338 慰安旅行編16
今回はすぐに出してもらえたけれど、軽い拷問は受けた。
思い出すと泣きそうになるので封印しよう。
皆が飲み物を買いに行っている間に休憩。
俺には心と体の休養が必要だ。
荷物のところに戻ってみると、高槻さんが誰かと電話していた。
「――ああ、分かった。また、報告頼むぞ」
そう言ったあと、携帯を荷物にしまう。
「どうしたんです?」
「立花からだったんだが……前島がまた失敗したってよ。また奈津美を怒らせたらしい」
何やったんだあの人は。
「うまくいかねえもんだな。昨日の飲み会でも奈津美を連れ出してプロポーズして来いって言ったんだが、あいつ自身がへべれけになりやがってな」
……前島さん。
「この旅行でってのは無理かもしれませんね」
「いや、これを逃すとかえってあいつは言わねえ気がする」
「でも、二人きりになるのって難しくありませんか?」
「それはいくらでもできるんだが、あいつが馬鹿で気が回らねえんだ」
「お父さん、焦ったら上手くいくものもいきませんよ」
高槻さんの奥さんが微笑みながら言った。
「そうは言うけどよ? あの前島の場合ケツ叩かねえと。まあ、夕方にでも海辺を散歩させて、それでも駄目なら、夜の花火で何とかってところだが……それも無理なら、夜空でも見させに行くか」
どうやら定番どころは押さえているようだ。高槻さんもロマンチストだな。
「お父さん、あの山のこと覚えてます?」
奥さんが午前中に俺たちが登ってきた山を指差す。
「……忘れるわけねえじゃねえか」
「そう。それなら良かった」
奥さんはそれを聞くと嬉しそうな表情をした。
「…………前島にその話を聞かせるのもありか?」
「少し恥ずかしいけど、いいんじゃありませんか?」
「何の話ですか?」
「――明人くーん、ジンジャーエール買ってきたよー」
俺が聞こうとしたときに、飲み物を買いに行っていた皆が戻ってきた。
美咲からジンジャーエールを受け取る。
「明人君、高槻さんと何の話してたの? もしかして前島さんの話?」
「そうだったんだけど。今は高槻さんの話を聞こうとしてた」
「高槻さんの?」
「いや、実はな――」
午前中に俺たちが行った祠は、なんと高槻さんが奥さんにプロポーズした場所だった。
「ええーっ! あそこは高槻さんの思い出の場所だったんですか!?」
アリカが目を見開いて驚く。
他の面子も人のプロポーズ話には興味津々なようで耳を傾ける。
「この人ったら凄い不器用で、もうカチンコチンだったの今でも覚えてます」
「緊張してたんだよ」
「普通、季節と場所と時間は間違えませんよ? 真冬の真夜中でとても寒かったんですから。最初はあそこに連れていかれた時はまさか心中でもするつもりなのかと思いましたし、どうやって逃げようかとも考えてましたしね」
「お前、あの時そんなこと考えてたのか!? ……色々タイミング逃してたら、冬になっちまったんだよ」
「それでも真夜中にいきなり来てはないでしょう。私、寝てたんですよ」
「散々謝ったじゃねえか」
あれ? これ何となくだけど、もしかして高槻さんって前島さんと同じだったんじゃね?
「でもまあ、色々あったから思い出としては残ってくれてますね」
「あの、奥さんはその時すぐにOKしたんですか?」
「まず怒りました。こんな時間に何やってるんですか、明日も仕事なんですよって」
ですよねー。
「……でも……お父さん、これも言っていいですか?」
「…………ああ、構わんぞ」
そう言いながらも高槻さんは自分の耳を塞いだ。
聞くのは恥ずかしいらしい。
「この人がプロポーズしてくれた日、私の誕生日だったんですよ。色々混乱していてその時には気が付かなかったんですけど、お父さんは日付が変わってすぐに会いに来てくれてたんです。当時は今みたいに携帯電話も何もない時代でしたから、私だって予告があれば起きて待ってたんですけどね」
皆の高槻さんを見る目が温かい。
その視線に耐えられなくなったのか、高槻さんは耳だけでなく目も閉じる。
「プロポーズされた後、「誕生日おめでとう」ってプレゼントもくれて……今でも私は誕生日になると、あの日のことが思い出せるの。若い頃の……お父さんとの大事な思い出です」
いやもうこれ感動しかないですわ。
「ちなみにプロポーズはなんて言われたんですか?」
アリカの一言で、皆が奥さんにぐっと顔を寄せる。
奥さんは未だに目と耳を塞ぐ高槻さんを見たあと、小さく微笑み。
「それは……お父さんと二人だけの秘密です」
ずるっと皆も肩透かし。
プロポーズの言葉は聞けなかったけれど、いい話を聞けて良かった。
いつか馴れ初めとかも聞いてみたいな。
そろそろ高槻さんにも話が終わったことを教えてあげないといけない。
多分、心の中で「早く終われ」と訴えてるに違いないだろう。
✫
そろそろお昼の時間。昼は海の家で食べることになった。
海の家前にはソースの焼けた匂いと醤油の香ばしい匂いが漂う。
焼きそばとトウモロコシか。美味そうだな。
店内に入ると、所狭しと長いテーブルと小さな椅子が並んでいる。
席は半分ほど埋まっていて、俺たちが入ってもまだ足りそうな感じがした。
座席について、皆からの注文を聞く。
それをまとめて店員さんに注文。
「明人さんそんなにいっぺんによく覚えられますね?」
「元ファミレスのバイト店員だったからね。忙しいときとか日常茶飯事だったし」
昔、ファミレスのバイトしてた頃は、多数の客からの注文を聞いていたおかげで、こういったのは慣れている。意外と忘れないもののようだ。
文さんと千佳ちゃんに何をしていたか聞いてみると、ずっと波打ち際で遊んでいたようだ。
浮き輪を付けたまま、波に打ち上げられるのが楽しかったらしい。
よしよし、ご飯を食べたら、次はお兄ちゃんが付き合ってあげよう。
店長夫婦は文さんの厚意を受け取って、奥さんと二人でデートしてきたらしい。
奥さんは泳ぐのが苦手だそうで、町中へ行っていたようだ。
「パパー。ちゃんとママと遊んであげた?」
「いっぱい遊んできたよ~」
「そっかー。じゃあ、千佳にも「おとーと」か「いもーと」できるねー」
その言葉に店長と奥さんが笑顔のまま固まる。
これは隣に座る者の宿命だ。あえて俺から言わせてもらおう。
「……えっと、千佳ちゃん。遊んだだけじゃ弟とか妹はできないんだよ?」
「えー!? かっちゃん言ってたもん。パパとママがプロレスごっこしてたらトモ君ができたって。遊ぶだけじゃ駄目なら、パパとママもプロレスごっこしてきて!」
その言葉に皆が固まる。
かっちゃん余計なこと教えないで!
子供の純粋な言葉って怖いわー。
「赤ちゃんは神様からの授かりものだからね~。いつとは言えないんだよ~」
その言葉にむぅと唇を尖らせる千佳ちゃんだった。
まあ、俺も一人っ子だから兄弟とか欲しい気持ちはよく分かる。
俺の耳には聞こえてはいけない店長と奥さんの小さな会話が届いた。
『ばれてるのかと思った』
『ついさっきしてきたと言えないしね~』
俺は周りを見渡し、誰にも聞こえていないか確認。
よし、誰も聞こえていないな!
全力で聞かなかったことにしよう!
千佳ちゃん、もしかしたら本当に弟か妹ができてるかもしれないよ!
✫
昼食後、海へ行ったり休憩したりを繰り返し。
長谷川と綾乃がナンパされて太一と二人で救出に向かったり。
目を離した隙にいなくなった響の捜索隊を組んだり。
美咲を強引にナンパしようとした輩を春那さんと晃が殲滅させたり。
アリカと一緒に岩場に出向いて海生生物を捕まえてみたり。
スイッチの入った春那さんにシャワー室に連れ込まれそうになったり。
狩人たちから必死で逃げ回ったり。
愛と響のオイルまみれキャットファイトを見学したり。
俺――満喫しているな。
今は皆で砂の城第二弾を作っている。昨日は洋風だったから、今日は和風に挑戦中。
何か知らない人も一緒になって作ってるけど、手伝ってくれてるから、まあよしとしよう。
作っている最中に水族館から帰ってきた前島さんたちがやってきた。
「これは大阪城か?」
見たことないけどそんな感じです。堀も作ってみました。
前島さんたちはフラミン号でどうやら遊ぶようだ。
見た感じ奈津美さんの機嫌は普通に見えたので、何とかしてもらいたい。
夕刻近くになり、春那さんと愛は夕食の準備があるからと別荘に戻って行った。
「響さんを置いていくと危険なので連れていきます」
愛はそう言って響の手をしっかりつないで連れて行った。
肝心の前島さんはというと、普通に遊んでいたらしい。
太陽は段々と傾きはじめ、そろそろ夕日へとシフトする時間帯。
「遊んだ遊んだ」と言って片付けを始める前島さん。
いやいや、今からがいい時間帯でしょう。
片付けなんてしてないで、ムードのある場所に奈津美さんを連れていくなり、砂浜を散歩するなりした方がいいですよ?
そんな俺の思いは届かず、そのまま俺たちと一緒に別荘へ戻ってきてしまった。
これ、やばくないか?
停滞どころか全く進行していない。
どうやらそれは俺以外もそう思っているようで、周りもちらちらと前島さんを気にしてる。
夕食後に昨日できなかった花火をする予定だ。
その時にいい雰囲気にでもなればいいんだけど。
別荘に戻ったあと、身支度を整えて学生メンバーに集合をかける。
夕食を作っている愛とその手伝いの響を除くメンバーで集まった。
作戦会議だ。
「皆も気づいてると思うけど、前島さんがやばい」
「これ何もしないまま終わるっぽい」
「お膳立てが通用しないのが問題だと思います」
「何とかしたいけど、奈津美さんにばれないようにするのが難しい。ほぼ一緒にいるし」
「前回はどうだったの? その情報は?」
「その時のこと知ってるの春ちゃんなんだけど……苦労したってしか」
「二人っきりにはできてるのに、そこからが問題なのよね」
喧々諤々(けんけんがくがく)すれど、どうしても最後は前島さんだより。
そんな中、長谷川が。
「前もそうだったんだし、奈津美さんも巻き込めばいいんじゃないかな? 前島さんの様子だと進まないと思うの」
誰も言わなかったことを言ったか……。
俺もあえてそれを避けていたつもりなんだが。
「それに奈津美さんはもう勘づいてると思う。ううん、もうずっと前から気付いてると思う。一緒に暮らしているんだし、相手の様子がおかしかったりしたらすぐ分かると思うの」
「そこは前島さんが上手く誤魔化してたんじゃないの?」
「奈津美さんが上手く誤魔化されてあげていたんだと思う」
太一がすっと手を挙げる。
「じゃあ、長谷川は今の状況も、奈津美さんは知っていると踏んでるんだな?」
「千葉ちゃんもそう思ってるでしょ?」
「うん。まあそんな感じはしてる。立花さんと由美さんに探り入れたけど、長谷川の言ってる方が筋が通る」
「千葉ちゃんがそう言うなら二人の意見は一致だね。なので、当人にお話し聞くのがいいかなって思うんですけど」
勝手なことをしたと言って、怒られるかもしれないが……。
「美咲、奈津美さんを呼んできてくれないか? 皆で話を聞こう」
✫
「全部、知っとったよ」
奈津美さんは簡単に白状した。
「春先くらいからかなー。悟の様子がおかしくなったんよね。最初は悩み事かなんかできたんかなーって思ってたんやけど。なんやちょっとそういうのと違う感じがしてん」
春から計画してたのか。
「んで、ちょこちょこ様子見てたら、どうやら結婚を意識しとるのが分かって。ああ、プロポーズで悩んどるのかって。んで、うちものんびり待ったろうかなって、悟のことやからすぐには口にできんやろうから」
うん、やっぱりそうだ。
奈津美さんは――
「立花さんのプロポーズがショックやったんやろな。あれからなんや焦ってるねん。焦るくせにいつもの根性なしが出てな。悟は悟やねんから、焦らんでいいんやけど」
この人は前島さんをしっかり理解しているんだ。
だから待っていられるんだ。
「皆の目がやけに集まってるから、悟が高槻さんとかに相談したんがすぐに分かったわ。この旅行中にくるかもなーって。まあ期待したら悟はとことん失敗するから、期待はしてへんけど」
そんな奈津美さんを、太一と長谷川はじーっと見つめている。
「あんたらもその気持ちは嬉しいけどな。悟のことはほっといたって。あれが頑張らんとどうしようもない話やねんから。上手くいったら悟を褒めたってくれたらええから」
奈津美さんはそう言って部屋から出て行った。
俺たちはどうしようもなくなって解散することにした。
「なあ、さっき奈津美さんのことじーっと見てたけど何か分かったのか?」
部屋に戻ったところで太一に聞いてみた。
「今考えてる。正直自分でもこれで合ってるかどうか悩むな」
コンコン――と、ノックの後。
「千葉ちゃんと意見照合しに来ましたー」
長谷川がそう言いながら部屋に入ってきた
どうやら、長谷川はもう隠す気はないらしい。
「木崎君、千葉ちゃんから聞いてるから。この美少女名探偵長谷川深雪にお任せ」
「自分で美少女名探偵とか言うな。何を悪乗りしてんだ」
「千葉ちゃん乗り悪い! たまにはそういう乗りがあってもいいと思うんだけど?」
お前ら、いつもそんな感じなのか?
太一が打ち明けてくれた長谷川と二人で培ってきた技術。
感情や隠されたことを見通す力。
二人は奈津美さんの言葉、行動、態度を万遍なく見渡していた。
「んで? 二人の見立ては?」
「まず俺からな。うちものんびり待ったろうかなって言ったけど、あれは本音じゃないな。あれから焦ってるって話も主語が違った。あれは前島さんじゃなくて奈津美さんが焦ってる」
「そこは私も一致してる。それともう一つ、悟のことはほっといたって――も逆だったね。何とかしてほしいのが本音だと思う」
「……あんなに短い間でよく分かるな?」
「観察眼は色々なところ見てるからな。やっぱそれなりの情報が欲しい。何に悩んでるとかは俺でも分かるはずないってことだ。俺らが分かるのは、本人が表に出していることが本当か嘘かってことだ」
「それに100%分かるって訳じゃないし、関係が近ければ近いほど見えなくなることもあるんだよ。千葉ちゃんたまに何考えてるか分からないときもあるし」
「それを言ったらお前もじゃねえか。どんだけ物事隠してんだよ? この嘘つきが」
「それひどい! 知りたかったら暴いてみなさいよ」
こいつら長いことパートーナーをしてるだけはある。
太一が長谷川のことを諦めきれないっていうのも……。
「おっと、明人。それはやめろ」
「あっ! 見落とした! 何、どんな顔したの?」
察知できんのかよ。
迂闊なこと考えられないな。
「私たちを知るとそういう表情する人が多いんだよ」
「だな。まあ、明人の場合は素直過ぎるから、気が付くたびに言ってやるよ」
こいつらに隠し事は無駄というのはよく分かった。
「なあ? 俺が今、何を考えているかくらいは予想はつくんだよな?」
「「もちろん」」
さあ、奈津美さんに火をつけに行こうか。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。