345 家族紹介3
家に帰ったあと、父さんと文さん、それから春那さんを加えて、バイクを乗る約束事について話をした。
人様や学校に迷惑をかけないこと、他には免許がない人に貸したり運転させないとかいった一般的なことがほとんどだった。これならほとんど問題ないように思える。
そんな取り決めをしている中、春那さんが俺に聞いてきた。
「明人君に確認したいんだが、バイクでバイトに行く気なのかい?」
「いえ。バイトは今まで通り自転車で行くつもりです」
俺がそう言うと父さんも文さんもぽかんとした顔をした。
「明人はそのためにバイク買ったんじゃないのか?」
「私もそうなのかなと思ってたんだけど」
「前ならともかく今は美咲がいるでしょ? 俺がバイクで行くと別々に帰ることになるから、俺としては心配だからそれは避けたいし、だったら最初から今まで通りでいいと思う。俺が乗せられるようになったらバイクでもいいかなと思うけど。あ、でも俺だけがバイトの時は使うと思います」
俺の答えに、父さんと文さんは穏やかな笑顔を向ける。
「そうか、明人がそう決めてるなら問題ないか」
「美咲ちゃんが聞いていたら喜びそうな答えだね」
「ここにいないのが残念だったね、明人君」
「逆にいなくて良かったですよ。本人がいたら言いにくいです」
美咲との帰り道は、俺にとっても大事な時間でもあるんです。
✫
父さんが帰省したとはいえ、バイトを休むつもりはなく、いつも通りの生活を送ることにしていた。
更衣室内でエプロンを着け終わるや否や美咲に襲われた。どうやらずっと狙っていたらしい。
しかし俺も学習している。背後からの殺気に気が付いて、俺の首を絞めようと伸ばしてきた美咲の腕を掴むことに成功した。プルプルと震える美咲の腕をしっかりと押さえて問いただす。
「……襲ってきた理由を聞かせてもらおうか?」
「……どうしてお父様に私のこと呼び捨てにしてることを言ったの教えてくれなかったの?」
「絶対俺が言ってしまうと思ったから先に言っておいたんだよ」
「何で教えてくれなかったか聞いてるんだけど?」
「……言うの忘れてただけだ」
そう返した途端、美咲の腕に力が入るのが分かった。
相手がアリカなら負けた可能性があるが、美咲になら力負けしない。
「罰です。お仕置きされるかハグするかのどっちか選択しなさい」
「その選択以外はないの?」
「ない!」
俺は諦めてハグを選択。
美咲は諦めた俺の姿を見て満足そうだ。
「そうそう、そうやって素直になるのが一番いいんだよ」
そうは言うけれど、お仕置きされるよりハグする方がましなだけだ。
両手を広げると胸元に美咲が滑り込んでくる。ゆっくりと締め付けないように美咲をハグ。こういう時に晃がいるとものすごい視線をぶつけてくるから困るが、今は更衣室に二人だけなので気が楽だ。すり寄る美咲が鼻をすんすんさせて、俺の首周りの匂いを嗅ぐのでこそばゆい。
「ん~、朝以外にハグすると明人君の匂いが変化していて、これまたよいというか、くんかくんか」
「だから匂いかぐなって、もしかして俺汗臭い?」
「臭くない。汗の匂いとは違うんだよ。今じゃ明人君の匂いが付いた服なら識別できるよ」
「犬か。ところで、そろそろいいか?」
「もうちょっと。それと明人君に質問」
「何?」
「お父様に色々言った内容について」
「真面目に大したことじゃないぞ? 自転車の練習話とか、料理は作らせては駄目とかくらいだぞ?」
「それ、かなりひどいこと言ってるよね? こうしてやる」
「あ、こら、こちょばすな!」
「よし、今日はこれで満足しとく。じゃあ、今日も楽しくバイトしようね」
美咲は俺から離れると、片手を大きく上にあげて言った。
✫
「じゃあ、行ってくる」
「……行ってらっしゃい」
美咲はつなぎに着替えた俺にむすっとした顔で言った。
今日はアリカが遅れてくるようで、その間だけ俺が裏屋で仕事することになったからだ。
何でもアリカは学校にいるらしく、文化祭に向けての準備作業しているとのこと。
アリカからも所属しているロボット研究部には二人だけしかいないので、なかなか作業が進まないと直接聞いたこともある。
裏屋のボス、高槻さんも休みでおらず、工房は前島さん一人。
そういう時に限って修理依頼が多く来ていて、店長から裏屋の手伝いに回ってほしいと言われたのである。
一人表屋でお留守番となる美咲。
「いいんだ。そうやって私を一人にすればいいんだ」
乙女のメモ帳を引っ張り出して何やらぶつぶつと言っているけれど、あとで戻ってきたときに相手することにしよう。
最近の裏屋での話題は前島さんや立花さんの結婚に関することが多い。
奈津美さんへのプロポーズに成功した前島さんは、お盆にそれぞれの両親の下へ挨拶に行くと聞いている。
前島さんの結婚式の日程はその後で知らされることだろう。
立花さんは由美さんとの結婚式の日取りが決まり、秋の終わりの予定だ。
家族を持つというのはどんな覚悟なんだろう。いつか俺にも分かる日が来るんだろうか。
そんなことを考えて工房に足を踏み入れてみると、前島さんが俺に気が付いて顔を上げた。
前島さんは洗濯機を解体作業をしているところだった。
「お! 明人来たか。そのテーブルに張り付けてある作業票通りに頼む。俺はこの急ぎの依頼処理すっから」
「分かりました」
この数か月、裏屋での作業も随分と慣れた。
アリカと同様に俺も表と裏を行き来したりしているからだ。
まだまだ分からないところが多く、高槻さんや前島さんから教わることも多いけれど、そこそこの仕事は任されるようなっていた。
前島さんに言われた作業票に目を通していく。どうやら買い取った製品のクリーニングが俺の仕事のようだ。空気清浄機、掃除機、扇風機、電動ドリルと、モーターが付いているものが多く掃除には手間がかかる。その他にも諸々の電化製品があるけれど、分解できない物もあり、これは後回しでもいいだろう。
アリカが来るまでに分解清掃を2つくらいならやっつけられそうか。
比較的部品の少ない扇風機と電動ドリルのクリーニングが終わったころ、アリカが到着した。
「すいません、今着きました! 今から着替えて入ります。……あれ、明人はこっちだったの?」
「おお、お前の代わり。……お前、何かいつもより髪の毛ぺったんこだな?」
「そうなのよ、暑いからメットの中で蒸れてぺったんこよ。夏はこれだから嫌」
「とりあえず着替えてこい。まだ作業はあるし、美咲が一人で店番してるから早めに戻ってやらねえと退屈して干からびてるかもしれない」
「うん、分かった。着替え覗いたら殺すよ?」
「あのな、そういうのは色気がある人が言うセリフだぞ?」
「マジでぶっ殺すよ?」
「すまん、冗談だ」
アリカの目が凶暴な目に変わったので両手を上げて降参。
前ならすぐさま俺に攻撃してきたものだが、最近のアリカは許容が広くなっている気がする。
今も「冗談だ」という言葉ですぐに笑顔に変わってくれているのが証左だと思う。
ひらひらと手を振ったあと、アリカのロッカーが置いてある工房内の棚に囲まれた区画へとアリカは移動して行く。暫くして着替えて戻ってきたアリカがじーっと俺の顔を見てきた。何か気に入らないことでもあったのだろうか。少しばかり不機嫌顔だ。
「影から覗いてみたけど、あたしのこと少しは気になるとかないの?」
「お前は何が言いたいんだ? 覗くなって言ったのお前だろうが」
「まったく意識されてなかったのもむかつく」
「人を何だと思ってんだ。それに、どうせお前のことだから熊の絵柄が入ったパンツとかだろ」
「な、何で知ってんのよ!? あんたやっぱり覗いてた?」
「愛から聞いたことがあるから適当に言っただけだ」
「何で愛がそんなこと……帰ったらとっちめてやる」
自爆したか。顔を真っ赤にしてるってことは本当に身に着けてるんだろうな。その年齢で熊さんパンツは止めとけ。やっぱりお前自分自身で幼女って意識持ってるだろ。実は確信犯だろ。
「ふ、普段は普通のはいてるんだからね! 今日はたまたまだから!」
「熊さんパンツだろうが、ウサギさんパンツだろうが、俺は気にしないから力説せんでいい」
「あ、あたしだって色気のある下着くらい……下着くらい……ないわ。そんなの一つも持ってないわ」
「お前のそういう正直なとこ好きだわー」
「ば、馬鹿! 何言ってんのよ!? それで残りの仕事は?」
「まだこんだけある」
俺が作業票を指し示すと、アリカはいくつかの作業票に目を通して何枚か手に取った。
「時間がかかるのはこれぐらいかな。明人、表屋に戻っていいわよ。美咲さん一人でしょ」
「もう少し手伝ってから行くことにする。今やってるのが中途半端だからな」
「はいはい。んじゃあ、それやっつけるまでよろしくー」
アリカは作業台の反対側に回り、作業を始めた。
作業始めたアリカに今日のことを聞いてみる。
「ところで、文化祭の準備どうだ? 少しは進んでるのか?」
「あ~、大まかには進んでるんだけど、意思の疎通というか、コミュニケーション不足というか」
「例の部長か」
「うん、相変わらずの無口よ。あたしにやってほしいことは紙に書いてあるのよね」
「でも、その紙の中身を確認取るときとか、お前から声かけるんだろ?」
「それもあたしが一方的に話してるだけなのよね。頷くとか顔を横に振るとかで答えてくれるから、一応は解決してるのよね。会話とは言わないと思うんだけど」
「前から思ってたけど、よくそのロボ研に入る気になったな」
「張り紙見て入る気になったから。直接声をかけられた訳じゃないのよ」
「他の部員は? 募集してないのか?」
そういうと、アリカは暗い表情になった。
「覗きに来た子もいるんだけど……何でだか、あたしの顔見たらみんな回れ右するのよね」
「お前が怖い顔して睨んでんじゃないの?」
「そんなことしてないわよ。……多分」
「多分言うな。お前は笑えば可愛いんだから、愛想よくしとけよ」
ゴトンとアリカが使っていた工具を落とした。
「だから! そういうこと気軽に言わないでってば! 最近あんたそういうの多すぎ」
照れたアリカは顔を染めて叫ぶ。
「そもそも、部員が集まらないのはお前のせいだけじゃないだろ。ロボット研究会って名前なら入ってきそうな気もするけどな」
「みんな普通の部活に入るのよ。サッカー部とか吹奏楽部とか定番物が人気ね。元々、部自体が少ないし。特殊なので言えば自動車部くらいかしら。車とかバイク好きが集まってるわ」
「お、バイクと言えば、今日バイクの契約してきたぞ」
「え、マジで!?」
「ああ、父さんが今日帰ってくるのは言ってただろ? あんまり休暇期間もないから早目に行こうって言ってくれたんだ。来週納車だ」
「とうとう明人もバイク買ったのかぁ。バイクで来るの?」
「いや、美咲がいるからバイクでは来ないよ。ソロの時だけだな」
「ああ、そっか。普段一緒に帰ってるもんね。よっと、やっと取れた。うわ、汚いこれ」
アリカは掃除機のカバーを取り外し、中をむき出しにした。
確かに中は埃とかカビっぽい黒ずみが付着している。あれは手間がかかりそうだ。
「バイク来たら一緒に走ろうぜ。道案内してくれ」
「お安い御用よ。バイクが来たら一回うちの高校来てみる?」
「ああ、それいいな。一度行ってみたかったんだよ。澤工って距離あるし」
「じゃあ、日付は考えといて、メールでもいいし」
「分かった。連絡するわ」
✫
戻ってきた俺が見たもの。
普段、俺が座っている椅子に小さなトーテムポールが置いてあった。
どうやら寂しさを紛らわすために美咲が置いたらしい。
客が見たら何でこんなところにトーテムポールが置いてあるんだろうと思うだろ。
「ただいま。美咲それどけろ」
「私の相棒をそれ扱いするなんて! 明人君は冷たい人だ!」
「分かったからどけろ」
「……分かりました。ごめんねトム君、元のところに返してあげるね」
既に名付けていたか。
美咲はトーテムポールをしっかりと抱きかかえて元の場所へと戻してくる。
「明人君が帰って来たってことはアリカちゃん来たんだ?」
「うん、今日も裏屋は忙しいみたいだよ。こっちと大違いだ」
「そんなことないよ。今日はお客さん10人くらい来たよ」
「え、あの時間でそんなに来たの?」
「今日は家電とか家庭用品が売れたね。ちょっと忙しかった。まあ、店長も来てくれたから何とかなったけど」
俺のいない間に忙しいだと。
そういうのって表屋で味わったことほとんどないんだけど。
「ところで明人君。さっきからずっと考えていたんだけど、明日買い物に付き合ってくれないかな?」
「いいけど、何を買うんだ?」
下着とかなら勘弁してください。
一度連れていかれて、とても気まずい気分になったことがある。
「自転車買いに行くの」
「え、自転車?」
「結構練習したし、そろそろいいかもしれないと思って」
自転車か。まあ、いつまでも二人乗りって訳にもいかないよな。
✫
その日の帰り。
前と同じように途中にある公園で自転車の練習してから、公道で自転車を運転させてみた。
俺は横を走りながら追いかける。
「そうそう、いい感じ」
「段差が見えにくいから怖いね」
「しっかりハンドルは握ってろよ。バウンドでハンドル離したらひっくり返るぞ」
いくつか交差点を抜けたところで、美咲の練習を終えた。
美咲から自転車を受け取り、二人で並んで歩く。
「うん、大丈夫だね。明日、自転車買ったら慣らしからだな。でも、何で急に自転車買うなんて言い出したんだ?」
「だって明人君バイク買ったじゃない。明人君がバイクだったら一人で帰らないといけないから自転車があった方がいいかなって」
「誰が一人で帰らないといけないって?」
「私。明人君バイクがきたら、バイクで通うんでしょ?」
「バイクは使わないよ」
「えっ?」
美咲は俺の返事にポカンと口を開ける。
「今まで通り美咲と一緒に帰るつもりだけど?」
「……何で?」
「美咲を一人にするつもりがないから」
「えっ…………」
俺がそう言うと美咲は口をむにゅむにゅとさせて黙り込んだ。
そのまま美咲はすたたと俺の背中に回り込むと、ぎゅうっとしがみ付いてきた。
「美咲?」
「明人君……ありがとう」
「礼なんていらないって。俺がそうしたいだけだから」
「……うん、ありがとう」
「まあ、今度から二人とも自転車だから少しは早く帰れるかな」
「……うん」
美咲は美咲なりに俺に気を遣ってくれてたのかな。
✫
家に着いた俺と美咲がリビングで見たものは、春那さんと晃が父さんを運搬しているところだった。
文さんも父さんの横について心配そうに脈をとっている。
父さんは完全に白目をむいていて、どちらかというと気絶してるっぽかった。
「何があったんです?」
「一緒に晩酌してたんだけど和人さんがちょっと甘いものが食べたくなったと言って、冷蔵庫にあったアレを食べちゃったの」
アレって、もしかして……美咲の作った羊羹?
まだ家にあったのか。ああそうか、ごみの日は明日だ。
父さんの状態を目の当たりにした美咲は、ぶるぶると震え出しその場に崩れ落ちた。
この後始末はまた俺に降りかかってくるのだろう。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。