしない。
どうやら飢えて力尽きたらしい。
晃と文さんのためにも俺が晩飯を用意したほうがいいと考え、作り始める。
☆
日曜日――春那さんと一緒に早朝ランニングを終えて帰宅。
いつものように美咲を起こしに部屋へ向かう。
部屋をノックすると晃の声がして、入室の許可を貰う。
部屋に入ると、ベッドの上に美咲の姿がなく、晃の布団の中で晃に包まれるように寝息を立てていた。
「明人君おはよう。昨日ね一緒に寝たんだよ」
「おはようございます……変なことしてないだろうな?」
「してないって。でも興奮してなかなか眠れなかった。これが生殺しってやつかな」
「美咲の寝相がやけにいいのは不思議ですよ」
「ああ、私が抑えているからだと思うよ。すっごい動こうとしてた」
晃は美咲の寝顔を見ながら頭を撫でる。
「東京に持って帰りたいな」
「ふざけてないで起きてくださいよ」
「いいじゃん。最後の朝くらい」
「……じゃあ今日は譲りますんで、責任もって起こしてくださいよ」
「うん、ありがとう。でも、美咲に拒否されたら、今日は流石に泣くかも」
「流石に美咲も今日は拒否しないんじゃないですか?」
「だといいな」
俺はそのまま部屋を出てリビングへと移動し、春那さんが準備していた朝食の用意を手伝う。
少しして文さんがのそのそと起きだしてきて、ルーとクロに朝ごはんをあげる。
あとは晃と美咲が下りてくるのを待つだけとなった。
しばらくして、ドタドタと音がする。
リビングの扉が開き――
「おはようございます。おまたせ!」
「もうっ、もうっ、晃ちゃんてば」
晃がすこぶるご機嫌な顔で入ってきて、その後ろを美咲が怒りながら追いかけてきていた。
春那さんがやれやれと言った顔で二人を見る。
「朝っぱらからドタドタと何をやってるんだ?」
「春ちゃん聞いて。晃ちゃん私が起きないからって、口塞ぐんだよ」
「おやおや、死ななくて良かったね」
「私は悪くない。美咲が起きないから悪い」
「だからって、マジでキスしてこなくてもいいじゃない。息できなくて窒息するかと思ったんだから」
「「え?」」
俺と春那さんから同時に声が漏れる。
「女同士だし、美咲だったら別にいいかなーって」
「普通はしないよ!」
明らかに嘘だな。このチャンスを逃したくなかったんだろう。
「もうしちゃったもんねー。一応、私のファーストキスだからね。高いよ? あ、お互い様か」
「ファーストキス? ファーストキス……ファースト……キス?」
おい美咲、呟きながら俺をちらちら見るのは止めろ。
これ以上この話を続けると藪蛇になりそうだ。
「お腹空いた!」
テーブルに突っ伏していた文さんが突然起き上がって叫ぶ。
その言葉で騒ぎは収まり、毎朝恒例の美咲へのハグを済ませて朝食になった。
晃は上機嫌で美咲をなだめ、美咲もしょうがないなーと晃を許していた。
いいのかそれで。
しかし危なかったぜ。美咲の挙動不審な態度を晃に言及されたらやばかった。
この朝食の間、春那さんが俺の顔を見るたびにニヤニヤするのが煩わしかった。
☆
晃の見送りのために駅の改札口前に到着。
春那さんは仕事で来れなかったが、美咲と文さん、俺が見送りに来ている。
目の前で、最後だからと言って、晃は美咲を抱きしめる。
美咲もしっかり受け止め、お互いに抱き合っている。
「また来るから」
「うん、待ってるから」
時間が近づき、晃は意を決したように美咲から離れる。
美咲から離れると俺と文さんに向かって頭を下げた。
「文さん、明人君、お世話になりました。姉さんや他のみんなにもありがとうって伝えておいてください」
「はいはい、伝えとくよ」
「それじゃあ、またね」
晃はもう一度みんなに頭を下げると、改札口へ向かう。
改札口を抜けてからもう一度振り返り、小さく手をあげてバイバイと手を振った。
そして、そのまま雑踏の中へと消えていった。
長い休み――きっと年末辺りにまた居候しに来るだろう。
それまでは晃の代わりに美咲を守っていくことにしよう。
☆
昼からてんやわん屋に二人揃ってバイト入りしているのだが、美咲は少しばかり沈んでいた。
晃が帰ってしまったからか、いつもの元気はない。
気が滅入るのも仕方がない。2か月近くも一緒にいたのだから。
ちなみに俺は寂しいという感傷はない。
いや、あった。実際に分かれた直後はそういった感傷に浸っていた。
それを台無しにしたのは、当の本人の晃だった。
今も俺のスマホに晃からのメッセージが流れ続けている。
やばい。
死にそう。
泣く。
美咲の写真寄こせ。
声が聴きたい。
美咲の肌が恋しい。
今日は美咲とのキス記念日。
動画送って、等々。
美咲にではなく、俺にメッセージを一方的に送ってきやがる。
あいつは大人しく帰ることができんのか。
やはり脳に欠陥があるに違いない。
春那さんが晃を美咲に近づけまいと色々小細工する理由が分かった気がする。
とりあえず止む気配がないので放置しておこう。
しばらくしてアリカが現れる。
つなぎ姿で荷物も持ってきていないところを見ると、どうやら俺を呼びに来たらしい。
裏屋の仕事が立て込んでいるからだな。
アリカはカウンターにひょこひょこと入ってきて美咲に声を掛ける。
「あれ、美咲さん元気ないですね?」
あ、馬鹿。
今の美咲にそんな隙だらけで近づいたら――
「アリカちゃああああああああああああああああああん!」
「うひゃああ」
がばっと、美咲はアリカに抱き着く。
不意打ちをくらったアリカはなす術もなく美咲に捕まった。
「晃ちゃんが帰っちゃった。私寂しい。癒して慰めて」
アリカを抱きしめながらすりすりと頬ずりし、何故か右手はアリカのお尻を撫でている。
すまんアリカ。今日も人柱になってくれ。
☆
一騒動を終え裏屋へ。
当然、俺がアリカから理不尽な攻撃を受けた後の話だ。
今日は大物の解体作業で、二人で協力、分担しながら作業にかかる。
作業を進めながら雑談もしていた。
「晃さん帰っちゃったんだ。会ってあいさつしたかったな」
「昨日、決まったことだからな、しょうがないよ。みんなにはありがとうと伝えてくれって言ってたぞ」
「最初は緊張したけど、晃さん気さくで優しかったから話しやすかった。ただ、たまーにあたしのことものすごく羨ましそうな目で見てきてたんだけど。あれ、なんだったんだろ?」
その件については、ノーコメントで。
「晃さんは何て言うんだろ。妙な親近感も沸いたのよね」
お前ら貧乳同盟だからだろ。
絶壁のお前に比べて晃は膨らんで見える分マシだけど。
「……何か今、明人の視線にものすごくイラっと来たんだけど」
おっと危ない。
相変わらず勘が鋭いな。
それから少しして俺の修学旅行の話題になった。
響対策について、アリカからも何か対策があれば聞いておこうと思ったからだ。
中学の時の修学旅行は、響とアリカが同じ班だったと響から聞いていた。
「中学の時は団体行動ばっかだったし、お土産屋さんも宿のすぐ目の前だったから。そもそも響があれほど方向音痴だなんて、あたし知らなかったもん。響のことは喧嘩っ早い完璧超人のお嬢様とばかり思ってたから」
それは完璧と言えるのか?
喧嘩っ早い時点で駄目だろう。
「それに……あたしたちって三人揃うとみんなに警戒されてたから」
「なんで?」
「月に一度はどっちかと大喧嘩してたから。普通に殴り合い」
お前ら女子だろ。
普通、男でもそんな頻度で殴り合いなんてやらねえぞ。
「若気の至りってやつよ……」
気が短いだけだろ。
あんまり今も変わってないような気がするのは、俺だけか?
「まあ、まだ響はましだったわ。あの子、頭がいいからそれとなく喧嘩を避けることもあったから。切れたときは手が早かったけど」
それ前に響から聞いたことがあるな。
3年間で20回くらいやりあったとか、響とアリカの戦績は五分五分の引き分けに終わってたはず。
「関ヶ原って子がね、そりゃあもう戦闘民族でやばかったの。あたしと響とその子を合わせて3大猛獣扱いされてた時期もあったわ」
いや、お前ら未だに猛獣じゃねえか。
なに昔のことにしてんだよ。
「そういやあの子、親の都合で京都に引っ越したんだけど。もしかしたら修学旅行先でばったり会うかもしれないわね。そんなわけないか」
アリカさん、フラグって知ってます?
お読みいただきましてありがとうございます。