310 美咲の騎士再来9
晃が作ってくれた夕食を食べたあと、晃が美咲に食って掛かっていた。
美咲が夏休みに数日しか帰省しないことについて気に入らなかったらしい。
「休みの時くらいしか会えないのに何でちょっとしか帰ってこないの? 去年の夏休みからずっとそうじゃん」
「だから、バイトとかもあるし。家にいるとお姉ちゃんのお手伝いを強制されるから嫌なんだってば」
「私も一緒に手伝うし」
「あの地獄に晃ちゃんを連れていけないよ……。睡眠なんて言葉ないんだよ?」
「大丈夫だから! 私、体は丈夫だから! 美咲と一緒ならどんなことだって耐えれるから!」
「無理だよ~。晃ちゃんは良くても私が無理なんだもん。精神崩壊しちゃうよ~」
嫌がる美咲を何とか説得しようとする晃。
美咲の姉は、馬串刺突というペンネームのBL小説作家。そして趣味でBL漫画作品を手掛けているらしい。本名は藤原伊織と言って、美咲の4つ上の姉だ。とても穏やかな性格で、誰からも親しまれる近所でも評判の人で美咲自身も自慢の姉で自分はお姉ちゃん子だと自覚している。
だが、その美咲自身が姉から距離を置くことがある。
それは趣味の漫画だ。
美咲も姉妹仲はとてもよくBL嗜好のある姉とはいえ、姉の趣味側の顔を知るまではとても尊敬していたそうだ。
小説の方は仕事としてスケジュールから何からきっちりとこなしているらしいが、趣味の方はというとかなりやばい状態まで追い込まれるらしい。昔からの仲間と一緒にやっているらしく、それぞれが仕事もしているためスケジュール調整が上手くいかずどうしても仕上げが追い込まれるそうだ。そうなると、天使のように優しい姉が、地獄の悪魔よりも怖い存在になるという。
それに巻き込まれていたのが美咲。
美咲はアシスタントとしての才能があるらしく、どの手伝いもそつなくこなせる万能アシスタントなのだ。べた塗り、ホワイト、トーン貼り、ペン入れ、背景の清書、効果線、消しゴム掛け、アシスタントとして必要な技術を幼いころから姉に仕込まれていたらしい。何やら計画的な匂いもするがそれはおいておこう。
それだけ能力があるなら手伝ってやればいいじゃないかと言ったこともあるのだが……。
「あのね? アシスタントしてると、これっておかしいとか、間違いとかに気づくことが多いの。それを指摘するのもアシスタントの役目でもあるんだけど……そうなるとやり直しとか自分の仕事がまた増えるの。エンドレスヘルの始まりなの。締め切りギリギリになると時間の感覚さえも分からなくなるのよ? お風呂もトイレも後回し、食事だって栄養ドリンクが主になるのよ? 我慢できなくなったって言ってもペットボトルでしろとか言い出すんだよ? やっと地獄が終わって久々にお風呂に入ったら、知らない間に付いてたトーンとかがプカプカ浮いてたり、消しゴムかすが沈んでるのを見て何も思わない自分に気づいたときはショックだった。……それにお姉ちゃんのチームは雑な人が多いから、エンドレスヘルに突入する頻度が半端じゃないくらい多いの」
ダムでも決壊したのかというくらいに美咲はまくしたてた。
何か捨ててはいけないものを色々と捨ててる気がするな。
何で突入する頻度が高いことが分かったのかも聞いてみた。
「昔、お姉ちゃんに頼まれて、一日だけ知り合いのアシスタントしに行ったのね。二日は拘束されるって覚悟で行ったんだけど……そんなこと全然なくてしっかり一日で終わって……それでお姉ちゃんたちのレベルが低いことに気が付いたの。それからなるべく避けるようにしてたんだけど、家にいると捕まるから……」
こういった理由で、美咲は実家に帰りたがらない。
何かと理由をつけて帰省しないのである。
親は心配しないのかと聞いたが、親も姉の状況を理解しており、美咲が巻き込まれることも知っているので協力してくれているという。親ですら止められないのか。
「アレ以外は完璧な良いお姉ちゃんなんだけど……」
すこぶる残念そうに美咲は言っていた。
それほどまでに嫌がる美咲を晃が説得するには、よっぽどのことがない限り無理だろう。
話を聞いた俺でもそんなところに行きたくない。
一応、美咲も晃が帰ってきている間に帰省して、晃と顔を合わせたあと、姉に捕まらないうちにこっそりとこっちに戻ってきていたという。姉の趣味が発動する時期が休みの時期と重なっているのも運が悪いといったところか。
「長い夏休みなのに美咲と一日しか会えないなんて嫌だよ! 帰ってきてよ」
それでも、美咲をなんとか説得しようとする晃に一言。
「あのさぁ、本人が嫌がってるんだからいい加減諦めれば?」
その一言に晃はカチンときたのか。
「お前は関係ないんだから黙ってろ!」
その言葉にこちらもカッチーンときた。
「聞いてて不愉快なんだよ! 美咲も義理は果たそうとちゃんとあんたに顔見せに行ってんだろ? それで満足しろよ!」
「はあ? 何で関係ないお前にそういうこと言われなくちゃいけないんだよ! そういえばお前、年下のくせに美咲のこと呼び捨てにしたり、ため口聞いたり、生意気なんだよ!」
「あんたが普通に接してきてたら、俺だってそれなりの対応したさ。美咲からは今のままでいいって了解貰ってる。それこそ俺と美咲の問題であんたには関係ないことだろが!」
罵りあいを始めた俺たちに美咲がオロオロとしだす。
「お前、マジでぶっ飛ばすぞ?」
「何だ? すぐ力で訴えか? 仮にも女だろ。やりたかったらやってみろ。それでも俺は変わらないぞ?」
「調子に乗るなよ!」
たとえ殴ってきても、俺は返すつもりはない。
まあ、真剣にやったところで空手の有段者である晃相手に勝てることもないだろう。
だが、俺にも男としての意地はある。考えを変えるつもりはない。
晃は俺目掛けて突っ込んできた――が、体を張って晃にしがみ付いて止める美咲。
「駄目! 晃ちゃんが本気で殴ったら明人君が死んじゃう! 晃ちゃん瓦十枚割れちゃうじゃない!」
え、そんなの割れるのか?
今更ながらに寒気を覚えた。
本気で殴ったら歯の二、三本じゃ済まねえだろ、それ。
「晃ちゃん何で喧嘩するの? ここは明人君の家なんだよ? そこでお世話になってるんだよ? 迷惑かけたら駄目なんだよ?」
「分かってるよ。でも、美咲のことでとやかく口を出してほしくない。こいつ美咲に全然関係ないじゃん!」
その言葉に美咲が固まった。
「……か、関係なくないもん、明人君とは家族同様に一緒に暮らしてるもん」
「それは姉さんがここで暮らすことになったからでしょ? そいつとの関係って、ただバイトが一緒なだけじゃん。それだけの関係でしょ」
「…………」
「ほら、言い返せない。それが合ってるから言い返せないんでしょ? それなのに私と美咲の絆で結ばれた関係にごちゃごちゃ横やり入れるのが腹立たしいって言ってるのがどこがおかしいの?」
ああ、これやばいな。ちょっと感情に火が入ってる。
美咲が止めに入ってくれたおかげで、俺は少しばかり冷静さを取り戻したが、晃はかえって火が付いたようだ。
「………………嫌い」
目に涙をためて、美咲は絞り出すように呟いた。
「「え?」」
俺も晃も今の美咲の言葉は聞こえたが、多分否定したかったのだろう。
「…………そんなこと言う晃ちゃん大嫌い!」
さらに声を絞り出して泣きながら美咲は叫んだ。
そして、そのままリビングを飛び出して二階へ行った。
多分、自分の部屋に行ったのだろう。
晃は呆然としている。
自分がなんと言われたのか信じられないような顔だ。
「……え? ちょっと待って? 今、美咲なんて言ったの? 私のこと嫌いって、大嫌いって言った?」
これは俺に聞いてるんじゃないだろう。
もし答えてしまったらそれはそれで酷いことを告げることになる。
相当なショックだったのか――晃はそのまま家を飛び出した。
✫
美咲は自分の部屋に籠ったままだった。
多分、色々と後悔していることだろう。
暫く待っていたが、家を飛び出した晃も帰ってこない。
晃は家に携帯から財布まで何もかも置いて行っていた。
大学生にもなって、後先考えず家を飛び出すなんて真似やめろと説教してやろうと思っていたのだが。
痺れを切らした俺は、晃を探してくることを美咲に告げて自転車で家を出ることにした。
とりあえずこの件が春那さんに知れたら厄介なので、帰ってくるまでに片を付けたい。
晃はどこへ行ったのか。
近くのコンビニやスーパー、公園や川の近くと色々探してみたが見つからない。
土地勘もないだろうに、もしかして道に迷ってるとかじゃないだろうな。
晃が行きそうな場所。というより知ってる場所は……。
てんやわん屋と美咲が前に住んでいたアパートだ。
俺はいつも使っているルートを美咲の前のアパート経由でてんやわん屋に向かって進むことにした。
美咲が住んでいたアパートに到着したが、それまでの道程で晃は発見できなかった。
ふと美咲が住んでいた部屋を見上げると、明かりが灯っていて、もう別の誰かが住んでいるようだ。
そこそこいい物件だったらしいから頷けるか。
俺は見落とさないように周りを探りながら、てんやわん屋へと道を急いだ。
途中、俺たちがいつも自転車の練習に寄っている公園。
いるかなと思って、見てみると奥のベンチに一人座り込んでいる晃を見つけた。
あんな薄暗いところにポツンといたら幽霊だと思われるぞ。
近づくと泣いていたのか目が赤い。
「何してんすか?」
「ほっとけよ。何でお前が来るんだよ?」
「あんたを探しに来たに決まってるだろ。来てるのは俺だけだ」
「……美咲はどうしたんだよ?」
「家で待たせてる。こんな時間に足もないのに美咲を一人で外に行かせるわけないだろう。もし、何かあったらどうするんだ」
そういうと、晃は見て分かるくらいシュンとした。
「あのさあ、あんたが美咲のこと大好きなのは分かってるけどさ、俺に対する態度改めてくれない?」
「お前には関係ない。だったら、お前もその口の利き方改めろよ」
「OK、分かりました。じゃあ、敬語で行きましょう。今回の件は無理強いするもんじゃないと俺は思うんですけどね。あの美咲があれほど嫌がるのは珍しいんですよ」
「……美咲のことなんて全然知らないくせに!」
「……確かに昔の美咲は知らないですよ。でも俺は晃さんが知らない美咲を知ってる。だからお互い情報交換しませんか? 俺にもさ、俺が知ってて晃さんの知らない今の美咲の話をさせてよ。美咲から晃さんのことはよく聞いてるんだ、昔話をね。いっつも、晃ちゃんてかっこいいんだよとか、私の自慢の友達なのとかさ。だから、なんていうのかな。俺、昔の美咲のことは知らなくても、昔の晃さんのことは少しだけ知ってるんだよ。その話を聞くたびに晃さんが美咲のこと大事にしてたんだなってのも伝わってた。今の美咲があるのも晃さんのおかげだって俺は思う。だから、晃さんが知らない美咲のこと、晃さんに話させてくれないかな? その代わり俺にも俺の知らない美咲のこと教えてよ」
俺の言葉を聞いて、晃は目をぱちくりさせる。
「……君って思った以上に馬鹿なんだね? てか、敬語使ってるの最初だけじゃん」
そう言って晃は笑った。
俺と晃は家へと向かう帰り道。まるで美咲と一緒に帰ってる時のように語り合った。
俺は晃の知らない美咲を、晃は俺の知らない美咲をそれぞれ語り合う。
晃が美咲と友達になろうとした経緯とか、美咲から聞いていたのと少し違っていた。
美咲からは、ぽつんといる自分を気にかけた晃が諦めず友達になろうとしてきたと聞いていたが、晃からすると一目惚れだったらしい。初対面から色々と間違ってるだろと突っ込みを入れてしまったが、事実そうだったのだから仕方ないだろうと晃は言った。
仲良くなってからは、美咲を守ることばかり考えていたらしい。
まさに、美咲の騎士だった。
美咲と一緒にいるためにはどうすればいいか。
同じ高校に行くにはどうすればいいか。
同じ時間を共有するにはどうすればいいか。
そんなことばかり考えていたらしい。
まさしく、晃にとって美咲こそが人生の中心だったのだろう。
「何で大学は別のところに行ったんです? 晃さんなら一緒の大学行けたでしょ」
「美咲が私にお願いしてきたからだよ。もっと私を自慢したいからT大に合格して学生証見せてって。美咲のお願いだよ? 今まで一度も言わなかったあの子の最初のお願い。そりゃあ聞くしかないだろ?」
「ああ、美咲のお願いって断りづらいの分かりますし、初回なら尚更ですね」
「でしょ? あの子悪女になる素質あるかも」
「晃さんそれマジで言ってます?」
美咲に悪女は無理だろう。
自分が騙されやすいし、そもそも人を騙すという点なら最も美咲が苦手とするところだ。
「……あー、美咲は無理だね」
「でしょ?」
お互いに美咲のことをよく理解しているだけに話が早い。
なんだ。こんな簡単に共有できる話題があるじゃないか。
なんやかんやと美咲の話だけで家までたどり着いた。
まだお互い話足りないくらいだ。晃がいる間にもっとしておきたいな。
「……美咲、まだ怒ってるかな?」
「怒ってると思いますよ。理由は違うでしょうけど」
「え?」
「今は家を飛び出して心配させた方を怒ってると思います」
「あー、それも納得。……ねえ、一つだけ確認させてもらっていい? 君って今日の話で恋愛感情が誰にもないって話してたよね。あれって本当なの?」
「本当ですよ。恋愛ってのがどんなもんかマジで分かんないんですよ。人の好き嫌いは分かるんですけど、何をどう思えば恋愛なのか。でも、俺も男なんで欲はあるから、欲に負けないように心がけてます。ちゃんとした間柄になってからでないと、相手に悪いじゃないですか」
「……明人君って、やっぱり思った以上に馬鹿なんだね?」
どういう意味だ。
しみじみ言われると何か腹が立つぞ。
晃は小さく笑って軽く俺の肩を叩く。
「そうか。じゃあ、君に一つ謝っておこう。君のことを悪く言ってごめん。信用はしないけど信頼はするから美咲のこと頼んでいい?」
「言い方が気になりますけど、その依頼承ります」
「あ、一つ忘れてた。忠告――もし明人君が美咲を好きになったら私にも報告すること。これ破ったらマジで殺しにくるよ? 知らない間に付き合ってますなんて聞いたら、自分で自分を止められないと思うから」
「分かりましたよ。約束します。そんなおっかない顔して言うの止めてもらえます?」
こうして、俺と晃は和解することができた。
美咲は俺たちの予想通り、家を飛び出したことを心配していてそのことに怒っていた。
俺と晃も和解したことを美咲にも教えると、すぐに満面の笑みを浮かべて晃に抱き着いていた。
春那さんが帰ってくる前にうまく片が付いたのだが……。
「んとね。さっき部屋に籠ってる時に思いついたんだけど。お休みの間、晃ちゃんがこの家に住めばいいと思うの。部屋は私と一緒で問題ないんだし、私が帰省するときも一緒に帰るっていうのどうかな? 私の願いも叶う、晃ちゃんとも一緒にいられる。これぞウィンウィンの関係だよね!」
と、そんなことを爽やかな笑顔で美咲が言いだした。
「……こういう発想するところと変に押しの強いところが美咲のすごいところだと思う」
「……まったく同感です」
春那さんが帰宅後、家族会議が開かれ、美咲の提案を春那さんが少しばかり渋ったものの、満場一致で夏休みの間、晃が我が家に居候することが決まった。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。