裏帰路 千葉太一
今回は太一の回想でございます。
もうあれから3年も経っちまった。
俺の人生まだ17年しか生きていないけれど、俺の人生が狂ったのは間違いなく3年前の出来事だろう。
幼い時に親父に買ってもらったサッカーボール。
テレビでやっていたワールドカップ。
日本サッカーチームがワールドカップの切符を手に入れた瞬間を、俺は今でも覚えてる。
幼心にいつか俺も日本代表選手になって、あの舞台に立ってみたいなんて思ってた。
わがままを言って、幼い頃からサッカークラブに通わせてもらった。
俺の人生、ずっとサッカーに捧げてきた。
俺よりドリブルの上手い奴がいれば、そいつの倍、練習した。
俺より正確なシュートが打てる奴がいれば、そいつの3倍はシュート練習した。
スタミナがないと感じれば、誰よりも走り込んでスタミナをつけた。
ボールは友達とか言ってる漫画もあったけど、俺も似たようなもんだった。
四六時中、足にはボールがまとわりついていた。
いつしか、俺は天才サッカー少年と呼ばれるようになった。
どのポジションでもこなし、チームの要となった。
当然、学年が上がっていけば、よりコートも広くなり、より技術が必要になる。
単独の力で勝てるほどサッカーは甘くない。
だから俺はチームメイトにも気を配っていた。
誰かのミスは皆のミス、そいつのせいじゃない。
その分カバーすればいい。それがチームであって俺が求める強いチームだ。
時間は有限で起きたことはもう取り戻せない。点を失ったら取り返すだけだ。
マイナスだったら0にすればいい。失点はなかったことにしてしまえばいい。
だが、それができないやつがいる。
失点を誰かのせいにする奴がいる。
俺はそれが許せなかった。仲間内で叱咤激励するのは分かる。
諦めるな、みんなのために最後までボールを追いかけろ。
そういうのだったら俺も許せただろう。
中学に上がりサッカー部へと入部した俺は、根性と心のねじ曲がった部活に反吐が出る思いだった。
好きなサッカーだ我慢した。
まともな練習もしない。遊び半分な部活。格好だけのおままごとサッカー。
これじゃあ勝てるものも勝てない。チームプレー何てどこにもない。
フィールドにいる10人が好き勝手に動いているだけだ。
当然、攻撃もザル、守備もザル、つなぐのすらまともに意思疎通ができていない。
俺はこの現状に抗おうとした。
もう手遅れな三年の先輩を当てにせず、一年生で結束を固めた。
まだ今の部活に染まっていないこいつらとなら、在校している三年間で変えられる。
そう信じたからだ。
ある日、俺は上級生から生意気だとリンチされた。
それはひどいもんだった。最後の最後には足まで潰そうとしやがった。
ギリギリのところで音に気付いた野球部が助けてくれた。
この件は被害者である俺が問題にしないでくれと、教師たちに頼み込んで闇に葬ってもらった。
今、考えてみればこの時点でちゃんと表ざたにしておけば、あんなことも起きなかっただろう。
それからしばらくして、俺への攻撃は激化した。
練習と称して足を直接狙う、肘鉄をくらわす。そんなのはもう当たり前だった。
だが、俺は狙うなら狙えばいい。そんなものが届かない場所に行くだけだ。
お前らがしているのはサッカーへの冒涜以外にないからだ。
一年耐えた。そして心の腐った連中は卒業していった。
俺は二年になって、まだ頑張っていた。生傷も相当増えたが、今まで鍛えていた分耐えることができた。
その当時三年に上がった先輩は俺たちに同調してくれた。
真面目に練習をするようになった。チームとしては弱かったけど、負けた試合を反省し練習に活かすことで少しずつ勝てるようになっていった。その年は無理かもしれない。でも、俺らが三年になったときには全国に行ってやる。一緒に築き上げてくれた先輩にそう報告したいと考えていた。
チームは立て直せたと思っていた。
また、元サッカー部のあいつらが現れるまでは。
中学を卒業したあと、馬鹿なグループを作ったらしく、わざわざ中学校の周りに来てまで爆音を上げながらバイクで走り回っていた。
近所の人に通報され、パトカーとかも来ていたが、捕まることはなかった。
運命の日。あれこそが運命の日だったのだろう。
夏休みの大会を目指して練習していたら、あいつらが突然乱入してきた。
どうやら、通っていた高校もとっくの昔に辞めたらしい。
「お前ら気に入らねえんだよ!」
たった、それだけの理由で人の邪魔をするのか?
俺はそれは許せなかった。
真面目に改心して俺たちと一緒に汗を流した先輩を殴る姿に俺は我を忘れて飛び掛かった。
だが、多勢に無勢、俺はあっというまにぼこぼこにされた。
そして……俺へと振りかぶられた木刀。完全に狙いは足だった。
流石に俺は恐怖した。これが振り下ろされたら俺はサッカーができなくなるんじゃないかと。
振り下ろされた瞬間、俺の足をかばって先輩が体を間に入れてきた。
先輩は何度も振り下ろされる木刀に滅多打ちにされながらも俺をかばい続けた。
俺は聞いた。
「何で俺をかばうんすか?」
「……わからねえや。すっげえ痛いわ」
教師が慌てて駆け出してきたころ、そいつらは逃走した。
先輩は何度も打ち付けられたせいで入院した。全治二か月の重症だった。
俺は何度も見舞いに行った。練習が終わってからもその報告を合わせて見舞いに行った。
そして先輩がもう二度とサッカーができない体になったことを知った。
俺をかばったせいだ。俺のせいだ。俺のせいで先輩はもうサッカーができない。
俺は自分が許せなかった。そして先輩の体をぶっ潰したあいつらが許せなかった。
俺はその次の日にサッカー部に辞表をだして、あいつらを探し続けた。
一人ずつ確実に潰してやる。そう考えていた
人の人生を狂わせた奴ら。今度は俺がお前らの人生を狂わしてやる。
そう思うようになっていた。
父さんや母さんは突然変わり果てた俺の姿に呆然とした。
妹の綾乃は俺のことを怖がるようになった。
そりゃあ、そうだろう。
俺が学校を休んでまであいつらを一人一人潰して回っていたんだから。
いい加減、俺の存在があいつらに分かったようだ。
だが、学校も既に夏休みに入り、俺は焦らずあいつらを狙った。
一人になった瞬間を狙って所かまわず襲撃した。
一対一なら俺は負ける気がしなかった。
サッカーのために鍛えた体がそう教えてくれた。
大抵の奴は泣いて謝った。土下座する奴もたくさんいた。
そんなの関係ねえんだよ。お前らは壊しちゃいけないものを壊したんだよ。
俺は泣いて謝る奴や土下座して詫びる相手でも容赦なくぶちのめした。
残ったやつらはびびっていた。
俺に追い詰められていた。
たった一人の俺に怯えていた。
誰一人逃がさなかったのは、ある意味奇跡だったのかもしれない。
最後の一人、あの木刀を打ち下ろしたやつをぼこぼこにして川に放り投げた。
運良く生きていたみたいだったので、顔の形が変わるまで殴ってやった。
俺の襲撃は続いた。
そいつらをみつけるたびに襲撃し続けた。
もう、完全にそいつらは戦意を失っていると分かっていても続けた。
いつか警察に捕まるだろうと思っていたが、俺は捕まることはなかった。
そいつらは俺に怯えて、とうとう街からいなくなった。
それがちょうど夏休みが終わる前日だった。
新学期になり俺は久々に学校へ行った。周りの皆から何故か距離を取られた。
最初は何故だか分からなかったが、鏡を見て気が付いた。
何を考えているか分からないくらい俺の顔は無表情だった。
ああ、道理であいつらが怯えたはずだ。
相手がひたすら無表情に殴ってくるのだから、許してと言っても殴り続けたからな。
どうやら俺は大事な何かを失くしたらしい。
それから、三学期まで誰とも交わらずクラスで孤立したまま過ごしていた。
俺が潰して回ったあいつらは、風の噂で遠い地方の建築現場で働いていると聞いた。
そんな話を聞いても俺の無表情は相変わらずのままだった。
三学期になって、同じクラスの長谷川という女子が俺に話しかけてきた。
今まで全く話しかけてこなかったのに、本当に突然だった。
「何?」
「千葉君ってさ、頭弱いよね?」
「あ? お前馬鹿にしてんの?」
「うん、してる。だってテストいつも一桁じゃん」
「勉強しても頭に入んねえんだよ」
嘘だった。まったく勉強なんてしていなかった。
「高校どうするの?」
「行けなかったら行けないでいい。働く」
「駄目だよ! 今からでも間に合うから勉強しよ?」
この女、馬鹿なのか?
何で俺みたいなやつに声を掛けるどころか心配までしてんだ?
何故だか知らないけれど、それから毎日長谷川は俺に話しかけてきた。
その時の俺はうざいとしか思わなかったのだけれど。
三年になり、また長谷川と同じクラスになった。
長谷川の奴は相変わらず俺に話しかけてくる。
「いいからお前は友達作れよ。何。ぼっちなの? 寂しいから声かけてくんの?」
「寂しいのは千葉ちゃんのほうだよ」
「寂しくなんてねえし、それと千葉ちゃん言うな」
長谷川の行動はどんどんエスカレートした。
今までは学校だけだったが、家に帰っても、長谷川が家で待っていた。
「お前、何してんの?」
「千葉ちゃんに勉強を教えに来ました」
「だから、千葉ちゃんって言うなって」
あまりのしつこさに俺はとうとう折れた。
「あ? 何でこうなるのかが分かんねえって言ってんだよ!」
「そうやってイライラしない! 悪い癖だよ!」
「ああああっ! もうやめやめ!」
「すぐ諦めないの!」
勉強を投げ出して寝ころんだ俺に、長谷川は体を揺する。
俺はちょっと脅かすつもりで長谷川を組み伏せた。
長谷川は同級生の中でも発育がいい方だ。
「これってやばい状況じゃない?」
「千葉ちゃんが触りたいなら触ればいいよ。でも諦めないから」
長谷川は度胸も据わっていた。
「……俺が悪かった。続き教えてくれ」
長谷川から勉強を教わるうちに少しずつ成績は上がっていった。
元々真ん中くらいの成績だった長谷川が教師だったので、上がったとしても俺の成績は低かったが。
それでもテストで赤点ぎりぎりくらいは取れるようになっていた。
そのうち長谷川が段々凶暴になっていった。
「いてぇっ! お前手加減しろよ!」
「うるさい! 千葉ちゃんがふざけたことするからでしょうが!」
俺はただ隙だらけだったから膝かっくんをしただけなのに、長谷川にぼっこぼこにされた。
こいつ、加減ってものを知らねえ。
長谷川は学校、家と問わず押しかけてきて、両親も妹の綾乃も長谷川をとても信頼するようになった。
「私が千葉ちゃんの躾役になりますから!」
俺の家族の前でそう宣言までしてのけた。
「お前さぁ、ここにいるの全員千葉なんですけど?」
「私が言う千葉ちゃんは君ただ一人だ!」
しばらくして、志望校を決めていくための面談があった。
俺の成績では清和高校は厳しいと言われた。
俺は清和高校にこだわった。長谷川が希望しているところだからだ。
俺は長谷川といて楽しいと思うようになっていて、この関係を続けたいと思うようになっていた。
長谷川は超がつくほどお人好しで、いつも誰かを助けようとしていた。
一緒にいる俺はそれに巻き込まれることも多かった。
だが、嫌な思いは少しもなかった。
助けた相手の安堵した表情に何か救われたような気がしたから。
ある日、急に長谷川が会わせたい人がいると言ってきた。
その人は俺をかばってサッカー人生を失った先輩だった。
俺は先輩に土下座した。
あれから一度も顔を合わすこともできず、今までいたことを謝った。
先輩は言った。
「そんなことどうでもいい。深雪はお前の力になれたか?」
長谷川を名前で呼んだ先輩。
その先輩に柔らかな笑みを浮かべる長谷川。
「深雪は俺の幼馴染でな。妹みたいなもんなんだが、苦しんでるお前を助けてやってほしいって俺がお願いした」
「何で俺を? 俺は先輩にとりかえしのつかない――」
俺の言葉は先輩の怒声にかき消された。
「お前ふざけんなよ? 俺は俺の意志でお前を守ったんだぞ。お前ならうちのサッカー部を全国連れていけるって、あんな奴らに潰されたくないって思ったからなんだぞ? それを台無しにしやがって」
「すいません。……もう俺はサッカーはできません。その資格はあいつらを潰すって決めたときに失くしました。今は、何か違うことを探そうと思ってるんです」
俺の言葉に先輩は少し意地悪そうな顔をした。
「じゃあさ。お前、俺の願いを一つ叶えてくれよ」
「何でも言ってください! 俺でできることなら何でもします」
「お前さ、深雪と一緒に人助け手伝ったことあるだろ?」
「はい、何度か手伝ったことありますけど」
「それ、お前の生き方にしてくれねえかな? 困ってるやつや苦しんでいるやつを助けてやってくれねえかな?」
俺は先輩の願いを叶えることにした。
こんな俺がどれだけのことができるか分からないけれど、それが俺にできる先輩への償いだと思ったから。
こうして俺は困ってる人、苦しんでいる人を探して助けていくことを日常とした。
ただ、頼まれた依頼は処理できる。
本当に難しいのは、困っていることや苦しいことを心の中で抱えてる奴が分かりにくいことだ。
隠した心というものはどうやって見分けられるか分からなかった。
俺は今まで人の表情をよく見ていなかった。
そして、俺は人の色々な表情を見るようにした。
そのうち友達同士の会話の中にも隠された表情があるのに気が付いた。
信頼、不快、誤魔化し、同調、嘘、拒絶、虚栄、不安、恋愛といった感情に気付くことができた。
それは表情の中のわずかな差であることに気が付いた。
それに気づいてから、俺はできるだけ相手に笑顔で接する練習をした。
相手の警戒が緩むからだ。長谷川もその練習に付き合ってくれた。
俺は周りの人間から急に人が変わったようだと言われた。
もう、今の俺の原型ができていた、人懐っこい笑顔で近づいてそいつに不安がないか、苦しんでいることがないか見るようになった。まだまだ修行が足りないせいで完全には分からないけれど、ちょっとした相談事や仲裁ごとには活用できるようになっていった。
そうこうしている間に、多くの知り合いができて、助けたり助けられたりする日々が続き、とうとう受験の日がやってきた。
俺は長谷川と同じ高校、清和高校を受験した。
頑張れば受かる、そう長谷川は俺の背中を押した。
結果として二人とも合格し、俺は晴れて清和高校一年生として歩みだした。
長谷川とはクラスが分かれてしまったけれど、時折一緒に人助けは継続している。
長谷川からは入学式の時にこんな言葉を貰っていた。
「千葉ちゃんはね、今この瞬間に生まれ変わるの、もう荒れてた時の千葉ちゃんはいないんだよ。今日から千葉ちゃんはこの高校一のへらへらしたお調子者でいてね」
俺が長谷川と一緒にいて楽しいと思ったのは恋心だったのだろうか。
あれが恋心というのなら、俺は失恋したことになる。
長谷川が幼馴染の先輩に見せたあの表情。
あれは好きな人に向ける表情だったのだから。
GWに新しいクラスの皆とバッティングセンターに行くことが決まった。
これも要は友達の相性探しみたいなものだろう。
ここで仲良くなれば、今後も仲良くできるかもしれない。
ここに集まったのは、そんな期待を意図した面子だと思う。
そんな面子が集まる中、たった一人だけそのこと自体に無関心な奴がいた。
そいつがここにいる違和感。ここまで人に無関心なのも珍しい。
それに矛盾。人に興味がないのに、何故ここにいる?
何だ、この中途半端感。俺の勘がこいつは何かを抱えていると囁く。
接点を持ってみようとするも、こいつは自分から距離を取ろうとする。
ああ、これ確定だな。
そいつの名前は木崎明人といった。
長谷川、見つけたぞ。
こいつ何かに苦しんでる。
無意識に助けを求めてる。
どうしたらいいと思う?
答えは長谷川がとっくに教えてくれている。
可能な限り、傍にいて話をしてやることだ。
徐々に俺という存在をお前に植え付けてやる。
うっとおしがられてもめげねえぞ。
俺も散々味わったからな。
言っておくけど、俺は師匠譲りのしつこさを持ってるぞ。
「なあ、俺と友達になろうぜ?」
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。