350 家族紹介8
日曜日。
バイトに行く前に単身赴任先へと戻る父さんを駅まで見送りに行く予定だ。
父さんが単身赴任先へ帰る準備を待つ間、リビングで美咲と晃の様子を見ていた。
二人はリビングに転がって、頭を寄せ合って携帯でゲームをしている。
「晃ちゃん、私も貯まった」
「よし、んじゃあ。二人で同時に10連ガチャしよう」
どうやらガチャをするためにジュエルを貯めていたようで、クエストの消化が終わったようだ。
二人して携帯の前で正座して、神頼みするかのように両手を合わせて拝んでいる。
「いくよ?」
「うん」
二人はそっと携帯に指先を伸ばし、呼吸を合わせて画面のボタンに触れた。
「うわっ駄目だ! 金3個しかない」
「8個も金きた!」
晃は顔を青ざめ、美咲は興奮して紅潮している。
二人は携帯の画面に顔を近づけて注視している。
キャラの抽選画面へと移行してすぐに、青ざめていた晃が目を見開いて小さくガッツポーズ。
どうやらお目当てだか、明らかにいいキャラが出たらしい。
その反面、美咲はさっきまでの表情から一転してどんどん暗くなっていく。
「やったー。2つきたー!」
「あははは……。金が8個も来たのに……ダブりしか出ないなんて終わってる……」
美咲はどうやら運に見放されたらしい。
晃は自分だけがいいのが出てしまって、喜ぶにも微妙な顔つきになっている。
外れを引いた美咲の手前、はしゃげないのだろう。
どよーんとした顔で俺に近づいてくる美咲。
嫌な予感しかしないんだが。
「明人君、慰めて」
「残念だったな」
「ハグして、よしよしして」
この甘えたをどうにかしたい。
俺に言うより、晃に言ってくれないかな。
晃がものすごい顔で俺のこと睨んでるんだよね。
美咲と初めて会ったときは、頼りになりそうなお姉さんに見えたのに。
知れば知るほどに手間のかかる人で、俺より年上だという気にならない。
ちょっとしたことで拗ねたり、不貞腐れたり、甘えたで、手間のかかる妹みたいな存在だ。
今も俺の前で携帯の画面を見つめたまま、俺からのハグをじっと待っている。
あまり待たせると、すぐに不貞腐れるのが目に見えている。
晃の視線が怖いけど、さっさと終わらせよう。
「はい」
両手を広げると、美咲はそのまま両手の間に体を入れてくる。
軽くハグして、頭をよしよしと撫でる。
「うっうっ。あんなに一生懸命ジュエル貯めたのに~」
たかがゲームでそこまでへこむな。
晃がものすごく我慢してるのが分かるくらい、顔を歪ませている。
「はい、そろそろ終わり。後は晃さんに慰めてもらえ」
「晃ちゃんいいの引いたから嫌だ」
おいおい、せめて聞こえないように言えよ。
晃がものすごくショックを受けた顔してるぞ。
美咲は普段、他の人にはそんなことは言わないのに、晃にだけは好き放題言う。
これも長い付き合いがあるからかもしれない。
「……それに、ここは私の特等席だからいいの」
ぐりぐりと俺の胸に額を押し付けながら言うけれど、いつからそうなったんだ。
それよか、晃が完全に崩れ落ちてるんだが?
「明人、そろそろ用意ができたぞ」
父さんがリビングに入ってくると、俺の胸にもたれかかっていた美咲がぱっと離れて姿勢を正す。
そんな美咲に父さんがとどめの言葉を放つ。
「おや美咲君、また明人に甘えてたの?」
どうやら、とっくにばれていたらしい。
青い顔した美咲は顔を引きつらせたまま、愛想笑い。
どうやら疑いは俺にかけているようで、ジト目で俺を見てくる。
俺は父さんにそんなこと一言も言ってないぞ。
✫
晃と美咲に留守番してもらって、文さんの車で駅へと到着した。
駅の構内は、盆の始まりでもあるからか、大きな荷物を持った人で少しばかり混雑している。
「明人、みんなと仲良くな」
「ああ、分かってる。父さんも元気で。また、待ってるから」
「ああ、それじゃあ留守は頼んだよ」
今度父さんが帰ってくるのは、年末年始の休暇。
また長い間留守になる。
父さんもこの休暇でそれなりに休め、俺を取り巻く環境も確認できたから安心したようだ。
父さんはこの休暇中に少し太った気がする。痩せ気味だったからちょうどいいとは思う。
春那さんの料理が美味いからって食い過ぎたのと、文さんと一緒になって毎晩飲み過ぎたせいだな。
「文さん、また帰ってきたら一杯やりましょう」
「はい、心からお待ちしています」
「それじゃあ、明人のこと頼みますね」
「はい、お気をつけて」
軽く手を振ったあと、人ごみに消えてゆく父さんの背中を見詰める文さん。
「ああっ……和人さんが帰ってしまう」
文さんは悲しげな声で呟く。
「……文さん一つ聞いていいですか?」
「なーに?」
「父さんのこと本気ですか?」
「冗談だと思ってたの? 私、冗談でこういうことしないよ」
「え、マジだったんですか!?」
「どうやって口説こうか、晩酌の間ずっと考えてたよ。和人さんさ、ちょっとアピールしても明人君と同じで鈍感なんだ」
――鈍感?
俺のどういうところが鈍感なんだ?
父さんは確かに鈍いなと思うところはあるんだけれど……。
「明人君は、もしも私がお母さんになったら嫌?」
「嫌じゃない……文さんだったらいいかも」
「おっ!? それはちょっと予測してたのと違う答えだった」
「――やっぱ、訂正。飲んだくれの母親は嫌です」
「飲んだくれじゃない。嗜んでるだけだよ!」
俺から見たら一緒だよ。
でも、飲んだくれてるところはともかく、普段の文さんは何だかんだと皆を大事にする。
構い過ぎることもなく、離れすぎることもなく、適切な距離というのだろう。
きっちり締める所は締めてるし、俺だけでなく家族全員を温かく見守っているのも分かる。
それはいつしか俺が思い描いていた母親像だった。
✫
「明人君が言ったんでしょ?」
「言ってない」
相変わらず閑古鳥が鳴くてんやわん屋で、美咲から濡れ衣を着せられて頬をぐにぐにされる。
どうやら美咲はまだ、俺が父さんに言ったと思っているようだ。
ぐにぐにされるのは痛くないからいいけれど、八つ当たりは止めてほしい。
「春ちゃんかな~」
「誰も言ってないって」
「じゃあ、何でお父様知ってたの?」
「知らない間に目撃したんだろ。俺だって分かんないよ」
少しばかり美咲が落ち込んだけれど、父さんは美咲の印象をよく思ってるから大丈夫なんだけどな。
しばらくして店長が様子を見に来た時に美咲が声を掛けた。
「火曜日から三日間お休みお願いします」
「ああ、そういや~実家に帰るんだっけ」
火曜日から木曜日まで文さん、美咲と晃は帰省する。
晃と一緒に帰って親に顔を見せに行くらしい。
姉の趣味に巻き込まれるのが相当嫌なのか、美咲の警戒は徹底している。親と連絡を重ねて、姉がいなくなる数日間を狙って帰省する日を絞ったのである。
美咲が帰りたがらない原因の姉は、趣味の同人誌作成が締め切り間近で、仲間の友人宅で缶詰め状態らしい。美咲はその隙をついて帰省するのだが、向こうではいかに姉に見つからないようにするかが肝だそうだ。
万が一の遭遇にも備えて、実家には泊まらず、晃の実家で宿泊させてもらうようだ。両親はそれでいいのかと聞いたところ、姉と自分のことを分かっているので理解してくれているそうだ。
晃としては誰にも邪魔されず、美咲と一緒にいられるから至福の時間となることだろう。
春那さんにも協力してもらって、帰ってる間に美咲に変なことしないよう晃に釘を刺しておこう。
春那さんは帰省せず家に残るという。
俺としては食事にありつけるので助かるけれど、少し気がかりでもある。
春那さんが清和大学に入学して以来、実家に一度も帰っていないことを晃から聞いたからだ。
両親は最初こそあきれていたものの、今では春那さんの心配をしているとも聞いた。
晃も何度か実家に帰るように説得したそうだが、頑なに拒んだらしい。
「明人君、何を考えてんの?」
「んー、春那さんのこと」
そう言うと、いきなり首を絞められた。
「具体的に言ってもらおうか?」
「とりあえず手を離せ。春那さんが帰省しないことを考えてたんだよ」
美咲は俺の首から手を離し、一つため息をついた。
「それか……。私も晃ちゃんから相談されたことがあるんだけど……私から言っても駄目だった」
俺より付き合いの長い美咲が言っても駄目なら、俺が言っても無駄だろう。
「一応、電話はしてるんだよ」
「そうなの?」
「でも、顔を合わせるのは嫌みたいなの」
晃が零したT大を蹴ってまで追いかけた男に捨てられたってのが影響しているのだろうか。
「何とかしたいなー」
「それは私も思うけど、難しいよ」
「俺さ、父さんとは和解できたけど、和解するまで俺も親とコミュニケーションが取れてなかっただろ? だから何とかできないかなって思っちゃうんだよ」
「でも本人が動かなきゃどうしようもないよ。この話を持ち出しても聞いてくれないもん」
根が深いのか。
「親御さんをこっちに呼ぶとか」
「向こうはお店もやってるし、それにそんなことしたら、いくら明人君でも春ちゃん怒るよ?」
「駄目か、何かいい作戦ないかな」
美咲はうーんとうなりながら考える。
「家族が怪我したとか嘘言って呼んだら絶対激怒するだろうしな~」
「心配させるような嘘はまずいだろ」
俺と美咲はそのまま頭を悩ませていたけれど、結局答えは出なかった。
✫
月曜日の午前中、バイク屋の柴崎さんからバイクが整ったと電話が来た。
連絡を受けたあと、すぐに免許証を持参してバイク屋へと向かいバイクとご対面。
猫目のようなヘッドライト、ピカピカに磨かれたボディ、金属の光沢もきらりと反射する。
柴崎さんが整備員に丁寧に綺麗に仕上げるよう頼んでくれたようだ。
受け取りのサインを済ませると、柴崎さんがカウンターから俺が頼んでいたヘルメットとかのバイク用品を取り出して差し出す。付いていたタグをその場で取り外し、メットの調整と手入れ方法も教えてもらう。
手入れ方法が分からなくなったら店に来ればいいよ、と言ってくれた。
「燃料はサービスで10リットル入れてあるから。すぐにはなくならないから大丈夫だけど。早めに入れときなよ」
「ありがとうございます」
ヘルメットの顎紐を調整、グローブをつけると手にぴったりとした感触だった。
装着後、バイクにまたがりスタータスイッチを押してエンジン始動。
ドゥルンと音を立てエンジンはかかり、ドッドッドとハンドルと尻に下から振動が伝わる。
「うん、大丈夫そうだね。初めて乗るんだから無茶な運転せずに安全第一でね。じゃあ、楽しいバイク人生を。こいつを可愛がってやってくれ」
「はい、色々ありがとうございます」
アクセルをゆっくり開けて、少しずつ加速。
道路の左端を時速30キロで走ってみる。低速で走っているからか、後ろから来た車にどんどん抜かされたが気にする余裕もなく、初めての走行はもの凄く緊張した。
無事、自宅へとたどり着き、駐車場の一角にバイクを止める。
エンジンを切ってスタンドを立てたが、やはりそれなりに重量がある。
しっかり持っておかないとバランスを崩して反対側に倒れたら支えきれないな。
ヘルメットを外し、家の方を見てみると、リビングの窓から美咲が覗いていた。
何でカーテンの隅に隠れるようにして覗いているんだろう?
俺だと気が付いた美咲は、ひょいっと頭を引っ込める。
少ししてすぐに玄関から出てきた。
「明人君だったんだ。誰か来たと思って警戒しちゃったよ」
それであんな風に隠れて見てたのか。
「晃さんは?」
「ご飯作ってる」
「ああ、そっか。美咲見てくれよ。これが俺のバイクだよ」
「おお~。カタログで見せてもらってたけど、実物はイメージより大きいや」
美咲はバイクの周りをくるくる回って見物。
猫目のヘッドライトを見て可愛いとか言っていた。
可愛いだろ。
「美咲も免許取ったら?」
「えっ!?」
何をそんなに驚いてるんだ。
「……明人君は私に殺人犯になれと?」
人を殺める前提で話すのは止めてほしい。
「自転車だって乗れるようになったんだから、教習所でしっかり教わって、練習すれば大丈夫だよ。まあバイクじゃなくても車の免許は取った方がいいんじゃない?」
「晃ちゃんからも一緒に合宿で取ろうって誘われたんだけど、お金も結構かかるし、勇気が出ない」
「働き出してからだと取りに行く暇あるか分かんないぞ?」
「そうだよね……春ちゃんも大学の時に取ってたし。前向きに考えとく」
美咲に頼んでバイクと一緒に写真撮影。
あとで、アリカに送ってやろう。
「あんたたちご飯できたよー」
昼食を作っていた晃から声がかかる。
「はーい。明人君いこ」
「分かった、ロック掛けたらすぐ行く」
美咲がいない明日からの3日間はバイトにバイクで行くことにしよう。
晃が作ってくれた昼食を3人で摂る。
晃は相変わらず甲斐甲斐しく美咲の世話を焼いている。
夏休み限定とはいえ、晃も俺にとっては家族みたいなものだ。
しょっちゅう喧嘩もしているが、いなければいないで寂しくなるだろう。
俺は一人っ子で兄弟がいない。兄弟がいる家庭を見たり、話を聞いたりすると羨ましい気持になったこともある。特に家族との軋轢があった時期には、そう感じたものだった。
だが、そんな俺にも今は家族がいる。
春那さんがしっかり者の姉、晃が喧嘩ができる年の近い姉、美咲が手間のかかる妹みたいで、そして俺たちを温かく見守ってくれる文さんが母親、俺が思い描いていた家族像に限りなく近い存在だ。
春那さんが残ってくれるとはいえ、たった数日間だが、明日から家族が三人も家からいなくなる。
父さんも単身赴任先に帰ってしまったからか、なんだか急に寂しくに感じてきた。
そんなことを考えていると、美咲が俺の顔を見て眉間にしわを寄せる。
「ん? 明人君が何か寂しげな顔してる」
「ああ、明日から美咲たちがいないんだなって、家の中静かだろうなって思って」
「人を騒ぎの原因みたいに言うのはどうかと思うけど……寂しい?」
「そりゃあ、少しは寂しいかな」
「晃ちゃん聞いた? あんまりそういうこと言わない明人君が本音ぶちまけたよ」
「本当に珍しいね。いつもは見栄張って思っててもそういうこと言わないのに」
あれ?
自分で気づいてなかったけど、結構ばれてる?
「大丈夫だよ。ちゃんと帰ってくるから。今はここが私の居場所だから」
「私は美咲と一緒に行動するから。こっちに帰ってくるとき、またお世話になるからよろしくね」
「あ、そうそう。もし私が向こうに行ってる間で姉に捕まったら救援要請送るから助けに来てね」
そういうフラグは立てないでほしい。
まあ実際にそうなったら家族のピンチだから助けに行くだろうけど。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。