31 看板娘と密約6
工房で軽く説明を受けた後、俺とアリカは修理工房を後にして店長の所に戻った。
「明人君どうだった~? いつもと違って新鮮な感じしたでしょ?」
店長はいつもと同じように薄ら笑いを浮かべて言う。
「はい、なんか色々勉強になりそうです」
「明人君は生真面目だね~。そんなに構えなくてもいいんだよ? まあ、今日は表屋に戻っていいからね」
「店長、あたしも表屋に行くの?」
アリカが聞くと、店長は少し考えて
「ん~。そうだね。今日はもういいかな?」
「んじゃ、着替えて高槻さんところに戻りますね」
「はいはい、また頼むね~」
アリカは俺をちらっと見て挨拶代わりに片手を挙げると、事務所から出て行き、そのまま修理工房の方へ向かっていった。
「今日は前みたいに喧嘩しなかったみたいだね~」
「そうですね。前よりはましだと思います」
俺の言葉を聞いた店長は薄ら笑いを浮かべたまま、顎に手をやり頷く。
「俺、戻りますね」
何か店長が考えていたようで少し気になったが、聞くことはせずに事務所を後にした。
表屋に戻ってくると、椅子に座った美咲さんがちょいちょいと俺を手招きしている。
レジに向かいながら店内を見ると誰もおらず、一人で退屈していたようだ。
俺がレジカウンターに入ると、美咲さんがすくっと立ち上がり、「はい」と言って両手を広げた。
「え? 何ですか?」
「ハグよハグ! 後で要求するって言ったでしょ?」
「あんた何考えてんだ! マジで要求するな!」
美咲さんは「ちぇっ」と舌打ちすると、
「ふーんだ。私を差し置いてアリカちゃんと店内デートだなんていいわよねー」
そう言って椅子に座りなおし、カウンターに突っ伏して拗ねはじめた。
店内デートってなんだ? 成人がそんなの理由に拗ねるなって言いたい。
俺がマジでハグしたら、美咲さんはどういう態度に出るのだろうか? 美咲さんもぎゅっと抱きしめてくる? 有得ないな。もしくは驚くか、最悪大声出されて変態扱いだな。そんな事になったらバイトが続けられないじゃないか。やっぱり無理だ。
しかし、アリカにも聞かれたが、俺達のやり取りを見ていると、付き合ってるように見えるのだろうか。
美咲さんに嫌われていないとは思うけど、彼氏彼女の関係になるほどの好きってのは無さそうだし、俺もそんな感じだ。
美咲さんは美人だから彼女になったら、それはそれで嬉しいし、周りから見れば羨ましい事だろうとは思うけど。
正直、恋ってものが、俺にはまだ分からない。
甘酸っぱいとか、苦しいとかもピンとこない。
多分、俺はまだ人を本気で好きになったことが無いからだと自分でも思う。
人は恋をすると見えていた世界が変わると、聞いたことがあるけれど、本当に変わるのだろうか?
俺も恋をするほど人を好きになれる時がくるのか?
家族とも上手くいってないこの俺が人を好きになれる?
……こんなこと考えても、何にもならないのに。
現実的でない事に気付いた俺は、拗ねて反対側に顔を向けたまま突っ伏している美咲さんを見やり、空いている椅子に腰をおろした。
……………………。
二人とも沈黙しているせいで、店内の静けさがまた一段と深くなったような気がする。
俺は美咲さんにどんなことを話しかけようかと模索していると、横から小さく「すー」っと音が聞こえた。
音を立てないように椅子から離れ、反対側を向いていた美咲さんの顔を覗くと、どうやら突っ伏してるうちに眠ってしまったようだった。
「……子供と一緒だな。とても年上とは思えんな」
独りごちて、起こすかどうか悩んだ挙句、とりあえずは客が来るまで寝かせておくことにした。
音を立てないように、そっとさっきまで座っていた椅子に腰掛け、カウンターの上に肘をついて誰もいない店内を見渡す。
これが綺麗な風景なら、なんと有意義な時間を過ごしているのだろうと思うけれども、いかんせん、これが与えられた現実の世界だ。無駄で退屈ともいえる時間を、この景色の中で過ごすしかない。
暇つぶしに店内を整理するのもありだが、動くと美咲さんを起こしてしまうかもしれないから、じっと我慢しよう。
突然、隣で寝ている美咲さんの身体がびくっと上下に動く。
ああ、授業中に寝た時たまに起きる例のアレだな。正式な名称を俺も知らないが、アレって痙攣したみたいに身体がビクッてなって一瞬で目覚めることが多い。俺も経験があるけど、アレで起きた時すっごい恥ずかしいんだよな。周りの人に見られていたと思うと、マジで恥ずかしい。普通気付くよな、あれだけ体が揺れたら、たいていの奴はスルーしてくれるけど、指摘してくる奴がいたら呪い殺したくなると思う。
俺がそんなことを考えていると、美咲さんの顔が突然、ぐりんとこっちに向いた。
「ねえ、私寝てたよね? もしかして寝顔見た? それよりも今なんか見た?」
何、その必死な形相? 答え辛いだろ。さっきのアレで起きたのか。
「え? 何も見てないですけど? 寝息が聞こえたんで寝てるとは思いましたけど」
俺は言葉を選んで問いに答えると、美咲さんは顔を真っ赤にしてカウンターに突っ伏した。
「寝息聞かれちゃった。恥ずかしいいいいいいいいいいいいいいい!」
多分アレを俺が見た事は本人も気付いていると思うが、俺の口からは言えない。他の事でごまかしたにしても、結局こうなったような気がする。
「寝てたら寝息くらい当たり前でしょ。そんなの気にしないで下さいよ」
俺は慰めようとして言うと美咲さんは突っ伏した顔を上げ、その顔は真っ赤のままで、目に涙を浮かべて俺を見つめてくるが、アレを見られたことへの羞恥心が上回ったのか、また突っ伏した。
「……くすん」
恥ずかしがっている美咲さんには悪いが、その姿がちょっと可愛いと思ってしまった。
美咲さんをなだめている内に店じまいの時間になり、俺はまたいつものように表周りの掃除と片付けにかかる。美咲さんは、カウンター付近で箒をチョコチョコと動かしながら、ため息をついている。アレを見られたのがやっぱりショックだったんだろうか。
大体、それぞれに片付けが終わった頃、裏の扉が開いて店長が現れた。
店長に、後はやっておくから着替えて上がっていいと言われたので、二人して更衣室で帰宅準備をする。
俺達は帰宅準備を終えて店長の所に向かった。
「店長、俺明日はファミレスで最後のバイトなんで明日はこれません」
「ああ、そうかい。分かったよ。アリカちゃんにも手伝ってもらうから、こっちは大丈夫だよ。ちゃんとけじめをつけておいで」
「はい。ではお先に失礼します。お疲れ様でした」
「お疲れ様でした」
「はいはい。お疲れ~」
店長に挨拶した後、店を出て、俺は自転車の所に行って、籠に荷物を入れる。自転車を手で押しながら、俺を待つ美咲さんのもとへ向かった。
「美咲さん、行きましょうか」
「うん」
帰路を進む美咲さんはいつもより口数が少なめだ。まだ今日の出来事が尾を引いているのだろうか。
今日の美咲さんを思い起こすと、いつもの暴走キャラよりも、うろたえていた姿の方が印象深い。
いつもは俺がうろたえてばかりだけど。
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