304 美咲の騎士再来3
俺はいつものように目覚ましで起きると、そのまま美咲を起こしに美咲の部屋に移動した。
ドアを開けると、そこにはパジャマの上半身を脱いで着替え中だった下着姿の晃がいた。
起きたてだったからか、晃がその部屋で泊まっていたことをすっからかんに忘れてた。
お互い、その場で固まり目が点になる。
春那さんよりも小振りだけれど、確かにある膨らみが水色のブラにしっかり収まっている。
腰は鍛え上げているのかきゅっと細くくびれていた。
俺の視線が晃の上半身に行ったのに気付いた晃が、顔を真っ赤にして手で胸を隠すと悲鳴を上げた。
「――いやあああっ! 出てけ! 変態! こっち見んな!」
「うわあああああああっ! ご、ごめんなさい!」
そう言って俺はすぐさま部屋を出たのだけれど、すぐさまパジャマを着なおした晃に追いかけられた。
うわ、怒ってる。これはまずい。そりゃそうだよな。
いきなり部屋に入ってきたうえに、下着姿見られたんだもんな。そりゃあ怒るよな。
あまりの勢いに俺は逃走ルートを間違え、通路の端で逃げ場を失ったのだった。
流石、春那さんの妹だけあって怒ったときの迫力が半端ないくらい怖い。
「お前やっぱりぶっ殺す!」
血走った眼で、俺を射殺さんとばかりに睨みつけてくる晃。
もう既に戦闘態勢に入ってるような。
美咲やアリカの比じゃないくらい、命の危機が近づいてる気がする。
「わあああああっ! ちょっと待て! 話を聞け! 俺が悪かったのは認める!」
俺は通路の隅で両手を上げて全面降伏しながら悪意がないことをアピール。
だがそんなもんは言い訳にしかならず、俺の眼前に晃の拳がうなりを上げて近づいてきた。
☆
「まだ痛い」
晃に殴られた頬が痛い。普通、女がグーで殴るか?
やっぱ俺こいつ嫌い。
まあ、その一発で済まされたのはラッキーだと思っておこう。
晃を加えた五人でテーブル囲み朝食。
晃はちゃっかり美咲の横に陣取っているけれど、そこは俺の席なんだぞ。
俺はというといつも春那さんが座っている文さんの横にいる。
「着替え中にノックもなしに入ってきた君が悪い。私、謝らないから。一発で済ませてもらっただけ感謝しなさいよね。それにかなり加減してやったんだからね。私が本気でやったら歯の二、三本は折れるよ」
「明人君のえっち。信じらんない、晃ちゃんの着替えてるところに入るだなんて…………私の時なんて一度もそういうことなかったくせに」
一緒になって怒る美咲。何か怒ってるベクトルが違うような気がするんだけれど。
今日は完全に油断したんだ。いつもはそういうことに気を遣って生活してる。
ラッキースケベな状況は作らないように意識してたんだ。
それなのに、よりによって晃を相手にしてしまうだなんて……不覚すぎる。
ただでさえ敵意を持たれてるのに、和解できる日はあるんだろうか。
「んで、何で君が美咲を起こしにくんの? 納得いかないんだけど」
「それは本人に聞いてくれ。俺は本人からの頼みでやってるだけだ。それに今日はちゃんと譲っただろ」
俺がそう返すと、晃は美咲とのハグを思い出したのか少し締まりのない顔をした。
「ま、まあ、久しぶりに美咲を起こしてハグしたから満足…………ちょっと待て。もしかして君、毎日美咲とハグしてんじゃないの? 美咲の習慣だから絶対誰かにしてるはずだよね?」
……やべえ。これはかなりやばい気がする。考えたら分かるようなことだった。
晃の怒りの矛先が確実に俺に向かってくる気がする。
「毎朝、明人君とハグしてるよ?」
のほほんと照れ臭そうに笑って言う美咲。
このタイミングで言うのは止めようよ! 空気読もうよ!
美咲的にはちゃんとしてるよ報告かもしれないけど、俺にとっては死の宣告に近いもんがある。
案の定、それを聞いた晃は激昂して椅子から立ち上がり俺に向かって叫ぶ。
「お前、ちょっと表出ろ! そのやらしい根性叩き直してやる!」
「晃、いいかげんうるさいぞ」
それまで黙々と朝食を食べていた春那さんが声を大にして言った。
「すいません。騒ぎすぎました!」
すぐさま椅子に座りばっと姿勢を正す晃だった。お前豹変しすぎだろ。
春那さんに弱すぎじゃない? まあ、怒ったときは確かに怖かったけど。
「いやいや、朝から賑やかでいいね」
一人平和そうに俺たちを眺めて満足そうな文さん。
今日は俺たちと同様に休みらしく、寝間着にすっぴんだ。
学校にいるときの文さんは、どちらかというときりっとしていて、落ち着いて大人びた雰囲気を醸し出していて、はきはきとした口調で話す。密かに男子生徒からも高評価で人気もあるのだ。俺と一緒に暮らしていることを羨むクラスメイトもいる。しかし、家にいるときの文さんは、学校でのあの姿は偽物だと思えるくらい、だらけてのんびりしている。
暮らし始めてすぐに、どっちが本当の文さんなのか聞いてみたのだが。
「どっちも私だよ。使い分けだよ。TPOってやつ。医者や教師がだらけてたら信用なくすでしょ。かといってどこかで気を抜かないと私だって疲れちゃう。家にいるときくらいはのほほんとしないと」
言ってることは分かるんですけど、差がありすぎです。
「ところで晃君どうだい? 君さえよければ親御さんの了解をもらって、もうしばらく泊まっていくというのは? 美咲ちゃんと旧交を温めたいんだろう? 私としてはそういうの大事にしてもらいたいんだ」
「文さん!?」
文さんの提案に春那さんが驚愕の表情を浮かべる。
「まあまあ、春那の言いたいこともわかるけれど、たまには可愛い妹さんの我儘くらい聞いてやってもいいんじゃないかな? えーと、学校が休みになったと聞いたけどそもそもいつまでだい?」
「あの休みと言っても、私が受けてる講義が教授の都合で来週の金曜日まで休講なだけなんです。それで昨日の夕方に課題終わったんで美咲の顔を見に行こうと思って……高速バスに乗ってきたんです」
「その行動力と実行力を美咲以外の何かに使うとかできないのか?」
そう言って、春那さんが小さくため息をついた。
晃は来週の木曜日までに戻ればいいらしく、それを聞いた文さんが「明人君も構わないよね?」と俺に聞いてきたが、嫌とは言えない。
朝食の間にそれぞれの予定を言い合う。
これも一緒に暮らし始めてから俺たちの定番となっていることだ。
文さんは昼まで家でゴロゴロして、お昼から知人とランチしに行くそうだ。夕方には戻ってくるらしい。
春那さんは今日も仕事で、今日の予定だと遅くても8時には帰ってくるとのこと。
俺はバイトまで特に予定がないので家を掃除しようと思っている。
いつも春那さんに頼りきりなので、たまには自分もやらないと。一応、副担当だし。
美咲は大学。どうやら晃も連いて行く気らしい。清和大学は一部の研究施設など部外者立ち入り禁止区域にさえ入らなければ、部外者が構内をうろついていても特に問題ないらしい。美咲も大学構内を散歩するおじいさんやおばあさんとか、どう見ても学生じゃない人が学食で食べてるところを何度も見かけてるそうな。そんなゆるゆるで大丈夫なのか?
「昼がいるのは明人君だけか。明人君は今日のお昼はどうする? 何なら作っておくけど」
「大丈夫です。俺一人なんで自分で適当にやりますよ」
春那さんの飯は美味いので作っておいてもらえるとありがたいが、ここは遠慮しよう。
甘えてばかりじゃ駄目だ。
「まあ、美咲と違って明人君なら大丈夫か」
「…………あー」
一緒に暮らし始めてから美咲の手料理を食べた最初の犠牲者である文さんが静かに頷いた。
春那さんが仕事で不在、俺も教習所に行っていて不在。家事担当が不在のとき、小腹をすかせた文さんが一緒に留守番していた美咲に「料理に挑戦するのは恥ずかしいことじゃない。美咲ちゃん、私をうならせてみせるのだ」と自分の食欲を満たすため言ってはならないことを言ったのである。
それに応じた美咲は携帯で複数のレシピを見ながら作ったらしく、俺が教習を終えて家に帰ったときには、文さんが電話の前で倒れていた。多分、意識があるうちに誰かに電話しようとして、その思いは届かず、途中で朽ち果てたのだろう。こうなったのは自業自得だと思うけど。
文さんを介抱後、美咲には俺から説教した。
春那さんか俺が一緒にいるとき以外は絶対作っては駄目と言ってあったにも拘らず作ったからだ。
そもそも、一つのものを作るのに複数のレシピはおかしいだろう。
しかも途中から、こうしたら美味しいかもと急に閃いてアレンジまでしたらしい。
そのアレンジが美咲が一番やっては駄目なことなんだよ? と、思わず優しく説教してしまった。
「流石の文さんもあれには堪えたみたいですね」
春那さんの言葉に美咲がびくっとしたあと、晃にぼそぼそと拗ねた口調で言う。
「晃ちゃん……台所に立ったら明人君が全力で阻止するんだよ。どう思う?」
「……アレに対する全力阻止はしょうがないと思う」
「…………っ!」
味方だと思っていた相手の裏切りに美咲は両手で顔を覆って泣き始めた。
晃も納得するってことは、多分、過去に被害にあったことがあるんだな。
あ、ちょっとだけ仲間意識芽生えたかも。
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