372 修学旅行2
土曜日――朝食時に本日の予定を互いに報告していたときのことだった。
文さんは休みだが、日中は出かけ夕方には戻ってくつろぐそうだ。
春那さんは仕事で帰宅は遅くなるそうだが、相変わらず変則的な仕事のようだ。
俺と美咲のうち、美咲がシフトに当たっているので今日はてんやわん屋でバイト。
晃は美咲が帰ってくるまで春那さんに言いつけられた家事をする予定。
バイトがない俺はというと、午前中はバイクを磨いて、昼から太一の家に遊びに行く予定だ。
美咲が出てから少しだけ晃と二人きりだけど、美咲が絡まないときの晃は基本無害なので、特に問題はない。
「ところで晃、お前いつまでいる気だ?」
みんなの予定を聞き終えたところで、春那さんがにこやかな笑みを浮かべて聞いた。
びびくぅっと大きく体を揺らして、晃は顔を逸らす。
晃は春那さんを直視できず、ものすごく目が泳いでいる。
そういえば晃は夏休み限定の居候で、休みが終われば東京に戻るのだった。
当たり前のように一緒に暮らしていたから忘れていた。
大学生の夏休みは長い。
九月も後半だが美咲と晃はまだ夏休み中。
俺が学校へ行っている間、二人で買い物や映画に出かけたり(晃曰くデート)、家で美咲が晃から家事を教わったり(美咲曰く花嫁修業)、晃が美咲の料理を食べて半日ほど気絶したままだったり(文さん曰く、発見したとき死体かと思った)、晃が美咲を弄りすぎたせいで怒った美咲が部屋に閉じこもり、学校にいる俺にまで説得の協力要請が来たりと、満喫した夏休みを送っている。
はっきり言って、こいつらを自由にしておくのは駄目だと思う。
「え、えと、講義が始まる前には帰ります」
「ふーん。で、大学はいつからなんだ。確か美咲もそろそろ休みが終わるはずだし、お前もそろそろだろう。手続きとか申請とか色々と準備とかあるだろう?」
春那さんがにこやかな笑みを崩さずに晃に聞いた。
大学の講義を受けるにもエントリーしておかなければならず、講義によっては抽選も行われるそうだ。卒業するための必修科目は確実に押さえておかねばならず、春那さんはどうやらそのことを気にして聞いたらしい。
「…………えと、その、あの」
「どうなんだ?」
ダラダラと冷や汗をかき、なかなか答えない晃に春那さんが追撃する。
春那さんの満面の笑みが逆に怖いです。
「はい、火曜日には行っておいた方がいいかもです!」
「行かないとどうなる?」
「必修の講義が受けられない……なんてこともあるかも」
「……お前、私が言わなかったらどうする気だった?」
「少しくらいなら遅れても大丈夫なんじゃないかなって思いました!」
晃は正直に言わないとやばいと思ったのか、姿勢を正してはっきりと答える。
春那さんは大きなため息を一つ零す。
「まったく……というわけだ、明人君。晃の居候期間は終わりだ。本当なら今日にでも帰れと言いたいところだが、晃も美咲がいない間に帰るのは不本意だろう。火曜日に大学へ行けたら問題ないのか?」
「はい、火曜日に手続きできれば問題ありません。履修変更とか取り消しとかも十分間に合います」
「分かった。だったら、ちゃんと日曜日のうちに帰れるように準備しておきなさい。月曜日に向こうでの身の周りを整えて、火曜日には大学に行くんだ。父さんや母さんにも連絡しておくんだぞ」
「……分かりました」
晃はしゅんとして、美咲にごめんと謝る。
「ううん、しょうがないよ。私も気が付かないといけなかったよね」
美咲もなんだかしゅんとしてしまっている。
晃が居候してからというものほとんど一緒にいたから寂しく思えるのだろう。
文さんと春那さんが出かけたあと、俺が家事を受け持ち、美咲が家にいる間は二人だけにさせた。
晃から感謝の言葉を告げられた。
俺は今の家族と一緒に暮らしてから、それぞれのイメージというものが、最初の頃に受けた印象とは少し変化してきている。
文さんは俺たちの自主性を大事にしてくれる母親のイメージ。
どうしたらいいものかと悩んだときは文さんに相談する事が多い。
これは俺だけの話ではなく、春那さんにしても、美咲にしても、晃にしてもそうだった。
そんな俺たちに文さんは――
『私に相談を持ってくる時には、君たちはすでに答えを自分で持っているんだよ。私はそれを君たちの声で聴くだけだし、あとは君たち自身がかじ取りを間違えてないか見守るだけだよ』
文さんの言葉は俺の理想とする母親像だった。
本来なら母親というには若すぎるのだけれど、貫禄があるというか、言葉に重みがあるというか、安定した相談先であることには間違いない。
欠点と言えば、アル中にならないか心配なくらい酒好きなところと酔っぱらったら性質が悪いことだけれど。
春那さんは家事を完璧にこなし、秘書という仕事もこなし、色々なところに目を配れるところが尊敬できる。武藤さんの一件以来、厳格だった春那さんのイメージが、意外と甘えたな年の離れた姉というイメージに変わった。俺に甘えてくることが増えたのが要因だ。
甘えるといっても、前みたいに風呂に乱入してくることはなく、せいぜい背中に抱き着いてくるくらいなので、俺としては春那さんに悶々としないようにするための修行だと思っている。俺だって色々と耐えているのに、このせいで美咲からのお仕置き頻度が上がっているのが困りものだ。
晃に関しては歳の近い喧嘩もする姉弟。
主に美咲が原因だが、俺と晃は喧嘩することがしばしばある。
美咲の構ってちゃんが俺に向けて発動されたときとか、晃が美咲を性的にみたりした時だ。
だが、喧嘩するとはいえ、普段から仲が悪いと言われればそうでもない。
お互い美咲の話で盛り上がったり、一緒になって美咲をからかったりもする。
初対面の時はお互い印象が最悪だったものの、腹を割って話せばそうでもなかったし、美咲から聞いていた通り、基本いい人なのだ。
晃は美咲にべったりなので、美咲の構ってちゃんが俺に向かわなければ、俺に敵意を持たない。敵意といっても嫉妬からくるものだと、俺も理解はできているし、晃が相当我慢してるのも分かっている。
常日頃から美咲を第一に考えており、美咲の願望には全面的に協力するし、行いが美咲にとって悪いことに繋がるなら叱りつけもする。美咲のことばかり考えすぎて、たまに暴走するのが残念なくらいだ。
任されていた家事を一通り終わったあと、家の駐車場でバイクを磨いていると、手提げかばんを持った美咲が家から出てきた。
「じゃあ、行ってくるね。終わったらすぐに帰ってくるから」
「行ってらっしゃい」
俺と晃に見送られ美咲は自転車でバイトに出かけていった。
今回は発送する量が少なめだと店長が言っていたから、夕方には帰ってこられるだろう。
晃は美咲の姿が見えなくなると大きなため息を漏らした。
「はぁ……また美咲がいない日々が始まるのか……」
どんよりとした顔で晃は呟く。
慰めようにも解決できるプランを俺は持ち合わせていない。
それどころか、晃の心情を察すると、俺と美咲は変わらず一緒にいるから、感情を逆なでしかねない。
ブツブツ言っていた晃が不意に顔を向ける。
「ねえ、毎日電話するのありだと思う?」
春那さんが秘密裏に美咲の携帯をいじってまで着信拒否させてたのに、懲りてないらしい。
「止めておいた方がいいと思いますよ。春那さんが怒ったら冬休みに来れなくなりますよ?」
「うっ」
晃にとっては年末年始の冬休みが再び美咲と暮らす機会だ。
晃が言い出すことは目に見えている。
それを棒に振ってまでリスクを冒すことはないだろう。
「……うん。分かった。今回はお宝持って帰るからそれで耐えしのぐ」
「そうしてください。……ちょっと待て、今お宝って言ったか?」
「え?」
今の晃の言い方に嫌な予感しかしない。
「出せ。そのお宝を俺に見せてみろ」
「……明人君が保護者モードになってる」
普段は晃に対して敬語なのだが、時と場合によっては覆す。
晃は性的な対象として美咲を襲おうとした前科があるので、その時は俺も変える。
晃が言う保護者モードと言われる状態だ。
「いいから持ってこい」
「それは駄目だよ。大したものじゃないし、ほら、人様に見せるようなものじゃないから」
「なおさらだ。今すぐ持ってこい」
俺は渋る晃を捕まえて、美咲の部屋に置いてある晃の鞄を開けさせた。
中にはいくつかの生活用品が入っている。
それもご丁寧にジップ付きのビニール袋で保管されている。
俺は晃の『宝物』を検分することにした。
この夏休みの間にちょこちょこと集めていたのだろう。
「……歯ブラシとかリップ?」
「これ……美咲が使ってたやつ」
晃の一言に身の毛がよだった。
引いたわ。マジで引いたわ。
こいつマジで病気だ。
T大に通えるほど頭は良いのに、脳に欠陥を抱えてるに違いない。
さらに調べてみると、美咲の下着とかまで入っていた。
洗濯済みなのが、せめてもの救いだった
「没収だ」
「勘弁して! これで冬休みまでもたせるつもりなんだから!」
「美咲に言うぞ。これを知ったら美咲はどう思うか想像つくよな?」
「うぐっ。分かりました……諦めます」
俺も晃の扱いが慣れてきたものだ。
晃と一緒に暮らし始めてから、最初のうちは晃をたしなめる手段として春那さんの名前を使っていた。
しかし、思ったほど効果が得られなかった。
そこで美咲が嫌がるとか、美咲がショックを受けるとか、美咲をネタにたしなめると効果が抜群なのが分かったので活用している。
「他はないだろうな?」
「……ないです」
「その言い方はまだあるな」
「ないってば!」
「いや、ある。出せ」
「ほら、鞄の中も何も入ってないでしょ? もう何もないってば」
「……晃さんって、結構頻繁にSDカード買ってるよな?」
俺の一言で晃がびくっと体を揺らした。
「あれが一枚もないってのが気になるんだけど?」
「ほ、ほら。夏休み中にイベントとかで写真とか動画いっぱい撮ってたから。自分で撮るなら変なのじゃない限りいいって、明人君も言ってくれたじゃん」
「うん。確かに言った。美咲の着替えとか、入浴中のとか、あられもない姿っていう、変なのじゃなければっていいって言った」
「で、でしょ? だからそこは私も変なのは撮らないようにしてたし」
「じゃあ、見せられるよな?」
「あぐっ」
「み、せ、ら、れ、る、よ、な?」
「すいませんでした!」
観念した晃はすぐさま俺に向かって土下座した。
結局、写真や動画の中身を俺自身は確認しなかったが、相当変なのが混じっているらしい。
あとで春那さんに内緒で、文さんに検閲削除してもらうことで折り合いをつけた。
お読みいただきありがとうございます。