349 家族紹介7
土曜日、珍しく皆揃って休みの日。
春那さんが土曜日に休みというのも珍しい。
俺の日課となりつつある春那さんとのランニングが終わったあと、家に戻ると晃が朝食の準備を始めていた。どうやら美咲に拒否されたらしい。最近諦めるのも早くなってきたな。
「さっさと美咲を起こしてきて」
「ういっす」
ふくれっ面の晃に言われてすぐさま美咲の部屋へと移動。
すると、今まで一度も見たことがなかった美咲が卵を作る過程に遭遇した。
まず、頭の枕を胸に抱く。それから胎児のように体を丸める。
コロンと転がりながら器用に布団を体に巻き付けていき、最終的にはみ出ていた布団の端を中に引き込んでいく。かかった時間は合計で5秒くらいだった。器用すぎるだろ。
卵を作る過程が瞬間芸なのも分かったので、卵の解体作業から始めた。
美咲は相変わらず中で抵抗しているようだ。本当に寝ているのだろうかと疑いたくなる。
しかしながら、いい加減こっちにも対策ができている。布団を中に引き込んでいる口から手を突っ込む。
美咲をこちょばして緩ませる手が有効だ。
手を中に突っ込んで、美咲をこちょばす。布団を持つ手が緩み、その隙に卵を素早く解体。
随分と手際よくなったものだ。
布団がなくなったことを察知した美咲はご機嫌斜めの顔付で手探りを始める。
その手がそのうち俺の方に伸びてきて掴む。
俺の腕を布団と勘違いしたのか、掴むや否や体に巻き込むように反転する。
やばいと思ったが、その勢いと素早さに抵抗するのが遅れた。
「のわっ!?」
美咲は俺の腕を巻き込んだままさらに回転し、俺の反対側の手を掴んで自分に巻き付けようとする。
出来上がったのは、俺が美咲を後ろから抱きかかえて横になってる図だった。
気のせいだと思いたいのだが、この手の中にある柔らかいものは何だろう。
離そうにも美咲の手で押さえられて動けない。無理に動かすと触ったように思われても困る。
……まずい、これ動くに動けないし、この状況はまずい。
美咲からいい匂いがする上に、美咲の柔らかさを感じてしまっている。
俺もこのままではまずいし、晃が来たらさらにまずい。
「美咲、美咲起きろ。この状況はまずい。頼むから起きてくれ」
美咲の耳元で言うと、美咲はくすぐったいようで顔を捩る。
「……うん? 明人君の声がするのにいない。……夢だね」
「おい、夢じゃないから。後ろにいるから。起きたのにまた寝るな」
「ふえ、何で後ろにいるの?」
「美咲がしたんだよ。俺の手を巻き込んで……それよか、手を……」
「手?」
美咲は枕と一緒に抱え込んだ俺の手を見る。
明らかに俺の手は美咲の胸を包んでいるはずだ。
俺はその手をピクリとも動かすことはできない。
悲鳴を上げるかと思えば、美咲は意外と冷静だった。
「…………明人君つまらないこと言っていい? どうしても言いたい」
「早く言え」
「これがほんとの手ブラだね」
美咲、そのボケはつまらないので零点です。
美咲は巻き込んだ俺の手を解いて、自ら体を起こす。
俺の手が胸に触れていたことは流してくれたようだ。
それとも本当に気にしていないのだろうか?
美咲は起き上がると、すぐに俺にのしかかるように抱き着いてきた。
「こういうハグもありだよね」
そう言って美咲は、俺の上に乗っかったまま、いつものように額を胸元にすりすりしてる。
これもまずい。慰安旅行で響にされたことが記憶に蘇る。
あの時は反応してしまい響にもばれて恥ずかしい思いをした。
あの恥ずかしさはとてもじゃないがもう味わいたくない。
「明人君もハグ」
「この体勢では嫌だ」
「何で?」
「寝ながらのハグは……ちょっとエロい」
そう言うと美咲の顔が赤くなっていくのが見えた。
だが止めることはしない美咲。
「……焦る?」
「……少し」
「ドキドキする?」
「もうしてる」
そう言うと、美咲は俺の胸に耳を当てる。
「本当だ。心臓の音が早い気がするよ」
顔を上げ、俺の顔をじっと見てきた。
「そっか~。明人君もドキドキするのか~」
美咲はいたずらっ子みたいな顔で喜ぶ。
「もういいだろ? そろそろ晃さんが乱入してくるぞ」
「もうちょっとだけ」
美咲はそのまま俺の胸で「うへへへ」と笑いながらすりすりしていた。
「よしよしして」
ハグを返すことはしなかったけれど、すりすりする美咲の頭だけ撫でることにした。
すると、美咲はちょっと困った顔をした。
「明人君……止めるタイミングが掴めない」
ああ、そうか。いつもぎゅうって最後に力を入れるもんな。
俺は美咲の頭を軽くポンポンと撫でて、合図を送る。
美咲は起き上がって満足気だ。
「明人君おはよう。今日はみんなでお出かけだね」
美咲が言うおでかけとは、神社で行う祭りのことだ。南中学校の近くにある神社で夏祭りが行われる。
清和市には東西南北に神社があり、それぞれ日時をずらして東、南、西、北の順に祭りが開かれる。
祭りは8月に入ると行われ、既に東地区は終わっていた。
この祭りは、神輿が東の神社から南の神社へ移動し、5日5夜経過したところで行われる。
祭りが終わった次の日には神輿は次の西地区の神社へと移動し、西地区の祭りが終わると次は北地区の神社へと移動する。清和市に祀られている神様がそれぞれの地区を見て回っていたというのが起源らしい。
祭りの規模で言うなら最初の東地区はしょぼく、後半になるにつれ規模が大きくなっていく。
締めである北地区の祭りが最も大きいといえる。総合会場が近くにあり出店の量も他の地区と比べ物にならないくらい多い。様々なイベントも同時に行われ、北の祭りは市外からの客も来て毎年混みあっている。
文さんや春那さんと相談した結果、北の祭りは避けようということになった。
南の祭りは北よりも規模は小さいが歩いていけるし、出店もそこそこ出るので十分だという結論になった。
文さんも春那さんも北の祭りは混雑がひどすぎるので行きたくないらしい。
美咲は引き籠り体質でもあるので、地元の祭りでも晃が誘わない限り自主的に行かなかったようだ。
朝食を終えたあと、それぞれ祭りに行くまでの間の予定を話し合う。
他のみんなも祭りに行くまでは、それぞれ特に大きな予定もなく家でくつろぐようだ。
俺は午前中は夏休みの課題を進める予定。
父さんも文さんからの祭りの誘いを受けて、「ああ、いいですね」と、一緒に行くことを承諾していた。
予定していた分の課題を終えた俺は皆がくつろぐリビングへと移動。
父さんはいないようだけれど、また部屋に籠っているのだろう。
「今日の祭は浴衣だぞ」
春那さんが美咲と晃に言っていた。
どうやら実家から浴衣を送ってもらっていたようで、その浴衣を着るらしい。
「美咲の着付けは私が手伝うから。晃は自分でやれよ」
「美咲は私がします。姉さんのお手数をかけるのも悪いですし」
「却下だ」
即答だった。
「くっ、美咲の体をまさぐる計画が……」
「やっぱり何か考えてたか……」
晃のやつ着付けにかこつけて何か狙っていた様子。その考えは春那さんに見破られて当然だ。
何でもこなす春那さんはともかく、晃も浴衣の着付けとかできるんだ?
聞いてみると、実家がそこそこ歴史のある和菓子屋なので和服を着る機会が多いらしい。
「明人君は浴衣あるのかい?」
「いや、浴衣なんて持ってないですよ」
「それは駄目だ。祭と言えば浴衣に決まってるじゃないか!」
春那さんが珍しくむきになった言い方をしてきた。
「じゃあ、明人君一緒に買いに行こう」
「わざわざ買わなくてもいいですよ」
「浴衣で行かないとキスするよ?」
……買わない方がいいような気がしてきたんだが――そう思った途端、俺の脇腹に手刀が突き刺さる。
ダメージに耐え切れなくて膝をつく。……美咲、今の踏み込みはなかなかきつかったぞ。
春那さんはしゃがみ込みながら、膝をついた俺をちょんちょんと突く。
軽く首を傾げる春那さん。
「一緒に買いに行こ?」
と、いつもの春那さんとは違う可愛らしい口調で言われた。
「う……分かりました」
普段ふざけるときでも男っぽい口調で話すことが多いのに、あの慰安旅行から春那さんがたまに可愛らしい言い方をするようになった。その口調でこられると俺は弱い。
俺の承諾を得た春那さんは文さんの部屋に買い物へ出かけることを言いに行く。
戻ってきた春那さんの手には、文さんの車の鍵があった。
「車使っていいってさ」
「春那さん免許持ってるんですか?」
「大学の時に取ったよ」
どうせ、美咲や晃も暇だからついてくると言うに違いない。
文さんの車ならみんな広々と乗れるし荷物ができても問題ないな。
くるっと美咲たちの方へ振り向くと、美咲と晃が少しばかり青い顔をしていた。
なんで二人して青い顔してるんだ?
「明人君、私たちお留守番してるから」
「うん、私も美咲に付き合うからお留守番しとく」
美咲や晃も暇だからついてくるに違いないと思っていたのに。
まあ、留守番するというなら春那さんと二人で行くか。
浴衣とかどんなのがいいかよく分からないし、春那さんに見立ててもらおう。
✫
「明人君着いたよ」
「……」
何で美咲たちが来なかったか分かった。春那さんの運転は荒くておっかなすぎる。
思わず運転中の春那さんに「もっとゆっくりで大丈夫ですから!」と叫んだくらいだ。
目的地であるショッピングモールを目指して春那さんと並んで歩く。
俺のイメージにある春那さんは頼れるお姉さんだ。兄弟のいない俺にとって姉の理想像でもある。
ただし、スイッチが入った時を除くが。
時折ふざけたり、可愛らしい態度や仕草をするところもある。
美咲とはまた違ったきれいさで、妖艶な色気を感じるし、覇気も感じる。
生まれつき持っているものが違う生物のような気さえする。
総合会場内にあるショッピングモール内にある衣服の浴衣コーナーに到着。
「これなんて明人君に似合いそうだね」
春那さんは吊るしてある中から、一着を選んで俺の体に当てる。
濃紺に細い黒の縦縞が入った浴衣。
シンプルなデザインだ。
「ちょっと後ろ向いてみて」
言われた通り後ろを向くと、背中に浴衣を当てられる。
「うん、身長的にも問題なさげだね。候補にして他のも見てみよう」
浴衣の中には龍や虎が描かれたものがあったり、和服の割は派手な色使いをしているものもあるのに。春那さんが選んだのは、灰色や黒、模様や柄も派手さの欠片もないものばかりで意外と地味な定番ものだった。
「もっと派手なの選ぶと思ってました」
「和服は地味で派手じゃない方が格好いいんだよ。どっちがいいかな」
どうやら、春那さんは濃紺か黒で悩んでいる様子。
俺としては青系が好きなので濃紺がいいです。
「よし、試着させてもらおう」
レジの脇に設置されている試着室で黒い浴衣から試着してみる。
帯は適当に巻いてみたけれど、これでいいのか分からない。
「着れたかい?」
試着室の外で待機していた春那さんが声をかけてくる。
「いいですよ」
中からカーテンを開ける。
「明人君ちょっとじっとしてて」
俺の姿を見た春那さんは俺の帯を締め直ししてくれた。
適当だとやっぱり駄目なのか。
「――こんなもんか。うん、悪くないね。じゃあ、今度は紺ので」
今度は濃紺の浴衣を身に着ける。今度は春那さんがしてくれたみたいに帯をちゃんと締める。
「できました」
カーテンを開けて春那さんに見てもらう。
「うん、こっちだね。明人君はこっちの方がいい」
見るや否や即決だった。
✫
女の準備は時間がかかる。
早めの夕食を済ませ、春那さんは女性陣を呼んで準備を始めた。
俺と父さんも浴衣に着替えて待っていた。
女性陣が準備を始めてから、かれこれ一時間。
リビングで父さんと二人でルーとクロと遊びながら待っていると、ようやく姿を見せた。
「おまたせー」
浴衣姿の女性陣が華やかな色で立ち並ぶ。
美咲の浴衣は白地を基調とした生地に小さな薄紅色の桜が描かれている。
晃のは青紫色を基調とした生地に大輪のひまわりが描かれていた。
文さんは白地に淡い青の格子柄。
春那さんは紫地に白百合が満遍なく散りばめられ、エレガントな感じ。
髪が短い晃以外は髪型も手が込んでいた。
美咲は髪をアップして大きな花飾りをつけている。一見お団子頭なのだが、カチカチの団子ではなくゆるふわな感じ。春那さんはサイドを三つ編みにして後ろの中央でまとめ、更にそれを束ねて、簪でアクセントを加えている。文さんは軽く編み込んだ髪を後ろで軽くまとめている。三人ともよくよく見ると部分的に編み込みやねじりが入っていて相当手の込んだ感じだった。
父さんも俺も四人の艶姿に思わず見惚れてしまっていた。
「皆さん素敵ですよ」
父さんが皆を褒める。これはお世辞抜きだろう。
そんな父さんに文さんはぺこりと頭を下げにっこり笑う。
「ありがとうございます。和人さんも格好いいですよ」
「いや、照れますね」
家を出て神社まで徒歩で向かう。晃と美咲が仲良く手をつないで進み、その後ろを父さんと文さんが並んで歩き、最後尾に俺と春那さんが並んで進んでいた。
横からチラチラと春那さんの視線を感じるのは気のせいか。
「……さっきから視線を感じるんですけど?」
「うん、見てるから」
「……何ですか?」
「明人君は和服が似合うなーと思って」
「ありがとうございます」
もしスイッチが入りそうなら、距離を取るんだけど。
春那さんの視線を感じながら道を進めていく。
中学校近くの道路を抜けると社の方向が明るくなっているのが見える。
社の入り口付近に並ぶ屋台の灯だ。
神社の入り口にある鳥居の下には、待ち合わせでもしているのか多くの人がいた。
神社の中も思ったより混雑している。
「結構混んでるな」
「明人と祭りに来たのも久しぶりだな。前に一緒に来たのはお前が小学生の時じゃないか?」
「そうだっけ?」
あまり記憶に残ってない。
美咲からの提案で鳥居から少し離れたところで写真撮影。
背景に出店が写り、祭りだと分かるような場所を美咲が見つけた。
順番にそれぞれ組み合わせを変えて写真を撮る。
父さんと美咲、晃で撮ったときは、美咲がすごく緊張した顔になっていたのが笑えた。
最後に通りすがりの人に頼んで、みんなで撮影。
「そういや、うちは家族写真ってほとんどないな」
撮り終ってから父さんがぼそっと言った。
確かにうちには家族写真というものがほとんどない。父さんが単身赴任を繰り返しているせいもあるだろう。そもそも母親が写真嫌いだったのも影響したと思う。
俺の写真も誕生日とか運動会とか、一年に数枚単位で、家族全員で撮ったものは本当に少なかった。
特に中学生になってからは、家族で撮ったものはなかったような気がする。
高校に上がってからは一枚もない。
「父さんにまだ見せてなかったっけ? 昔はともかく最近は結構写真撮ってるからさ。後で見せるよ。俺たちの家族写真。一緒に住んでいるみんなが俺の家族だって思ってるから」
「……そうか、今までがないんだったら今からでも作っていけばいいか」
「それでいいんじゃない?」
俺の言葉に父さんは破顔した。
それから父さんは、俺たちの後ろでみんなと撮った写真を見ていた文さんに声をかける。
「文さん、この祭りは境内で清め酒を配ってくれるらしいですよ」
「本当ですか!?」
「評判はいいらしいので、一緒に貰いに行きませんか?」
「行きます!」
文さんが酒好きなのがばれてるな。
そりゃあ毎晩一緒に飲んでるんだから気付きもするか。
嬉しそうに父さんのあとをついていく文さん。
そんな文さんを父さんも柔らかな笑みで迎える。
なんだかいい雰囲気に見えた。
「あながち冗談じゃなくなりそうな雰囲気だね」
ぼそっと耳元で春那さんが言った。
「父さんがその気にならないと思いますけどね。離婚したばっかりだし」
「今はそうかもしれないけど、未来は分からないよ?」
「もし冗談でもそうなったら祝福しますよ」
境内から神輿を担ぐ男たちの勇ましい声が聞こえてくる。
どうやら祭りの行事が進行中らしい。
「美咲、見に行くよ」
歓声にひかれた晃が美咲の手を引っ張って連れていく。
美咲たちのあとを追いかけて、春那さんと二人で並んで進んでいく。
「可能性のある未来と言えば、私も明人君と結婚するかもしれないよね」
「何を冗談言ってるんですか」
「ひどい、一緒にお風呂に入った仲じゃないか」
「押し入ってきたのはあなたです」
「むぅ」
めずらしくぷくっと頬を膨らませた春那さんだが、すぐに表情を変えて笑みを浮かべる。
「……明人君。さっきはちょっと嬉しかったよ」
「何がです?」
「お父さんに、みんなのこと俺の家族だって言ってくれたこと」
聞こえてたのか。
「本気でそう思ってますから」
「じゃあ結婚に同意したと思っていい?」
「そこまで言ってねえ」
「明人君、それはご褒美かい?」
春那さんの目に小さな火が灯ったような気がした。
ちょうどそのタイミングで境内から大きな歓声が上がる。
歓声にはっとした春那さんは、ぱっと俺の手を取った。
「明人君、大事なところ見落としちゃうかも急ごう」
俺の手をしっかりと握りながら進む春那さん。
とてもきれいで優しくてしっかりしていて、怒ると半端ないくらい怖くて、家事全般こなせて、時折ふざけたり可愛らしい姿を見せる。
完璧だと思っていたけれど、変なエロスイッチを持ってたり、運転は荒かったりと欠点らしいものもある。
頼りになる俺の理想の姉だ。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。