306 美咲の騎士再来5
「終わったら電話して」
「「……すいません」」
へこんだ美咲を慰めていたら、バイトに間に合いそうもなくなり、文さんに車で送ってもらった。
自転車だと30分はかかるのに車だと10分くらいで思ったより近いことに驚く。
晃は晃で美咲をへこませた後、まずいって顔してさっさと逃げやがって、お前がへこませたんだから責任とれって言いたい。あんまり手間を掛けさせないでほしい。
急いで店内に入った俺と美咲は、カウンターで店番していた店長に謝りに行く。
「すいません。遅れました」
「ああ、問題ないよ~。いつも通りお客いないから~」
……いいのかそれで。確かに誰一人として客はいないけど……。
準備した俺たちは店長と交代し、店長は裏屋へと戻る。
慌ただしかったけど、何とか一息。
忙しい店じゃなくて良かったと言えば良かったけれど、何かこう間違えてる気がする。
「……あいつのせいだ」
「……ごめんね」
しょんぼりして謝ってくる美咲。
まあ、美咲もショックを受けただろうし、これ以上自慢の幼馴染を責めるのは可哀想だな。
「幼馴染の悪口は聞きたくないよな。話変えようか? 今日はどうだった?」
俺がそう聞くと、美咲はうんと頷き、顎に指をかけて考え込む。
話す順番でも思い出しているのだろう。
「えとね。構内を案内中に五十嵐教授と通路で会って、課題のことで質問があったからしたのね。そしたら、教授が晃ちゃんを見て「その子、部外者でしょ」ってすぐに気づかれて、怒られるかなって思ったら、今日の講義に参加してもいいって言ってくれて一緒に受けてきた。実はT大生なんですって言ったら、教授もみんなも驚いてたよ」
そりゃあ、驚きもするだろう。
「今日はコマ数3つだったんだけど、五十嵐教授が他の教授にも口添えしてくれたから、晃ちゃんと一緒に受けてきた。講義のあと一緒にご飯食べて大学を案内して、大学近くもついでに案内してスーパー寄って帰ってきたの。なんか晃ちゃんとこうして出かけるの久しぶりだったから懐かしかった。相変わらず存在感があるからか、みんなの視線を集めてたけど」
ああ、そうだよな。晃も春那さんの妹だけあって顔は綺麗だもんな。
しかも、ボーイッシュで中性的な格好してるから男と思われる可能性も高い。
それに晃と一緒にいた美咲は多分だけれど、いつもみたいにコソコソしたり、オドオドしたりせず、自然体でいられたような気がする。そうなると、陰鬱な表情ではなく俺のよく知っている魅力ある人懐っこい姿で大学を闊歩したことになる。そりゃあ晃だけでなく美咲も目立ったことだろう。晃と美咲は遠目に見て美男美女に見えるのだから。
本人は絶対分かっていないだろうけれど。
「それでね、晃ちゃんがすんごい心配するんだよ。でもね、サークルとか私入ってないし、合コンとかの誘いもないから大丈夫だよって言っても聞いてくれないんだよ。心配しすぎだよね。私全然もてないのに」
……そろそろ本当に美咲は類稀なほどに顔が綺麗だってことを自覚してほしい。
そういう面では俺も晃に同意だ。美咲はただでさえ人を疑ってかからないところがあるから、コンパとかで悪いやつに引っかからないか心配になるんだ。
「コンパとかって、そんなにしょっちゅうあるの?」
「サークル同士でしたり、友達のつてだったり色々あるみたい。私の場合友達もいないから声もかかんないけど。……ふっ、どうせ社会不適合者だし……へへっ……へへ」
お願いだから自分で堕ちるの止めてもらえないかな。
「美咲さんの場合、合コン連れて行ったらやばいからでしょ?」
「「うわっ!」」
隠れていたアリカがひょこっとカウンターから顔を出し、俺と美咲は驚く。
「お前いつからいたんだよ? 急に顔だしたらびっくりするじゃねえか」
「ついさっき! 美咲さんが教授がどうとか言ったあたり」
「びっくりした~。えと、やばいって、それ私が……社会不適合者だから?」
「違いますよ。美咲さんみたいな綺麗な人連れて行ったら、男の視線全部集めちゃうの目に見えてるじゃないですか。あまり差がないのはともかく美咲さんの場合は別格ですよ。多分、一緒に行ったら惨めな思いしちゃうから」
ああ、納得。
そうだよな。美咲を連れていった日には男が群がる可能性がある。
男からしたらラッキーなことだろうけど、一緒にいる同性からは疎まれるだろう。
「それに美咲さんは誘われてもそういうの行かない方がいいです。美咲さん危なっかしいもん」
「危なっかしいって……どういう意味?」
「明人も何となく分かるでしょ?」
言いたいことは分かる。美咲は異性の駆け引きだとか、肉体的な欲求とかに疎すぎる。
そもそもそういう考えがないから、俺に抱き着いてくるのだろう。
悪さする男からしたらいい鴨葱だ。世の中、体だけが目的の奴なんてごまんといるぞ。
そのままホテルやらに連れ込まれるのが落ちな気がする。
「だな。俺も美咲はそういうの参加しない方がいいと思う。もし聞かれても断ってほしいかな。それか俺同伴なら許可する」
「明人君、最近お父さんみたいなこと言うようになったよね? 明人君、もしかして妬いてる?」
「妬いてない」
俺の即答に美咲がむっとした顔をする。
「美咲は酒飲めないだろ? 前に間違って酒飲んだとき大変だったの覚えてないのか? お馬鹿な美咲がひどい目にあうのが見えてるだけに事前に止めてるだけだ」
俺がそういうと美咲はしゅんとして俯いた。
美咲とは一緒に暮らしているから家族みたいなもんだし。
美咲自身も家族同様って言ってくれた。俺なりにやはり心配なんだよ。
今のところは美咲に声をかけてくる奴もいないようだし、男の影なんかこれっぽっちもないから、安心してるけど。もし、これで美咲に粉かけてくる奴がいたら、俺と面接してから交際してもらいたい。
美咲の面倒臭い性格を知らずに外見だけで付き合おうと思っているなら断固反対してやる。
「大丈夫だよ。誘われたとしても、知らない人とかと会うの苦手だから参加する気はないもん……。それに……お酒はもう飲みたくない」
そう、美咲は酒に弱い。本当に弱い。自分でも前に言っていたが、それを目の当たりすることがあった。
風呂上りに文さんの酒の入ったコップを水が入ってると思って口にしたことがあった。
しかも、ほぼ一気飲み。美咲は飲んだ直後に天と地が分からなくなったらしい。
一発でひっくり返って、気持ち悪いって言いだして、何度か吐いて落ち着くまで大変だった。
「美咲さん、合コンとかでお酒が入ると、酔っぱらった振りしてキスしてくる奴とかいるんですよ?」
「美咲、俺の目の黒いうちは合コン参加禁止な」
「また、お父さんみたいなこと言ってる……」
「まあ、キスぐらいで済めばいいですけど…………あ」
言いながら、俺に視線を向けたアリカは急に顔を真っ赤にした。
おい、やめろ。お前、俺とキスしたときのこと思い出しただろ。
あれは事故だ。二人とも忘れようって決めたじゃないか。
俺まで思い出して顔が熱くなるだろ。
「……ちょっといいかな~? この空気何かおかしいよね? 何で明人君とアリカちゃんは見つめあって顔を真っ赤にしあってるのかな? もしかして、キスしちゃったこと思い出したとか?」
「いや、あれは自分の意志じゃないし! 事故なんでノーカウントですよ。ねえ明人?」
「そ、そうですよ! 俺としてはアリカのファーストキスを奪う結果になってしまったんで、非常に申し訳ないし悪かったって思ってるけど、アリカがそう言ってくれて助かったっていうか……ラッキーっていうのもあるんだけど、いや、誰でもいいってことじゃなくて、アリカは可愛い部類だろ。そんな子とできてラッキーだなって思ったくらいで、俺自分で何言ってるのかよくわからなくなってきた!」
「明人、あんた落ち着きなさいよ! そういうこと言われたらこっちも恥ずかしくなるじゃないの!」
「…………はい、二人ともお仕置き決定!」
ポンと手を叩いて、怖いくらいににこやかな笑みを浮かべる美咲だった。
俺はアリカの腕を必死で掴んでいた。
「ちょっとあんた! 手を離しなさいよ!」
俺がお仕置きされそうになってる間に逃げようとしたからだ。
そうは問屋が卸さねえ。俺だけっていうのは納得できん! お前も道連れだ。
既に俺は美咲に捕まりもう逃げ場を失っている。あとは実刑が下されるのを待つ身。
必死に逃げようとするアリカに一言。
「アリカ、先に行ってるぞ」
「おしおきだああああああああああ!!」
俺の首に腕を回した美咲が声を高らかに叫んだ。
その後、意識を失う羽目になったが、どうやら無事にアリカもお仕置きされたらしい。
俺の道連れ作戦は成功したらしい、ちょっと満足。
起き上がると白目をむき魂の抜けたような状態のアリカが、人形のように椅子に座らせられていた。
随分と状態がひどいけど、まだ魂は戻ってきていないようだ。白目は怖いから流石に閉じさせよう。
時計を見ると、それほど時間は経っていないようだ。
「あ、起きた?」
美咲も最近強くなったな。俺が落ちても平気になってやがる。
一人で退屈だったのか美咲はカウンターで何やらノートを広げていた。
どうやら大学の課題らしい。
それよか、まだ少しむすっとしてるような気がする。
態度が少し冷たい感じだ。
「まだ怒ってんの?」
「……怒ってない」
「感じが冷たい」
「……事故でキスってのはよくあることだし、二人の意志でしたんじゃないってのも分かってるから、それほど気にしてないんだけど……でも……二人でその記憶を共有してるってのが……ちょっと羨ましい」
俺は美咲の言ってる意味が分からなかった。
何が言いたいんだ?
それから魂の戻ってきたアリカのアイアンクローに俺は沈められ、満足したアリカは裏屋に戻っていった。美咲はというと、課題を進める傍らたまに「はあ」とため息をついている。
課題が大変なのか?
店仕舞いまでもう少しという時間。俺と美咲は分かれて閉店の準備にかかる。
何だかあれから少し元気がないような気がする。
「美咲なんか元気ないぞ?」
「……うん。ちょっと頭に引っかかって」
「課題の話か?」
「……全然違う。アリカちゃんとのキスの話だよ」
「何度も言うようだけど、あの時は事故なんだぞ? 特別な感情もないんだぞ?」
「分かってるけど……なんか前よりアリカちゃんと仲がいいし……キスのことがあったからかなあって思ったりするし、だったら私もキスすればいいのかなーって」
「……あのな美咲。前から言おうと思ってたんだけど、キスの経験もないのにそういうこと言ったら駄目だぞ。俺だって欲はあるんだから。初めてのキスくらい好きな相手にとっとけ」
「……キスくらいあるもん」
「嘘つけ。散々ヤラハタだの彼氏いない歴=年齢とか言ってただろ。キスもまだだとか言ってたじゃん」
「……キスはしたことあるもん」
唇を尖らして言う美咲だった。
…………嘘? もしかして晃?
「……今、晃ちゃんのこと考えてるでしょ? 晃ちゃんノーマルだし」
違うのか。相変わらず恐ろしいくらい察しがいいな。
でも、晃がノーマルっていうのは美咲の勘違いだぞ?
そこは絶対に譲れないぞ?
そんなことはどうでもいい。
「……もしかして、俺の知らないうちに美咲が悪い子になった?」
「明人君、またお父さんみたいになってるよ?」
美咲の言うことが本当なら俺の知らないところで誰かとキスをしたということになる。
いや、待てよ。今現在、美咲は誰とも付き合ってないはず、毎日一緒にいてそれは分かってる。
……それって、誰かに奪われたってことか?
その見知らぬ相手に怒りがふつふつと沸いてくる。
「誰だ? 美咲の唇を奪った奴教えろ。同じ大学のやつか? 遊びじゃないかどうか確認してくる。いや、キスしといて付き合ってもないんだから遊びだよな。ちょっとぶん殴りに行くから名前教えろ」
「ちょ、ちょっと待って。明人君落ち着いて」
「美咲も美咲だ。なんでもっと早く言わないんだ。いつの話だよ?」
俺の剣幕に美咲は少しびっくりして固まる。
「いつだ!?」
「はい! 前に春ちゃんが東京に行ってる間、明人君ちにお世話になってた時です!」
「どこで誰と!?」
美咲は目を瞑って、俺を指差す。
「…………ちょい待て。何で俺を指差すんだよ? どこで誰とって聞いてるんだぞ?」
「……明人君ちで明人君と……だもん」
「……?」
おかしいことを言う。美咲とキスなんかした記憶ないぞ。
確かに未遂はある。いつだったか鼻にしたこともある。
もしかして今のは美咲の妄想話で……もしかして、美咲は現実と妄想の区別がついていないのか?
「……なんか明人君から蔑まされているような気がする」
「そういう冗談とか妄想とかが聞きたいんじゃないんだけど」
「嘘でも妄想でもないもん。キスしたのは本当だし……でも、あれは事故だから。……明人君私が携帯ゲームしてる間に寝ちゃってて、私が起こしたことがあったでしょ」
「……ああ、あったな。何だっけ、なんかお目当ての子が出たとか次の日の朝言ってたよね」
確か春那さんに色々見透かされてて、敗北感に打ちひしがれてた時かな。
気が付いたらいつのまにか寝てしまってて美咲に起こされたんだった。
「……その時に明人君にいたずらしようとしたら明人君が転がってきて……そのまま、ぶちゅっと」
「……マジで?」
「……うん。で、でも事故だから。これはノーカウントだ。言わないでおこう、忘れようと思って」
あれ、それって俺が響と初めてデートする前の話じゃなかったっけ?
……ってことは、響に奪われるよりも前に俺はファーストキスを失ってたのか。
しかも相手は美咲と……。
道理で、いつだったか美咲が事故でキスはよくある話だって言ってたわけだ。
あの時に何度聞いても結局教えてくれなかった。何で今更自白してきたんだ?
いまいち意味が分からない。
「……あの、怒ってる?」
美咲は上目遣いに俺の顔色を窺う。
怒るも何も、そもそも俺の知らないうちに起きたことだ。
寝てる間のキスなんて記憶もないのだから、実感がない。
美咲の唇を思わず見てしまう。
柔らかそうな唇が何かを期待しているように見える。
これまずい。変に意識してしまう。
一緒に暮らしてるのにこれはまずいだろう。
美咲の唇から意識を振り払い、一拍置いて一言。
「…………美咲の妄想だったことにする」
「なんですとっ!?」
あれ、なんだか美咲の気配がどろどろしいものに変わってきたぞ?
「…………へー。あーそう……私とキスしたって事実を言っても認めたくないんだ……。そんなに私とキスしたのが嫌だったんだ……。そうだよね。私みたいな社会不適合者とはキスなんてしたくないよね」
「なんで美咲が怒りだすんだよ?」
「……自分の胸に聞いてみれば? 知らない」
ぷいっと顔を背けて早足で俺から離れる美咲。
家に帰ってからも口を聞いてくれなかった。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。