36 千葉家来訪4
「お片付け終わったよー」
片付けを終えたらしく、綾乃がリビングにやってきた。母親の横にちょこんと座る。
「何の話してたの?」
俺らの顔をちらりと見た後、綾乃が母親に聞く。
「ん? 明人君に彼女がいるのか聞いてたのよ」
「あ、私もそれ聞いた。明人さんならいそうな感じなのにね」
「あら、綾ちゃんもそう思った? お母さんもそう思ったのよね。でも、何か気になる人がいるみたいだけど」
綾乃は母親の言葉に驚いた様子で俺を見つめる。
「明人さん、好きな人いるんですか?」
「……いない。さっきも言ったけど交流がある女子はいないし、交流あるのはバイト先の人だけど……。好きな人って言われるといないな」
そもそも異性に対する恋愛感情自体を俺は分かっていないから、こう答えることしかできなかった。
太一に助けを求めるように視線を投げかけると、何か言いたげにニヤニヤとしている。
この状況だと孤立無援の模様だ。
「バイト先の人とは交流あるんですよね?」
綾乃が畳み掛けるように質問をしてくる。
「ほら、仲良くできなかったら気まずいだろ? それにバイトの時だけだし」
何だ、この空気。俺なんで尋問されてるんだ?
「綾ちゃんは、明人君の事気になるみたいね」
母親の言葉に綾乃の顔全体が一瞬で赤くなり、前髪をくしくしと撫で始める。
「ち、違います。こういう話って聞きたくなるじゃない。お母さんもそうでしょ」
「ええ、こういう話お母さんも大好きよ。で、明人君どうなの?」
標的が変わったと安堵させた途端、俺に向けるの止めてほしい。
「いや、何も――ないですよ。仲良くはできてると思いますけど」
話題を変えたい。自分の話するのって意外と難しい。
「母さん、明人のバイト先っていえばさ。明日だよ。叔父さん所のバーベキュー」
太一が援護射撃の如く別の話題を出してきた。おお、心の友よ。
「あら、バーベキュー明日だっけ? 忘れてたわ」
「え? バーベキューって、何の話?」
綾乃が何それ聞いてないといった顔で母親と太一を見る。
「綾ちゃん、バーベキューはね、お外でお肉とか野菜を焼いてみんなで食べることよ」
「お母さん……それぐらいは分かるよ?」
綾乃は、母親に憐れみの目を浮かべて言う。
「明人のバイト先って、叔父さんの所なんだ。んで、明人の歓迎会と親睦会を併せてバーベキューするんだ。叔父さんらの計らいで俺も誘われたんだよ」
太一は、母親のボケをスルーして綾乃に説明を続ける。
「えー、お兄ちゃんだけずるい!」
「そうよ、たっ君だけずるい!」
綾乃は分かるけど、お母さんまで何言ってるんですか……。
「ちょ、それ、俺に言うなよ。叔父さんらが決めたんだから」
「それじゃあ、了解を取っちゃいましょう」
母親はポンと手を叩くと立ち上がる。
「「「え?」」」
俺達がぽかんとしている中、リビングに置いてあるコードレス電話を取り、電話をかけ始めた。
「あ、兄さん? 涼子です。今、大丈夫ですか? ……明日、太一がそっちでお世話になるでしょう? …………ええ、そう、それ。……明日、弘樹さん仕事でいないから、私と綾乃も参加させてもらっていいかな? ……ええ……うん…………ありがとう。では明日お願いします」
受話器を置いた母親――涼子さんは俺達に指でOKサインを送ってきた。それを見た綾乃は喜び、太一は微妙な顔をした。家族の監視付きだと太一も無茶はできないからだろう。美人との楽しい一時を楽しみにしていただけに可哀想な奴である。
「聞いたら兄さんは『むしろウェルカムだぞ』って言ってくれたわ」
その電話の相手本当にオーナーか? そんな言い方しそうに無いんですけど。
ともあれ、明日は人数が増える分賑やかになるような気がする。
壁に飾ってある時計を見ると、まもなく十一時になろうとしていた。
バイトに向かう途中のコンビニか何かで、軽く昼食を取るつもりだったので、そろそろ出る用意をしないと。
「すいません。お昼からバイトなんでそろそろ出ます」
「あ、ちょっとまって。すぐ用意するからお昼食べていって」
俺が返事をする前に涼子さんはそういうとキッチンに向かい、準備を始めた。
「明人、時間的には食べて行っても大丈夫だろ?」
「まあ、ここで食べていけば時間的に余裕あるけど。なんか悪いな」
「気にすんな」
既にある程度準備されていたのだろうか、五分ほどで食卓に呼ばれた。
食卓に並んでいたのは、ペペロンチーノで偶然にも俺の好きな物だった。
家族で食卓を囲む事がこの一年間なかった俺には、妙に気恥ずかしさを感じるものだった。俺の気恥ずかしさを遠慮と受け止めたのか、涼子さんはニコニコとして言った。
「遠慮しないで食べてね。しっかり食べないとバイトで力が出ないわよ」
「ありがとうございます。いただきます」
にこやかに過ごす昼食の一時は安らぎに満ちていて、俺には少し眩しく、また羨ましくもあったが、一緒にいて居心地は悪くなかった。
友人宅で過ごす昼食に気分的にも肉体的にも満たされていく。
俺と太一は、ほぼ同時に食べ終わる。
「ごちそう様でした。おいしかったです」
「ごちそーさまー」
「はい、おそまつさまでした」
「んじゃ、明人見送ってくるわ」
太一が自分の食器と俺の食器を一緒にキッチンに置きながら言った。
「はいはい、明人君バイトがんばってね」
「はい、がんばってきます」
「あ、明人さん。今日は本当にありがとうございました。また、遊びに来てくださいね」
「いやいや、また何かあったら気軽に言ってきて。また今度来た時もよろしく」
太一と一緒に玄関先まで出た俺は、自転車に荷物を積んだ。
「明人、今日はサンキューな。また何かあったら頼むわ」
「任せろ。んじゃ、今日もいっちょ、がんばってくるわ」
「おーがんばれよー。勤労青年」
太一に見送られ、自転車を漕ぎ出し、バイト先のファミレスに向かう。
満ち足りた昼食を取ったからだろうか、妙に身体が軽い。今日一日のバイトが楽に感じられそうだ。もし、俺の家族が太一の所みたいだったなら、そう感じられたのだろうか。
いつか、俺が家族を持つことになるなら、そうなりたいと切に願う。
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