301 新しい家族7
学校へ行く時間になり、春那さんと美咲に見送られて玄関を出る。
「「いってらっしゃい」」
たったそれだけの言葉が俺には嬉しかった。
一人の時間が少なくなった今、辛かった時間や俺に纏わり付いていた鬱蒼とした空気はもうほとんど見られない。
そして、それは学校生活においても同じで、俺の環境は変化していた。
学校に到着後、愛と響の喧騒に巻き込まれはしたものの、軽い疲れで済んだ。
朝のHRまで少しの時間があり、いつもの面子と雑談。
いつもの面子と言うのは、校外学習で組んだ川上、柳瀬、委員長の長谷川、そして太一だ。
校外学習をきっかけにその時のメンバーがクラスで一緒にいることが多くなった。
川上と柳瀬は、俺が教室に入るとなんやんかんやと言いながらも俺に絡んでくる。
太一と長谷川もクラスで噂されるほど一緒にいることが多い。
最近の太一と長谷川は一緒に登校してきているのか、同じ時間帯に教室に入ってくることが多く、クラス内では既に付き合っているのではないかと噂も飛び交っている。
どうせ川上と柳瀬が面白おかしく広めたに違いないのだろうけど。
まあ、俺の目から見ても太一と長谷川と一緒にいることが多くなったと思うので、多少疑われても仕方がないことだろう。俺としては川上らの言っている長谷川が太一に恋しているということの方が気掛かりだ。太一が愛のことを好きなのを知っているだけに、それは報われぬ恋になるのだから。
この状態が当たり前になったからか、俺の噂が落ち着いたのか、それとも関心がなくなったのか。
まず俺をゴミ虫でも見るような目がクラスの女子からなくなった。
まあ、それでも響と愛が俺にくっついているときは、相変わらず負の視線を浴びることはあるのだけれど、とりあえず普段の生活でクラスメイトからそういった目で見られることはなくなった。
これも川上や柳瀬、それと委員長の長谷川のおかげだろう。
試験は最終日ということもあり、余裕の表情を浮かべるやつ、ぎりぎりまで試験対策を続けるやつ、諦めたのか悟りの境地を開くやつ、勉強できなかったよーと言いながら目の下にクマ作ってるやつと様々だ。
最終日の試験は、物理と芸術の選択科目。入学時に選択した美術や音楽、書道だ。これは個人ごとに違うので自分が該当する科目のみ試験を行う。
俺と太一、長谷川は美術。川上と柳瀬は書道らしい。川上らが言うには書道が一番楽だと聞いたから選んだらしい。ちなみに響も書道だ。
俺の場合は、楽譜とか読めないし、作曲家とかを覚えるのが苦手だったから音楽は避けた。書道も小学生の時に習字で服が汚れた嫌な思い出があったのでこれも避けた。消去法で美術が残っただけだ。それぞれどういう基準で点をつけられているかは俺もよく分からないが、試験もこれで赤点をとる方が難しいといわれているくらい楽な試験だ。実際、試験問題も少なく、成績は授業態度や提出物による気がする。
そのおかげで最終日は物理をしっかりやっておけば楽な試験日程と言える。
まあ、物理は数学に近いこともあり、苦手科目じゃないので何とかなるだろう。
それが余裕な顔に見えたのか太一と柳瀬が恨めしそうに睨んでくる。
「…………明人のその余裕な表情がむかつく」
「同意、同意」
俺の目の前で、太一と柳瀬が俺に対して恨みと妬み全開の目を向けてくる。
この二人は物理が苦手だ。
柳瀬の場合、赤点とまではいかないが自分の中ではいつも最低点らしい。
共通するところがあったからか、珍しくタッグを組んでいた。
「太一はともかく、柳瀬の場合はよく分からんな。お前、数学はそこそこいいだろ?」
「それはそれ、これはこれ。苦手だから自信がない。まあ、柳瀬的には文系を目指すから物理の点なんかどうでもいい」
と、柳瀬は遠い目をしながら言った。
……こいつ、もう諦めモードに入ってやがるな?
川上と長谷川は俺たちの近くにいるが、どうやら二人とも悪足掻きするタイプらしく、俺たちと会話せず二人してノートを見ながらブツブツ言っている。
そんな二人に太一が、
「諦めろ~、諦めろ~。俺と一緒に補講に行こうぜ~」
と、呪いをかけていた。
「千葉君うるさい!」
「あいたっ!」
太一の態度にイラッとした川上が消しゴムを投げ、太一の額に直撃。
得意不得意がはっきりしているのが川上と柳瀬。成績順位としては、ほぼ真ん中付近だ。
得意なものはないが不得意なものもなく、学年平均点から十点以上のアベレージを持ち、概ね中の上の成績順位である長谷川。
そもそも勉強が嫌いな平均点以下のアベレージを持ち、最下層付近の成績順位にいる太一。
今回は一緒に勉強したから少しは上がっていると信じたい。
「お前ら、普段の勉強が足りないんだよ。俺はバイトしててもちゃんと時間作ってるぞ?」
「うちらより上のいんちょでも学年五十位入らないんでしょ? 私なんか勉強したって変わんないよ」
「勉強も習慣の一つにしとくと楽だぞ?」
「そんなの無理だしー。誘惑いっぱいあるのにできるわけないじゃん」
そこは誘惑を断ち切れよ。
「木崎君は中間の時どのくらいだったっけ?」
長谷川が何気に聞いてくる。
「俺か?……クラスで4位、学年で25位だよ」
「あれ? 木崎君がこのクラスのトップかと思ってた」
そう。順位としては上位の方だが、俺の上にまだ24人もいる。
今の順位は個人的に満足だが、誰が上にいるかは気になるのが正直なところ。
本人たちから聞く機会もあって、分かっているのはトップが響で、次席が大熊、それと生徒会会計を務める西本が第9位と俺より上だった。初めに聞いたときは信じられなかったが。あのぽやんとして会長から計算間違いで怒られてたやつが実は頭がいいだなんて……。人間見た目じゃ分からないもんだ。
「何でバイトばっかしてるのに勉強できるの?」
柳瀬が納得できないような顔で聞いてくる。
「さっきも言ったろ? 帰ってから時間作ってるんだよ。それに一緒に暮らしてる大学生からも教えてもらってるし」
「ああ、藤原さん。ただで家庭教師、しかもあんな美人か。……木崎君一回死ねばいいと思う」
柳瀬がろくでもないことを口にしたが、お前美咲のこと分かったら絶対そう言わないぞ?
文さんたちと一緒に暮らしていることは公にしてある。
隠してばれた時の方がダメージが大きいからだ。
文さんは校長先生とか生活指導の先生に「世間の目ってものを考えろ」と注意されたらしいが、「未成年がたった一人で暮らしているのを保護して何が悪い」と言い切ったらしい。
その文さんの頑張りに応えるためにも、授業態度や勉強は頑張っているつもりだ。
一緒に暮らす理由が俺の両親の離婚で、保護者代理として文さんと春那さんが俺の面倒をみるためだということも、ここにいるメンバーは知っている。そのおまけでついてきた美咲と同居していることも伝えてある。川上と柳瀬に言ったとき、美咲のことを面白おかしく拡散するかとも思ったが、流石に「理由が重いわ」と拡散することはしなかった。意外と分別はつけているらしい。
「このクラスで木崎君より上の一人は赤城さんだね。クラスで2番だから」
ちょっと考えていた長谷川が赤城さんの名前を口にした。
我がクラス2年B組出席番号2番赤城京香、別名最前列マイスター。長谷川が体育で一緒にペアを組む子である。目が悪いから一番前にいるという理由でもなく、背が低いから黒板が見にくいという理由でない。彼女はクラスの中では平均的な身長的で、視力も悪くない。彼女が最前列マイスターと呼ばれる所以は、席替えをすると必ず最前列を引くくじ運の悪さからと言われている。
実際、GW明けにくじ引きによる席替えが行われたのだが、最前列のセンターへ移動した。ちなみに同じ中学出身の太一と長谷川が言うには、一年の時だけでなく中学の時からずっとらしい。
普段は非常に口数の少ない人だが、授業中、突っ込みを入れたくなるような先生の暴挙(特に坂本先生)にクラスの空気を読んで意見する子で、みんなからも慕われている。人間的にもいい子だと分かるので彼女には負けてもいいと思う。
「ああ、赤城さんなら分かるね。あとの二人は誰だろね?」
「井上じゃないことだけは確かだ。俺のライバルだからな。あいつ未だに俺が前回の数学補講抜けたことを裏切者っていって恨んでんだよ」
「そういう下位の醜い争いはいいから」
川上が太一の言葉をぶった切る。
「お前ら情報通なんだからそういうの知らないの?」
川上と柳瀬に聞いてみる。
「東条さんみたいな目を引く人とか面白いネタならともかく、そんな人の聞いても「それで?」ってなるっしょ。ぶっちゃけ人の順位なんて興味ないわ」
本当にどうでもいいらしい。
☆
試験が終わった。芸術の選択科目はなんだこれと思えるほど簡単だった。
先生が試験はここが出るぞといったところがズバリ出ていた。
しかも、選択式なので答えが見えているだけに間違える可能性は低いだろう。
太一はというと、物理の試験が終わってから机に突っ伏したままだ。
川上、柳瀬、長谷川は集まって何番がこうだった、あーだったと答え合わせしている。
俺と言えば満点は無理だろうが、そこそこいい手応えだった。
悪くて85、良くて95くらいといったところだろう。
担任の菅原先生がHRにやってきた。
「はいはい、試験お疲れさま。明日は試験休みだけれど、一応自宅学習って名目だからね。夏休みが近いからって浮かれないで補導されるようなことのないように。じゃあ、来週の予定を説明するよー」
そう言っていつもみたいに延々と説明が始まる。
俺は菅原先生の話を聞き流し、あることを考えていた。
期末試験も終わり夏休みまであと2週間。
今年の夏は去年のバイト三昧だった夏と違って様々なイベントが待っているだろう。
きっとこの夏は俺にとって大事な思い出になるに違いないと、胸を弾ませていた。
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