370 台風
大分、時間が開いてしまいました。
申し訳ないです。
体育祭が終わった翌日の日曜日、てんやわん屋でバイトに勤しむ。
俺は今、アリカが裏屋から持ってきた商品を空いた棚に陳列させている。
視界にアリカが美咲の腕から逃げようと必死にもがいている姿がある。
アリカの後ろから抱き着き、首元に顔をつけて匂いを嗅いでいる美咲の姿が、とても残念なのは言うまでもない。その姿をよそに俺は黙々と陳列作業を進めていた。
「いやあっ!」
「ぶへへへへへへ、これか、これがええのんか?」
「ひゃはひゃひゃひゃひゃひゃ、やめっ、漏れ、漏れちゃう!」
ときおり、アリカの甲高い悲鳴が聞こえてきたり、女としてどうなのかといえる声も聞こえてくるが、もう定番すぎて止める気もしない。はっきりいって、油断したアリカが悪い。
しばらくしてアリカは悶絶したのか、疲れ果てたのか動かなくなった。
アリカの目の焦点が合っていないようにも見えた。
きっと、アリカの魂は癒しを求めてどこかを彷徨っているのだろう。
美咲は動かなくなったアリカを堪能していたが、満足したのか、反応がなくなり面白くなくなったのか、そのまま放置、なんだかアリカが精巧な人形のようにも見える。
そのまま放置は、流石に可哀想だと思うぞ。
この後、俺が助けなかったという理由でアリカからアイアンクローをくらう。
いつもながら理不尽だと思う。
☆
表屋の陳列が終わったところで、俺とアリカは表屋に美咲を残し裏屋へ移動。
裏屋の仕事が少しばかり立て込んでいて、俺も手伝いに回ることになったからだ。
裏屋は買取した商品をメンテナンスするだけでなく、保証の切れた製品の修理も請け負ったりしている。
高槻さんと前島さんは依頼品の修理に追われて忙しそうだが、楽しそうでもあった。
俺とアリカは、本来の作業である売りに出す予定品のチェックとメンテナンス。
作動チェック、小分解、清掃、組み立て、再度作動チェック――これが基本的な流れとなる。
工程でいうなれば、清掃が最も時間のかかる作業だ。
表屋と裏屋を行き来したおかげで、それなりに作業はこなせるようになっていた。
「次は修学旅行だよね。京都だったっけ?」
作業を開始して、二つ目の品を終了させたタイミングで、アリカが声を掛けてきた。
声を掛けてきたアリカの手は止まっておらず、俺の進捗を見ながら声を掛けるタイミングを計っていたのだろう。
「京都だ。10月の頭の週で行ってくる。4泊5日で月曜に出発して金曜日帰ってくるパターンだ」
「4泊もするんだ。じゃあ、帰ってきたその日はバイト来ないよね?」
「帰ってくるのが夕方だからな。流石にバイトは休ませてもらおうかと」
「だよねー」
アリカは口を尖らせながら返した。
何か気になることでもあるのか?
「どうした?」
「あたし、その週末でまた試験休み貰う予定だからさ」
「うん」
「ちょうどすれ違いにけっこう顔合わせなくなるなと思って」
ああ、そうか。
俺の修学旅行で約1週間、引き続いてアリカの試験終了まで約2週間、概ね3週間顔を合わせなくなる。アリカとの接点は、遊びに行く以外ではここのバイトだけだから、今までで最長になるだろう。
「お、なんですかアリカさん。もしかして俺に会えなくて寂しいんですか?」
「何よそれ、馬鹿じゃないの?」
ぎろりと睨みつけてくるが、怒っている顔ではないので冗談と分かっているのだろう。
しかし、俺の狙いは外れてしまった。
普段のアリカなら俺がこういうことを言うと、急に慌てたり、自分の髪をぎゅうと握りしめたりして慌てるところが見たかったのだが、今日のアリカは素っ気ないというか、期待した反応ではなかった。
「土産渡したいから、家に届けに行くよ」
「ありがと……でもやっぱ、ちょっと寂しいかも」
今の反則だろう。
間をおいて言うアリカが可愛かった。
なんとなく美咲がアリカを襲いたくなるのも分かる気がした。
☆
「おかえり、おつかれさま!」
バイトを終え、自宅に帰ると、いつものように伊織さんがハグをしていた。
伊織さんは帰ってきた俺たちに言ったけれど、俺も美咲も視線は別の方向へ向けている。
向かう視線の先は伊織さんの前。
伊織さんにハグされている知らない男の人。
男の人は俺たちに顔を向け、ハグされたままぺこりと頭を下げる。
「夜分にすいません。私、馬串先生と契約している出版社のもので 城ケ崎と申します」
相手の挨拶を皮切りに美咲が挙動不審になった。
妙にソワソワしたり、おろおろしたりと、どうやら人見知りが発動したらしい。
俺の背中に隠れるように少しずつ移動し、俺のあと背中越しから頭を下げていた。
伊織さんは男の人を離すと、実の妹の態度などどこ吹く風と言わんばかりに、広げた手先をクイクイと動かす。帰ってきたのだからハグさせろということだろう。
俺は背中に美咲をくっつけたまま、伊織さんに近づく。
伊織さんは気にせず、俺を美咲ごと軽く抱きしめた。
城ケ崎さんはやれやれと言った顔で呆れているところを見ると、伊織さんがハグ魔であることは知っているようだった。もしかして、この人が前に言っていた彼氏さんなのかな?
「そろそろ中で話しようか?」
顔を出した文さんに言われ、リビングで話を聞くことになった。
俺と美咲は、晃が準備してくれた晩飯を食べ始める。
城ケ崎さんの対応は、文さんと春那さんがしてくれている。
「えーと、前に言ってた彼氏です」
伊織さんは少し照れながら、隣に座る城ケ崎さんを指しながら言った。
鞄から土産物を出し、丁寧な挨拶をする城ケ崎さん。
「改めまして、伊織さんとお付き合いさせてもらってます城ケ崎誠です。以後、お見知りおきを」
「まこっちゃん、私に会いたくなっちゃったの?」
惚気か。
城ケ崎さんは伊織さんに軽く笑顔を向け、文さんに真顔を向ける。
「夜分遅くにご迷惑をおかけしますが、今日はお仕事できました。馬串先生にそろそろ仕事に戻ってもらわなくてはならなくなりまして」
言いながら、伊織さんの腕を捕まえる。
仕事といった途端に、伊織さんが逃げようとしたからだ。
「まこっちゃん、仕事で来たの?」
「こんな迷惑な時間に来たのは仕事だからに決まってんだろうが」
急に声を荒げた城ケ崎さんに俺もビビる。
ちなみに美咲も過剰なくらいに『ビクッ』ってなってた。
「確かに取材は認めた。夏休みだとか、充電期間だとかそういうのも認めた。お前の休みの大半が趣味に消えたのも、俺も手伝ったから分かってる。でもな馬串先生、もう2か月だ。そろそろスケジュール詰めないとまずいんですよねー。まだ何にも決まってないのに出版日だけは決まってるからさー」
こめかみに血管を浮かべながら溜まっていた鬱憤を吐き出すように言う城ケ崎さん。
あ、これ本気で怒ってる。
「先輩から馬串先生の行方が分からないって泣きつかれて、実家に行ったら、取材から帰ってきてないって言われて、頭下げてここの場所聞きだして急いできたんだわ。本当なら俺も新人会議あるんで資料見直しせんといかんのよ。前も言ったけど俺、お前の担当じゃねえんだぞ。まあ俺のことは自分でどうにかするけど、少なくとも自分の担当の先輩泣かすなや」
あ、これ完全に伊織さんが悪いパターンだ。
彼氏さん巻き込まれたんだ。
城ケ崎さんはそのまま伊織さんに説教を始めてしまった。
伊織さんも悪いと思ったのか、おとなしく反省の言葉を出しながら聞いている。
「じゃあ、とりあえず今から東京に行くから準備しろ。朝一番に枡崎先輩に顔見せるぞ」
「マジで!?」
「俺が仕事のことで嘘言うか?」
「もう夜遅いし……」
「ああ、そうだな。誰かさんを探しててここまで遅くなったよ」
あまりの気迫に伊織さんは負け、東京に向かうことになった。
伊織さんの荷物はあとで美咲が実家に送ることにし、必要最小限の荷物だけで家を出た。
「いきなりきて、いきなり去っていくのって、なんか台風みたいだな」
「……ごめんね」
美咲は縮こまりながら謝ってきた。
翌朝、春那さんと早朝ランニングから帰ってきて、美咲を起こしに行く。
ノックすると、まだ晃が部屋にいるようで、晃から入室の許可を貰う。
部屋に入ると、晃がベッドの上の卵をひっくり返そうとしているところだった。
晃が自分の布団を片付けている間に、美咲が形成したらしい。
まあ、美咲は寝ぼけながらでも、数秒あれば卵形態を作り上げるからな。
美咲の不思議なところだ。
いつもならすぐに諦める晃なのに、今日は卵の解体に挑戦するようだ。
俺の解体作業を何度か見ているから、自分もしてみようと思ったのだろう。
手順としては、布団の巻き込み口に強引に手を入れて、美咲をくすぐるのが手っ取り早い。
中で美咲が抑えているので、くすぐって力が抜けたところを一気に引っぺがす。
素早くやらないと美咲が耐えてしまうのでスピードが大事。
だが、晃は手を突っ込んだまでは進んだものの、そこからあまり動かなくなった。
手は少し動いているから、くすぐろうとはしているのだろう。
おい、スピードが大事なんだぞ。なにやってんだよ。
晃の顔を見るとだらしなく緩んでいた。
「……晃さん、もしかして美咲の身体まさぐってません?」
「えっ、そ、そんなことないよ。ちょっと、手が届かないの。あっ――これ絶対に美咲のおっぱい。間違いない!」
言った途端、晃から鼻血が垂れる。
晃を羽交い絞めにして、卵から引きはがす。
暴れるな。鼻血が床に垂れる。
布団に付いたら汚れるだろ。
後で春那さんに密告しておこう。
強引に晃を部屋から追い出し、卵の解体作業を引き継ぐ。
最悪だ。くすぐっても、反応がない。
晃のまさぐりのせいで、美咲がくすぐりの耐性を得たようだ。
本当に碌なことしないな、あいつ。
結局、美咲を起こすのに、それまでの最高タイムを更新したのだった。
お読みいただきましてありがとうございます。