303 美咲の騎士再来2
小学校5年生の時から高校を卒業するまで美咲を守り続けた――牧島晃。
病的なまでに美咲を愛し、自分の部屋にはそこかしらに美咲の写真が貼ってあったと春那さんから聞いている。何でこいつがこんなところにいるんだ?
「ひどいよ。何で引っ越したの教えてくれなかったの。電話しても、メールしても着信拒否みたいになってるし、私美咲に嫌われるようなことした?」
抱き着いた晃は泣きながらそう訴えた。
「え!? ちょっと待って。引っ越したこと春ちゃんから聞いてなかったの?」
「そんなの聞いてないよ!」
「それに着信拒否なんてそんなのしてないよ! ほら携帯見てよ。そんな酷いことするわけない…………あれ? ええっ!? 何で私の携帯晃ちゃんのこと拒否にしてるの?」
美咲はポケットから携帯を取り出す。どうやら晃の言う通り拒否になっていたようだ。
美咲自身も身に覚えがないようで困惑していた。
なんとなくだが、春那さんがしれっと美咲の携帯をいじったのだと思う。
セキュリティロックもかけずに、よくそこら辺に置いているから、やろうと思えばいつでもできたはずだ。あまり好ましい行動とは言えないが、晃の美咲への連絡を封じる作戦としては効果が高い。そこまで徹底しないとこの人にはいけないのか。
「姉さんに聞いても何も変わらないとしか言ってくれないし。課題をさっさと終わらせて、休みになったから会いに来たらアパートから引っ越してるし、それで美咲のバイト先に行ったらもう閉まってたし、もう心配で心配で気が狂いそうだった」
「ごめん! ごめんね晃ちゃん。心配したよね!」
そう言って晃をぎゅっと抱きしめる美咲。
「美咲が元気そうな顔してるから、もう――大丈夫」
ぐすんと鼻をすすりながら答える晃はようやく俺の存在に気付いたようだ。
今の今まで横にいたのに、美咲しか見てなかったのかこいつ。
「お前まだ美咲に付きまとってるの?」
美咲をかばうように俺の前に立つと、確実に敵意ある瞳を俺に向けて晃は言った。
いきなりお前呼ばわりとは舐めた口上だな。流石にイラッとしてくるぞ。
「お前さ、美咲が可愛いからって邪な気持ちでいるんじゃないでしょうね?」
「ほれ、そこの本人に聞いてみろ。俺がそういうことしてたかどうか聞いてみろ」
これだけ敵意を向けられるとて、流石にこいつに敬語は使いたくねえ。
「晃ちゃん、前も言ったけど明人君はすっごい紳士なんだよ? いっつも私の面倒見てくれるいい人なんだから」
途端に晃は顔を青ざめる。
「――え? こいつって美咲のいい人なの?」
あー、すごい勘違いしてんだけど。
これはこれで面倒臭い奴だな。
「そうじゃないけど! …………でも、今一緒に暮らしてる」
美咲の言葉を聞いた途端、晃がその場に崩れ落ちた。
いや、美咲ちょっと順番が違うだろ。
今のタイミングでそれは言ってはいけないだろ。
合ってるよ、合ってるけれども、そこ正しく伝えようよ。
「……う、嘘だ。あ、あの可愛い美咲が、穢れを知らない美咲が、男と同棲だなんて……も、もしかして、もうすでにお腹の中にあいつの赤ちゃんがいるとか?」
おいおい、いくらなんでも飛躍しすぎだろ。
どれだけ脳内で最悪な妄想加速してんだよ。
「そんな関係じゃないから! まだ経験したことないから! 私、立派な処女だから! 春ちゃんも一緒に暮らしてるし、他にも文さんっていう人も一緒に暮らしてるから、ただ住むところが明人君の家になったっていうだけだよ!」
美咲も美咲で経験したことないとか、立派な処女とか大声で言うな。
聞いてるこっちが恥ずかしくなる。
「本当に?」
帰り道、以前に晃がてんやわん屋まで美咲を迎えに来たときみたいに、少しばかり距離を置いて二人の後ろを自転車を押しながらついていく。事情を美咲が説明しているのだけれど、どうやら晃は納得できていないようだ。
「――と言う訳で、春ちゃんには春ちゃんの考えがあって決めたんだし、私自身も特に反対することでもなかったし、春ちゃんにお世話になってる身だから春ちゃんが決めたことに従ったの。だから晃ちゃんが思ってるようなことじゃないよ?」
そんな美咲の説明に晃は興奮して感情的に口走る。
「何で姉さんもそんな簡単に男と一緒に暮らすこと決めちゃうの? 全然分かんない! 姉さんが家を出た時だってそうだよ。T大受かってたのにそれ蹴ってまで男追いかけてこっちの大学にきて、挙句の果てにはその男に捨てられ――――あっ!?」
激昂した晃は自分が余計なことまで口走ったことに気付き口を止めた。
「ごめん美咲、今のマジで忘れて。お願いだから。姉さんはやっと吹っ切れたみたいなんだ。嫌な思いさせちゃうから思い出させたくないんだ」
「……うん。聞かなかったことにする」
晃と美咲は、二人揃って後ろにいる俺へちらっと視線を向けてくる。
どうやら、俺にも聞こえていたことは分かっているみたいだ。
しょうがねえな。
「……俺も聞かなかったことにするよ。というより、感情的になって迂闊な発言をしたこと反省しろ」
悔しそうな顔をする晃だったが、とりあえず俺の言葉を信じたようだ。
しかし、春那さんにそんな過去があったなんてな。あんな美人でも振られることってあるんだな。
一緒に暮らし始めてなんでも完ぺきにこなす春那さんを思うと、どこが嫌なのか全然分からなかった。
☆
晃を連れたまま家までたどり着く。
晃は美咲にべったりくっついたままだ。
「ここが明人君の家だよ。ここで今住んでるの」
と、美咲が家を指差すと急に晃の元気がなくなったのが分かった。
「……美咲、姉さん怒るかな?」
ははぁ? これは春那さんにビビってるな?
大げさな奴だ。いくら春那さんだって来てしまった以上そこまで怒るとは思えないんだが。
「大丈夫だよ。私からも言ってあげるから。そんなに心配しないで? 明人君、晃ちゃん泊めてあげてもいいよね?」
「ああ、俺はいいよ。美咲の部屋でも布団は敷けるだろ」
と、言いながら、この時の俺は自分がミスを犯したことに気が付いていなかった。
玄関を開けると、「お帰り」と、満面な笑みで春那さんが出迎えてくれた。
しかし、その満面の笑みが消え去るまで、ものの一秒もかからなかった。
「……晃、お前が何でここにいるんだ?」
美咲の後ろで身を小さくしてびくついてる晃。
相当春那さんが怖いのか、目を合わすこともできず、既にぶるぶると震えている。
「えーと、春ちゃん。晃ちゃん着くのが遅れたみたいだけど休みになったから顔を見せに来たんだよ。今日はもう遅いし、明人君も泊まっていっていいって言ってる……か……ら…………」
段々と美咲の声がボリュームダウンしていく。
それもそうだろう。誰が見ても分かるくらいに春那さんから怒気が溢れ出てる。
一緒に暮らしてから春那さんが怒ってる姿を見たことがないだけに俺も思わずビビってしまった。
「……晃。お前こっちに来ること父さんか母さんに言ってきたのか?」
「…………はい、あの……その」
「言ったのか、言ってないのかどっちだ!」
「はい! 言ってません!」
春那さんの怒声にびしっと姿勢を正して直立不動で答える晃。
春那さんマジおっかねぇ。
美咲も春那さんが怖いのか、いつの間にか俺のシャツを掴んでぎゅっと握りしめている。
「今すぐ電話しろ! 話はそのあとだ」
春那さんの怒声に、晃は慌てて携帯を取り出し電話をかけ始める。
「――――あ、お母さん? 私、晃。あの、今、姉さんのところに来てるんだけど、今日遅いからこっち泊めてもらうから。――うん、連絡遅れてごめんね。――――――うん……元気そうだよ。――――うん。お父さんにも言っておいて。帰る前にまた電話するから。それじゃあ、おやすみなさい。…………電話終わりました」
春那さんはふぅと一つため息を漏らす。
「……明人君、非常に申し訳ないが、晃をここに泊めてやっても構わないかい?」
「お、俺はいいですよ。俺もそのつもりで連れてきてますし。あ、あのせっかく遠くから来たんだし、あんまり怒らないでやってほしいんですけど?」
俺も怖いんで。
「……晃、明人君に感謝しろ。少しの説教で済ませてやる」
「…………はい。えと、明人君ありがとうございます。お世話になりますがよろしくお願いします」
そう言って、俺に深々と頭を下げる晃だった。
あれ? 晃って、こんなおとなしいキャラだったっけ?
どうやら春那さんの前ではこの姿がデフォルトらしい。
「とりあえず、美咲の部屋に荷物置いてこい。美咲、晃を案内してやってくれ」
「は、はい! 晃ちゃんこっちだよ」
美咲はわたわたと慌てながら晃を二階へ連れていく。
「……明人君、恥ずかしいところを見せてしまったね。本当に情けない。ああ、ところで晃が君に絡んだりしてこなかったかい? もしそうなら、とことん説教するつもりなんだけど」
「いや、全然そんなことないですから! 俺も何もされてませんし! ……本当にあんまり怒らないでやってくださいよ? 美咲に会いたい気持ちは本物だと俺も思うんで」
「明人君は優しいねぇ。じゃあ、明人君に免じて軽い説教で済ませるよ」
そんなことを言ってると、リビングから一升瓶を抱えた文さんが陽気な顔で出てきた。
「何、なーに? なんかいいことあった?」
リビングにいたなら春那さんの怒った声は聞こえてたはずだろう。
文さんは春那さんにすり寄り、うへへと笑いながら肩に手を回す。
「春那~、久しぶりに怒鳴ったの聞いたよ~。妹を心配したからこそ怒るのは分かるけど、怒りすぎると顔にしわが増えるよ?」
「まだ若いですし、ケアもちゃんとしてますから」
照れたように言う春那さん。
ああ、そういうことか。
何だかんだといいながら、春那さんは晃のことを心配したんだ。
考えてみれば、まだ二十歳そこそこの女の子が夜に一人で街を彷徨っていたんだ。
ここに来てるということを誰にも知らせずに。
もし何か事故があったことを考えたら確かに怒りたくもなるだろう。
「春那それは私に対する挑戦かい? よし、飲み比べしよう。勝った方が若いということで」
「嫌ですよ。私は明日も仕事なんですよ?」
「いいじゃんケチー。私は休みなんだよ。どうだ羨ましいだろう」
「明人君、この酔っぱらい何処かに捨ててきてくれないかい?」
俺に振らないでください。
「とりあえず明人君らもご飯にしなよ。ルーたんとクロちゃんがおかず狙ってるよ?」
それを聞いた春那さんは慌ててリビングへと戻る。
「あ、こら! テーブルの上に乗るな!」
ドアの隙間から、ルーとクロが俺と美咲の晩飯である焼き魚に顔を近づけてるのが見えた。
春那さんがすぐさま捕まえて、「駄目だろ」と躾を開始。
あっさり捕まったルーとクロはごめんなさいといった感じで丸い目を閉じたり開いたりしている。
人の言葉が分かってるような感じで、特にルーはしゅんとしていた。
クロはちらちらと春那さんの様子を窺っている感じだ。
「さっきまでルーたんずっと葛藤してたよ。……食べたい……怒られるよね……でも、食べたい……匂いくらいいいかな……怒られるかな……でも食べたいって、もう見てて愛くるしくて死にそうだったわ。クロちゃんが先にテーブルに上がったら、つられたみたいだったけど」
うわあ、マジで見たかったんですけど。
猫好きな俺としてはルーとクロの存在はまさに癒しだ。
そうこうしている間に、美咲と晃が二階から降りてきた。
晃は、晩飯を来る途中で食べたようでいらないらしい。
俺と美咲が食事をしている間、晃は春那さんから説教されていた。
何故か、正座する晃の横で似たような感じでちょこんと座ったルーとクロ。
まるで一緒に説教を受けてるように見える。
もしかして反省してるつもりなのか? そうだとしたら可愛すぎるだろ。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。