352 春那狂騒曲2
念のためにアリカを送って行くことを、アリカ自身に連絡しておいてもらった。
アリカのお父さんとは愛の件で気まずいこともあったが、バイクを買う前に何度か相談させてもらったことがある。そのおかげか、今では顔を合わせても気楽に話ができる相手だ。
アリカは俺のバイクにまたがったり、押して歩いてみたりと、自分のとは違うバイクの大きさと重さを楽しんでいるように見えた。やはり少し背丈が足りないのか、アリカでは座る位置を少しずらしてなんとか足が着く。
「……こうしないと足が届かない」
ここはコメントを控えておこう。
ちゃんと自力で支えてるから、まあ大丈夫だろう。
「じゃあ、お前んち行く途中にあるコンビニまでバイク交換しとこうぜ。飛ばすなよ?」
「ちゃんとあんたが付いてこれる速度で行くわよ」
てんやわん屋を出発して、先行するアリカを追いかけながら走る。
途中の信号待ちで横に並び感想を聞いてみると、馬力が違うから楽ねと喜んでいた。
5分ほど走ってバイクを交換するコンビニに到着した。
バイクを交換したときアリカは上機嫌だった。喜んでもらえて何よりだ。
次はアリカの家を目指す。
しばらく走らせていると、俺がバイトしていたファミレスのアミーズが見える。
アミーズがあるところの交差点を曲がり、少ししてアリカの家に到着。
アリカは駐車場に止めてある父親のバイクの横に自分のバイクを仕舞う。
俺も家の前でエンジンを止めて、バイクのスタンドを立てる。
ヘルメットを脇に抱えたまま、アリカが家の呼び鈴を鳴らす。
俺も挨拶するため一緒に並んでいる状態だ。
「ただいまー。明人も来てるよー」
インターフォンでアリカが言うと、家の中からドタドタと慌ただしい音が聞こえてくる。
ガチャガチャと鍵の外す音が聞こえて、扉が開くと同時に愛が飛び出してきた。
「明人さん、いらっしゃーい」
愛は両手を伸ばし俺に抱きつく気満々で飛び出してきたが、アリカの右手が愛の顔面を掴み阻止。
何か前にも同じようなことがあったな。
「香ちゃんひどい! でされ!」
「パパもいるのに何やってんのよ!」
扉の向こうには、アリカと愛の父親である愛里雅春がやれやれといった顔で立っていた。
雅春さんに頭を下げながら挨拶する。
「こんばんは」
「おう、こんばんは。香を送ってくれてありがとうな。ところで明人君のバイクって、それ?」
挨拶もそこそこに、俺のバイクへと興味が移る。アリカの父である雅春さんはバイクが大好きだ。
今はバイクの違う楽しみを見つけたようでアメリカンバイクに乗っているが、昔はバイクレーサーになりたかったそうで、スポーツバイクばかり乗っていたと聞いた。
雅春さんは俺のバイクの周りをくるくると回りながら見ていく。
「こういうビックスクーターって乗ったことがないんだよな。今度乗らせてくれよ」
「いいですよ」
俺と雅春さんが話をしている後ろで、アリカが愛を羽交い絞めにしていた。
俺に向かってこようとする愛を抑え込んでくれているようだ。
「香ちゃん離して、明人さん成分をちゃーじするの!」
「あんた、いい加減にしなさいよ。明人が家に来るたびにそういうことしてんじゃないわよ!」
「……明人君ごめんなさいね。うちの娘が馬鹿で」
あとから出てきたアリカたちの母親――恵さんが二人のやり取りを見ながら呟く。
「大丈夫です。慣れてますから」
ご両親は俺のことを娘たちと仲の良い男友達として見てくれている。
愛が俺のことを好きなことも知っているし、俺が恋愛というものを分かっていないことも、なんとなく理解してくれているようだ。男親の雅春さんの立場としては、娘の幸せも大事だが、やはり娘を取られるような気持ちもあり、少し複雑らしい。
✫
少しばかり雑談したあと、愛里家一堂に見送られて出発。
夜間の運転は視界が悪い。なるべく明るくて大きな道を通って帰った。
無事に家にたどり着き、春那さんが笑顔で出迎え。
「明人君おかえり」
「ただいまです」
「ご飯できてるよ」
「ありがとうございます」
リビングに移動し、テーブルの上にある料理を見る。
レバニラ炒め、山芋のすりおろし、ガーリックフライ。
美味そうなのは間違いないけれど、何か精の付きそうなものばかりが並んでる。
それぞれ俺の好きなものだから問題はないんだが……邪な意図を感じるのは気のせいか。
とりあえずせっかく用意してくれたので、温かいうちにいただこう。
春那さんはテーブルの向かい側に座って俺の様子を窺う。
「文さんと美咲から連絡きたよ。無事に着いたって」
「そうですか。とりあえず一安心ですね」
「そうだね。それにしても今日は少し遅かったね。バイクだから早いと思ってたのに」
「ちょっとアリカの家に寄ってました」
「……家で待っている女がいるのに、他所の女の家に行くだなんて……これはこれで」
春那さんは身をぶるっと震わせる。
おかしなことを口遊んでいるので、いつでも逃げ出す用意はしておこう。
とりあえずスイッチが入ることはなかったけれど、警戒だけはしておいた方がいいな。
春那さんの手料理を美味しくいただいたあと入浴。
湯に浸かってくつろいでいると、脱衣場に影が浮かび、春那さんが入ってきたのが分かる。
どうみても服を脱いでいるように見えるが、どうやら乱入するつもりらしい。
春那さんは体にバスタオルを巻き付け浴室のドアに手を掛ける。
しかしながら、春那さんの企みは何となく予想できていたので、すでに対策済みだ。
ドアはガタガタと揺れるが開くことはない。
「あれっ、鍵がかかってる!?」
俺が風呂に入ると言った時の春那さんの表情が怪しかったので、念のため内鍵を掛けておいたのだが、どうやら正解だったようだ。
「一緒に入ろうよ」
浴室の入口にへばりついて、爪でガリガリとガラスを擦り音を鳴らす春那さん。
俺に構ってほしいときの美咲と似た行動は止めてください。
「諦めて下さい」
「背中流してあげるから」
「自分で出来ますから」
「前も洗ってあげるから!」
「絶対いらんわ!」
警戒していて正解だったな。
✫
ようやく春那さんが諦めてくれたので風呂から出る。
意外としつこかったので、危うくのぼせるところだった。
リビングに入ると、待ち構えていた春那さんがレンタルビデオの袋を俺に見せる。
どうやらもう気持ちを切り替えたらしい。
「寝る前に一緒にDVDを見よう。もう借りてきてるんだ。一時間ちょっとくらいだから大丈夫」
出してきたDVDはホラー系とゾンビ系。
春那さんのイメージにない意外な嗜好だった。
「美咲も晃もこういうの全く駄目でさ。いない時に見ようと思うんだけど、一人だと流石に怖いんだよね」
「晃さんも?」
イメージにないな。全然平気そうな気がするんだけど。
「晃も駄目。私と一緒で暗いところとか、肝試しとかは平気なんだけど、映像は苦手なんだよ」
「文さんは?」
「文さんはホラーそのものが嫌いなんだ。一緒に見ましょうって言っても断られた」
確かに美咲も文さんもテレビ番組で怖い系とか気持ち悪い系は避けてたな。
まあ、一緒に見るくらいなら構わないか。
「どっちがいい?」
「春那さんが見たいほうでいいですよ」
「うーん……じゃあ、ホラーで」
春那さんはテーブルに飲み物を用意して、ソファーへと腰を下ろす。
ソファーに座った春那さんは、空いた隣をぱんぱんと叩く。
どうやら隣に座れと言いたいらしい。
「変なことしないでくださいよ?」
「大丈夫、DVD見るだけだから。どうせなら部屋も薄暗くしよう」
春那さんは部屋の電気を調整してリビングは薄暗くする。
明るすぎず、暗すぎず、隣に座る春那さんの表情は十分に見える明るさだった。
「雰囲気出てきた。じゃあ、始めるね」
春那さんはワクワクしたような顔でDVDを再生。
オープニングは主人公の引っ越しから始まった。
冒頭から何かいると思わせるような雰囲気が漂っている。
しかしながら、登場人物は何だかみんな明るくホラー作品に見えないのは演出か。
きっかけらしいきっかけがあまりないまま物語は進み、ついに一人目の犠牲者が発生した。
主人公の同僚が駅のホームで誰かに背中を押され線路に転落。その直後、特急電車が通過し帰らぬ人となった。同僚が事故にあったことなど知らない主人公は、事故処理中の中継をぼんやりとテレビで眺めていた。こんな感じで主人公に関わる人物が謎の死を遂げていく。
死の直前にこいつが原因だと思わせるような体の一部分が映るが、なかなか全貌を見せない。
やばい。これ結構怖いな。
音と映像、焦らしをふんだんに使った脅かし系だ。
来ると思った時には肩透かし、何でもないところで音による不意打ちも多い。
物語はまた進み、主人公と一緒に食事を済ませた女性上司が、主人公と分かれたあとの帰宅途中、何かの気配を感じて振り向く。だが、そこには何もいなくて気のせいだと安堵する。
また前へと振り向いたときに、バンと大きな効果音とともに、女性上司の目の前に眼窩がまっくろな青白い肌の女が立っていた。
音とその映像に俺も思わずびくっとしてしまう。
俺の横で春那さんもびくっと体を大きく揺らし、俺にしがみついてくる。
ちらっと見ると、流石に春那さんも怖かったらしく目をぎゅっと瞑っていて、ちらっと眼を開けては映像を見てすぐにぎゅっとまた目を瞑っている。
「今の反則、安心させて落とすの反則!」
なにやら春那さんはぶつぶつと文句を言ってるけれど、怖いもの見たさか、薄目で映像を見ようとしていた。それよか腕に胸が当たってるので離れてもらっていいですか? そっちに意識が奪われます。
画面は変わり、河川敷に横たわり川に頭を突っ込んだままの姿が映る。その服装は女性上司が着ていたものだった。また映像がやけにリアルで不気味さを感じられた。
約80分ほどの映画だったが、物語は数人の犠牲者を出しながらも、主人公は生きながらえ別の所へと転居して終結へと向かう。だが、最後の最後まで驚かしてくれる作品だった。
エンディングロールはオープニングの時と同じように主人公の引っ越し風景が映る。
最後の一コマで、引っ越し先に置かれた姿見の中に例の悪霊が映っていた。
――まだ終わっていない――そんな後味が残る作品だった。
確かに作品は怖かったけれど、俺の意識は半分春那さんに持っていかれていた。
おかげで春那さんほど余韻は残っている感じがしない。
当の春那さんは珍しく軽く引きつった表情を浮かべたまま固まっていた。
「……失敗した。これは失敗した」
さらに珍しいことにあの春那さんが声を震わせている。
「怖いDVDを見れば、明人君にくっついても美咲に言い訳できると思ったのに……これは失敗した」
ろくでもないこと考えてるな。
部屋を明るくしてリモコンでテレビを消す。
部屋に戻るのに立ち上がろうとすると、春那さんに服を掴まれた。
「明人君……ごめん。怖いから一人にしないで貰えるかい?」
「何言ってるんですか? 怖かったら見なかったらいいのに」
「見たかったのは本当なんだ……その……本当に何もしないから……今日一緒に寝てくれないかな?」
春那さんは涙目で訴えてくるが、これは寝込みを襲われる可能性がある。
ここは心を鬼にして断ろう。
「却下で」
「お願いだから! 何だったら縛ってもいいから!」
おい、今ちょっとだけぶるっと震えただろ。
✫
結局、春那さんのお願いに押し切られてしまった。
「フンフフーン♪」
春那さんは自分の部屋から布団を持参してきて、鼻歌交じりに俺のベッド横の床に敷く。
さっきまで怖がってたくせにその変わりようは何だ。
「じゃあ、約束通りこれ」
春那さんから手渡されたのは手錠。
鎖は付いているが、輪っかの部分が金属ではなく革製のものだった。
何でこんな物を春那さんが持っているかは聞かないでおこう。
春那さんは自分で足に同じようなタイプの足枷を着け、着け終わったあと両手を俺に差し出した。
受け取った手錠を春那さんの両手に掛ける。
「束縛されてお預けだなんて……なんていいシチュエーションなんだ」
春那さんはそう言うと、自分で敷いた布団にそのままころんと転がる。
俺を見上げてポツリ。
「明人君、好きにしていいんだよ?」
「このまま追い出していいんですよ?」
「くぅっ!? この状態で追い出すだなんて」
身を捩りながら恍惚とした表情でぶるぶると震える春那さん。
駄目だこの人、既に壊れてる。
悶える春那さんに掛け布団を被せる。
もぞもぞと悶え続けているけれど放っておこう。
「じゃあ、電気消しますよ」
「明人君待った。それは止めてくれないか」
「明るいと寝れないでしょう」
「今日は怖いから真っ暗は止めてほしい」
実はまだ怖いのか、DVDが頭に残っているらしい。
真っ暗にはせずに豆灯だけ点けて、俺も自分のベッドに潜り込む。
「じゃあ、おやすみなさい」
「うん、おやすみ」
………………。
あれから結構時間がたった気がするが、ベッドと床で離れてるとはいえ、傍で春那さんが寝ているせいか寝付けない。それにたまに聞こえる鎖の音も気になる。
春那さんはもう寝たのだろうか。
そっと見てみると、被せた布団から顔の上半分が出ていて俺の方を見ていて目が合った。
それ怖いから。ちょっと焦ったから。
「明人君、私が気になるのかい?」
何で嬉しそうなんだろう?
「……そりゃあ、気にならないわけがないでしょう」
「何だったら、本当に好きにしていいんだよ?」
「しませんから」
「またお預けなのかい?」
ハァハァと息遣いを荒くしながら言われても。
期待するような目で見ないでください。
これは駄目だ、相手する方が逆に危ない気がしてきた。相手せずに寝てしまおう。
春那さんが視界に入らないように背中を向けて目を閉じた。
「ああ、この放置感がたまらない」
そういう寝言は寝てから言ってください。
✫
翌朝、鎖の音に目を覚ます。嫌な目覚めだ。
春那さんを見てみるとまだ眠っているようで、すうすうと寝息を立てている。
顔の前に手を置いて横になっているけれど、なんだか可愛らしい寝方に見えた。
こんな無警戒な春那さんの顔は初めて見た気がする。
また、じゃらっと鎖の音がしたとき、春那さんの目がぱちっと開いた。
春那さんの視線が宙を彷徨い、俺と目が合う。
「……おはよう明人君。もう起きてたのかい?」
「おはようございます。ついさっき起きたばっかりです」
「さすがに寝起きは恥ずかしいな」
「可愛い寝方してましたよ」
そう言うと春那さんはすぐさま布団の中に潜り込んでしまった。
もしかして照れたのか?
これもまた珍しいな。
「春那さん、もうちょっとしたら着替えていつものランニング行きましょうか」
「……うん、これ解いてくれるかい?」
春那さんは布団に潜ったまま、手枷のついた両手を出して答えた。
布団を被ったままだけど、どうやら今は顔を見られたくないらしい。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。