表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
帰路  作者: まるだまる
363/406

359 春那狂騒曲9

 和菓子工房牧島堂――開店は明治時代初期という100年以上の古い歴史を持つ老舗の和菓子屋。

 そう聞いていたので古い建物だと思えば、そうでもなかった。

 俺が目にしたのはいかにも近代的な二階建ての建物で、歴史を感じるといえば店の入り口にある古い看板だけだった。

 春那さんのご両親が跡を引き継いでから、時代にあった改革を色々したそうで、今ではネットで全国注文も受け付けている。地域だけでなく、全国を相手に商売を広げているらしい。


 店の前に着いたところで、後部座席から晃が声を上げる。


「店の裏側に回ってください。そこが家の入り口なんです。駐車場もあるんで大丈夫です」


 晃の案内で店の裏側にまわると、そこにはいかにも旧家屋的な建物が姿を見せた。

 大きな古い門構え、既に扉は失われているが、これが造られた時にはあったのだろう。

 表側の店の門構えが近代的なものと反対でこちらの方が老舗の和菓子屋の入り口だといっても遜色なかった。

  

「一応連絡は入れてありますんで」

「さて、それではご挨拶といこうか」


 車から降りたあと、晃に家の中へと案内された。

 玄関に入ったところで、和服姿の男性と女性が出迎えてくれた。

 

「おかえり晃。……それと春那もおかえり」


 男性は静かに小さな声ではありながらも、はっきりと俺たちにも伝わる声で言った。

 女性は春那さんの姿を見て、目を少し潤ませながら、しっかりと春那さんの姿を見つめていた。


「父さん、母さんただいまです。顔を見せるのが遅くなってすいません」


 春那さんは深々と頭を下げながら言った。


「とりあえずお上がりください」


 応接間にとおされた俺たちに、春那さんのご両親は文さんと俺に向かって深々と頭を下げる。


「普段お世話になっておきながら、この度もお心遣い誠に感謝します」

「いえいえ、こちらこそ春那――娘さんには普段から家のことしてもらって随分と助かってます」

 

 大学に進学後、一度も家に戻っておらず丸4年。

 電話連絡だけはしていたようだが、やはり顔を見せるのと違うだろう。


「春那は大人の顔になったな。随分と幼さが抜けた」

 お父さんからの静かな声。

 我慢していたのか、お父さんの言葉に咳を切ったように、春那さんの目からぽろぽろと涙がこぼれる。

 

「ごめんなさい、父さんごめんなさい」

「いいんだ。もういいんだ」


 今ここにいるのは、しっかり者で頼りがいのある春那さんの姿はなく、大人の女でもなく、格好いい女でもなく、子供のような姿の春那さんだった。

 文さんは春那さんの姿を見て、少し席を外そうと提案してきた。

 親子の時間も必要だろう。その辺は俺も父さんと和解したときに必要だったから。


「ご挨拶はほどほどにして積もる話もあるでしょうから、どうぞ親子でお話しされてください。私たちは席を外させてもらいますので。晃君はお借りしますね」

「心遣い感謝します」


 こうして俺たちは春那さんを残して、応接間から離れる。

 さて、この間にもう一つの目的である武藤と接見しよう。

 晃に案内してもらって、武藤が仕事をしている場所へ連れて行ってもらった。

 和菓子工房を裏の窓から覗くと、数人の職人が白い作務衣に身を包み、それぞれ作業をしている。


「どの人?」

「えーと、あの一番奥の人」


 他の職人と比べると一人だけ年が若い男がいる。これが武藤か。

 武藤は真剣な表情でぐつぐつと煮立つ鍋にへらをかき回しながら目を向けている。


「あれは何をやってるの?」 

「餡炊きをやってるんだよ。和菓子作りの基礎の一つで最初の3年くらいはあればっかりやらされるんだよ」


 声をかけるのは晃に任せることにした。 

 晃はすいっと工房の中に入り、作業をしている年配の男性に声をかける。

 すると年輩の男の人が武藤に向かって大声で言った。

  

「おーい武藤、お嬢ちゃんがお前に話があるんだってよ。それ見といてやっから行ってこい」

「はいっ! 分かりやした!」


 男性と入れ替わりで帽子を脱いでやってくる武藤。

 晃はそのまま武藤を裏口へと連れて出てきた。

 

 出てきた武藤はそこにいた美咲、俺、文さんへと視線を移す。

 

 これが春那さんと付き合っていた武藤仁。

 中肉中背で俺よりほんの少し身長が高い。

 無愛想と聞いているが、確かにぱっと見でも呼ばれたのが嫌そうな表情に見える。これがデフォルトなら随分と損してきたんじゃないだろうか。なんだか一昔前の自分を見ているようで同族嫌悪的なものを感じる。すでにこの男には理由も言わず春那さんを振ったというマイナス感情があるにしても、それだけでは説明できない感情が浮かんだ。多分俺はこいつのことを好きになれない気がする。


「お嬢さんなんか用すか?」


 一応、晃に対しては仕える主人の娘ということで節度は持っているらしい。

 だが、少しばかり人をなめたような態度に見えるが、俺の先入観がそうさせているのか、それとも本当にこの男の態度がそう見えるのか。


「武藤さんって姉さんと付き合ってたの? なんで別れたの?」

「……」


 単刀直入な晃の質問に武藤は黙り込む。


「晃君、その質問は君じゃなくて明人君からした方がいい。さっきから明人君の表情がそう言ってる」

「あれ? あんたとはどこかで会ったことがある気がする」

 武藤は発言した文さんを見て眉を寄せて言った。

「本居だ。名前は覚えてないかもしれないけど、仮にも自分がいた大学の先輩を捕まえてあんた呼ばわりは止めなさい」

「ああ、やっぱりそうか。大学の時に見たんだな。んで、その坊主が俺に聞きたいってのは、春那のことで、その坊主は今の春那の男ってところか?」

「木崎明人です。まず間違いを訂正します。春那さんを含めてここにいるみんなと一緒に暮らしている家族みたいなもんで俺は春那さんの彼氏じゃない」

 武藤は目つきを細め、疑わし気に俺を見る。

「……ハーレム?」

「そういうこと言ってない」

 こいつふざけてるのか?

 武藤はやれやれといった顔で居並ぶ顔を見渡す。

「……話を聞きたいのはここにいる全員か? それなら俺は断るぞ」

「私はどうでもいい。武藤君は誰になら話していいんだい?」

「話を聞きたそうにしてるのは、明人って小僧とお嬢さんだろ。でも、お嬢さんは駄目だ」

「そうかい。じゃあ晃君は私たちと一緒に来てもらおうか。明人君あとよろしくねー」


 そう言うと、文さんは美咲と晃を引き連れて離れて行った。

 晃は少し不満顔だったけれど。


 残った俺と武藤は少し離れたところにある休憩場に移動した。

 武藤は横にある自販機で缶コーヒーを購入し、俺にも投げよこす。

 深々と座った武藤は自分の缶コーヒーを開けながら言った。 


「んで、何が聞きたい? あまり時間は取らせんなよ」

「別れた理由云々よりも、何故あんたがここにいるのかが気になってます」

「和菓子職人になろうと思ったからに決まってるじゃねえか」

「だからその理由ですよ。あんたのことは春那さんから少し聞いてるんですよ。その話を聞いた限りであんたは逃げるような男じゃない、俺はそう思ったんすよ」

 武藤は小さく笑った。

「随分と買いかぶってくれてるじゃねえか。俺はそこまで大した男じゃねえぞ? 大学も中退したし、何もかも中途半端だ」

「勝手なこと言っていいですか?」

「なんだよ?」

「武藤さんって、春那さんのためにここにいません?」

「……続き言ってみろ」

「家を飛び出した春那さんがここに帰ってきてもいいように和菓子職人の道を選んだんじゃないのかなって気がしたんすよ」

「お前すげえな。それで?」

「途中で気が付いたんじゃないですか? 春那さんが家に帰っていないこと」

 俺は核心を突けた気がした。

 缶コーヒーを飲もうとした武藤の動きがほんの少しだけ止まったからだ。

「あんたは春那さんの居場所を残そうとしている。もし、あんたが大学を辞めて和菓子職人をするといえば春那さんも大学を辞めただろう。あんたはそれを避けたかった。だから別れた。いつか春那さんが戻ってきてもいいように、職人として支えられるようにここにいる。それだけの時間が必要だったからあんたは大学を辞めてまでここに来た」

「……いい線いってるが、そこまで俺はお人好しじゃねえよ。どっちかっていうとここに後継ぎがいないことを知っていたからここに来たって考えられねえか?」

「それは答えになってませんよ。この牧島堂は代々が継いでいるということ。今のここの主人・・は春那さんのお母さんで、お父さんは婿養子の職人さんだってことは武藤さんだってもう知ってますよね。だったらもうここにはいないはずだ」


 武藤から言葉がなくなった。


「武藤さん」

「あん?」

「あんた馬鹿でしょ」

「お前、初対面の相手捕まえてその言い草はなんだ。どう見ても俺の方が年上だと思うんだが」

「人のこと言えないでしょ。なんで大学を卒業するまで待たなかったんだよ。それから二人で一緒にここにきても遅くなかっただろ」

「……それじゃあ遅いと思ったんだよ」


 武藤は小さくため息をついた。


「……春那っていい女だろ? まあ性格は男まさりだけど、できないことがほとんどないんだよな」

「一緒に暮らしているからそこはよく分かります」

「でもなあいつも馬鹿なんだよ。俺に惚れたってだけの理由で今まで築き上げたものを、家族まで全部捨てちまう。なんで自分を犠牲にしようとするのか俺には分からねえ。全部守ればいいじゃねえか。無理でも足掻いて足搔いて怒られながらでも、認めてもらうまで、できるようになるまで何度も挑戦すればいいじゃねえか。あいつは勝手なんだよ。それは俺の望みじゃねえ。まあ俺もお前の言う通り馬鹿でよ。結局春那は帰ってこないし、馬鹿の考え休むに似たりだった」

「本当に武藤さんって馬鹿なんですね。春那さんのためとか言って自分も似たようなことやってるじゃないですか。ちなみに春那さん帰ってきてますよ。今日強引に連れてきました」


 武藤は驚いたようで動きが止まった。

 どうやら春那さんを連れてきていると思っていなかったらしい。


「……マジで? 強引に? どうやったんだよ?」

「一服盛って気絶させて連れてきたんです」

「は?」


 武藤はきょとんとした顔をして、すぐに大きな声で笑った。


「うはははははははっ! 一服盛って気絶させたって、マジでそんなことしたのお前」

「武藤さんも知ってるでしょ。力勝負になったら春那さんに勝てると思います?」

「違いねえ。あいつたまに手加減忘れるからな。俺も高校の時よくぶっ飛ばされた」


 武藤は春那さんが帰ってきていることを聞いてほっとしたのだろう。

 不愛想な表情だったのが少し緩んだ。


「そうか。あいつもやっと帰ってきたのか」

「んで、ここからが本題に入るんですけど」

「まだあんのかよっ!?」

「まあ聞くまでもない気はしますが、武藤さん春那さんことまだ好きですか?」

「……お前今それ聞く?」


 武藤は少しばかり真剣な表情をする。


「……まああれだけいい女だ。でも言えねえな」

「馬鹿ですね」

「お前さっきから俺のこと馬鹿って言いすぎじゃね?」

「ちゃんと教えてくださいよ。本当は後悔してるんでしょ?」

「好きじゃねえよ」

「武藤さん?」

「――好きじゃ足りねえくらい愛してんだよ。もうこれ以上言わせんな。恥ずいわ」


 顔を手で隠して絞りだしたような声で言う武藤だった。

 

「……でもまあ春那が許しちゃくれねえだろ。自業自得だ」

「やっぱり馬鹿ですね」

「お前本当に馬鹿って言いすぎだぞ?」

「そんなの本人に言わないと駄目でしょ。別れたのは春那さんのためだったって、説明しなくて済まなかった、今でも愛してるって」

「そんなの言えるかよ。それに本人も今更そんなこと聞きたくねえだろ」


 俺は休憩場の窓に手をかけて、ガラッと開く。


「そんなことないですよ。ね、春那さん?」


 そこには俺たちの話を聞いていた春那さんがいた。

     

 お読みいただきましてありがとうございます。

 次回もよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=617043992&size=200
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ