358 春那狂騒曲8
伊織さんは美咲の4つ上の姉で今年24歳になるらしい。
在学中に出版社の目にとまり、馬串刺突というペンネームでBL小説を出版している。
いくつかシリーズを発刊していて、それなりに売れているらしい。
そして文さんは馬串先生が書く作品の大ファンだ。
大ファンである文さんは俺を押しのけて、自己紹介して握手を求めていた。
伊織さんから美咲がお世話になっている細やかなお礼として、サイン付きの本を贈ってもらえることになったらしく、文さんはホクホク顔だ。
美咲はというと、もう駄目だ逃げられないと、観念したような顔をしていた。
美咲が変な態度に出た理由はここが身内の店だったからか。
晃も当然知っていただろうから、美咲に同調していたのだろう。
しかしながら美咲が危惧していた伊織さんの趣味である漫画作成も落着いたようで、これで美咲が拉致される恐れもなくなった。美咲曰く、趣味の漫画作成しているときは天使のような姉が悪魔に豹変するという。この人懐っこさ全開で現れた伊織さんが豹変するというのもにわかに信じにくい。
「それでみーちゃんが急にここに来るなんて珍しいけど、どうしたの?」
伊織さんに食事をしに来たことを告げると、挨拶もそこそこに伊織さんに引っ張り込まれるように店の中へと連れて行かれる。
店に入ると意外に店の中は広く、外から見たときよりも中は広く感じられた。
空調は程よく効いていて、天井にはライトに着けられた大きな羽の扇風機ゆっくりと回っている。
レンガ造りの店の中は、まるで古いウエスタン映画や、ゲームに出てくるような酒場の雰囲気が漂っていた。木製の丸いテーブル八台が雑然と並んでいて、それぞれのテーブルに木製の椅子が四脚置いてある。雰囲気が酒場に見えるのはこれのせいかもしれない。壁際に酒樽が置かれ、真ん中の壁際には大きな暖炉があって、暖炉の上には写真楯とキャンドルが並ぶ。暖炉脇には薪も積んである。暖炉に灰がないところを見ると実際には使っていないのだろう。
今は昼時で店内も混んでいたが、幸いまだ奥側のテーブルが空いていて食事にはありつけそうだった。
伊織さんに厨房に近い一番奥のテーブルに案内された。
通りすがりに厨房が見えたが、コック服を身に着け赤いスカーフをまいた女性とアスコットタイを着けた男の人が、それぞれ別々の場所でフライパンを振るっていた。
この二人が美咲の両親か。
厨房の中は水蒸気やいろいろな煙でちゃんと顔はよく見えなかった。
予備椅子を一つ追加して、丸テーブルを五人で囲むように座る。
時計回りに文さん、春那さん、美咲、晃、俺の順番に座った。
座席についたところで伊織さんからメニューを渡される。
随分と手慣れた様子だ。普段から手伝いをやっているのだろうか。
「お姉ちゃん、お父さんとか忙しいと思うから、挨拶はまた改めてって言っておいて」
美咲が座席につくや言った。
「お父さん絶対来るわよ? みーちゃんがここで食べるなんて、何年振りかしら。お父さん張り切っちゃうね」
「それが嫌なんだけど」
「それはお父さんに言って。じゃあ、みーちゃんみんなの注文が決まったらお父さんたちに教えてね」
そう言ったあと、伊織さんは他の客への対応し始めた。
「お姉さんはお店を手伝ってるんだね」
文さんはもう注文するものを決めたのか、隣に座る春那さんにメニューを渡しながら言った。
「多分だけど、バイトの人が急にこれなくなったんじゃないかな。たまたま店に来たから手伝えって言われたんだと思います」
「美咲も手伝ったりしてたの?」
その質問をした途端、晃が俺の足を蹴ってきた。
どうやら言ってはならないことだったらしい。
「……お姉ちゃんはよくあるけど、私は親から手伝えって言われたこと一度もない」
「あー、それよか早く注文決めよう。私本当にお腹が空いてるんだ」
不穏な空気を察知したのか、文さんが話を打ち切るように促してくれた。
晃から回ってきたメニュー表を見る。
ミートソース、クリームソース、トマトソースや和風といった感じでソースごとに分類されていた。
サイドメニューも、イタリア料理を基本としたものが多いようだ。
バケットにローストビーフを挟んだビーフサンドもうまそうに見える。
ほぼ対面に座る春那さんはまだメニューを決めていないようだ。
「春那はまだ悩んでるの?」
「……正直、食欲がありません」
「今からそんなんでどうするの」
このあとの事を考えたら、食欲もないのだろう。
「……仁の話を聞いて動揺したのは認めます。まさか実家に住み込みで働いてるなんて思いもしなかったから。何故よりによってうちに弟子入りしたのか」
春那さんも俺と同じ疑問を持ったようだ。
「私は怖いんですよ」
春那さんは強いんだなと思っていたけれど、弱い部分もちゃんと持っていた。
「あいつの顔見たらいきなり殴ってしまいそうで。多分手加減できません」
そっちですか。
「ん~、ちゃんと言ってなかった私も悪いんだけど、私が春那に会わせたいのは武藤じゃなくてご両親だ。もう何年も顔を見せてないだろう? 武藤の件についてはある意味きっかけついでだと考えてる。それとも春那はそっちの方が大事かい?」
「いえ、もう終わった話ですから。明人君を説得する材料も私は持ち合わせていませんし……。両親と顔を合わせるのも気まずいです」
そう言って春那さんはまたメニューに視線を落とした。
ようやく春那さんの注文が決まり、美咲がみんなの注文を聞いて厨房に向かった。
厨房から美咲の声と男性の声が漏れ聞こえる。
「――いいから! 来なくていいから!」
「そういうわけにはいかないんだよ」
少しして、しょぼんとした美咲と一緒に男性が現れた。
美咲のお父さん――藤原誠也。
ダンディズムを感じさせる口髭の生えた、容貌からはもうすぐ50歳になるとは見えず、髭以外は人のよさそうな顔をしている。
「美咲が――娘がお世話になっています。美咲の父親です。今日はわざわざ店に足を運んでいただきましてありがとうございます」
頭を下げるお父さんに文さんと春那さんは立ち上がり応じる。
「初めまして、本居文香です。美咲ちゃんはいい子なので、何の問題もありませんよ」
文さんの言葉を聞いてほっとしたような顔を浮かべるお父さん。
視線が俺にちらっと移る。
「君が明人君かな?」
俺も立ち上がり一礼。
「初めまして。木崎明人です。美咲さんには可愛がってもらってます」
お父さんの手前、年下の俺が美咲のことを呼び捨てにするわけにもいかない。
何故に美咲にスタンガンを渡したのか思いっきり聞いてみたかったが我慢した。
「君の話は娘から聞いている。実際は妹のように甘えてくるから君が美咲の面倒を見てるんじゃないかい?」
美咲を振り返っていうお父さん。美咲も視線を逸らすな。ばれるだろ。
しかし、お父さんは美咲のことをよく分かっているらしい。
昼時で仕事も忙しいだろうからお構いなくと文さんが言うと、お父さんは厨房に戻っていった。
お父さんが引っ込むと今度は美咲のお母さんがお父さんと入れ替わりで挨拶に出てきた。
美咲のお母さん――藤原結子。
美咲のお母さんは美咲によく似ている。美咲ってお母さん似なんだな。
年齢を感じさせない随分ときれいなお母さんだった。
明るい感じで、はきはきとした印象を受けた。
「美咲がお世話になってますー。うちの子甘えたで皆さんにご迷惑かけてると思いますけど、どうぞよしなに」
美咲が甘えたなのは家族の共通認識なんだな。
美咲が身を小さくしているけれど、事実そうだからしょうがないよな。
文さんと春那さんにそれぞれ挨拶すると、俺にも視線を送ってきた。
「あなたが明人君?」
「はい。初めまして、木崎明人です」
なんだろう。お母さんからの視線がなんだか値踏みされている感じがするんだけれど。
「ふんふん。美咲からしょっちゅう名前が上がるからどんな子か気になってたの。この子の周りって男の子の話題全然ないでしょ。世間知らずな子だから悪い虫がつかないように美咲のことお願いね」
「はあ、分かりました」
「もうお母さん訳分かんないこと言わないで!」
「あんたが男慣れしてないから、変な男に騙されやしないかとお母さんすごく心配してるの」
「大丈夫だから! もう仕事の続きしてきて!」
「すいませんねー。ではみなさんごゆっくり」
美咲のお母さんは一礼すると厨房へ戻っていった。
「だから嫌だったのに」
美咲はしゅんとうな垂れた。
美咲の横で、晃はまあまあとなだめる。
伊織さんの手によって俺たちの注文したものが運ばれてくる。
美咲がパスタというか、麺類を食べるのは初めて見た気がする。
「だってここでパスタ食べなかったらお父さん怒るんだもん。だから来たくなかったの」
聞いてみると美咲はそう答えた。
いただきますと一礼して食事を始める。
美咲のおすすめを俺と文さんは頼んだが、確かにおいしい。
食事はおいしいのだけれど、すごく視線を感じる。
視線の主は厨房脇に立つ伊織さんだった。
気のせいか、俺のことをすごく見ている気がする。
「なあ、美咲。なんかお姉さんからやたらと見られてる気がするんだけど」
「……ごめん明人君。お姉ちゃんの悪い癖が出ていると思う」
「悪い癖?」
「明人君をモデルにして新しいの考えてると思うの」
「モデル?」
「BL作品のモデル。明人君が攻めか受けかはお姉ちゃんの中で決定してると思う。お姉ちゃん年頃の男の子見るとそういう目でしか見ないの。太一君がいなくて良かったよ」
嫌な話を聞いてしまったな。
あ、なんか急にメモ帳取り出して書き始めたぞ。
やっぱり姉妹だな。美咲がアリカを襲う時に見せるような顔して書き込んでいる。
きれいな顔してるのに残念です。
食欲がなくて少なめのものを注文した春那さんだったが、一番最後になってしまった。やはりこの後のことを考えると喉が通らなかったようだ。
会計をしようとすると、美咲の両親も出てきて御代はいらないといわれたが、文さんがやんわりと断った。
「美咲のことお願いします」
任せてください。ご両親に顔向けできるようには努力します。
美咲は早くここから立ち去りたいといった顔をしていた。
気恥ずかしいのだろう。まあ俺も父さんをてんやわん屋に連れて行ったときは気恥ずかしかったから気持ちは分かるぞ。
ご両親のあと、伊織さんが挨拶、それから美咲に向かってこう言った。
「みーちゃん。次の仕事が落ち着いたら遊びに行くからね」
「えっ!? なんで?」
「前から約束してたじゃない。ここのところずっとオフがなかったからしばらくお休み貰う約束してるのよ。お姉ちゃんだけまだ清和市にいってないもの」
「い、いいよっ! 来なくていいから!」
「駄目。もう決定しました。それにみーちゃんだけが目的じゃないし」
ちらりと俺を見て言う伊織さんだった。
「ついでにネタ集めに行くので、明人君申し訳ないけど二、三日泊めてくださいね」
その言葉を受けて美咲はこの世の終わりみたいな顔をした。
お読みいただきましてありがとうございます。
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