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帰路  作者: まるだまる
364/406

360 春那狂騒曲10

 窓を開けたとき、そこにいた春那さんは顔を覆うように両手で隠していた。

 数日前の寝起きのときのようにどうやら顔を見られたくないらしい。

「そんなところにいつまでもいないで、こっちに入ってきてください」

 春那さんは顔を隠したまま、コクコクと頷き休憩場へと入ってくる。

「二人でちゃんと話してください」

 そう言って春那さんと入れ替わりで休憩場から出ようとすると、春那さんに服を掴まれる。

「ここにいて」

「いや、俺が聞いていい話じゃないと思うんで」

「お願いだからいて」

 片手で顔を隠したままの春那さんは言った。


 俺が武藤に顔を向けると、武藤は小さく頷いた。

 どうやら同席していてもいいらしい。


 武藤さんの対面に春那さんと並んで座る。

 春那さんの片手は俺の服を掴んだままだ。

 二人を対面させることはできたけれど、なにこの気まずい雰囲気。

 考えてなかったけど、俺これからどうしたらいいの?

 

 このシチュエーションに持ってこれたのも、晃が工房へと武藤を呼びに行っている間に俺が文さんにお願いしたからだ。俺と武藤の話を春那さんに聞かせてほしいという俺の願いを、文さんがうまく段取りして春那さんを連れてきてくれたようだ。

 途中からその気配は感じられていた。

 武藤に気付かれずにここまでうまくいくとは思っていなかったが、武藤の本音は聞き出せたし、春那さんに聞かせることもできた。

 春那さん本人に直接聞かせて寄りを戻せれば、ハッピーエンドという俺の目論見が。


 どうしてこうなった。


 とりあえず、せっかく誤解も解けそうなんだから二人で会話してくれないかな。

 そうは思えど、武藤も春那さんもお互い何も話さず、春那さんに至っては助け船を求めてくるかのように、ちらちらと視線を俺に送ってくる。どうやら何を話していいのかわからないようだ。


「えと、とりあえず。話は聞いてましたよね?」


 春那さんは片手で顔を隠したままコクコクと頷く。


「武藤さんもこの際だから全部隠さずに言ってあげてもらっていいですか」

「あ、ああ……」


 そう返事しといてなんで黙り込むんだ。

 やっぱり俺がいたら駄目なんじゃないか?


「やっぱり俺、席外しましょうか?」

 その途端グイっと服を引っ張られる。

「れったいだめぇっ!」


 いや春那さん、そんな可愛い声で言われても。

 今しかも噛んだでしょ?

 もう挙動から態度から何もかも正常じゃない。

  

「……」

「……」  

「……」


 おい、どっちか話せよ。

 いいかげん痺れが切れてきたぞ。


「春那さん、何とか言ってくださいよ。この空気辛い」 

「う、うん。わかった。……仁……さっきの話は本当なのか?」


 春奈さんそんな小さい声じゃ聞こえないぞ?


「今更だけど、本当だ」

「私はお前に嫌われてたんじゃないのか?」

「……嫌いになんてなるかよ」


 あんな小さい声だったのに聞こえてたんだ。


「なんで今までほったらかしにしておくんだ。私に他の男ができたらどうするつもりだったんだ?」

「そん時はそん時で略奪するつもりだった」


 おい春那さん、今ちょっとだけぶるって身震いしただろ。

 このタイミングで悪い性癖は出すな。


「ちゃんと教えてくれ。お前は、仁は何がしたかったんだ?」

「お前を支えれる人間になりたかっただけだ」

「あの時だって十分支えてくれてたぞ?」

「お前が何かを失ってるんだったら意味ないんだよ」

「私がそれでもいいと思っていてもか?」

「そうだ。そこは譲れねえ。逆に俺から聞きたいことがある。お前、俺がアパートを出て行ってからどうなった?」


 ここは俺の口からも武藤に言っていない話だ。

 俺は文さんから春那さんがどうなったか聞いているが、春那さん本人もそのことを知らない。


「……潰れた。正直死ぬことも考えた。ここに連れてきてくれた文さんに迷惑をいっぱいかけて助けてもらってた」

「……ああ、そうか。今、思い出した。さっきの人お前が宴会でよく一緒にいた人だな」

「あの人には本当に頭が上がらない。今の私があるのも文さんのおかげだ」

「そうか……悪いことしちまったな。あとでさっきの分も合わせて詫びは入れさせてもらうわ。お前にも……悪かった」


 それから武藤は諦めがついたのか、何故こういった行動をとっているのか教えてくれた。

 俺に語るというより、春那さん向かってだった。


 春那さんとの生活に不満は何もなかった。

 質素だったけれどやりくり上手な春那さんのおかげで、生活に困ることはなかった。

 ただ、武藤が春那さんが大学に入学してから一度も帰省していない事実を知ったあと、武藤は悩んだらしい。

 

「お前に言ってないことが一つどころじゃないくらいある。例えば俺たちが一緒に暮らしたあの部屋。誰が手配したと思う?」

「え、仁が見つけてきたんじゃないのか?」

「あれを見つけてきてくれたの親方たちだよ。お前と一緒に暮らす許可を貰いにいったあと、しばらくして呼ばれてな。そのときに紹介された」


 春那さんはその事実を知らなかったようで驚いた表情をした。


「仁、お前は私の親に会ってたのか?」

「当たり前だろ。筋は通さねえと。最初に会った時にびっくりされたぞ。お前、俺のこと全く言ってなかっただろ」


 春那さんのご両親は春那さんに内緒で色々とバックアップしてくれていたらしい。

 

「親方もお前が帰ってきていないことを俺に教えてくれなかった。多分、変な心配事を与えたくなかったんだろうな。でも俺は偶然知ってしまった。親方たちは黙って待つつもりだったようだけど、俺は焦った」


 武藤は苦虫を嚙み潰したような顔をする。

 

「そん時に不意に考えちまったんだよ。俺はお前に何ができるんだって。ただ一緒にいるだけだ」

「私はそれだけで良かった」

「ふざけんな。俺はお前を支えられる人間になりたかったんだよ。お前ばっかり辛い思いをするのはおかしいんだよ。だから、俺は親方たちに大学を辞めるから弟子入りさせてほしいとお願いした。お前とも別れると。親方たちは別れる必要はないと言ってくれたよ。だがな、付き合ったまま俺がこっちに移ったんじゃあ、お前も大学を辞めて付いてくるのが目に見えてた。だから俺はお前に何も言わず別れることにしたんだ」

「なんで大学を辞めてまで?」

「修行に時間がかかるからだよ。大学を卒業するまで待ってられなかった。長い時間がかかるのは分かってる。料理なんてしたことがない俺だ。早ければ早いほどいいと思ったんだ。まあ、猛勉強したおかげで餡炊きは親方や先輩らから認めてもらえるようになったけどな」

「私と離れてもいいと思ったのか」

「お前は大学を卒業しなくちゃいけなかったんだよ。T大蹴った上に行った大学中退したら親方たちが可哀想過ぎるだろうが、いいかげん親とかのことも考えろ。お前の心配をどれだけしてると思ってんだ。お前は俺のことになると視野が狭くなりすぎる。……だから俺は別れる決意をした。恨まれてもいい、お前が戻ってきてそれを理由に首にされてもいい。俺がお前がいない間、代わりに親方たちに恩返しできればと思ってな。まあガキだった俺が考えたことだ。あや方たちにどう伝わったかは分からねえ。それに今更お前とどうこうってのは考えてない」


 その言葉に俺の服を掴む春那さんの手に強く力が入る。


「仁……さっきのは嘘じゃないんだよな? 愛してるって言ったぞ」

「んんっ、それは勢いというかその場の取り繕いというか」


 おい武藤さんよ、今の状況でその言葉はまずいんじゃないか? 

 春那さんが顔を隠していた手をすっと下す。

 隠していた顔が開かれると、そこには怒りの形相をした春那さんがいた。

 やべえ、マジで怖い。


「殴らせろ」

「え?」

「とりあえず、お前が私を置き去りにして勝手なことをして色々な人に迷惑をかけた。てか、やっぱり納得できない。なんでそんな大事なことを一人で決めるんだ?」

「お前の気が済むなら殴れ。でもなこれだけは言わせろ。お前も勝手に一人で背負い込んでたじゃねえか」

「私は覚悟の上だ」

「その覚悟がおかしいって言ってんだよ!」


 あの、喧嘩始めるのはいいんですが、すごく居づらいので、俺を解き放ってからにしてもらっていいですか?

 それにしても武藤もよくこの怒り状態の春那さんを前にして怖気つかないな。

 そんなことよりも、喧嘩させるためにこういった場を作ったわけじゃない。

 何とか食い止めよう。 


「すいません!」

 

 俺の大声に二人の声がピタッと止む。

 

「ちょ~っと整理しましょうか? 武藤さん、さっきと同じ質問させてもらっていいですか」

「おい、それは止めてくれ」

「まあ恥ずかしいですよね。じゃあ、それを耳にした春那さんはどうです?」


 すると一気に顔を赤らめ、また顔を手で隠す春那さん。

 

「じ、仁の気持ちは分かったけど、私の気持ちの整理がつかないっていうか、こんなんで寄りを戻したら迷惑をかけた人に申し訳ないというか、私がお手軽な女みたいじゃないか」


 いやあ、どう聞いても寄りを戻してもいいって言ってるよな、これ。

 俺も少しだけ恋愛のこと分かってきたかもしれない。


「武藤さんもしもの話です。春那さんが許せばまた付き合ってもいいんですか?」

「すぐ暴力で訴える女は嫌だな」

「何をっ!?」


 武藤につかみかかりそうになる春那さんを羽交い絞めする。 


「春那さん止めろ。武藤さんもふざけないで」

「分かったよ。そりゃあ、こんないい女どこ探したっていないだろ。ちょっと会わない間にまたきれいになりやがって」

 

 武藤が言った途端、春那さんからぼふんと蒸気が出るような音がして、顔を両手で隠したままそのままへたり込んだ。もう耳まで完全に真っ赤っかだ。


「あ、おい、明人とか言ったな。お前大学生か? 歳いくつだ?」

「まだ高校生ですよ。17歳です」

「それならこっから先は聞かない方がいいぞ?」

「何でです?」

「刺激が強いからだよ。お前、春那がこの状態になるのは知ってるみたいだけど、これを超えたときの状態は知らないだろ?」

「超える?」


 ゆらりと立ち上がる春那さん。

 何故か口元を片手で隠して、もう一つの手は股間の辺りを押さえてる。

 もう目がすごくウルウルしていて、なんだか艶めかしい。

 気のせいか、どっかでこの表情を見たことがある気がする。いつだっけ?

 春那さんは武藤に掴みかかる。


「仁、責任取れ。これだけ火照った身体を何とかしろ」

「待て春那。こいつもいるし、俺も仕事中だ」

「そんなの関係ない。もう濡れ濡れだ。いいから付き合え。いや突き合え」


 ああ、そうか。どっかで見たことあると思ったら肉食獣になったときの春那さんだ。

  

「いやちょっと待て。お前それでいいのかよ」

「許す。もうどうでもいい。お前が私のこと好きなのも分かった。もうそれを聞いた時からかなり濡れてる。しかもちょうどいいことに今日は安全日だ。できてもいいから思い切り出せ」

「お前、高校生の前でそんなこと言うなよ!」

「いいから付いてこい。いや、突いてこい!」


 春那さんは武藤の腕を掴むとぐいぐいと引っ張っていった。

 ぽつんと取り残された俺は、二人をそのまま見送った。

 なんか春那さんが危ない言葉を連発してたような気がするけど、気にしないでおこう。


 少しして文さんたちが休憩場にやってきた。


「なんか春那からすごい勢いで車貸してくれって言われたんだけど」

「姉さんの目が血走ってて怖かったんだけど」

「武藤さんの顔が引きつってたんだけど」


 文さん、晃、美咲は三者三様に疑問を浮かべた顔をしていた。 


「まあ、うまいこといったと思いますよ」

 

 俺が苦笑いして答えると、みんな首を傾げていた。


 ☆


 3時間ほどして春那さんたちが戻ってきた。

 武藤さんが少しやつれて見えたり、春那さんの肌が艶々しているのは気のせいか。

 まあ何をしてきたかは聞かないでおこう。


 そろそろこの街から出発しないと遅くなってしまう。

 出発しようとする俺たちを春那さんの両親と武藤が見送りに来てくれた。


 これで武藤の願いは叶ったのだろうか。

 春那さんの家族との時間を作ることもできる。

 春那さんがわだかまりなく(むしろ嬉々として)家に帰ってこれるようになるのだから。

 車に乗り込もうとしたとき、武藤が俺に声をかけてきた。

  

「おい明人君よ。お前にちょっと頼みがあるんだわ」

「何ですか?」

「あれのガス抜き、たまに頼んでいいか?」

「あれって、春那さんの?」

「ああ、そうだ。あいつさあ、なんか知らねえけど性欲がやたらと強くなる時があるんだよ。ある程度くっついてたら抑えが聞くんだけど、全く与えないと逆効果になって襲ってくる可能性がある」

 それってスイッチが入ったときのこと言ってるのか?

 俺が抵抗するからスイッチが入ってたのか。

「くっつくってどのレベルですか?」


 その内容によっては俺は断らなければならない。

 確実に美咲からお仕置きされる気がする。


「いや、抱き着くとかその程度だ。そこそこ満足したら大丈夫だから」

「武藤さんは春那さんが俺に抱きついても平気なんですか?」

「うん? いや、お前は害がなさそうだから」

「俺も男っすよ?」

「変な気を起こしたら、そん時は殺すよ」

「いいこと聞いた♪」


 にゅっと顔を出してきたのは春那さん自身。

 帰ってきてからずっとご機嫌だ。


「そうかぁ。今度から明人君が私の欲求不満に付き合ってくれるんだな。彼氏・・公認だなんて最高だな」

「ちょっと待とうか。二人ともおかしいこと言ってるのわかる?」

「いやいや、春那が少しくらい若い男にくっついても、それぐらいで俺は何とも思わねえぞ。だってこいつ、俺にぞっこんだし。俺もだけど」

「だからっ! そういうこと言うなって」


 するとすぐさま、両手で顔を隠す春那さん。


「可愛いだろ?」

「そうですね。春那さんって、たまにこういう状態になりますよね」

「えっ?」


 武藤は今のは聞き逃せなかったようで、俺の顔をじっと見てくる。


「……俺以外の前でこうなったことあるの?」

「俺、結構この状態の春那さん見てますよ?」

「へ? ま、まあお前は大丈夫だろ。何かあったら殺しに行くし」


 ちょっと顔が引きつった武藤だったが、どうやら信用はしてくれているらしい。

 話が終わり助手席に乗り込む。

 後部座席に座る春那さんが助手席の隙間から武藤に声をかける。

  

「仁、また来るからな。たっぷり溜めとけ」

「分かった分かった。どこにも逃げやしねえから、今度はちゃんとゆっくり泊ってこれるようにしとけ」

「うん。ちゃんと帰ってこれるようにするから。お前も待ってろ」


    

 それからの春那さんと言えば、毎月一度は必ず実家に戻るようになった。

 この数日間、春那さんに振り回されたような日々だったけれど、春那さんがわだかまりなく帰れる場所が増えたことが俺は嬉しかった。 


 ハッピーエンドはこうじゃなくちゃな。


 ☆


 帰ってきた翌日、俺は何故か朝っぱらから春那さんに抱きかかえられている。

 朝食を食べ終えて、食器の片づけして戻ろうとしたとき、いきなり後ろから抱き着かれた。

 不意を突かれたとはいえ、完全に捕まえられていて、身動きができない。

 春那さんの最強武器が容赦なく押し当てられる。


「春那さん、ちょっと待とうか?」

「明人君、寂しいんだ」

「昨日、武藤さんに相手してもらったばっかでしょ?」

「だから余計に寂しいんだ。我慢してくれ」


 これが二人だけの時なら何も言わずに我慢するさ。

 でもな、タイミングが最悪だよ。

 目の前に俺に続いて食器を片づけに来た美咲がいるんだよね。

 美咲の目がものすごく据わってるんだけど。


 美咲はそのまま食器を片付けると、だだだっと走ってリビングから出て行って、すぐに戻ってきた。

 手にすっぽりと収まる懐中電灯のようなものを持って。


「んふ。つながってる状態で電気流したらどうなるんだろうね?」

「あ、美咲止めなさい!」


 晃の声が聞こえたが、その時にはすでに俺の肩に電極が押し当てられ、スイッチが押されたあとだった。

 もうちょっと早く止めてくれればよかったのに。

 それと、取り上げたんだったら美咲に見つからない場所に隠しといてくれよな。


 おかしい。いい終わり方したはずなんだが。

 よかったのは一つだけちょっとした知識を得られたことかな。

 スタンガンくらっても、くっついてる相手は感電しないんだな。

 春那さんはピンピンしてるわ。


 春那さんの腕の中で、崩れ落ちながらそう思った。

 

 お読みいただきましてありがとうございます。

 次回もよろしくお願いします。

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