346 家族紹介4
翌朝、春那さんとのランニングを終えて帰ってくると、晃がリビングにいた。
「晃おはよう。今日は早いな」
「姉さん、おはようございます。今日は美咲が卵状態で顔見れないから降りてきました」
「晃さんおはよう。今日は卵なんですか……面倒だな」
「明人君おはよう。代われるものなら代わってやりたいけど、君しか美咲が受け付けないんだからしょうがないでしょ。起こしたら貰い受けるから」
「晃、ちょっと汗をかきすぎたから私はシャワーを浴びてくる。朝食の用意を進めておいてくれ」
「分かりました。明人君は美咲を起こしてきて」
「へーい」
そのまま二階へと上がり、美咲の部屋の前へ。部屋の中からゴロゴロと転がる音がする。
もしかして、床にいるのか?
父さんがいるのであまり騒がしくしたくない。
なるべく静かに対処しよう。
そっと扉を開けて見ると、ベッドの上ではなく部屋の隅っこに卵があった。
ベッドの柵を乗り越えたらしく、これは今までにないパターンだ。
パタンと扉を閉めると、その卵が俺に向かって転がり始める。
音に反応したか?
ゴロゴロと勢いよく転がりながら突っ込んでくる布団の卵。
いつも思うけど、これどうやって中でコントロールしているんだろう?
眼前まで直進してきた卵をひらりとかわす。卵は壁に激突して動きを止めた。
これ以上動かれたら時間がかかるので、覆い被るように押さえ込む。
少しばかりぐらぐらと動いていたが動きは収まり、卵の解体作業を始めることにした。
布団の端を探し、中に引きずり込んでいる部分を発見。
軽く引っ張ってみると、中で美咲ががっちりと押さえているのか解けない。
「手間がかかるパターンか……」
中へと食い込んでいる部分にぐいぐいと手を割り込ませていく。
今日は中が狭くなかなか手が入っていかない。
ぐりぐりと広げながら手を侵入させていくと、ぷにょっと柔らかく温かい感触にたどり着いた。
うん、これは美咲の肌だな。奥まで入れ過ぎたか。
手を返して布団の端と思しき部分を掴み引っ張り出す。
まだ抵抗するか。
こちょばしてみよう。手を奥に入れて、美咲の肌をこちょこちょしてみる。
卵が少しぐらついた。お、珍しく反応した。もしかして、敏感なところだったか。
ぐらついた拍子に、中で掴んでいたのが緩んだようで布団の食い込み口が広がる。
今がチャンスとばかりに手を返して布団を掴み中から引っ張り出す。
ペロンと引っ張り出すと、ようやく美咲の体が見えた。
うん、間違えた。今日は足元側の布団を掴んでいたらしい。
出てきたのは、美咲の下半身だった。
足元が冷えるのか、足先をもぞもぞとさせる美咲。
手が伸びてきて、足元の布団を元のように巻きつけようと手探りし始めた。
そうはさせじと、美咲の身を包んでいる布団を先に剝がす。
丸まった状態で枕を抱えた美咲が嫌そうな表情を浮かべている。
「美咲、起きろ」
「……うん。ゴメスが……ゴメスがやばい」
ゴメスって何?
また変な夢を見てるな。
それはさておき、とりあえず肩を揺すってみるが起きる気配がない。
頭を軽くわしゃわしゃしてみると、少しだけ気持ちよさげな表情を浮かべた。
「うへへへへ。偉いでしょ~」
誰も褒めてないぞ。
「美咲、朝だぞ。今日は父さんもいるから、早めに起きてほしいんだけど」
「……ん? お……とう……さま?」
美咲はそう呟くと、くわっと目を開かせた。
「お、起きた!」
「明人君おはよう」
美咲は転がったまま俺の顔を見て言った。
「ん!」
美咲は寝そべったまま両手を広げる。どうやら抱き起こしてほしいらしい。
相変わらずの甘えただ。
美咲を抱き起こすと、そのまま抱き着いてくる。
美咲からいい匂いがするが、あまり意識しすぎると俺の欲望が顔を見せるので困る。
美咲はぎゅうっと一度強く抱きしめてきて力を緩める、離れる合図だ。
「うん、これでよし。ところでお父様は無事?」
「まだ今朝は見てないけど父さんは昨日はそのまま寝ちゃったじゃないか。文さんが様子を見に行ってくれたけど問題ないって言ってだだろ」
「どうしよう。私、とんでもないことしちゃったよね」
「いやいや、勝手に父さんがアレを食べただけだから。運が悪かったとしか言いようがないだろ」
「とりあえず謝らないと……私の気が済まない」
謝っても父さん的には分かんないと思うんだけどな。
✫
「ごめんなさい!」
美咲は翌朝、起きてきた父さんに土下座した。
父さんは美咲が何故土下座をしてるのか分からないようだ。
「美咲さん? 何故君が土下座するのかな?」
「昨日、お父様が食べたのは私が作った羊羹なんです。あれは危険な食べ物なんです」
「ん? 羊羹? そんなものを食べた記憶がないんだけど?」
どうやら記憶は飛んだらしい。
「明人、昨日は出迎えてやれなくてすまなかったね。どうやら酒を飲んで寝てしまったようだ。久しぶりで飲み過ぎたようなんだけど、飲んだ割には今日はすごくすっきりしてるんだよな……」
高槻さん、ギガマックスの効果ばっちりです。
「美咲さん、いつまでもそうしてないで。私は何も被害を受けてませんし」
「被害なら受けてましたし~」
美咲は深々と土下座して言った。
まあ、確かに父さん白目むいてたしな。
「和人さんすみません。ちょっと調子に乗ってお酒を勧めすぎちゃいましたね」
「いやいや、あんな美味しいお酒は久しぶりにいただきました。量はちょっと抑えますので、文さんもまた付き合ってください」
「はい是非」
そんな文さんと父さんの会話する姿を見て、俺と春那さんと晃がひそひそと話し合う。
「文さんが怪しい」
「確かにおかしい」
「朝からきっちり化粧してるし、昨日から全然だらしない姿を見せてない」
どうやら父さんに一目惚れしたのは、本当なのかもしれない。
「美咲さんもいつまでもそんな格好してないで」
「……はい、ありがとうございます」
美咲は表情を暗くしたまま立ち上がって、また一つ父さんに頭を下げた。
朝食後、いつもと同じようにそれぞれの予定を言い合う。
「今日は俺と美咲は買い物行くよ」
「え、何それ聞いてない」
晃は美咲から話を聞いていなかったようで、驚いた顔で美咲を見る。
「ごめん。昨日の騒動で言い忘れてた」
美咲がばつが悪そうな顔で晃に謝る。
「昨日の騒動って?」
美咲の言葉を聞いて父さんが首を傾げると、美咲がまた目に見えて落ち込んだ。
「父さん、それには触れないでいいよ」
父さんはピンとこなかったようだけれど頷いた。
美咲が落ち込むのもお構いなしに晃が食いつく。
「その買い物、私も一緒に行っていいよね?」
「うん。それはもちろん問題ないよ。ねえ明人君?」
俺はここで晃に意地悪をしたくなった。
「え~、晃さんも来るの?」
すると、晃の眉尻が微かにぴくんと動いた。
「君とは一度、拳で語り合った方がいいかな?」
「いつまでも負けてませんよ?」
「いい度胸だ。早速、庭に出てもらおうか」
「こら晃。朝っぱらから騒動起こすな。明人君もふざけない」
「「すいません」」
春那さんの一喝で、俺と晃は即座に春那さんに頭を下げる。
「本当にこの子たちは……和人さん、朝から騒がしくてすいません」
「いやいや、この様子を見て逆に安心しましたよ。皆仲良くしてるし、メリハリを利かせてくれる人もいますし。明人には兄弟もいないので、もしいたらこんな感じだったのかなって気分になりますね」
俺も末っ子の気持ちが少し分かった気がする。
「今日の午前中は学校で勤務して、午後は病院でお仕事だから。遅くても8時までには帰ってこれるかな」
「私は今晩、会食の予定があるのでちょっと遅くなります。晩御飯は……晃、頼む」
「分かりました」
父さんも今日は午前中から少し出かけるようで、夕方には帰ってくるらしい。
休みの時に出歩くのは、家にいる時はほとんど外出しない父さんにしては珍しい。
✫
美咲が欲しい自転車のリクエストを聞いてみると、普通のが欲しいと言った。
自転車って意外と種類あるんだよな。
とりあえず、手短なところでホームセンターに行ってみた。
美咲の身長なら27インチでも大丈夫そうだ。
どうせならオートライトの方がいいな。
変速ギヤはあっても三段くらいので十分だ。
あとはデザインと色か。
美咲はきょろきょろとしながら、置いてある自転車を順番に見ていき俺と晃はその後をついていく。
「あ、私これ買おうかな」
俺の後ろで晃が言った。
振り返って見てみると、晃が見ていたのは小さなタイヤの黒い自転車で、折り畳みができるタイプだった。
「タイヤ小さいと結構きついですよ?」
「ギヤも付いてるし大丈夫でしょ。美咲を迎えに行くのに自転車が欲しかったんだよ。美咲がバイトの間も自転車があればあちこち行けるし、それに小回りきく方が私的には好きなんだよね」
「まあ確かに晃さんも自転車くらいはあった方がいいかもですね」
晃はどうやらその折り畳み自転車を気にいった様子だ。肝心の美咲はさっきからちょろちょろと自転車を見て回っているが、決定打がないようだ。
「美咲、いいのがないのか?」
「何を基準にしていいのかが分からない……明人君ならどれ選ぶ?」
「とりあえず、オートライトと変速ギヤ付き。あとは色かな」
「ふむふむ」
「えっと、これなんかどうだ?」
俺は並ぶ自転車の中からワイン色したフレームの自転車を指差す。
27インチでオートライト、三段変速ギヤ付き、自転車の籠もラージタイプ。
フレームも低めなので、これならスカートでも跨ぎやすいだろう。
オートライトと変速ギヤ付きで2万5千円の値段とあるが、周りの自転車を見る限り少し安めだ。
隣の似たような自転車が3万だけど何が違うんだろう?
「他の色がいいなら聞いてみるけど?」
美咲は俺が指差した自転車を近くでまじまじと見つめる。
「色はいいんだけど……あれ、そういえば自転車にペダルが付いてない」
「それは邪魔になるから外してるんだよ。美咲、一回跨いで座ってみな。ちゃんと足が届くかどうかも見とかないと」
「うん。分かった」
サドルは一番低い位置にセットされていて、美咲の身長でも余裕がある。
「……明人君、ちょこんと座る美咲が可愛いんだけど、後で襲っていい?」
「……とりあえず、後で説教してやるから今その口は黙ろうか」
美咲の姿に興奮した晃は美咲が何してもこうだから困る。
たかだか、自転車に跨いだだけだぞ。
「……うん、これにする」
小さく頷く美咲。
どうやら気に入ったらしい。
晃も先ほどの折り畳み自転車を購入した。
二人とも自転車の防犯登録を済ませて、それぞれ自転車を受け取る。
早速、美咲は自転車に名前を付けた。
「この自転車の名前はガブちゃんにする」
「何でガブなんだ?」
「ガブリエルのガブ。それでガブちゃん」
「美咲、私の自転車に名前付けるなら何て付ける?」
「……うーん。ラタトスクかな。晃ちゃんにぴったりだと思う」
確かラタトスクって、世界樹のユグドラシルに住んでるリスの名前じゃなかったっけ?
なんかこうもっと凶暴そうな名前でいいと思うんだけど。
美咲のネーミングセンスの一端が見えた気がする。
「それでは早速、慣らし運転と行きますか。とりあえず家までな。道案内がてら俺が先に走るから二人ともついてきて」
「ゆっくりね。ゆっくりだよ?」
自転車を走らせてみると、美咲はちゃんとついてきている。
「美咲どうだ?」
「うん、大丈夫。乗りやすいよ」
美咲の笑顔を見て晃が顔をにやつかせていたけれど、あいつひっくり返らないかな。
たまには神様も天罰を与えていいと思う。
ゆっくりと時間をかけながら、家路へと進む。
今日はバイトへ行くのに少しだけ早目に家を出ることにしよう。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。